見慣れない部屋で、目が覚めた。
部屋に僅かに残る潮の香り。
心地よい揺れ。
あれはやっぱり、夢ではないようだ。
ベッドの脇に置いてある服は、昨夜寝る前に、オレンジ髪の子――ナミさんがあれやこれやと私に服を宛てがい、水色髪の子――ビビさんと二人であーだこーだ言いながらファッションショーをして選んで貸してくれた服の一つ。
二人の服を少しずつ借りて、しばらく生活することになりそうだ。
二人は既に部屋にいなくて、私は随分寝てしまっていたのかもしれない。
のそのそとベッドから降り、顔を洗って、有難く着替えることにした。チョッパーくんのお陰か、頭痛もすっかり無くなっている。あんなに可愛い生き物なのに、凄腕のお医者さんだというのが心底不思議だ。
赤のキャミソールに七分袖の白ブラウスを羽織り、黒のショートパンツを合わせる。キャミが短めで多少腹チラしてしまうけど、ブラウス羽織ってるしまぁ大丈夫かな。しかし胸周りに少し余裕があるというか…ナイスバディ過ぎるわあの二人。
髪を整え、鏡に映る自分を確認してから部屋を出た。
昨日、麦わらの彼――ルフィさんに連れられて飛び出していった通路。彼の体は変わっている。ゴムのように伸びていたのは気の所為じゃないはずだ。後で聞いてみよう。
そんなことを考えながら扉を開ければ、ふわりと潮の香りがした。
ああ、海だ。
嫌われ続けていた、出来るだけ避けて生きてきた海だ。
これからその海の上で生活するとはなんとも皮肉な。
海が嫌いなわけじゃない、見るのは好きだ。でも私は、海に入ることが出来ない。重度のカナヅチなのだから。
海が私を嫌っているんだとずっと思っていたけれど、これからは少しずつ向き合っていかなければならないかもしれない。
足を進めようとした所で、足に当たった何かに吃驚して下を向けば、大の字で寝ている男の人――ゾロさんがいた。あぁ、驚いた。ちょっと蹴ってしまってごめんなさい、と心の中で謝る。
「あら、起きたのね。」
「おはよう、名前さん。」
「あ…おはよう、ナミさん。ビビさん。」
上からした声に振り返れば、ナミさんとビビさんがいた。二人とも絵になるくらいとても綺麗で可愛らしい子達だな、とつい感心してしまう。階段を上がり、二人の隣へ行けば、ナミさんが私の顔を窺うように見詰める。
「よく眠れた?」
「えぇ、ぐっすり。むしろ寝すぎちゃったみたい。」
「ならよかったわ。」
「病み上がりなんだし寝すぎていいのよ。眠れる時に眠っておかなくちゃ。」
「…そうね。ありがとう。」
ビビさんの笑った顔にほんの少しの翳りが見えた気がして、一瞬言葉を失ってしまう。明るくて、可愛らしいこんな彼女は、一体何を抱えているんだろうか。
「この船は今、何処に向かっているの?」
「…サンディ島の、アラバスタ王国へ向かっているわ。」
「アラバスタ…?」
「私の、祖国よ。」
砂の王国、アラバスタ。
やっぱり聞いた事のない国の名前だけれど、その場所は、彼女のお父様が治める国らしい。まさか王女だったとは。
ビビさんは、ぽつりぽつりとこれまでの経緯、そこへ向かう目的を話してくれた。
数年前から起こり始めた反乱軍による内乱、そこに関与していたという"B・W(バロック ワークス)"という秘密組織。王女である彼女はあろう事かそこへ潜入し、その秘密組織のボスというのが実は“王下七武海“と呼ばれる政府公認の海賊の一人、サー・クロコダイルという人物だということがわかったのだとか。
「おい、嘘つくなルフィ」
苛立った声が聞こえ何事かと三人で下を見てみれば、金髪の彼――サンジさんが、ルフィさんに何かを問い詰めているようだ。どうやら、食料泥棒を探しているらしい。
サンジさんがきっちり配分しておいた食料が夜中のうちになくなってしまったとか。顔に汗を流しながら目を逸らすルフィさんはどう見ても怪しかった。そして、サンジさんのカマかけによりボロを出してしまったルフィさんは、完全にキレたサンジさんに凄い勢いで蹴り飛ばされていた。うわぁ、い、痛そう。
唖然としてその光景を眺めていれば、サンジさんは私達の方へ振り返り、ナミさんに鍵付き冷蔵庫を強請っていた。確かにこの海の上での食料泥棒は大問題そうだ。
隣にいたビビさんは階段を降りていき、ふと何かに気付いたようで、視線の先を追えば船の端で釣りをしている三人(?)組がいる。――ウソップさん、チョッパーくん、それからカルガモのカルーだっただろうか。サンジ君のために釣らないと〜なんて言うウソップさんの声は上擦っていて、なんだか少し様子がおかしいがどうしたんだろうと首を傾げた。
ナミさんに続き私も階段を降りていくと、ゴンッと凄い音がし、どうやら食料泥棒の共犯であったらしいウソップさん、チョッパーくん、カルーはナミさんの鉄拳制裁をくらっていた。
「ふふ、賑やかでしょう?」
ビビさんにそう言って笑いかけられ、私も思わず笑ってしまう。確かに賑やかだ。
「ええ、ちょっとびっくりしてる…でも、皆楽しそうね。」
「とても楽しいのよ?あぁ、どこまで話したかしら?」
「あ、えーっと、その、サー・クロコダイルって人がアラバスタにって辺りかな?」
「そうそう。クロコダイルは、アラバスタを乗っ取ろうとしている。そしてあろう事か、彼はアラバスタの中で英雄とされているの。」
「英雄?クロコダイルはアラバスタの英雄なの?」
制裁を終えたナミさんがビビさんの言葉に問い掛ける。確かにそんな人物が英雄として崇められているのはおかしな話だ。
「"王下七武海"っていうのはつまり、世界政府に雇われた海賊達のこと。"七武海"が財宝目当てに海賊を潰すのも、"海軍"が正義のために海賊を潰すのも、国の人達にとってのありがたさは変わらないってわけ。結局、町を襲う海賊達を追い払ってくれるんだもの。」
「まァ、そりゃそうだ。…しかし、そのアラバスタの英雄が、実はアラバスタを乗っ取ろうとしてるとは、みんな夢にも思ってねェんだろうなァ。」
サンジさんの言うように、きっと町の人達はその英雄を信じて疑いもしていないだろう。そこに漬け込むように、水面下では国を乗っ取ろうと策略しているということか。…すごい悪人だな。
いつの間にか起き上がって話を聞いていたルフィさんが、拳を握りビュッと動かしてみせた。
「とにかくおめェ、クロコダイルをよ!!ブッ飛ばしたらいいんだろ!?」
「えぇ…暴動をまずおさえて、国からB・Wを追い出すことができれば…アラバスタは救われる。」
ルフィさんの言葉に、またどこか翳りを見せてビビさんは目的を語る。
「でもよ、そのB・Wって会社のシステムは一体どうなってんだ?"Mr."だ"ミス"だっていうあれは」
ウソップさんの質問に、ずっと寝ていたゾロさんがむくりと起き上がる。ビビさんは質問の答え、B・Wのシステムについて分かりやすく教えてくれた。ゾロさんはまた寝てしまったけれど。
―――B・W(バロック ワークス)
頂点に立つクロコダイル、"Mr.0"からの指令を直接受ける"エージェント"と呼ばれる12人と1匹。彼らは『Mr.+ナンバー』の名をもっており、その力に見合った女性の"エージェント"とペアを組んでいる。
その中でも"Mr.5"以上は"オフィサーエージェント"と呼ばれており、重要な任務の時しか動かない彼らはほとんどが悪魔の実の能力者という。それ以下は、"フロンティアエージェント"と呼ばれており、会社の資金集めをしているそうだ。
「悪魔の実…?」
聞き覚えのない言葉に首を傾げる。悪魔の実の能力者って、なんだろう。
「そ〜〜〜か、じゃあ!!!クロコダイルをよ!!!
ブッ飛ばしたらいいんだろ!!?」
「お前、絶対理解してねェだろ」
一人ぽかんとする私をよそに、ルフィさんがまた拳を握ってビュッと動かしてみせた。サンジさんの言う通り、理解していないのかもしれないが、私も理解出来ていない。仕組みはなんとなく分かったけれど、そもそも悪魔の実が何か分からない。
「――ってことは間違いなく、B・W社最後の大仕事、アラバスタ王国の乗っ取りとなれば、その"オフィサーエージェント"って奴らの残りは全員…」
「…ええ。集結するはず。」
ナミさんの言葉に、神妙な面持ちのビビさんが頷く。
政府公認の海賊による、王国の乗っ取り。秘密組織B・W。そして、これから起こるであろう、国と国民の戦争。そして、謎の悪魔の実とその能力者。
何から何まで驚きで、私が知らないことばかりだ。ドラマやアニメのような世界。
もしかしたら、私が今までいた世界とは全然違う世界なのかもしれない。
それならば、ここは一体何処なのだろう。私は何故、この世界の海の上へいたのだろう。ルフィさんが私のことを知っているのであれば、記憶にないこの世界ではなく、何故、記憶にある平和な世界にいたのだろう。
ぱっと目の前に突然現れた顔に驚き思考が止まる。あの大きな目をぱちくりとさせて私の顔をじっと見ている。いやそれにしても距離が近い。思わず少し後ろに仰け反ってしまった。
「る、ルフィさん…?」
「名前、お前もう体調大丈夫なのか?」
「え、えぇ…お陰様で、大丈夫です…」
「そっか!」
シシシ、と満面の笑みで笑う彼は、やっぱり太陽のようだ。笑顔が眩しい。
途端に何か思い出したように、あ!と声を上げたルフィさんは今度は不機嫌そうに顔を歪め、どうしたんだろうかと首を傾げた。
「お前な、その喋り方やめろ。」
「え?」
「あとルフィ"さん"って言うのもイヤだ。」
「いや、あの…」
「なんかしっくり来ねェしよ。まだおれのこと思い出せねェのか?」
彼は私の幼馴染だと言っていた。私は記憶にないけれど、彼の言う通りであれば、私と過ごしていたのは幼い頃。ということは、私の記憶がない間の話ということだ。
突然、ルフィさんが驚いたような声を出したので顔を上げれば、サンジさんが少し苛立った顔をして立っていて、ルフィさんは首根っこを掴まれていた。
「何だよサンジ」
「お前は距離が近すぎんだよ。もうちょい離れろ。」
ルフィさんは唇を尖らせ、ほんのちょっとだけ距離を取る。あまりの近さに戸惑っていたのは確かだから正直助かった。
私達のやり取りを聞いていたであろうナミさんが、そういえば、と声を上げた。
「ルフィは幼馴染って言ってるけど、名前は覚えてないのよね?」
「ええ…そう、ですね。」
「コイツがそんな嘘つくとも思えねぇし、ホントに人違いとかじゃないとすれば、もしかして記憶がないってことか?」
ナミさんやウソップさんの言う通り、幼馴染だという記憶はないけれど、ルフィさんが嘘をついているようには思えない。
「それに、どうやってこの船に乗ってたのかも覚えてなかったのよね…もしかして、何かの事故に巻き込まれて…?」
「ええっと…船に乗ったというか、乗るつもりはなかったんですけど、此処に落ちてしまったというか」
「落ちた?」
気が付けば全員がこちらを見ていて、私の話に耳を傾けている。私は彼らの船に不法侵入してしまっている身だったということを思い出し、自分の事と共に、これまでの経緯をぽつりぽつりと話した。
私は確かに記憶がない。けれどそれは、幼かった頃のこと。私の一番古い記憶は凡そ10年前――森の中で傷だらけで倒れていた、自分の名前以外何もわからない私を発見して保護してくれた人に連れられ施設へ入ったこと。その後私はその施設で、同じように親がいない子供達や世話をしてくれた大人達と共に過ごしたこと。
そして先日、ある人に建物の屋上から突き落とされたこと。気がつけば何故か海の上にいて、この船へ落ちて来てしまったこと。
一通り話し終えると、そこは静まり返っていた。
様子を窺うように顔を上げれば、皆呆然とした顔をしていた。
「え、と…そういう訳で、此処に来るまでのことは記憶にはあって、でも何故そうなったのかがわからなくて…ルフィさんとの事はもしかしたら、私の記憶がない頃――幼かった頃のことかもしれなくて…ですね。」
「あんた、色々大変だったのね…」
「こんな愛らしい天使ちゃんを突き落とすなんて…なんて野郎だ。許せねェ。」
「はは…まぁ、色々ありまして。」
本当に色々あった。突き落とされたのは理不尽だけれど。
皆と同じように話を聞いていたウソップさんは、うーん、と腕を組んで何かを考えているような声を出した。
「にしてもよ、なんで建物の上から落ちて、気付いたら海の上、なんてことになるんだ?」
「ンなもん信じられるわけねェだろ。」
「おいてめェ、名前ちゃんが嘘ついてるっていうのか?」
「普通に考えたら、そんな話信用出来るわけねーだろ。」
「ンだとこら、歯ァ食いしばれクソ剣士。ミンチにしてやるからよ。」
「上等だこのエロコック。てめェの花畑みたいな脳みそ切り刻んでやるよ。」
「やめなさいっての」
今にも勃発しそうな二人の喧嘩はナミさんの制裁により治まった。吃驚した。さっきもそうだが、いつもこんな感じなのだろうか。ナミさん…強いな。
驚かせちゃったわね、と困ったようにビビさんが笑う。いやいやそんな、と首を振った。ビビさんのせいではないのに気遣ってくれるなんて、なんていい子なんだろう。
「ほらルフィ、あんたさっきからずっと黙ってるけどなんか無いわけ?」
「ん?」
私の話を大人しくじっと聞いていたルフィさんは、ナミさんに問い掛けられて首を傾げる。するとルフィさんは、へへ、と笑ったのだった。
「おいおい、なんだよ急に笑いだして。」
「いや、名前がここへ来てよかったと思ってな。安心しろよゾロ、名前は信頼出来る奴だからよ。」
「お前な…」
「おれが知ってるのは、名前の言う通り10年くらい前の話だ。山で一緒に暮らしてたんだけどよ、ある日名前が行方不明になっちまったんだ。皆でいくら探しても見つからなかった。その日はすげー雨が降って川が凄く荒れてて、名前は泳げねェし、流されたんじゃねーかって。」
「……!!」
「泳げないって…まさか、」
「名前も悪魔の実食ってんだ。」
「マジかよ…!」
「何の実なんだ?」
「………え?」
「何よ、そんなキョトンとした顔して…あ、そうか。」
「記憶がないのね。」
記憶がない。自分がその”悪魔の実”とやらを食べているのだとして、それ自体が何か分からない。そう伝えると、皆が唖然とした顔をする。
もしかして、この世界では常識の話なのだろうか…?
「悪魔の実を知らねェのか…」
「おれが出会った時にはもう既に食ってたみたいで、本人も何の実かよくわからねェっつってた。腹が減りすぎてた時に、たまたま見つけたそれ食っただけだからって。」
「そうなのか…」
お腹が減りすぎてその得体の知れない実を食べた…?そもそも、その悪魔の実っていう実は何種類かあるってこと…?
「アラバスタに着いて全て終わったら、一緒に悪魔の実図鑑を見ましょう?もしかしたら何か思い出すかもしれないし。」
何がなんだか分からないことだらけでフリーズした私に、そう言ってビビさんは笑いかけてくれた。優しい。女神のように優しい。
「つーことはつまり、名前は記憶にないけど何らかの実の能力者で、その能力を無意識のうちに発揮してメリーに移動してきちまったっていうことか?」
「それが一番辻褄が合うわね。」
ウソップさんはこれまでの話をまとめ、それにナミさんが同意をする。……なんというか。
「名前ってスゲーんだな」
「ほんとですね…」
「いや、アンタのことだからね?」
チョッパーくんにすごいと言われて、まるで他人事のように同意したらナミさんにツッコまれた。
だけど事実、私本人が一番よくわかっていない気がする。悪魔の実を食べたらなんかの能力者になるっていうことは薄らとわかってきたけれど。能力ってなんだ。
笑い声が聞こえ振り返れば、ルフィさんが笑っていた。
こっちまで嬉しくなってしまう程の笑顔で。
「まァいいじゃねーか!名前とこうして再会出来たし、記憶が今はなくたって、また思い出すだろ!おれが覚えてるしよ!」
「ルフィさん…」
「つーことで、ほら、呼んでみろよ!」
「えっ」
そこは諦めていなかったのか、よっぽど彼はさん付けの敬語が気に食わないらしい。呼ぶまで動かなさそうな姿につい笑ってしまう。そんなにか、と。
「………ルフィ」
「おう!」
また、シシシ!とにっこにこの笑顔で笑ったルフィに釣られて私も笑う。彼は本当に不思議だ。記憶になくても、心のどこかに染み付いているのかもしれない、なんて、そんなことを思った。
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