ロンドンウォーカー


入国審査といくつかの検査を終え、スーツケースを引きずりながら自信なくうろつく。
英語で書かれた案内を見上げながら到着ロビーを探していると、ポケットの中で携帯がふるえた。
「もしもし」
”着いたか?ひょっとして混んでンのか”
「出口の場所が分からないよー」
スピーカーに向かって嘆くと巻ちゃんは「あーなるほど」と言った。
”とにかく、オレはロビーのいちばん近い場所に立ってるからよ。出口まではなんとか自力でたどり着くんだな”
「がんばるね・・・あ!」
”どうした?”
「出口見つけたかも」
がらがら、キャスターの音が軽快に響く。緊張と一緒に自動ドアをくぐった先にいたのは、
「巻ちゃん!」
奇抜なセンスの服と、なつかしい玉虫色の髪。
「よォ。ちゃんと1人で来れたじゃねーか」
「巻ちゃんがいてくれてよかった・・・!空港から出られないと思ったよ」
「ンな大げさな。誰かに聞けばなんとかなるショ」
「ならないよ。喋れないもん英語」
「そん時ゃ携帯の翻訳機能とか使えば伝わるショ」
ああ、語尾にショが付いてる。ホントに本物の巻ちゃんだ。
「荷物、持つショ」
「大丈夫だよ、悪いし」
「いーって。感じてねえだけでフライト疲れしてンだから」
たしか初めてだって言ってたよな海外、そう問われてうなずく。
「んじゃやっぱ緊張してると思うショ」
「そっか・・・たしかに飛行機に乗ってる間ずっと落ち着かなかったかも」
「お隣さんと仲良くしてたかァ?」
「うん。おじいさんでね、言葉は分からなかったけどお菓子くれたよ」
クハッと巻ちゃんは笑う。
「それ、もしかして小せえ女の子だと思われたんじゃねーの」
「えっうそ」
「分かんねえけどな。ま、こっちじゃローティーンに間違われンのも覚悟しといたほうがいいショ」
「へー。巻ちゃんも間違われたりする?」
「いや、オレはそういうのはあんまねーけど」
このアタマのが目立つショ、と彼は言った。
「つっても日本にいる時とは違っていい意味でだけどよ。みんなイカすって褒めてくれるんショ」
「そうなんだ!よかったね」
玉虫色は巻ちゃんのトレードマーク、受け入れられているのを聞いて嬉しくなる。
「まァな。こっち」
「!」
軽く手首を掴まれ、くいっとリードされる。
「タクシー呼んであるショ。先に荷物とか全部うちに置いて、出かけんのはそのあと」
「あ、うん」
ちょっとだけどきどきする。日本にいる時とはなんだか違う感じだ。
ドライバーと言葉を交わして巻ちゃんは荷物を乗せた。
「#name2#、乗るショ」
「うん」
走り出した車内でなんとなく小さくなっていると「大人しいな」と笑われた。
「だって海外でタクシーなんて初めてだから」
「日本と変わんねえショ」
すると、ミラー越しに目が合ったドライバーから話しかけた。それに対し、巻ちゃんは曖昧なテンションで答える。
「なんて言ったの?」
小声で尋ねれば「あー・・・」と言葉を濁した。
「その・・・妹にしては似てねえって言われたショ」
「えっ」
本当に年下だと思われているらしい。若く見られるのは嬉しいけど、この歳でそう見られてもなんかなあ・・・。
やがて、タクシーはエンジンを停めた。
「ここが、オレとアニキの住んでる家」
「えー!でっか」
「言っとくけど建物全部じゃねえから」
外観だけじゃなく、エントランスも広くて豪華だ。こんな素敵なところに巻ちゃんとお兄さんは住んでるのか。
「いいなあ・・・」
「クハッ、まあな。いいことばっかでもねえけど、こっちの生活はわりと気に入ってるショ」
部屋の前まで来ると、巻ちゃんはポケットから鍵を出してドアを開ける。
「ひ、広い・・・」
ベッドやソファ、床にはラグも敷いてある。
「一応ここは客間ってことにしてる。#name2#はお客さんなんだから好きに使えショ」
そう言うけど、もしもお茶とかこぼして汚したらどうしよう。
スーツケースを置くと、「なんか飲むか?」と巻ちゃんは尋ねた。
「ううん、あんまりノドは渇いてないかも」
「冷蔵庫の中にミネラルウォーター、あとそこの棚にもいろいろ入ってっから、いつでも好きに飲んでくれ」
「ありがとう、なにからなにまで」
いたれりつくせり、まるでホテルだ。こんなに準備して待っていてくれたなんてほんとに感謝しかない。
「ありがとう巻ちゃん」
「なんショ、いきなりかしこまって」
「だって1人じゃ絶対こんな経験できなかったから」
気心の知れた友だちがいなかったら、ロンドンに行こうなんて絶対に考えなかったと思う。おお、心の友よ。
「別にたいしたことじゃねえよ。ああ、そだ」
兄貴のことなんだが、と巻ちゃんは言いにくそうに切り出す。
「お兄さん?」
「ああ。和食が食いたいとかっつってよ・・・もし面倒じゃなけりゃ、なんでもいいから作ってくんねえか?」
「もちろん!作るよ」
さすがにタダで泊まらせてもらうわけにはいかない。掃除でもなんでもやらせていただくつもりだ。
「巻ちゃんは食べたいものある?あ、だけど材料買えるかな・・・」
「日本食を置いてる店もあるからそこは大丈夫ショ。どうせなら行ってみるか?」
行く行く、と私は立ち上がる。ロンドンに来て1日目、なにもしないで過ごすのはもったいない。
「んなあわてなくても逃げねえッショ・・・クハッ」

***

「なァ、ここ知ってっかァ?」
そう言われて辺りを見回していると、「ここショ、ここ」と足元をしめされる。
「ここ?この横断歩道?」
「ああ。アビーロードっつって、ビートルズのアルバムのジャケ写にもなってる。知らねェか?4人が並んで歩いてるやつ」
「あ、見たことある!」
「それの撮影場所がここなんショ」
すごい、と思わず口元を手で押さえる。ファンにとっての聖地じゃん。踏んでいいのか。
「真似して写真撮るヤツも多いぜ」
「えー巻ちゃん撮ろう撮ろう」
「いいけど、2人じゃイマイチ雰囲気出ないぜ・・・そのうちな」
ふたたび手首を引かれながら歩く。
なんか、なんか違うぞ・・・?なんていうか、日本にいる時よりも距離が近い気がする。
「(気のせいか?いやでもやっぱりこんな・・・)」
「なに難しい顔してンだよ。#name2#が真面目だと調子狂うショ」
「失礼な、私はいつも真面目に生きてるよ」
そうかよ、と巻ちゃんは笑った。
「あのさ、」
「ん?」
「いや、えっとごめん、やっぱりなんでもない」
「・・・そうかよ」
空いたほうの手で巻ちゃんはぽりぽりと頬を掻く。
「あー、なんてかその・・・新鮮だな」
「新鮮?」
「#name2#とこんなふうに出かけたことなんてなかったから、なんか変な感じがするショ」
そうだね、とうなずく。やっぱり巻ちゃんも違和感を感じてるんだな。
「あ、この店ショ」
日本のスーパーとは比べ物にならないくらい広い店内だった。野菜、果物、どれも新鮮な色をして艶めいている。
「和食でしょー、なんだろ、ひじきとか?」
「正直オレは最近まで日本にいたからそれほど恋しいってワケでもねえんだよなあ・・・」
和食、できればぱっと作れる簡単なやつがいい。
「あ!お好み焼きは?」
「おお、いいと思うぜ。食いたい」
じゃ決まりね、と私はカゴにキャベツを入れる。
「粉とソースとかつお節と、青のりもいるね」
「干しエビ入れんのもうまいショ、天かすはさすがにねえよなあ」
なんだか楽しくなっていろいろ買いこんでしまった。そして海外で買うと目玉が飛び出るくらい値段が高い。巻ちゃんは「兄貴の財布から出すから気にすンな」と言っていたけど、普段から自炊をしている身としてはめまいがする金額だった。
帰ってからさっそくキッチンで準備していると、巻ちゃんがそばに来て言った。
「なァ」
「ん?」
「あのよ、うまく言えねーんだけど・・・」
「え、なに?」
「いやだから・・・あークソッ」
なんだなんだ、いきなりどうした?
「巻ちゃん?んえっ」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
巻ちゃんの顔が近づいたかと思うと、頬に触れた柔らかな感触。思わずそこを手で触れる。
「え、今・・・」
「こ、コッチじゃ挨拶がわりだから気にすんな!」
そう言う巻ちゃんの顔は真っ赤だった。気にするななんて、そんなことできない。
「えっと・・・聞いてもいい?」
「・・・なん」
「どうして私をこっちに呼んでくれたの?」
ンなの、と巻ちゃんは小さな声で答える。
「なんとも思わねえヤツのこと、わざわざ呼ぶワケねえショ・・・」
うわー!と叫びだしそうになった。つまり私のことをなんとも思ってるってことで、それって、
「好、き、てこと・・・?」
「!」
ばっと巻ちゃんが顔を上げた瞬間、ただいまーと声が響いた。
「兄貴のヤツ、最ッ悪のタイミングで帰ってきやがった・・・」
裕介ー?と呼ばれて「あーもーいるっつの!」と叫ぶ。
「あのよ」
オレまだ伝えてねェから、と巻ちゃんは言った。
「え、」
「ちゃんと#name2#に気持ち伝えるから。だから逃げんな」
お兄さんが顔を出す。
「あ、もうお客さん来てたんだ。・・・ん?」
2人とも顔が真っ赤だな、と言われて、その後の自己紹介はほとんど覚えていない。

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