あなたの神様、わたしの神様

まるで過去の自分を見てるみたいだった。眩暈でくらくらする、頭がいたい。

胸が、さわぐ。

「……わたしなら、やれる」




*****


はじめてその女に会ったのはたしか、高校からの帰り道だったと思う。
あの日は家に忘れた国語の課題を居残りながらも必死にこなして、校舎を出た頃には太陽はすっかり隠れてしまっていた。
いくつかの信号を越えて、もうあと数メートルで家に着く。長いお説教を浴びた体はくたくたで、自転車を漕ぐ足も殆ど力が抜けていた。
破られたチラシが貼られた電柱のその影に、彼女は立っていた。正確には彼女たちで、もうひとりは随分顔の整った男。
小さな地図と紙切れを持ってあっちだこっちだと口論し、しまいには女が地べたに座り込んでしまった。
もうじき夜になる。そうなれば、彼女たちは慣れない土地でどう過ごすのか。
いや、声を掛けた本当の理由はそんな善人じみたお綺麗な理由ではない。

「こんにちは、どうかしたんですか?」

私はこの世界を知っているけれど、彼女たちを知らない。
正直に言えば浮かれていた。
その時の私は、自分こそが選ばれた唯一の人間だと勘違いした、愚かな小娘でしかなかった。
未来のための選択だと、感じた違和感を無視して笑っていた。

隣町に引っ越して来たという彼女たちとの再会はそれほど遠くはなく、前回と同じ電柱の影で私を待っていたらしい。少しだけ会話して道を教えてくれたお礼だとお菓子の詰め合わせを手渡された。
黒いワンピースは細身の彼女によく似合っていたけれど、再会した瞬間に例の組織が頭に浮かんで思わず一歩後ずさりしてしまったことに二人は気付いていただろうか。

それ以降は街中で偶然会ったり、混んでいた店内で相席したり。彼女が連れていた男はその度に変わっていたけれど、誰もが恋人では無いのだと言っていた。
春夏秋冬、どんな季節でも彼女は黒いワンピースを着ていたし、連れの男も黒いスーツを着こなしていた。



「なあ大丈夫なのか?家は隣町ってのにそんな頻度で会うのおかしいだろ」
「うーん、たしかにちょっとは気になるけど……でも、良くしてくれてるし!」
「なんか心配だなあ、今度会う時は俺も一緒に居れるといいんだけど」
「連絡先も知らないし、会うのはいつも偶然だよ?」
「だよなー」
クラスメイトの仲のいい男子生徒は私を心配し、気にかけてくれる。数年後の未来には、スコッチと呼ばれて命を散らす彼だ。
もっとも、そんな運命は私がひっくり返してみせるのだけれど。
毎日挨拶は欠かさないし、移動教室も一緒に行く。出席番号だって近い。それなりの交友関係を築き、彼にとっては1番仲のいい女子という立ち位置を掴み取ったつもりだ。
この世界に来たことで漸く知れた彼の音を紡げば、すぐに振り向いてくれる。手を差し出してくれる。
この世界に来た目的は彼ではなく別の人だったのだけれど、彼と距離を縮めていく度に彼の暖かみを知り、この人と長く寄り添いたいと思うようになっていた。
危機感を感じながらも黒衣を纏う女と親交を続けるのは、さして遠くない未来で彼を救ってもらう為でもある。
私が知る限り完結していなかった物語だ、きっと将来出てくる組織の登場人物に違いない。
もしも、ベルモットが毛利蘭と工藤新一に持つような感情を彼女が私に持っていてくれているなら、私がお願いすれば彼を見逃してくれるかもしれない。
危険な橋を渡っていることは分かっている。
でも誰になんと言われようが、私は彼を諦めない。未来を変えてみせる。

彼は会うなら俺も一緒に、と言っていたけれど私は彼女達に会わせるつもりは全くなかったし、会うのはいつも決まって私1人の時だけだった。
何度目かの偶然。
今日の付き添いは初めて会った時と同じ、紫の瞳がよく似合うお兄さんだった。長谷部、と彼女が呼んでいるのを何度か聞いたことがある。

「ね、お気に入りの喫茶店があるの。もしよかったら一緒にランチにいかない?」



入った喫茶店には昼時だと言うのに客のひとりも居らず、カウンターの向こうに眼帯の美形がひとりだけ。この男も、いつかの偶然で会ったことがあった。
「いらっしゃい、今日の日替わりランチはチキン南蛮だよ」
「じゃあそれを3つお願いね」
手を引かれ、ひとつのソファに腰を掛けた頃には自分が口を挟む間もなくオーダーが決められていた。いや、チキン南蛮は好きだから構わないけれど。
運ばれてきたグラスに伝う水滴を突っついて妙な悪寒を振り払う。なんだか、今日はやけに胸元が苦しい。
「今日は貴方とお話しがしたくて、此処を貸し切りにしてもらったの」
「えっわざわざ貸し切りに?」
「そう、大事な大事な、お話しをしたくてね」
女の顔には満面の笑みが浮かんでおり、その奥で何を考えているのかなどとても測り知れない。
いったいこの人は私に何を求めているのか?
ちいさく鳥肌が立ち、背筋をぴんと伸ばす。こちらが一般人であることは相手も分かっているだろうが、隙は見せたくなかった。

わたしの緊張感をよそに、肝心の大事なお話しとやらはなかなか出てこない。ありふれた世間話ばかりで、どうにもやりにくかった。
「はい、お待たせ」
「っひゃ!?」
やたら色気たっぷりの美声が耳を通り、肩が跳ねる。
どうやら、あの眼帯の店員がランチを持ってきてくれたらしい。
皿に乗せられた料理はどれも美味しそうで、温かな湯気と匂いが食欲を唆る。ランチの価格がどれほどなのか分からないけれど、山盛りのご飯と大きなチキン南蛮、副菜二種と、お吸い物。この量ならば大人の男でも満足するだろう。
向かい席に座る2人が手を合わせて、箸を持ったことを確認し、私もチキン南蛮へと箸を伸ばした。
美味しそうなご飯に気が緩んでいた。
だから気付いた時には顔面に謎の札を押し付けられ、抗うことも出来ず私の意識は沈んでいった。

あた、かみさま。
こんなところではまだ、しねないのです。
かれを、すくわなくては。



*****



「この世界に来た目的は」
「降谷零と過ごしたかったから」
「この世界に渡った手段は」
「神様が私を連れてきてくれたのです」
「私達が何か分かるか」
「分かりません、分かりません、分かりません分かりませんあなたはおまえはだれ、だれだれだれ。きらい、こわい、にくい。ころす、さにわ、とうけんだんし、みんなころす」
「神様への連絡手段は」
「ありません」
「神様の容姿は」
「覚えていません」

冷めていく料理を脇に、少女への詰問は続いている。
冷えた眼差しの女ーー審神者は、努めて平坦な声でまた問を重ねていた。
現世の服を纏っていた刀たちは普段の戦闘衣装に変わり、いつでも刀を抜けるよう手を添えている。
少女は非現実的な周りの様子にも戸惑うことは無い。それも当然、今の少女の意識は審神者の手の内同然であるからだ。
審神者の問に偽り無く答えさせるための札は少女の額にピタリとくっついて離れない。
結局、審神者が新しく得た情報は殆ど無かった。
神を名乗る歴史修正主義者が異世界の人間をこの世界に連れてきて歴史を改変させるように手助けしていること。
歴史修正主義者、歴史改変、審神者、刀剣男士、それらの情報は本人にはなく、知らぬ間に埋め込まれた刀剣によって本能的な嫌悪感があること。
神様は性別も容姿も喋り方も、少女の記憶から消されていること。
収穫はゼロ。どれもこれも、審神者は元から知っていることだ。
所詮、使い捨ての信者であり末端の末端である少女にはこちらに知られて困るような情報は持たされていないのだろう。

「……敵刀剣を破壊します」
「主、俺の後ろへ」
「うん、格好よく決めたいよね」

埋め込まれた敵刀剣を破壊する方法はかつて審神者がその身を持って知ったことだ。
寄生先の本体の命の危機、つまりは死ぬ間際にそれは身体から這い出てくる。
長谷部は既に鯉口を切り、少女を見据える瞳はひどく冷たい。
審神者がふ、と生暖かな息を吐き、勢いよく空気を吸い込む。
「やって!」
空気が震える程の殺気。長谷部が刀を振るい、少女の首が飛ぶその前に、それは少女の口から飛び出し刀を弾いた。
どす黒い靄と鈍い光を纏って現れたのは刀剣男士達がいつも戦っている遡行軍の打刀だ。
共鳴するように騒ぐ胸元を強く押さえつけて、審神者が一歩後退し瞬きすれば打刀の首が飛び、手に持っていた本体は折れて落ちていく。
本丸で一番の強さを持つ長谷部は主を振り返りとろりと笑った。
圧倒的な強さと美しさ。
審神者の盲目的な信仰を浴びて、また彼らは強くなるのだ。

「ね。貴方の神様より、わたしの神様達の方がずうっと強くて優しいの」


術で縛り上げ、少女の胸元から学生手帳を取り出した。表紙を捲れば挟まれていた写真がひらりと落ちる。
「ーーくん」
満面の笑みを浮かべる2人の写真だった。ひとりは審神者の目の前でぐったりと気を失う少女。もうひとりは、かつて審神者が恋した彼だった。
独りよがりの善を振り回した過去を覚えているのはもう審神者本人と、政府の上役数人しか居ない。

今でも彼が殺される現実を笑って寛容することは出来ないが、本来の正しい歴史を守ることを審神者自信が選び取ったのだ。
生きたままこの世界に連れられた少女とは違い、審神者は短刀で胸を引き裂かれてからそれを埋められ、この世界へとやってきた。
今更帰ったところで、2200年代の医療がなければ生きていけない。
だから、この世界で、彼が居ない未来で生きている。
異物が消えれば歴史は正され、少女によって改変された事象は全て失くなる。その後、少女を覚えているの人もいないだろう。

「さぁ起きて、大事なお話しをしましょ。貴方のこれからのこと」





(審神者単体の話はこちらから)
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