天下分け目の花戦



「あーあ、また爪紅剥げちゃった・・・」
湯船の中で手をかざす。
「畑仕事を頑張ったんだし、仕方ないよ」
「だよねえ。だけど、今回は自信作だったんだけどな」
慰める堀川に、俺はため息まじりに答えた。
「ねえ」
「ん?なに」
「清光にとって、主さんはどんな存在なの?」
「どんな、って・・・そりゃ大切な人でしょ」
以前なら、だって俺たちの主だもん、と言っていた。
けれど、今は違う。
いつの間にか芽生えていた感情に恋という名がつくまで、そう時間はかからなかった。
「だけど、なんでそんなこと聞くの?」
「それは・・・なんとなく。ちょっと気になっただけ」
火照る顔を隠すように、彼は鼻の頭まで湯に浸かった。
会話はそこで終わったものの、今思えば、あれは堀川にとっての恋の初期症状だったのかもしれない。
夕餉をいただきながら考える。
堀川国広の心の奥までは見えない。
けれど、同じ相手を想う気持ちは分かっていた。
ちらと目を向け、和泉守の世話を焼く相手を眺める。
「(かいがいしいなあ・・・そんな余裕があるなら)」
彼はまだ、自覚していないのかもしれない。
「ねえ清光」
「!なに、主」
「このさば味噌すっごくおいしいね」
お手製の料理を褒められるのは、悪い気分ではない。
「でしょ?味つけ、ちょっとこだわってみたんだよね」
「そうなんだ、さすが。それに浅漬けもさっぱりしてて好きな味」
そう言って箸を伸ばす彼女に「それは堀川が作ったんだよ」と答える。
「ね、堀川」
「え?」
急に話題を振られた彼はあわてて「はい」とうなずく。
「今朝採れた白菜を漬けたんです。そう言ってもらえて良かった」
「ふたりとも、光忠や歌仙に負けないくらい料理上手だね」
おかわりしてこよっと、そう言って主は立ちあがった。

***

「清光」
片付けを終えて自室へ帰る途中、聞き慣れた声が呼び止める。
「堀川?なに」
「さば味噌、大好評だったね」
「ああ、うん。手をかけた甲斐があったよ」
「そっか・・・あの、さ」
主さんのことなんだけど、と言いかけた相手をさえぎって宣言する。
「俺は絶対に譲らないから」
すると、彼は弾かれたように顔を上げた。
「・・・清光も?」
「そうだよ。もうずっと前から」
自分が先に好きになったのだから取るな、とは主張できなくても、見逃すのは簡単なことではない。
けれど、俺はここで読み違いをしていたのだ。
「悪いけど、僕も譲るつもりはないよ」
ひるむことのない視線を向けて堀川は言った。
「・・・良いんじゃない?別に。好きになるのは自由なんだから」
踵を返し歩き出す。
牽制のつもりだった。
その行動が、まさか火を点けることになるだなんて。

***

「主、ちょっといい?」
開いているので、特に意味のないような声掛けを部屋の中に向かってすると、
「まだ仕事中ですよー」
と寝そべった鯰尾がのんきな返事をする。
「うそ、菓子食べてんじゃん」
呆れたように見下ろしている俺に、主は「清光もどうぞ」とお茶を出してくれた。
「ありがとう」
「なにか用だった?あ、爪?」
「ううん。ね、明日出る部隊に入れてもらえない?」
「いいよ」
「どうしてですか?」
尋ねてきた鯰尾に答える。
「なんかそんな気分なんだよね」
すると彼は「気分で斬られたんじゃたまんないですね」とけらけらと笑った。
「斬られたくなけりゃ、歴史の流れ変えようとするなっての」
端末を確認していた主は、
「よし、完了。それじゃ気をつけてね、隊長」
「まかせて・・・え、隊長?」
そうだよ、と彼女はうなずく。
「何度も行ったことがある場所だしね。清光なら頼もしいと思って」
「ふうん。なら、頑張っちゃおうかな」
はからずも大きな責任を任されたことが嬉しかった。

***

「ありゃー。加州君に取られちゃったか」
髭切は肩をすくめた。
大将首を上げたことと、小夜を助けた功績のため、今回の誉は清光だ。
「おつかれさま、ふたりとも。どうだった?」
「誰も怪我してないし、まあまあってとこかな」
「よかった。それじゃゆっくり休んで」
そう言ってうながすと、彼は「報告、今からでも良いけど」となんでもないように口にする。
「だめだよ。体は疲れてるんだから、少しは休まなきゃ」
「別に問題ないって」
すると髭切がのんびりと、
「さっき居間に甘味が用意されてたよ。加州君も行かない?」
と言った。
「そ?じゃあいただいてこようかな。主、またあとで来るね」
ふたりを見送っていると、堀川くんの姿に目をとめる。
「堀川くん、おつかれさま」
「あ・・・、ありがとうございます」
「出陣、どうだった?」
「いつもどおり。でも、誉は取れませんでした」
やっぱり彼はすごいですね、と堀川くんは呟く。
「清光なら安心して部隊を預けられるよ。怪我は大丈夫?」
「はい」
「よかった。なら、堀川くんも休憩してきたら?」
何気なく腕に触れた瞬間、彼は顔をしかめる。
「もしかして・・・怪我してる?」
「あ、いえ」
「うそ。見せて」
強引に袖をめくると、血こそ流れていないものの赤黒いあざがじわりと広がっていた。
「黙ってちゃだめでしょ」
これくらい良いかなって、と言う相手にため息をつく。
「良いわけないでしょ。はい、手入れ部屋直行」
はい、と彼は諦めたような笑顔を見せた。

***

堀川いる、という声が掛かる。
「(もうばれちゃったか、)」
どうぞ、と答えると不機嫌な顔をした清光が入ってきた。
「怪我してたんならそう報告しろよ」
「ごめん。このくらい別にいいかと思って」
「なんだよそれ」
意味分かんない、と吐き捨てる彼に思わず声を荒げる。
「僕だって分からないよ!けど・・・言いたくなかったんだ」
「堀川」
「でも、主さんにはばれちゃった」
気づかれないと思ったんだけどなあ。
すっかり元どおりになった腕を眺める。
「・・・気持ちは分からなくもないけどさ」
「分かってる、清光の言いたいこと。でもごめん」
ひとりにして、と顔を背ける。
しばらくして、立ちあがった彼が部屋を出て行く気配がした。
はりつめていた息を吐く。
「・・・くそ」
悔しい。情けない。
熱くなるまぶたを乱暴にこすり、拳を叩きつけた。

***

「堀川くん」
怪我はもう大丈夫?と尋ねられ、僕は軽くうなずく。
「はい。手間をかけさせてしまってごめんなさい」
「気にしないで。でもね、もう隠すのはなし」
「・・・はい」
やっぱりこの人には敵わない。
みんなのことを気に掛けてくれる彼女が、僕だけのものだったら良いのに。
そんなふうに考えるようになったのは、いつからだっただろう。
「堀川くんに聞きたいことがあるんだけど、良いかな」
「はい、なんでも」
清光のこと、と言われて胸が苦しくなる。
「なにか悩みとかあるのかなあ」
「さあ・・・すみません。僕はなにも聞いていなくて」
「そっか。なら私のとりこし苦労かも。ちょっとぼんやりしてるように見えたから」
「主さんは、よく彼を見ているんですね」
「そうかな・・・そう、かもね」
その瞬間、なにかが弾ける。
「僕が、主さんの一番になりたいって言ったらどうしますか」
「え?」
「あなたのことが好きです」
彼女は戸惑ったように堀川くん、と呟く。
「あの」
「本気ですから。考えておいてくれませんか」
唐突な告白にも関わらず、主さんは「ありがとう」と笑顔でうなずいてくれた。
「分かった。ちゃんと考えておくね」
「・・・次は、良いところ見せますから」
ああ、僕はこの人が大好きだ。

***

身の引き締まるような音が道場の外にまで響き渡っている。
「っ一本!それまで!」
強烈な一撃が決まり、俺は面を脱ぎ捨てた。
「なんか今日あいつ荒れてない?」
安定がささやく声を無視して、「ちょっと頭冷やしてくる」と言い残し道場を出て行く。
汲みあげたばかりの井戸水で汗を拭いていると、清光、と遠慮がちな声がした。
「・・・なに」
無表情な返事に、堀川はなにも言わない。
それに苛立ち乱暴に聞き返した。
「なんかあるならさっさと言いなよ」
「僕、告白したよ」
「っえ、」
お前伝えたの、と呟く。
「うん」
「ふうん・・・あの人、なんて?」
「まだ。保留にしてもらってる」
「あっそ」
唇をきつく噛む。
汚ない感情が生まれそうになるのを、必死にこらえた。
なんで。お前が。
ふいに、堀川は言った。
「清光の番だよ」
「・・・なんだよ、それ」
意味分かんない。
タイミングとかいろいろ考えていたのも、ぐしゃぐしゃにかき乱されてしまった。
けれど、どこかで堀川の潔さを羨ましく感じているのも本当だった。
「お前には絶対負けないから」
「望むところだよ」
そう答える堀川の笑顔になんだか毒気が抜かれる気がして、俺は彼女の部屋に向かった。

***

「・・・よし」
身支度を整え、部屋の前で深呼吸をくり返す。
緊張とともに来訪を告げると、中から「どうぞ」という答えが返ってきた。
「清光。いらっしゃい」
マニキュア塗りに来た?と決まり文句のような言葉に苦笑し、首を横に振る。
「あのさあ・・・俺は別にここに来るたび爪の手入れをして欲しいわけじゃないからね」
「そうだよね。ごめん、なんとなく」
「今日ここに来たのはね、もっと大事なこと」
正面から向き合う場所で、穏やかに告げる。
「ずっと前から、主のことが好きだよ。もちろん、ひとりの女性として」
彼女は思わず口元を押さえる。
動揺の色がありありと浮かぶのが手に取るように分かって、「ああ、困らせているな」と思った。
「答えは待つから」
あのね、と彼女は言った。
「・・・誰が好きとか、そういうのあんまり意識したことがなくて」
「うん」
「だから、すごく待たせちゃうかもしれない」
いーよ、とうなずく。
「堀川も俺も、急かせるつもりないから」
「え・・・知ってたの?」
「うん。ね、いっこだけ聞かせて」
うなずく彼女に、「可能性はある?」と尋ねた。
「分からない。ごめん、ひどいねこんな答え方」
「そんなことない。そのかわり、これからいっぱい意識させるから」
覚悟しててよね、と宣言する。
「お手柔らかにお願いします・・・」
「どうしよっかな。そうだ」
堀川にも言わなきゃ。
「ちょっと出てくるね」
部屋の外ではー、と息を吐く。
延長戦か。
ぐっと開いた手のひらを握りしめる。
「よし。・・・頑張ろ」

***

「堀川」
清光、とふり向く相手に手短に告げる。
「俺もおんなじ」
「・・・そっか」
「そ。まあなんとなく予想はしてたけどね」
ほっとしてる?と尋ねれば、「どうかな」と笑う。
「別に僕は、清光がそうだとしても構わないよ」
「なにそれ。なーんか可愛くないんだけど?」
「僕は、可愛さは求めてませんから」
「・・・言ったな」
「言ったよ」
なら剣で勝負する?と挑発すると、
「望むところだよ。剣でも恋でも、絶対負けないから」
「良い度胸じゃん。後悔すんなよ」
天下分け目の花戦、この度は引き分けというところ。


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