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月島に胸倉を掴まれた感覚がまだ残っている所為で首元に違和感がある。

"なんでそんな返事したんだ"

あんな風に感情的になっている月島は初めて見た。部活中も普段の学校生活の中でも飄々としていて、誰がどう見たって激情型でないことは確かだ。そんなあいつが怒鳴りつけた理由。それは雪森が絡んでいるからだろう。月島が雪森と幼馴染なのは知っている。それに自分がしてしまったことも分かっていた。傷つけた。返事を返して雪森が口を開いた瞬間に気付いた。自分はやってはいけないことをやってしまったんだと。

"ごめんね"

雪森は小さな声でそう言った。泣いているなんてことはすぐに分かった。きっと自分があんな返事をしたからだろう。それなら雪森は一体何に対して謝ったんだ。悪いのは俺のはずなのに。どうして―――。
考えたところで答えが分かるはずもない。だけど考えてしまう。ごめんねのワケを。あいつを泣かせてしまった自分の不甲斐なさを。

初めて見て言葉を交わしてからもう4ヶ月以上が過ぎる。最初はもちろん何処の誰かも分からなくて、まあ自分のノートを拾ってくれた良い人なんだなとしか思っていなかった。けれどそこからなんとなくあいつのことが気になるようになって、何処のクラスだろうとか名前は何ていうんだろうとか、日に日に頭の中は雪森の存在でいっぱいになっていき、ついに頭の中はバレーのこととあいつのことで半々になってしまっていた。そんな時、月島と一緒にいるあいつを見てそのあとに二人が幼馴染であることを知り、それから月島と一緒にいる時にたまたま声を掛けたらいつの間にか話すようになってて、一度テスト前に勉強を教えて貰ってからはわざわざ3組の教室にノートを貸すためだけに来てくれたり、こんな不愛想な俺に対してあいつはとにかく優しく接してくれた。俺が毎日体育館へ行きバレーをすることと同じくらい雪森は俺の日常に溶け込んでいたんだと、俺は今初めて知る。

好きだと告げられた時は一瞬こいつは何を言ってるんだと雪森が発した言葉の意味を理解することが出来なかった。だけど、その後ずっとうつむいて顏を上げようとしない雪森を見てそういう意味かと、やっと理解した。こんなことは今まで何度も経験してきた。呼びだされて好きだと言われる。そして俺は毎回決まった答えを返した。
"俺にはバレーがある。それにそういう目で見られるのは迷惑だ"
実際にそうだった。これまで恋愛に興味を持ったことなど一度もない。というよりも、必要がなかったのだ。自分にはバレーボールという夢中になれるものがあって、他のものなんて目に入らない。もっと言えば、どうでもいい。ただただバレーをすることが楽しくて、ボールに触っている時間が一番満たされていた。だから恋愛も必要なかった。むしろそんなものに費やす時間など無駄だとさえ思っていた。しかし、これはなんだろう。雪森に好きだと言われ、その意味をやっと理解してもいつもと同じように返事を返せないでいる自分がいた。何を躊躇う必要があるんだ。自分にはバレーがある。それはこの先も変わらない。それなのに、なぜ自分は今、こんなにもあの言葉を口に出すことを躊躇しているんだ。これまでとは違う自分の心の変化を感じて俺は戸惑った。どうしていいのか分からなかった。今までは告白をされる前にもう既に自分の中に答えは用意されていて、それさえ言えば大抵は後腐れもなく終わる。今回だって同じようにすればいい。それですべてが解決するはずなのに、口が開かない。喉元まで出かかっている声が出て来ない。まるで"言いたくない"と体が拒否をしているように。言葉はなかなか出て来なかった。しかし、結局俺は口にした。いつも通りに、いつもと同じように。自分の気持ちに逆らって雪森の気持ちを迷惑だと言ってばっさりと切り捨てた。

正直、かなり後悔をしている。雪森が泣いていると気付いた。泣いている姿を初めて見た。声が、小さな肩が震えていた。途端に胸が痛んだ。ジクジクと痛んだ。それは初めて感じる痛み。やってはいけないことをやってしまったと気付いた頃にはもう遅くて、俺は曖昧な言葉を呟いてその場を去った。あれ以上何を言えばいいのか俺には分からなかったのだ。結局俺は逃げた。対処の仕方が分からないから部活があると言い訳をしてその場から逃げた。そしたら月島が追いかけてきた。月島は俺に詰め寄り、胸倉を掴み、怒鳴りつけた。あいつが言っていることは全部正しかったと思う。俺が一番分かってる。何をしたのか、どれだけ傷付けたのか、俺が一番よく分かってる。だからいちいち口に出すな。出すんじゃねぇ…。あんなに本気だと思わなかった。泣くほど俺のことが好きだったなんて―――思わなかったんだ。

外に出てみて改めて雨の強さを思い知る。まさかこんな大雨が降るだなんて想定外だった。今朝の天気予報を見ておけばよかったとこんなに後悔をしたことはない。もちろん傘は持ってきていない。雪森は今も泣いているだろうか。あの廊下でたったひとり、泣いているのだろうか。いや、もしかしたら月島が引き返して慰めているのかもしれない。考えると腹の底がジリジリと焼けるように熱くなった。あいつに触れられている雪森は見たくない。あいつの腕の中で泣いている雪森も見たくない。もし本当にそうだとするなら今すぐに走って引き返してあいつらを引っ剥がして雪森だけをさらって連れ去ってしまいたいとさえ思う。
そして俺はようやく気付く。4ヶ月も経って、やっと気付いた。けれど、もう遅い。終わった。終わらせた。俺が、終わらせたんだ。雪森はもう二度と俺とは話さないだろう。目も合わせないだろう。なんとなくそんな気がした。明日からは今までと違った日常がやって来る。雪森のいない日常が。もう戻らないのだ。自分にとってバレーと同じくらい大切なもの。雪森という存在。

滝のような雨に打たれながらも俺はどうしてもその場を動く気になれなかった。これでもかという程ぎゅっと拳を握りしめながら唇を噛んでも、ぐしゃぐしゃになった泥に靴底を打ち付けても怒りは消えない。だって、この結末を選択したのは俺自身なのだから。俺がすべて悪いのだから。

それとも最初に出会ったあの頃から俺はずっと選択を間違え続けて来たのだろうか。なぁ、どうなんだ。誰か、教えてくれ。
僕はきみを選ばなかった

2016 04/11

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