春の果て



あんなに寒かった日々もいつの間にかどこかへ去り、やわらかな暖かさをまとって風が髪を揺らす。
卒業が、こんなにもセンチメンタルにさせるものだとは思わなかった。
時々ずる休みをしたり、居眠りをしたこともあったけれど、色づいた3年の月日に別れを告げるのは寂しい。
隣の席では、進藤くんがどこかさっぱりとした表情で荷物をまとめている。
ねえ、と声をかけると、彼は「ん?」と振り向く。
「進藤くんはどこの学校に行くの?」
「俺?俺は進学しねえよ」
彼の答えに驚いて思わず、
「え?なんで?」
と聞き返す。
「だってプロ試験受かったもん」
「プロ、試験・・・」
囲碁のやつ、そう言いながら彼は教科書を重ねた。
そういえば、彼が放課後さっさといなくなるのは、囲碁の塾に通っていたからだということを今さらながらに思い出す。
私たちが模試と向き合いペンを握っている間に、進藤くんは盤面を睨んでいたのだ。
「プロになるのって大変だった?つらかった?」
普段あまり会話のなかった私が積極的に話しかけるのをどう感じたかは分からないけれど、彼は特に気にすることもなく「そりゃ、いろいろあったけど」と考えこむ。
そして、
「多分なってからのが大変なんだと思う」
と答えた。
「そっか。すごいんだね」
まだスタートラインに立ったばかりだというのに、彼のまなざしはもうずっと遠くを見つめている。
卒業式が終わった教室には、残りわずかな時間を惜しむ友達の声や、席を立つ音であふれているというのに。
「私は、・・・何になろうかな」
将来の夢すら抱いていない自分がなんだかひどくちっぽけに思えて、すこしだけ心が沈んだ。
「なんにだってなれるよ」
進藤くんは明るい声で「俺がプロになりたいって思って、そうなったようにさ」と言った。
「囲碁のプロにも?」
「そりゃ・・・ばか、」
私の冗談に彼は反応しかけたが、
「ま、お前が本気でそう思ってるんならできるんじゃねえの」
と笑う。
「よし、片づけ終わり」
立ち上がった進藤くんに、思いきって言った。
「私も囲碁、打てるようになりたい」
「えっ・・・本気で?」
「うん」
勇敢な彼の見つめる世界はどんなものだろう。
いいけど、と進藤くんはうなずく。
「それじゃ、学校落ち着いたら連絡してよ。・・・っと、そういえば知らなかったんだっけ」
彼にならい、私も携帯を取り出す。
進藤ヒカル、という名前がアドレスに追加されているのがなんだか不思議な感じだ。
おーい進藤、教室の向こうから呼ばれて彼は「おう」と答える。
「じゃ、またな」
軽く手を振った進藤くんの後ろ姿が見えなくなって、窓の外に目を向けた。
空の青に映える早咲きの桜が、なぜだか胸の奥を締めつける。


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