きらめきに溶けた嘘

 街は、一年で一番きらめく季節を迎えていた。
 駅前の広場には大きなクリスマスツリーが飾られ、街路樹には無数のイルミネーションが灯されている。吐く息は白く、空気がキンと冷えているけれど、行き交う人々はみんな楽しそうで、どこか浮かれたような温かい空気に街全体が包まれていた。

 そんなクリスマスイブの夜。私は、少しだけお洒落をして、及川先輩とイルミネーションを見に来ていた。今日の先輩は、いつもよりシックなコートを着ていて、やっぱり息を呑むほど格好良かった。
 マフラーに顔をうずめながら、私は期待と緊張でドキドキする心臓を必死に落ち着かせようとする。

(クリスマスデート、嬉しい。すごく、嬉しい。でも…怖い)

 前回のデート以来、先輩の態度が、また少し変わった気がするのだ。私に向けられる視線や言葉が、前よりもずっと、優しくなった。その度に、心の奥で「期待しちゃダメだ」と必死にブレーキをかける。だって、もしこれが全部、先輩の気まぐれや、完璧な「彼氏のフリ」だったとしたら。本気になってしまった私だけが、最後に一人で泣くことになる。

(今日こそ、絶対に浮かれちゃダメ。これは偽物のデートなんだから…)

 そう自分に強く言い聞かせるのに、心臓は正直に、彼に会える喜びで高鳴っていた。

 人混みの中、彼がさりげなく私をかばうように歩いてくれたり、「寒くない?」と気遣ってくれたりする。そして、気づけば自然に繋がれていた右手。その温かさに、私の胸はいちいち大きく揺れて、同時に軋んでいた。

 光のトンネルをくぐり、メインの大きなツリーの前を通り過ぎて、少しだけ小高い丘の上にある、イルミネーション全体が見渡せるベンチへとやってきて腰を下ろす。ここまで来ると人影もまばらで、キラキラと輝く光の絨毯を二人占めしているような、贅沢な気分になる。

「わぁ……きれい……」

 眼下に広がる光の海に、私は思わず感嘆の声を漏らした。赤、青、緑、金色の光が、冬の澄んだ夜空の下で宝石みたいに瞬いている。

「…ほんと、綺麗だね」

 隣で同じように景色を見つめていた先輩が、静かに呟く。その声のトーンが心地よくて、なんだか胸の奥がくすぐったくなる。
 ふと、思い出したように私は口を開いた。

「…あ、そうだ。私、一回だけ夢でイルミネーションになったことあるんですよ」
「え、なにそれ。どういう状況?」
「全身がピカピカ光ってて、電池切れたらバタンって倒れる夢で……あれ、完全にホラーですよね」
「…ぷっ、あははっ! なにそれ、めっちゃ怖いんだけど! 夢でイルミネーションになった人、初めて聞いたわ!」

 及川先輩が吹き出して、楽しそうに笑う。肩を揺らしながら笑うその横顔が、イルミネーションの光を反射して、ひどく綺麗に見えた。思わず私も笑って、二人で小さな笑いの余韻に包まれる。

 やがて笑いが落ち着き、私たちは再び、光の海へと視線を向けた。
 冷たいけれど心地よい風が、私たちの間を吹き抜けていく。隣にいる彼の体温が、コート越しにも伝わってくるような気がした。

 そのとき、ふいに隣から小さな笑い声が聞こえた。

「ふふっ……」
「……なんですか?」

 笑いにつられて尋ねると、彼は少しだけ目を伏せて、それから、ふっと優しく私を見た。

「……君が楽しそうなのが、嬉しくて」
「……………へ?」

 予想外の、あまりにも甘い言葉。彼は、少し照れたように、でも真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。イルミネーションの光が、彼の茶色の瞳の中でキラキラと反射している。

 私の心臓が、ドクン、と大きく音を立てた。顔が、一瞬で熱くなるのが分かる。偽物だって分かってる。彼は私を利用してるだけだって、言い聞かせてきたはずなのに。彼のこんな言葉を、表情を、真正面から受け止めてしまったら、もう、ダメだ。
 私は赤くなった顔を隠すように、イルミネーションに目を向けるふりをして、先輩から視線を外した。

「……」
「……」

 しばらく、私たちは黙って眼下に広がる光の海を眺めていた。

「…あの、先輩」

 先に沈黙を破ったのは、私だった。

「ん?」
「これ…あの、たいしたものじゃないんですけど…」

 私はバックから、少しだけ緊張しながら、ラッピング袋を取り出した。クリスマスらしい、赤いリボンがかかっている。

「…メリークリスマス、です」
「え、俺に?」

 彼は少し驚いたように目を丸くして、それを受け取った。

「いいの? ありがとう。…開けていい?」
「は、はい」

 彼は、少しだけ嬉しそうに微笑むと、丁寧にリボンを解き始めた。何が入っているか、ワクワクしている少年のような表情をしている。
 私が選んだプレゼント、喜んでくれるだろうか。渡すだけのはずなのに、こんなに緊張するなんて思わなかった。心臓の音が、自分にだけ聞こえている気がする。

「………………ん?」

 袋から出てきたものを見て、彼の動きがピタリと止まった。そして、手に取ったそれを、まじまじと見つめている。あ、あれ? 反応が薄い…?

「これって……」
「えっと…その…ペンギンの生態図鑑…ですけど…。一応詳しく知れるように大判と、持ち歩き出来るように簡易的なポケット版を…と思って……」

 私が恐る恐る言うと、彼はゆっくりと顔を上げた。その表情は…なんというか、見たことのないくらい、微妙な顔をしていた。

「………ペンギン…図鑑……」

 彼は、手の中の図鑑と私の顔を、何度か交互に見比べた。そして。

「…………ぷっ……くくく…あはははは!!!」

 ついに堪えきれなくなったように、盛大に吹き出したのち、声を出して笑った。

「ペンギン!? なんで図鑑!? しかも大判とポケット版て! あははは! センス!!」

 さっきまでの甘い空気を割くように、お腹を抱えて笑い声を上げる先輩。よく通る声が静かな空間に響いている。幸いにも、私たちがいるゾーンには他に人はいなかったので、注目を浴びることもなかった。
 それよりも、こんなに笑われるとは。うう、やっぱり変だったかな…。

「だ、だって…! 先輩、水族館でペンギン可愛いって言ってたし、飼いたいって…!」
「言ったけど! 言ったけどさぁ! だからって図鑑!? 普通なんかこう、もっとあるでしょ!」

 ひとしきり笑った後、彼は涙目になりながら私を見た。

「でもさ、俺、別にペンギン自体がそこまで好きなわけじゃないんだよね」
「……え。ええっ!?」
「いやまあ、普通にペンギンは可愛いけどさ、別にすっごい好きってわけでもないというか」

 衝撃の事実…! じゃあ、私のこのプレゼントは、完全に的外れ…!? 私がショックで固まっていると、彼は「でも」と続けた。

「ありがとう。すっげー面白いけど、ちゃんと嬉しいよ。ナマエちゃんが俺のために選んでくれたんでしょ?」

 そう言って、彼は図鑑を大切そうに、肩にかけていたバックの中にしまった。その笑顔は、さっきまでの爆笑とは違う、本当に優しい笑顔だった。

「あ、俺からも、あるんだけど」

 今度は彼が、コートの内ポケットから、小さな箱を取り出した。ピンク色のリボンで綺麗にラッピングされている。

「えっ!?」
「はい、メリークリスマス」

 差し出された箱を、私は恐る恐る受け取る。ドキドキしながらリボンを解くと、中から出てきたのは——。

「……腕時計…?」

 華奢なシルバーのチェーンに、小さな文字盤がついた、上品で可愛らしい腕時計だった。イルミネーションの光を受けて、キラキラと盤面が反射している。驚きと嬉しさが一気に押し寄せて、私は腕時計と彼を交互に見つめた。

「え、こ、こんな…!?」
「この前、雑貨屋でヘアピン見てた時、ナマエちゃん、こういうシンプルなやつ好きかなって思ってさ」
「! お、覚えててくれたんですか…!?」
「まあね」

 彼は、少しだけ照れたように視線を逸らす。
信じられない。こんな素敵なもの、もらっちゃっていいんだろうか。

「で、でも、こんな高価そうなもの…!」
「いいの。あんま言うことじゃないけど、別に高くないよ? それに、俺があげたいからあげるだけ。…ほら、つけてみなよ」

 促されるまま、私は箱から腕時計を取り出す。すると、彼が、そっと私の手首を取って、慣れた手つきで留め具を留めてくれた。ひんやりとした金属の感触と、彼の指先が触れる感触に、心臓が大きく跳ねる。
 私の腕で、小さな時計が静かに時を刻み始めた。

「……すごく、綺麗です…。ありがとうございます…!」

 嬉しくて、涙が滲みそうになる。

「…ん。似合ってるよ」

 彼は、満足そうに頷くと、私の手首を掴んだまま、じっと私を見つめてきた。その瞳の真剣さに、ドキリとする。

「………ねぇ」

 彼が、そっと私の名前を呼ぶ。声が、近い。

「………抱きしめていい?」

 あの時のように、ルールに則った確認の問いかけ。でも、込められた響きは、いつもよりもっと深く、甘く聞こえた。
 私は、彼の瞳を見つめ返した。もう、迷いはなかった。

「…………はい」

 震える声で、でも、はっきりと答える。
 私の答えを聞いて、彼は、愛おしそうに目を細めた。そしてベンチに腰掛けたまま、私のほうへ身体を寄せ、私の体を優しく、抱き寄せた。
 彼の胸の中に、顔をうずめる。彼のコートの感触、体温、香水の匂い。そして、聞こえる彼の心臓の音。
 この温かさを、私は知っている。 でも、何度経験しても、慣れることなんてないのだろう。むしろ、知っているからこそ、その温かさがより深く、私の心に染み込んでくる。

(嬉しい…けど、痛い、なあ…)

 幸せすぎて、涙が出そうだ。彼の腕の中にいるこの瞬間が、あまりにも「本物」すぎて、胸が痛いのだ。「偽物」だって、ずっと自分に言い聞かせてきたのに。彼のこの温かさは、どう考えたって嘘じゃない。

 ──もしかしたら、彼も、私と同じ気持ちでいてくれているのかもしれない。

 その期待が、希望が、何よりも私を臆病にさせた。本当の本当に「本物」だと言い切れる自信が、まだ私にはなかったから。

「………寒くない?」

 耳元で、彼の低い声が囁いた。背中に回された腕に、力がこもる。

 ああ、もう、ダメだ。この優しさに、この温かさに、私の心は完全に解かされてしまう。本当の恋人にしてほしいという気持ちが、どんどん膨らむ。
 彼にはまだ、心のどこかにあの綺麗な先輩がいるのかもしれない。私を、そのためのカモフラージュに使っているだけなのかもしれない。

 でも、もう、そんな理屈はどうでもよかった。
 彼がくれる優しさに、言葉に、期待してしまう。だって、彼から与えられる言葉が、私を見つめる瞳が、今、私を包むこの温かい腕が、あまりにも本当の恋人みたいで、誤解してしまうのだ。

(ああ、私、本当に先輩のことが、好きなんだ…)

 ファンとしてとか、憧れとか、そんな言葉じゃなくて。たとえ、この関係が卒業と共に終わってしまうとしても。この恋が、叶わないとしても。この気持ちだけは、もう、どうしようもなく本物だ。

「………っ…」

 堪えきれずに、涙が一筋、頬を伝った。

「…え、どしたの?」

 及川先輩が、そっと体を離して、私の顔を覗き込む。その瞳には、心配の色が浮かんでいた。

「な、なんでも、ないです…! 嬉しくて…!」

 私は慌てて涙を拭い、ぐしゃぐしゃの笑顔で彼を見上げた。

「腕時計、すごく嬉しいです! 大事にします! あ、ペンギン図鑑も、読んでくださいね!」
「…うん、まあ、気が向いたらね」

 彼は、私の涙の理由には気づかないフリをして、ふわりと、優しく笑った。

 やがて、彼が「…そろそろ、行こうか」と立ち上がった。私も名残惜しい気持ちで立ち上がり、私たちはイルミネーションの会場を出て、駅へと向かって歩き出した。
 帰り道も、彼は私の手を繋いでくれた。さっきまでのドキドキがまだ胸に残っていて、私はうまく話せない。彼は、そんな私を気遣ってか、学校のことや、テレビの話など、当たり障りのない話題を振ってくれた。
 そして、私の家の最寄り駅に着いた。楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまう。

「…あの、先輩。今日は、本当にありがとうございました。すごく、楽しかったです…!」

 私が精一杯の感謝を伝えると、彼は「ん、俺も」と短く答えて、柔らかく微笑んだ。

「じゃあ、また連絡する。……おやすみ」
「…おやすみなさい」

 彼は、名残惜しそうにもう一度だけ私を見ると、今度こそ本当に背中を向け、駅の入り口へと向かって行った。
 一人残された改札口で、私は腕につけられた腕時計をそっと撫でた。ひんやりとした金属の感触と、まだ残る彼の温もり。唇を噛み締め、込み上げてくる想いを必死に堪える。

(好き……)

 この気持ちを伝えられる日は、きっと来ない。それでも、私は彼を応援し続ける。

 彼が卒業する、その日まで。そして、その先も、ずっと。キラキラと輝く、駅前のクリスマスの灯りが、滲んだ視界の中で、優しく揺れていた。



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