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真剣な眼差しで此方を見つめる利吉さんは、とても静かな声色でそう呟いた。その眼差しが恐いくらい真っ直ぐで、私の何もかもを見透かそうとしているかのように感じた。そんなあまりにも真剣な瞳から逃れるよう、私は思わず視線を外す。

『(別に無理なんて……。)』
「しているよ。君は、何もかもを無理矢理隠して、蓋をしようとしている。見て見ぬ振りをして、笑えないのに笑おうとする。」
『(…違います…そんなんじゃ…。)』
「私達に遠慮しているのか?だったらそんな必要はない。迷惑だとか、余計な事を考える必要はないんだ。君は他人を気遣う前に、まずは自分を気遣え。」
『(…………、)』
「辛いのなら辛いと言えばいい。悲しいと感じたのなら、素直に泣けばいい。」
『(……止めて下さい……。)』
「どうして必要のない我慢をする。どうして、自分の感情を誤魔化す?」
『(…………止めて……、)』
「自分が一人で抱え込めばそれでいいと思うな。自分を責めて追い詰めた所で、何も変わらないのは分かっているだろう。」
『(……………、)』
「…それとも、そうやってわざと同情してもらいたくて平気な振りをしているのか?」

『(――っ止めて下さい!!!!!)』

ヒュッと、喉からは掠れた音だけが飛び出してくる。大声で叫んだ筈の言葉なのに、それは全く意味を成さず静寂に呑み込まれた。声を出せない事がこんなにももどかしく感じたのは今が初めてで、私はくしゃりと顔を歪めた。

『(どうしてそんな事を言うんですか…!? 私は! 私はただお二人に、これ以上迷惑を掛けたくないんです!! 迷惑を掛けたくなくて、平気な振りをして…!!!)』
「迷惑じゃないと君には既に言っていた。そんな気遣いなど、私達はいらないし嬉しくもない。」
『(っ!!! でも…っ、だって、こんな事っ、言える筈ないじゃないですか!! こんな事をどう言えばいいんですか!?)』
「ただ辛いと、一言言えばいいじゃないか。」
『(辛いと吐き出したってどうするんです!? …っ、悲しいと泣いたって、皆は戻って来ない…っ!! こんな事を話したって、家族のいる人達には分かりはしないっ!! そんな人達に同情されても私は嬉しくない!! っ、貴方達には、私の気持ちなんか分かるわけがないんです!! これは私の問題なんです!! 他人である貴方達には関係のない事じゃないですかっ!! もう、これ以上、私の中に入って来ないで下さい…っ!!!!)』

込み上げてきた激情のままに私は口を開く。今まで堪えてきたものが利吉さんのたった一言で、こうも呆気なく唇から吐き出されてしまった。今の私には酷く昂った感情の抑制など出来る筈もなく、本来なら言わなくてもいい事まで口走っていた。けれどハッとなって気付いた時には既に手遅れで、それでも私は意味もなく口元を手で覆った。

私は、今、お菊さん達になんと言った?

気遣ってくれていた優しい人達に、私はなんて事を口走ってしまったんだろうか。

あぁ、最低だ…っ…私っ…。

あまりに呆れた自分の言動に思わず嫌悪し、私は顔を俯かせた。何も反応を示さないお菊さん達の顔を、怖くて見る事が出来ないから。
きっと、傷付いた表情を浮かべているんだろう。
もしくは、怒りに染まっているのだろうか。
それとも、こんな私に呆れ失望しただろうか。
あまりにも静かすぎるこの静寂が余計に私の恐怖心を煽り、嫌な方へと考えは傾いていく。一体何を言われるのか、それが凄く怖くて私はぎゅっと掌を握り締め身構えるように身体に力を込めた。

「――何だ、ちゃんと感情を吐き出せるんじゃないか。」

けれど、頭上から掛かった言葉は全くの予想外なものだった。
驚きのあまり思わず顔を上げると、そこには何故か満足気な笑みを浮かべている利吉さんの姿があった。今の言葉の意味を理解しかねて動揺しながら視線をさまよわせば、不意に隣にいたお菊さんと目があった。するとお菊さんまでもが安堵したような微笑みを見せて、私は益々戸惑ってしまう。再び視線をさまよわすように瞳を動かし困惑していれば、利吉さんが私に声を掛けてくる。

「何でもいい。何でもいいから、今みたいに言葉にして吐き出せばいいんだ。」
『(……………、)』
「心の内に溜め込めるな。溜め込み過ぎればいつか、“自分”が壊れていく。今度は声だけではなく“自分”までもを失ってしまうよ。」
『(…………………っ、)』

宥めるような優しげな声色とその瞳に、胸の奥が締め付けられる感覚になる。
何で、何故なのだろうか。
どうして、尚も私に優しく声を掛けてくれるのだろう。

『(……何でですか?)』
「ん?」
『(…何で、まだそんな事をおっしゃって下さるのですか?私は…お二人に、とても酷い事を言ってしまったのに……。)』
「それを言うのならば、私だって君に酷い事を言っているよ。私の言葉を切っ掛けに、吐き出されたんだからね。」
『(あれは、言われても当然だと思えます。…一人で抱え込んで、一人で勝手に落ち込んでいたんですから。けれど、私のは……。)』
「…確かに、君の言った通り私達が何を言っても、それは同情にしか聞こえないかもしれない。」
『(………、)』
「だが、それでも私達は、君の“声”を聞いて受け止める事は出来るよ。」
『(…! …私の、“声”……?)』

利吉さんの言葉に私は目を丸くする。
きょとりと不思議そうに小さく首を傾げた私を見て、彼は少し微笑んで此方を見遣る。

「君が心の奥底に抱えている感情を、ありのまま私達にぶつければいい。」
『(!! ……っ、でも……。)』
「吐き出すんだ。ゆっくり、心を解して……大丈夫。全部受け止めるよ、君が私達を必要としてくれるのなら、私達は必ずそれに応える。」
『(――――っ、………。)』

「花ちゃんは、決して独りではないよ。」

『(……………ぁ……、)』

フッと、穏やかなその表情を目にした瞬間、私の中で蟠っていたものがスッと消えていくのがわかった。そしてじわじわと、今までひた隠しにしてきた想いが、胸の奥からゆっくり沸き上がってくるのを感じる。ドクリドクリと脈打つ鼓動がやけに大きく響き、私は胸を抑えるようにそこへ手を置いた。ゆっくりと、自身を落ち着かせるように震えている呼吸を繰り返す。まだ耳に響く鼓動をそのままに、私は唇をそっと動かし、精一杯の言葉を紡ぎ出した。

『(――…っ、くる、しいんです…っ…!!)』

ギュっと左腕を抱き締めるように抱えて、震える吐息と共に唇から吐き出す。一言そう溢しただけなのに、それを皮切りに一気に胸の中が沢山の感情でない交ぜになっていく。とめどなく溢れ出す感情を、もう抑え込む事など出来なかった。

『(…っ、皆っ、皆殺されて…っ、私だけ生き残ってっ、…っどんなに叫んでも!誰も、私に気付いてくれなくて……っ!!)』
「……うん…。」
『(助けたいのにっ、声もっ、手も全然届かなくて…っ!! ……守るって…誓ったのに…っ、それすら出来なくて……っ!!!)』
「…うん………。」
『(目の前でっ、皆が、殺される瞬間がずっと、頭の中に流れてっ!! …っその度に、何で私だけ生きてっ、何でっ、何で皆が死んでいくんだって…!! 何で私もっ、あの時一緒に死ねなかったのかって…っ!!!)』
「……………、」
『(何度も、っ死にたいって思った…!! 私だけ生き残ったって、何の意味もない…っ!!……なのに、いざ死のうとしても、っ怖くて死ねなかった…っ、死ぬのが、怖かった…っ!!!)』
「…………、うん……。」
『(っ…、死にたいのに“死”が怖くて…っ、生きようにも“生”が辛くて…っ!! 結局、どうする事も出来なくてっ、ただ時だけが過ぎていって……。)』
「……うん。」
『(……でもっ、本当は、こんな風に死のうとしたって、それこそ意味などないと解っていて、…命を粗末にすれば、父や母に、それから弟……村の皆にも怒られてしまうと気が付いて……。)』
「…うん…。」
『(…だから、精一杯、生きようって決めて……何かをやる事で少しでも気を紛らわして…あの日の事を考えないように蓋をして…。…それでも、まるで忘れるなと、毎晩あの日の事を夢に見て……っ、)』
「………うん、」
『(そしてまた、同じ事を繰り返して…っ、無理矢理抑え込んで誤魔化して、…吐き出す方法も分からなくて…。)』
「………うん、」
『(お二人に吐き出せば、きっと傷付けてしまうと、そう思うと怖かったんです…、誰も傷付けたくなくて、それでまた溜め込んで……。でも、結局、酷い事を口走ってしまって……。……本当に、ごめんなさい…っ。…っごめんなさい……。)』
「…………。」

いつの間にか、頬を伝っていた涙がボタボタと手の甲に零れ落ちてゆく。涙で濡れた手の甲を歪んでいる視界で捉えて、私はただそれをじっと見つめ続けた。背中には私が感情を吐き出している間、ずっと擦り続けてくれた暖かな温もりを感じる。お菊さんがあやすように優しく添えてくれていた掌が、酷く私を安心させた。私が纏まらない感情をそのまま紡ぎ出しても、利吉さんは小さく確かに相槌を返してくれた。それが、ちゃんと聞いているよと言ってくれているようで、思いのまま話す事が出来た。
そして最後に出てきた言葉は、二人に対しての謝罪の言葉だった。
けれど最後の言葉を紡いだ後に今まで返ってきていた相槌がなくて、私は急に不安になった。キュッと無意識に噛んだ唇を震わせ、未だ溢れ出る涙を止めるべくその術を必死に探す。
すると、フワリと頭に載せられた何かの感触を感じる。それが手であると気付いた時には頭を撫でられていて、私はパチリと目を瞬かせた。顔を上げればその手が利吉さんの手である事が分かり、更にパチパチと目を瞬かせる。そんな私の顔に利吉さんがもう片方の掌を添えて、優しく零れ落ちる涙を拭ってくれた。

「そんなに謝らなくてもいいよ。ちゃんと分かっているから。」
『(…………、)』
「…花ちゃんは凄いね。今までそれを耐えていたなんて。…辛かった?」
『(……っ、…は、い……。)』
「苦しくもあったんだろう?」
『(…はい……っ、凄く……。)』
「だったら、我慢なんてするな。泣いて、泣いて泣いて、抱えているもの全部涙に流してしまえばいい。涙を流せるのは、とてもいい事だからね。」

そう言われて、止まり掛けていた涙が不思議とまた溢れ出す。一度弛んだ涙腺はそう簡単に引き締める事が出来ないらしく、面白いくらいに涙は流れた。くしゃりと歪んだ泣き顔を見られないよう、慌てて顔を下げれば再び利吉さんに頭を撫でられる。そして背中にもお菊さんの添えられた温もりが感じられ、益々涙腺は弛んでいった。

そして私はあの日、全てを喪ったあの時以上に、二人が見守る中で涙が渇れ果てるまで泣き続けた。


end.

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うほっ、話が支離滅裂っ
もう訳分かんなくなってきた
そして途中からお菊さんほぼ空気
ごめんなさいm(__)m.