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「花おねぇちゃんっ!」

背中越しに掛かった、まだ幼い声に名前を呼ばれ振り替える。振り向いた先には、ふにゃりと可愛らしい笑みを浮かべた弟の姿があった。その笑みを浮かべたまま此方へと走り寄ってきた弟を、私は受け止めるように屈んで腕を広げる。それを見た弟は嬉しそうにそのまま私の腕の中へと飛び込んできた。

「おねぇちゃん!あのね、きょうね、きっぺぇとかけっこして、ボクがかったんだよ!」
『そうなの?凄いね〜!桔平くんに初めて勝てて嬉しい?』
「うん!すごくうれしい!」

きゃっきゃっとはしゃぐように私に今日の出来事を告げる弟の頭を、私は優しく撫でる。撫でられている弟はそれが気持ち良いのか、えへへと笑いながらもう一度私にぎゅうっと抱き着いた。ふと、再び背中越しに声が掛けられ振り向けば、少し離れた場所から私達を見つめている両親の姿があった。その眼差しは温かく、微笑ましげに私達を見守っていて、それに少し照れ臭くも思えたが頬は自然と弛んでいた。両親の姿を瞳に映した弟は、私に向けたような笑みを浮かべて二人の元へ駆け出した。弟はそのまま母親の方へと抱き着き、母は私と同じように微笑みながら弟を受け止める。それに対し父は、自分の元へと飛び付いて来なかった弟にショックを受けたようで、心なしか落ち込んでいるように見えた。そんな父の姿に思わずクスリと笑えば、遅れて近寄った私の頭をくしゃりと掻き回した。それに驚き声を上げれば、父は可笑しそうに笑って、けれど頭を撫でるのを止めなかった。弟はそれを見て、ボクもー!と父に抱き着き頭を撫でるようせがみ出す。その間に私は父から離れ、じゃれる二人の姿を微笑みながら見つめた。すると、隣に居た母が私の髪に触れ乱れた頭を優しく手でとかし始めた。母の包み込むような柔らかい微笑に見つめられ、私は胸が温かくなっていくのを感じた。

――あぁ、幸せだなぁ…。

酷く心地良いこの空間に酔いしれ、幸せを噛み締める。この空間がこれからも当たり前のように続くのだと、当然のように思い込んでいた。

けれど、


「うわあぁぁぁあああっっ!!!!」


世界は突然、暗転する。
突如、何処からともなく響き渡った叫び声。それを皮切りに、穏やかだった村が一変して激しい業火に呑み込まれる。突然の変わりように目を見張り辺りを見渡せば、直ぐ傍にいた筈の家族の姿が忽然と消えていた。それに驚き家族の名を必死に叫べば、激しく燃え上がった炎の渦が私の周りを囲み逃げ道を閉ざしていく。完全に道が閉ざされると、四方からの熱気と煙が一気に押し寄せてきて、私はそれを耐えるように蹲る。

……っ…熱い、苦しい……っ!!

尋常ではない熱気に意識が朦朧とし始めた時、複数の足音が此方に近付いて来くるのをかろうじて感じとった。誰かが助けに来てくれたのか、と淡い期待を抱いて顔を上げれば、そこに居たのは突然居なくなった父と、見知らぬ男達の姿だった。そのあまりの剣幕に期待なんぞある筈もなく、寧ろ父の方が危機に瀕していた。だって父の姿は血塗れで、何よりも、胸に刀が突き刺さったままの状態だったのだから。
それを見て私は思わず父の名を叫んだ。自分でも驚く程の大声を出し絶対届いた筈であろう私の声に、何故か父達は反応を示さなかった。誰一人として此方に気付く様子は窺えず、私はもう一度叫ぶ。しかし変わらず反応のない父達に困惑し、私は何度も何度も声を上げた。その間にも父は男達に詰め寄られ、そしてとうとう逃げ場を塞がれてしまう。私はどうする事も出来なくて、ただただ必死に父の名を叫ぶ事しか出来なかった。声が届く事だけを願って叫んだのも虚しく、父は一人の男によって心の臓を刀で貫かれた。

目の前で、たった一突き、刀を刺されて。

あんなに叫んでも届かなかったのに、父が刺された瞬間、私と瞳が交わったような気がした。

『―――――――――っ!!!!!!』

声に出して叫んだ筈の声は、言葉にならない程の声だった。あまりの衝撃で涙すら出ない私に、更なる絶望が叩きつけられる。今度は反対側から悲鳴が聞こえ振り向けば、そこには母と弟の姿。そして、刀を構える一人の男。その状況を見て嫌でも何が起こるのか理解してしまった私は、自分でも呼吸が乱れていくのが分かった。ゆっくりと左右に首を振りながら、震えた声でやめてと懇願する。けれど、そんな願いは無情にも届く筈はなく、現実はいつも残酷であった。母と弟も父同様、たったの一突きで命を奪われてしまったのだから。目の前で、大切な人達が殺されて正気でなどいられなかった。
私はその場で狂ったように泣き叫んだ。


――苦しい、辛い、悲しい。

――胸が、痛いよ……っ!!

どうして、皆が…っ…、な、んで…わたしだけ……っ……!!!!

……っ、胸が、痛い…、
痛いよ…っ!!…苦しいよ…っ!!

……つら、いよぉ………っ!!!!

お母さん…っ、お父さん……!!
…林之助ぇ………っ!!!




―――誰か、たすけて……っ!!!!






「花ちゃんっ!!!」

身体を揺さぶられるような感覚に、だんだんと意識が浮上していくのを感じた。ふと焦ったような声色で、私の名が叫ばれていた事に漸く気付く。その声を聞いた瞬間に目が一気に冴え、そして同時に先程の体験が鮮明に脳裏へと蘇った。その恐怖から反射的に身体をカバリと起き上がらせ、抱き締めるようにギュッと震えている自身の身体に腕を回す。

『(…っ…!!! …ぁ、あ………っ!!!)』

家族が殺される瞬間が幾度となくフラッシュバックされて、震えは一向に治まる気配がない。それどころか、繰り返し脳裏に映し出される光景のせいで益々悪化していた。そんな混濁した意識で必死に自分を落ち着かせようとしていれば、不意に暖かな何かに身体を包み込まれた。それにビクリと身体が震え、意識は益々混濁する。けれど、不思議と耳に届いた声だけははっきりと聞き取れた。

「大丈夫。大丈夫よ。貴女は今、此処に居るの。貴女は、独りではないのよ。」
『(―――………、…っ……。)』
「―――大丈夫。」

穏やかでとても優しげな声色は、すぅっと胸の奥にまで行き届きゆっくりと全身に浸透していく。そして、漸く落ち着きを取り戻した頃には震えは治まり、意識も大分安定していた。私は安心感からか、身体から力が抜けてしまい、そのまま身を委ねるように寄りかかった。

「落ち着いた?」
『(……ぁ、…は、はい…。)』
「良かった……。」

ふと頭上から声が掛かって、そこで漸く私はお菊さんに支えられているのだと気が付いた。その隣には安堵の息を吐く利吉さんの姿もあって、私が今の状況を理解するのにそう時間はかからなかった。

――あぁ、迷惑を掛けてしまったんだ…。

お世話になっている身でありながら、これ以上の迷惑は掛けたくなくてずっと必死に耐え続けていた筈の悪夢なのに、とうとう気付かれてしまったのか。二人に余計な心配を掛けてそんな顔をさせてしまう私が、酷く情けなく感じた。そう思うと、私の口からは自然と声にならない言葉が紡がれた。

『(…ごめんなさい……もう大丈夫です…。)』
「…………、」
『(ご迷惑おかけしました…。)』

そっとお菊さんから身体を離し小さく頭を下げる。そして大丈夫である事を伝える為に笑みを作って見せた。そうすれば、二人は安心してくれると思っていたから。
だが、二人の表情は依然として曇ったままで、それどころか益々顔をしかめるだけだった。その様子に私は戸惑い、再び言葉を紡いでいく。

『(…あの……もう大丈夫ですよ…? …私なら平気で……。)』
「…どうして嘘をつくんだい?」
『(………ぇ……?)』

安心させようと紡いだ言葉を遮るように、利吉さんはそんな事を言ってきた。その言葉に私は驚いて固まってしまう。

「君は、大丈夫じゃないだろう。」
『(…そんなこと……、私は大丈夫ですよ?)』
「そんな顔をして?」
『(…笑ってるじゃないですか…。)』
「あぁ、笑っているよ。笑っているけど、笑えていない。」
『(……どういう…?)』

利吉さんの言いたい事が何なのか、私は理解出来ずに首を傾げる。

「今の君の笑顔は、ただ貼り付けただけの仮面と同じだ。そこに、感情がない。」
『(っ……、そんなことないです、利吉さんの気のせいですよ。)』
「………、」
『(ほら、私笑えていますよ? だから…、)』
「どうして、」
『(…え……?)』
「…どうして、そう無理をするんだ?」