金爽奇譚1



清光は、新しく主人となったなまえの横顔を盗み見た。
人の身を得たばかりの彼には、彼女の表情にどんな意味があるのか分からず、黙ったままでいると、
「清光、って呼んでも良い?」
と聞かれ、あわてて首を縦に振る。
「あ、うん。なんでも良いけど」
清光の返事に、それまでずっと考え事をしていたなまえは足を止めた。
「・・・?なに?」
「私、この仕事もこういう生活も初めてなので、至らないところも多いと思うんですけど」
「え、いきなり敬語になるわけ?」
不思議そうな表情を浮かべた彼女に、清光は向き直る。
「えっと・・・俺もこういうのやったことないし、ていうかむしろ人の体っていうのが初めてだし。だから、あんまりかしこまらないでよ。主じゃん」
「うん、だけど・・・主っていう感覚がまだよく分からないの」
「分からない?なんで?」
けげんな顔をする彼に、なまえは言葉を選びながら答えた。
「加州清光って刀をぽんと渡されたら、私の持ち物なんだなって思うけど、今は人の姿だし」
「そうだけど、俺は刀だよ。これが俺」
そう言って、清光は自身をなまえへ差し出す。
「触っても良い?」
「良いよ」
おそるおそる受け取ったなまえは、その予想以上の重さに驚き、顔をしかめた。
「う、」
「重い?」
「うん。これを振るうの?」
そうだよ、と清光は思わず苦笑する。
同時に、変な人、とも思った。
自分が人の身を得ないまま、彼女の持ち物になっていたとしたら、決して上手くは扱ってくれないだろう。
本体を持つのがやっとな華奢な手首を見つめていた彼は、その時、触れている場所から血の巡る感覚を思い出す。
手のひらを閉じたり広げたりをくり返していることに気づいて、なまえは「どうしたの?」と尋ねた。
「別に、どうもしない。ね、本丸ってとこに行こ。俺たちの住む場所なんでしょ?」
刀を受け取ると、彼はなまえをうながし歩き出した。

***

「けっこう広いんだね」
玄関をくぐり、廊下の長さを目にした清光は目を丸くする。
「そうだね。今はふたりきりだけど、多分あっという間に人も増えるし」
「そうなの?あ、じゃあさ」
新撰組の刀もすぐ来る?と聞かれ、なまえは困ったように笑う。
「どうかな。縁があれば来てくれると思うけどね」
「縁、かあ・・・」
曖昧な表現に、彼は表情をくもらせた。
「でも、ここで過ごしていたら、遅いとかそういうの感じないんじゃないかな。きっと毎日やることがたくさんあるもの」
そう言って歩き出すなまえの後ろを、清光はあわてて追いかける。
「どこ行くの?」
「自分の部屋だよ」
彼女のために用意された部屋は、本丸の端の落ちついた場所にあるらしかった。
隣にも空き部屋があり、1本の廊下が他と隔てている。
戸を開けてしばらく中を眺めていたなまえは、家具や仕事に必要な道具がすべて備わっていることを知ってほっとした。
これなら、すぐにでも始められそうだ。
鍛刀、出陣、やるべきことは山ほどある。
まずは人数を集めなくては。
いつまでも初期刀ひとりでは、彼にばかり大きな負担がかかってしまう。
なまえは、清光の横顔に目を向けた。
心なしか固い表情をしていて、きっとまだ、右も左も分からないのだろう。
自分と同じだ、となまえは感じた。
審神者という役目に選ばれ、あれよあれよという間にここへ来てしまった。
意思を持つ刀と共に歴史の流れを守る義務や、本丸での生活を送るうえでの心構えを学び、この日を迎えたのだった。
しっかりしなくては、そう自分に言い聞かせ、なまえは提案する。
「私の隣の部屋、使う?」
え、と清光ははじかれたように彼女を見つめた。
「良いの?」
「もちろん。近侍だしね、ちょうどいいかと思って」
近侍、と彼はくり返す。
「俺が・・・?」
「そうだよ」
「だけど、そんな大事な役目をもらっても良いの?」
どうして、となまえは不思議に思って尋ねる。
すると、彼は口ごもりながら答えた。
「だって、信頼できる強い刀のほうがいいんじゃないかと思って」
「清光のこと、信頼してるよ」
なまえの言葉に、清光は嬉しさと戸惑いが混ざったような複雑な顔をした。そして、
「うん、・・・俺、精いっぱいやるから。よろしくね、主」
初めて彼が見せた笑顔に、なまえは顔をほころばせた。


***


これなんて食べ物、と清光は尋ねた。
「これは豆腐」
「豆腐?聞いたことある」
あの人たちも食べてた、そう言って彼は椀に浮いたそれを見つめる。
なまえがその日の夕食に作ったのは、わかめと豆腐のみそ汁、お浸し、焼き魚、浅漬けだった。
練習したとはいえ、危なっかしい箸使いで清光は口へ運ぶ。
「!」
「どうかな、」
「よく分かんない・・・味?がする、これがおいしいってこと?」
初めて食べ物を口にした感想を聞いて、なまえは思わず笑顔を浮かべた。
「好みはそれぞれだから分からないけど、そんなに変な味の料理を作ったつもりはないかな」
「これ、主が作ったの?全部?」
「うん」
なまえがご飯とおかずを順番に食べると、清光もそれに倣うように箸を動かす。
何回かそれをくり返し、ようやく彼は「おいしい・・・」としんみり呟いた。
「他の味は知らないけど、主は料理上手だね」
「ありがとう。でも、きっと初めて味わったからっていうのもあると思うよ」
「そうかもしれないけど、俺はこの味が好き。ね、作り方教えて。明日やってみたい」
積極的な彼の言葉に驚きつつも、なまえは彼とならきっとうまくやっていけると感じた。


***


あっという間に時間は過ぎてゆき、時計を見上げたなまえは「そろそろ寝る?」と声をかけた。
すると、
「寝るってどうやるの?」
と清光に聞き返され、なまえは答えに詰まる。
「えっと・・・意識を失くして頭を体を休めること、みたいな」
「意識ってどうやって失くすの?無理やり気絶でもするの?」
とんでもない、となまえはあわてて首を横に振る。
毎回そんなことをしていては、大変なことになってしまう。
「横になって目を閉じていたら、きっといつの間にか眠くなってるよ」
「へえ・・・そういうものなんだ」
半信半疑の彼を布団に寝かせ、なまえは部屋の明かりを小さくする。
「一応、真っ暗にはしないでおくね」
んー、と清光は答えたが、すぐにぱちりと目を開け、
「眠れる気がしないんだけど」
と言った。
「ええー・・・」
「なんだか、目を閉じるといろいろなことを思い出す気がする」
誰かを斬った瞬間、吹き出した血の熱さ。
息の根を止めた時の、冷え冷えと冴えた感覚。
鋭く研ぎ澄まされたあの人の精神、強く脈打つ鼓動。
一瞬、戻りたい、と思った。
こんな人間みたいな生活、できるのだろうか。
腕の立つあの人の意思のおもむくままに使われるなら、どんなに心地良いだろう。
けれど、それとは別の声も聞こえる。
隣にいてくれる彼女と交わした言葉のひとつひとつ、初めて知ったおいしいという感覚がどういうものであるかを知った時、清光は感動すら覚えた。
「ねえ、主」
「ん?」
「自分の体で斬るって、どんな感じかな」
どうだろうね、と優しい声が相づちをうつ。
「私は刀じゃないから、分からないよ」
「そっか、そうだよね・・・」
彼の声が眠気を含んだとろりとしたものに変わったのを知り、なまえは穏やかな調子で告げた。
「おやすみ、清光」
「んー・・・」
会話が安らかな寝息に変わったのを見て、なまえはそっと部屋を出る。
きっと彼の心の中では、さまざまな葛藤があるのかもしれない。
けれど、素直な子なのだと思う。
自らの意思で選んだ彼を、大切にしようとなまえは思った。


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