君さえ


My dear Garnet (twst/ジェイド)


※attention※
・特殊設定ファンタジーパロなジェイド・リーチ夢
・書きたいところだけ書きました
・学園の「が」の字もないです
・色々捏造ご都合主義、幻覚妄想500%、モブの存在
・人身売買、闇オークションネタ、その他非人道的表現有り
・固有名有り個性強め夢主(固有名:アルマ)
・なんでも出てくるのでなんでも許せる方のみ閲覧をお願いします




 ──そこは、酷く暗くて冷たい場所だった。

 記憶と呼ばれるものが鮮明に頭の中に残るようになってからずっと、少女が知覚する世界を染める色は、八割が深い黒の色。がたがたと揺れる場所に沢山の人たちと詰め込まれていたような気もするし、真っ赤な色が視界を覆い尽くしていたような気もするし、痛かったり、苦しかったり、悲しかったりしたような気もする。けれどその感覚はどれもこれもが不鮮明で曖昧で、少女にはもうその記憶のどれが正しくてどれが正しくないのかさえ分からない。
 ただ明確に分かるのは、石造りの壁や床に囲まれたこの部屋が酷く寒いこと、外の世界とこの場所とを隔てる鉄格子の輝きがあんまりにも恐ろしいこと、足首に嵌められた枷が時折肌に擦れて少し痛いこと。ただそれだけ。

 そうしてただ静かに呼吸だけを繰り返しながら虚空を眺めていれば、ふと、鉄格子の向こうから何か音が聞こえた。扉が開いたような音だ。きっと自分を『管理』しているあの男が食事でも持ってきたのだろう。少女は経験則からそう理解して、抱えていた膝に自らの額を押し付ける。あの男が自分に投げかけてくる罵声の意味なんて分からないけれど、それでもあの大きな声が少女は嫌いだったから。
 ──けれど、ふと少女は気付く。石造りの独房の中に響いてくる足音が、『ふたり分』存在していることに。一体誰だろうかと思うけれど、それが自分に何か善いことを齎してくれるなどという期待はもちろん少女には存在しない。そんな期待を抱くために必要な前提さえ、少女には与えられていなかったから。

「──……さか、貴方のような方にまで来ていただけるとは。今日のオークションではそれなりに目玉商品が並ぶ予定ですんでね」
「それは楽しみです」

 聞き覚えのある管理人の声に並ぶのは、少女の全く知らないまだ年若い男の声。それは遠くに聞くだけでも耳あたりが良いと分かるほどに優しく、聞くだけで何となくふわふわとする不思議な響きをしていた。
 足音と共に、その声もまたこちらへと近づいて来る。

「うちではこうして可能な限りひとつの牢屋にひとりを入れるようにしているんです。雑多に入れちまったら、誰が誰に何を吹き込んで反逆を起こすか分かったもんじゃないんでね」

 ランタンの光がオレンジにゆらゆらと揺れて独房を照らす。暗闇に慣れた瞳にはその灯りすら眩しくて、少女は膝に頭を埋めたまま瞼を固く閉ざした。
 かつん、と固い靴底が石畳の床を叩く、どこか気品のある音。

「こいつは今日のオークションの前座で出す予定の奴隷です。まあ御覧の通りやせっぽっちなただのガキなんで、大した労働力にはなりゃしねぇ。愛玩奴隷として売れりゃあ御の字ってところですかね」

 それまでのゴマを擦るような口調はどこへやら、次の瞬間がなるような声で男が少女を呼びつけた。お客様にご挨拶をしろというその言葉に、少女がもちろん逆らえるわけもない。そんなことをすればそのお客様が帰った後に殴られ蹴られの折檻を与えれてしまうことぐらい、手に取るように分かるから。
 一拍の間を置いて少女はゆっくりと立ち上がり、ふらふらとした足取りで鉄格子の傍まで歩み寄った。その手足が、黒く長い髪が橙に照らし出される。
 視線をほんの一瞬だけお客様へ向けて、そしてぺこりと頭を下げて早く牢屋の奥に戻ろうと、──思っていたのだけれど。

「──おや、これは……、」

 随分と高いその背丈に、少女は大きく首を傾ける。頭が後ろに倒れそうになるほどに上を見上げてようやくたどり着いたその先。左右に違う色の宝石を嵌め込んだ双眸と視線が交わった瞬間、少女の身体はまるで石にでもなってしまったかのようにぴたりと動きを止める。少女はその時、生涯で初めて『見惚れる』という経験をしたのだ。

 とても美しいひとだと、直感的にそう思った。

 不思議なその髪色に、知識と経験に乏しい少女は明確な名前をつけることができない。それでも、短く切りそろえられたその髪が揺れる様子に壊れていたはずの心がさざめくのを確かに感じた。
 少女がその男に視線と意識を絡めとられると同時、どうやら男の方も少女に何か思うところがあったらしく、ぱちりとその瞳を瞬かせながら少女をじっと見下ろしていた。考え込むように顎のあたりへとやられた右手には、清潔な白い手袋が嵌められている。まるで見定めるような視線のその鋭さに、ぞわりと少女の身体が小さく震えた。

「どうされたんです?」

 管理人がそんな男の様子に怪訝な声をあげる。すると、男はくすりと腹の底の読めない笑みを浮かべて答えてみせるのだ。

「いえ、……この少女、僕が今ここで買い取ってしまっても構いませんか?」

 突然の男の提案に驚いたのは、管理人だけではなかった。その言葉を目の前に聞いていた少女もまた、長い前髪の奥でその瞳を丸く見開く。

「え、ええ、……そりゃあ構いはしませんが、こんなの買ってどうするってんです?」

 彼が何を目的としてここへやって来たのかは分からないけれど、少なくともオークションの前座としてしか扱われないこんな愛玩奴隷を買い求めに来たわけではないだろうことぐらい、誰だって分かる。そもそも先程の管理人とのやり取りからして、彼は商品の管理方法を見に来ただけでここに入っている商品になど興味がない様子であった。
 一体少女の何が男の琴線に触れたというのか。この場所でその答えを知るのは、当の彼ただひとり。

「ふふ、少し楽しそうなことを思いつきまして」

 にこりと綻んだその瞳に宿る光は妖しくどこか物騒で、弧を描いた唇の向こうにはぎざぎざと尖った鋭い歯が覗いて。少女は自分の未来に対するどうしようもないほどの恐怖を植えつけられる。本能が逃げの一手を繰り出そうとするが、足枷を嵌められ鉄格子の中に閉じ込められた少女に逃げ道なんてありはしない。逃げたところで数日後には路傍の骸となってしまうだろうということぐらい考えずとも分かる。

「どうします? 後日指定の場所まで送り届けましょうか?」
「いえ、このまま連れていきます。見たところ随分大人しいようですし」

 少女に与えられている選択肢は、この世界に生まれ落ちたその瞬間から『諦める』のただ一択だけだったのだ。
 がちゃりと鉄格子の扉が開かれる。その向こうに、橙の光を背後に揺らし佇む男の姿が見えた。優しく微笑むその男は、少女にとっての悪魔か、それとも天使か。

「──さあ、行きましょうか。小さなお姫様」

 その日。その時。その瞬間。賽は世界に投げ捨てられた。


  ***


 かたかたと揺れる馬車の中、久方ぶりに外へと出た少女は小さな身体をさらに小さく縮め、膝に手のひらを固く握りしめていた。そんな少女の向かい側に座っているのは、もちろん少女を買い取ったあの男。整った顔に浮かぶ表情は穏やかで、口調や物腰も確かに丁寧で、世間一般の多くは彼を一目見て「好青年」だと称するのだろう。けれど、そこに底の知れない雰囲気を纏わせた彼という存在に、少女はまだ本能的な恐怖を拭いきれないままでいる。

「……そう警戒されると、少し傷つきますね」

 くすりと微笑みそう言った男は、言葉に反して傷ついた様子などひとかけらも見せていない。
 あの後、少女を買い取った男は少女を連れたままオークションに参加し、さらに何かを落札してからこの帰路についた。彼が一体何を落札したのかを、ぼんやりとしながら彼の隣に座っていた少女は知らない。まあ、きっと自分には関係のないものだろう。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕はジェイド・リーチといいます。貴女のお名前は?」

 ジェイドと名乗った男の問いかけに、少女は口を噤んだまま彼を見据える。その反応をどう捉えたのだろう、ジェイドは瞳だけを少し細めて、再び唇を震わせた。

「言葉はある程度理解できているようですが……話すことはできますか?」

 一秒、二秒、少女はジェイドに視線だけを向けた後、おもむろにその手のひらを喉元へと持ち上げる。そして首筋を晒すように長い髪を避け、頭を傾けて見せた。

「おや、これはこれは……随分と酷いことをしますね」

 白く細い少女の首の右側面に刻まれていたのは、墨のような漆黒で描かれた『まじない』の痕。綻んだ薔薇の形をしたそれは一見美しいタトゥーのようにも見えるけれど、見る者が見ればそのおどろおどろしさにもすぐさま気付くことが出来てしまう。
 少女は誰かの手によって魔法をかけられ、声を奪われていたのだ。

「先程の方は魔法に詳しくはないようでしたし、その前の所持者にかけられたのでしょうか。少し見せてもらえますか? 酷くはしませんので」

 首という動物の急所を誰かに触れさせることには少し抵抗があったけれど、そもそもの問題、少女は既にこの男の『所持品』でしかない。そんな問いかけなどせず好きなように扱えばいいのにと、少女は内心に独り言ちた。
 少女が何の拒絶も示さないことを確認して、男は手袋を脱いだ手のひらを少女へと向ける。首筋に触れたその指先の温度が氷のように冷たくて、少し肩が跳ねた。陶器のように白く滑らかなその肌とも相まって、まるで人間ではないなにかのよう。

「……ふむ、これなら僕にでも解呪できそうですね。少し失礼しますよ」

 手早くその魔法の様子を確認した男は、ひとつ頷いてその指先を少女から離す。そうして胸ポケットから何かを取り出した。大きな透明色の宝石をトップに嵌め込んだペンと思しきそれが一体何なのか、少女にはもちろん分からない。
 宝石の部分を少女へ向けるようにペンを構えた彼は、少女にも聞こえぬほどに小さな声で何かを呟く。──刹那、ふわりと柔らかい風がどこからともなく生まれ落ち、少女の首元を包むように揺れ動いた。
 途端に呼吸がしやすくなった喉元の感覚に、少女は喉元を手で押さえたままぱちぱちと驚きに目を瞬かせる。まるで今までずっと真綿か何かで首を絞めつけられていたかのようだ。いや、きっと正しくそうだったのだろう。

「どうですか? 声は出るようになったでしょうか」

 ジェイドの問いかけに、少女はまた少し瞬きを繰り返して、そうしてゆっくりと唇を震わせる。恐る恐る、もう自分でも忘れてしまった自らの声を思い出すように。

「……あ、ぅ、」

 数年来奪われたままだった声はやはり情けないほどに震え掠れていて、聞くに堪えない様相を呈していた。それでも、確かに少女の声は音として世界にこぼれ落ちてきたのだ。
 あ、あ、と一番に発生しやすい音を繰り返して、少女はその事実を噛みしめる。

「上手くいったようですね、可愛らしい鈴のような声だ。……ただ、やはりしばらくは発声と発話の練習が必要になりますね。他にも貴女には勉強して頂くことが沢山ありますし、ゆっくりとやっていきましょう」

 練習。勉強。彼の言葉を心の中に反芻して、少女は首を傾げる。自分は奴隷として彼に売られ、そして買われた存在。奴隷とは、そんなものを受けていいものだったのだろうか、と。

「……ど、して?」

 掠れた声で、少女は男に問いかける。そうすれば男はそれにまた笑みを浮かべ、言葉を返してくれるのだ。誰かとこうやって会話をするということも、少女にとっては殆ど初めてに近いことだった。だから、……何となく、胸のあたりが落ち着かない。

「それは貴女を買ったことに対してでしょうか。それとも、貴女に教育を与えようとしていることに対してでしょうか」

 その両方だ。その思いを込めて少女は男をじっと見据える。

「そうですね、まあ様々に理由はありますが──ああ、もうすぐ着くようですね。その話についてはアズール、……僕らのボスが帰ってきた時に改めてするとしましょうか」

 がたん、と少し大きな揺れの直後馬車が止まった。先に馬車から降りた彼が、夜の闇と大きな屋敷に灯った眩いほどの灯りをその背に抱いて少女に手のひらを差し伸べる。まるで、どこかのお姫様をエスコートする、王子様か何かのように。
 それに対してどう応えるべきなのか分からない少女が恐る恐るその手のひらに自らの手を重ねれば、彼の手によってその身体がふわりと優しく馬車から降ろされた。踏みしめた石畳の灰色はあの場所のそれと酷く似ていたのに、どうしてか全く違う。恐ろしいほどの無機質さも、冷たさも、そこにはなかった。

「……そういえば、先程は聞き逃してしまいましたが貴女のお名前は?」

 そのまま彼に手を引かれながら、馬車からお屋敷の玄関までの道を歩く。その最中にぽつりとこぼされた彼からの問いかけに、少女は首を左右に振った。まだ声と言葉による情報のやり取りへの意識が薄い少女の姿に眉を下げながら、男はそれでも少女の伝えたい内容を正確に読み取っていく。

「なるほど、名前がないのですか……これから生活していくにも名前はあった方が何かと便利ですし、僭越ながら僕が貴女に名前をご用意しましょう」

 ものとして扱われてきた生涯に、名前なんて大層なものは必要なかった。だから、名前というものは少女にとって非常に縁遠いものに思えて。名前を与えてくれるという彼の言葉も、どこか遠い音に聞こえてしまった。
 けれど、少女の小さな手のひらを包み込む彼の大きな手のひらの感覚も、並び立ち少女の名前について考えるその姿も、少し冷たい夜の空気も、全部全部が確かにそこにあったから。そうかこれは現実なのか、と少女は今更な事実をようやく胸の中に噛み砕いた。

「……そうですね。少し安直かもしれませんが、貴女の瞳はガーネットのようにとても美しいですし、『アルマ』というのはどうでしょうか」

 アルマ。まるで世界最初の雨粒のように少女の心へ落ちてきたその音は、じわりじわりと少女の全てに沁み込んでいく。アルマ、アルマ。網膜を焼く光が、世界が、その色彩が、その瞬間どうしようもないほど鮮やかに色づいて。与えられた名を反芻する度に、彼という存在を構成する全てが、少女『アルマ』には世界の何よりも輝いて見えた。
 息を吸って、吐いた。アルマはその時初めて呼吸というものをした。

「ある、ま、」
「ええ、気に入って頂けましたか?」

 彼の言葉に、ほとんど反射的にアルマは首肯する。
 そんな彼女の様子に笑みを深め満足気な彼は、いつの間にやら辿り着いていたお屋敷の玄関ドアに手をかけた。重厚な造りの扉は、まるでその向こうは異世界へ繋がっているのではないかというファンタジックな幻想まで生み出してしまう。

 開かれたドアの向こうから、さらに眩しい光がアルマの網膜を焼いた。

「さあ、今日からはここが貴女の『家』です。──おかえりなさい、アルマ」

 その言葉への正しい答え方を、アルマはまだ知らない。
 ここには暗く冷たい闇も、鉄格子も、足枷もない。あるのは与えられた名前と、自由になった声と、そうして身体。その事実を噛みしめて、アルマはその光の中へと足を踏み入れた。

 そしてその日、ひとりの少女が世界に生まれ落ちた。


  ***


「よく似合っていますよ、アルマ」

 ふわりと膨らんだスカートの丈を握りしめ居心地が悪そうに立ち尽くすアルマに、ジェイドからの称賛が飛ばされる。きれいに整えられた黒髪と白い肌、そして血をこぼしたような赤い瞳に、黒を基調としポイントに赤を取り入れたそのワンピースは確かによく似合っていた。けれど、こんなにもしっかりとした上品な服を着た経験などないアルマには全てが重く感じられて。眉を下げ、助けを求めるようにジェイドを見上げたアルマへ、彼はくすくすとおかしそうに笑みをこぼした。
 屋敷に帰ってきたジェイドが真っ先に行ったことは、アルマを風呂に入れて身なりを整えさせること。それまでのアルマは襤褸切れのような服を体に引っ掛け、伸ばしっぱなしの髪をぼさぼさに振り乱した中々に小汚い姿をしていたためだ。
 しかし元々の素材は悪くなかったため、風呂に入って髪を整え、ちゃんとした服を身に纏えば、それだけでこうして可愛らしいお嬢さんが誕生したという訳だ。
 きっと、彼女は磨けば磨くほどに光る宝石の原石。
 それを確信して、ジェイドはさらにその笑みを深めた。

「さて、アルマ。もうすぐアズールが帰ってくるはずなので、彼のところへご挨拶にいきましょう。安心してください。少し怖い方ですが、取って食われはしないので」

 本当に安心していいのか判断がつきかねる中、外から聞こえてきたのは馬車が屋敷の前に辿り着いたらしい音。どうやら噂をすればその『アズール』という人が丁度帰ってきたらしい。
 それを理解して、アルマは少し緊張に身を固める。ジェイドの口振りに、そのひとが自分の主人であるジェイドやこの屋敷にとってかなり大きな存在であることはアルマにも理解出来たから。
 既にジェイドという存在への思いが強くなっているアルマにとって、ジェイドから引き剥がされるという未来は酷く恐ろしいものだった。

 きっと『アズール』が言えば、ジェイドは容易くアルマを手放してしまうだろう。何故なら元々、アルマがジェイドへ齎すことのできる利益などゼロに近いのだから。その事実をひしひしと感じて、アルマはさらに身体を縮める。

 そんなアルマの様子を見下ろすジェイドは、何か考えるように口元へと手をやっていた。そうして、いいことを思いついたとでも言いたげににっこりと笑みを深める。俯いたままの視線ではそんな彼の様子など見られるはずもないアルマは、もちろん完全に油断しきった状態。
 そんな彼女の身体を、ジェイドは背後からひょいと持ち上げた。
 突然のことに悲鳴も上げられぬまま固まったアルマは、目を見開いたまま彼の腕に抱きかかえられる。親が子供を抱きかかえる時がごとく彼の腕に座らされたアルマの目の前には、今までにないほど近い距離で輝く彼の瞳と、微笑んだ彼の表情が。

「そんなに緊張しないで。ほら、お出迎えに行きましょう」

 ようやく状況を理解し下ろしてくれと彼の肩を叩くアルマのことなど知らぬふりをして、ジェイドはそのまま玄関ロビーの方へと歩き始める。立場的にもそう派手な抵抗をすることなどできないアルマは、釈然としない表情を噛みしめながらも彼にされるがままでいることしかできない。きらきらと照明に輝く彼の髪先が眩しくて、ゆらゆらと揺れる爪先が覚束なくて、アルマはぎゅうと唇を噛みしめた。
 
 そうして辿り着いた玄関ロビーにはまだ誰の姿もない。時折屋敷の中に見かけた頭に何か変なものを生やした使用人らしき人たちの姿も、ここには見当たらなかった。
 ジェイドに抱きかかえられたまま、玄関ロビーで家主の帰りを待つ。
 ふたりが玄関ロビーに足を踏み入れてからドアが開かれるまで、そう時間はかからなかった。がちゃ、と大きな音を立てて少し乱雑に叩き開けられたドアの向こうから、誰かが明るいロビーの中へと足を踏み入れる。

「あ〜〜〜、つっかれたぁ〜〜〜!」

 駄々をこねる子供のような声が鼓膜を叩くとほぼ同時に、アルマの視界に映り込んだその姿。刹那、アルマは困惑に首を傾げることとなる。
 玄関ドアから今しがた入ってきた男と、そして今自分を抱き上げている男との間に視線を行き来させる。丸く見開かれたその瞳に映るのは、同じ色、同じ形、同じ顔。アルマの主人であるジェイドと全くうり二つな姿をもった男が、そこにいたのだ。

「おかえりなさい、フロイド」
「たっだいまぁ‥‥‥って、ジェイドぉ、それなに?」

 アルマの困惑もよそに、男たちの間では会話が交わされる。
 フロイドと呼ばれたその男は気怠そうに頭をもたげてジェイドを視界に映し、そしてぱちりとその瞳を瞬かせるのだ。その指先で、アルマの姿を指差しながら。

「こらフロイド、ひとを指差してはいけませんと言ったでしょう」
「いやそんなお説教今求めてねーから。何だよそのガキ。あ、まさかユーカイってやつ?」
「誘拐だなんて人聞きの悪い。そうですねぇ、……実はこの子、僕の隠し子なんですよ」
「ハイハイ嘘嘘。そういう冗談も求めてねーからさぁ」

 ぽんぽんとリズムよく交わされるその会話に、ジェイドとフロイドとがかなり近しい関係にあるのだということをアルマも理解する。家族、なのだろうか。小さく首を傾げたアルマに、ようやくジェイドから説明という名の助け舟が出された。

「アルマ、彼はフロイド。僕の双子の兄弟です」
「きょう、だい」
「オレへの説明はねーわけぇ? ……てかさぁ、そいつ──」

「──貴方たち、玄関で何を騒いでいるんですか」

 フロイドの言葉を遮るように、また違う誰かの声が玄関ロビーへ落とされた。
 それに視線を向ければ、アルマの視界に藍を少し混ぜた銀灰の色が瞬く。ジェイドやフロイドと揃いのスーツに丈の長いコートを羽織ったその男は、杖を手に持ちかつかつと革靴を鳴らしながらこの空間へと足を踏み入れていた。
 理知的な眼鏡の向こうに輝く瞳は呆れたとでも言いたげな表情を描いていて、顰められた眉とも相まってかなり不機嫌な様子が見て取れる。

「おや、おかえりなさいアズール。お待ちしておりましたよ」
「なあアズールぅ、ジェイドがまた変なの連れてきてんだけどぉ」

 フロイドの言葉にアズールの表情がさらに険しくなり、睨みつけるような勢いでジェイドへとその視線を向ける。つまりそれはアルマへも向けられることになり、あまりの迫力に思わずアルマの身体がびくりと震えた。
 しかし、その主な対象となったジェイドはといえばどこ吹く風。けろりと変わらぬ表情でアズールに微笑みかけている。

「ジェイド、今日僕は貴方に商品の仕入れを頼んでいたはずですが……?」
「ええ、はい。そちらは無事に終わりましたよ。商品の方は指定の場所に運んでいます」
「それは結構。で、『それ』は一体?」

 アズールと呼ばれた男の視線が鋭くアルマを射抜く。値踏みされているような感覚に居心地が悪くなって、アルマはジェイドに擦り寄るように身体を揺らした。

「ふふ、可愛らしいでしょう。珍しいと思ってつい連れて帰ってしまいました」
「珍しい……? 僕にはただの少女にしか見せません、が、……」

 細められたアズールの瞳が、言葉が細切れになっていくと同時に丸く見開かれていく。その変化の意味などもちろん分からないアルマは、一体彼は如何したのだとジェイドへ問いかけるような視線を向ける。
 その視線の先で微笑んだジェイドは、予想通りとでも言いたげな様子で唇を開いた。

「お分かり頂けましたか?」
「……ええ、はい。僕も実物を見るのは初めてなので気づくのに時間がかかってしまいましたが、これは確かに珍しい」
「オレもパッと見じゃ全然分かんなかった〜〜〜こんなにただの『人間』っぽいんだねぇ。まだ子どもだから?」
「それもあるかもしれませんね。本人も自分が『何か』を知らないようですし。まあ、おかげで愛玩奴隷程度の安値で彼女を購入できたわけですが」

 きらり。三対の瞳がそれぞれに輝いた。訳も分からず首を傾げるひとりの少女を囲んで、まるで『面白いものを見つけた』とでも言いたげに。
 不機嫌を纏っていたアズールの表情が、ゆるりと笑みに変わる。温かくはない、どこか冷たい色を宿した笑い方だ。

「……それを育てるつもりですか?」
「ええ。それなりに利用価値はあると思いますし、──それに、面白そうでしょう?」

 ジェイドの手のひらが、アルマのまだ柔くまろい頬を優しく撫でていく。一見すれば父親が娘を愛でているかのようなその指先も、アルマにはまるで鋭いナイフを突きつけられているかのような錯覚を及ぼして。
 ぞわり、と背筋が波立った。
 左右で色の違う瞳がゆるりと弧を描き、そこにアルマの姿を映し出す。

「──『人魚』が『ダンピール』の子どもを育てるなんて」


  ***


『ダンピール』とは、吸血鬼と人間の混血として生まれた存在のことである。

 そもそもで吸血鬼の数自体が少なく、吸血鬼と人間の間に子が生まれる可能性も極めて低い。そのうえダンピールは生まれてもすぐに死んでしまうことが多く、その数は吸血鬼以上に少ないと言われている。
 そのためダンピールについての文献や記録も限られており、ダンピールの存在を知らないというのもそうおかしなことではないほどだ。
 知られているのは、普通の人間とそう変わらない外見をしていること、吸血鬼を探知する能力を備えていること、──そして、その瞳は血をこぼしたような赤い色を宿していること。ただそれだけ。
 その希少性や未知数な生態によって『幸福を運ぶ存在』やら『災いの象徴』やらと一部から好き勝手に噂されているらしいが、恐らくそこに大した意味はない。人間とはそういう『不可解』に何かと適当な理由や意味を付けたがるものだから。
 用意した部屋のベッドの上で居心地が悪そうに丸くなって眠るアルマの寝顔を見つめながら、ジェイドはその存在について考える。
 彼が彼女の本質に気が付いたのは、本当に偶然のことだった。
 ランタンの僅かな橙の中に輝いた赤い色。まるで宝石のように光を乱反射させるその色彩自体は、特段珍しいものでは無かった。ジェイドの知り合いの中にも、赤い瞳を持った人間はいる。──けれど、違うと思った。それを視界に映した瞬間、ほとんど直感的に『これは違う』と思った。
 人間に近いけれど、決して人間ではない、そんな存在。曖昧で、不安定で、だからこそ美しいそんな命。──それに、世界は『ダンピール』という名前をつけた。
 きっと『ダンピール』という名を付けて売り出せば、世界のありとあらゆる方向から彼女へ多額の金額が積まれることになるだろう。それぐらい、彼女という存在には価値がある。あのオークションの管理人は随分と惜しいことをしたものだと、ジェイドは夜の闇の中にうっそりと微笑んだ。
 まだ幼いこの少女は、このダンピールは、これから一体どんな世界を自分に魅せてくれるのだろう。

「──楽しい日々を過ごしましょうね、アルマ」

 自らが名付けた彼女の名前を口にして、男は少女に見えない『呪い』をかける。
 哀れな少女は気付かない。男によって嵌められた新たな足枷に。

 ──それが、全ての始まりだった。


  ***


以下こんな展開があったらいいな、なダイジェスト
と簡単な設定


「今、うちはちょっと厄介なヴァンパイア退治に携わっていてな。──そこで、そのダンピールの少女を借り受けたいと思っているんだ」
「とはいえ、この子が今どの程度ダンピールとしての力を持っているかも僕には分かりませんしねぇ」
「……まあいいでしょう、そちらの団長さんに貸しを作るのも悪くない」
「アズール、アルマの教育係は僕ですよ?」
「この屋敷の全ては僕の手札です。貴方も分かっているでしょう? ジェイド」
「──さあ、契約しましょうか。ハーツラビュルの騎士様?」

 国の騎士団をしているハーツラビュルとヴァンパイア退治に向かったり、

「随分と珍しいもんを飼ってるじゃねぇか」
「……あれぇ? 君もしかしてアズールくんとこにいた子じゃないっすか?」
「ちゃーんと帰してあげますって。これでジェイドくんたちに恩売れるっすかねぇ」

 屋敷で第2王子と顔を合わせたかと思いきや街中で誘拐されてスラム街に連れていかれたところをラギーくんに助けられたり、

「なあジャミル! こいつ連れて帰っていいか!?」
「ダメに決まってるだろう! 元居たところに返してこい!!」

 大富豪とわちゃついたり、

「違う、これじゃない! この子の白い肌には明るい色より暗い色よ!!」
 ヴィル様の着せ替え人形になったり、

「ダンピールとかラノベあるあるキタコレ。は〜なるほどねぇ人魚とダンピールのおにロリってやつですか、はいはいはいはい把握しましたその薄い本どこにあります?」

 何かのパーティーでイデア先輩となんやかんやあったり、

「──おや、迷い子か」
「ふむ、ダンピールとは随分と珍しいな。わしも久しく見ておらなんだわ」

 ディアソムニアと邂逅してドタバタしたり、


「絶対に無理はしないように。いいですね?」
「アルマももう立派なレディですね。僕も教育係として嬉しいです」
「それでは、一曲お相手願えますか?」
「……心配しましたよ。無事で、本当に良かった」
「──血が、飲みたいのですか?」

「帰りましょう、アルマ」

 まあでも最後はジェイドといちゃいちゃらぶらぶほのぼのしてほしい(大の字)
 気がついたらかなり親馬鹿になってるジェイドが欲しいです(願望)

 ダンピールは吸血鬼より短命だけど人間よりは長命、人魚は吸血鬼と同じぐらいの長命という設定。ある程度の年齢までは人間と同じ成長発達をするので、アルマもそのうちジェイドと同じ見た目年齢にまで成長します。そこからが楽しい。楽しすぎて思考回路が破裂し世界観とかの設定にまで頭が回らなかったのでここまで。


アルマ
・ダンピールの少女
・現在の見た目年齢は10歳ぐらい
・黒髪、赤い瞳、白い肌
・親に捨てられ奴隷商人やらを転々としてきたが、その間彼女がダンピールだと気付く人はいなかった
・彼女自身もまだ自分についてよく知らない
・ジェイドに依存気味(これからがっつり依存していく(確信))


そんな話が読みたい人生だったんです。
以上

2020/6/6

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