君さえ


誰かの夢見た未来のお話(ED後捏造/恋愛ルートif)


※公式時間軸より数年後を想定、微成長if有り


「お〜い、アルベド〜! いるか〜?」

 今となってはもう随分と歩き慣れた雪山を進むこと十数分。山肌に崩れ落ちた橋を越えた先にぽっかりと口を開けた洞窟。そこに彼の研究拠点は設けられている。
 歩き慣れたとは言いつつも、テイワット中を旅し続けている旅人とパイモンのふたりがここに足を踏み入れたのは、もう数カ月ぶりのこと。モンド城で顔を合わせたティマイオスから彼が今もまだここで研究を続けていると聞き、久しぶりに顔を見たいからと足を運んできたのだ。
 洞窟の中を覗き見れば、探し人の姿はすぐさま見つかった。最奥に設置されたボードの前に立ち何やら考え込んでいた様子の彼が、よく響き渡るパイモンの声にその肩を微かに震わせる。以前見た時よりもいくらか伸びたらしい象牙の髪先を揺らしながら、彼はゆったりとした動作でこちらを振り返った。

「おや、旅人にパイモン。久しぶりだね」
「おう! 研究は順調か?」

 先ほどの様子からてっきり研究が忙しいのだろうと思っていたのだが、パイモンとの他愛のない会話に興じるところを見ると、どうやらそういうわけではなかったらしい。丁度今は研究がひと段落してね、と話す彼に、ならば先ほど考えていたのは次の研究についてだろうかと問いかける。すると彼は、その問いかけへの答えに迷うように口を噤んだ。さらにはその表情もたちまち困り切ったそれに変わるのだから、何かがあったのだろうということは即座に理解させられる。

「一体何があったんだ……?」

 彼がこんなにも困っているなんて、きっとただごとではない。直感的にそう理解した旅人たちは、ひとまず話を聞いてみようと彼にそう問いかけた。

「……実は……最近、どうにもニグレドに避けられてしまっていてね」

 返ってきた彼のその声は、どこか彼らしくもない弱々しさを孕んでいて。彼が随分とその現状に参ってしまっているのだということが痛々しいほどに理解させられる。

「ニグレドって……おまえの姉弟子さんのことだよな?」
「ああ」
「確か、この前会った時は普通に仲良さそうにしていたよな?」

 パイモンのその言葉に同意する様に旅人も頭を振る。アルベドの手によって数年に渡る長い眠りからようやく目覚めたニグレドと、彼女の弟弟子である彼。そんなふたりが本当の姉弟のように和気あいあいと過ごしている姿を、旅人たちもしっかりとこの目にしているのだ。
 それほど長い付き合いではなくとも、アルベドに接する彼女の言動を見れば、彼女がアルベドのことを並々ならぬほど大切にしているということぐらいは明確に分かった。そしてまた、アルベドが彼女に向ける視線からも同様に。
 つまり何が言いたいのかといえば、旅人たちには、彼女がアルベドを避けているという事実がどうにも理解しがたいのだ。まあ恐らく、それは彼にとっても同じことで、だからこそ彼もここまで弱り切ってしまっているのだろうけれど。

「うーん……おまえ、彼女に何かしたのか?」
「……これといって彼女を怒らせてしまうようなことをした覚えはない、……かな。彼女の方も、ボクを避けるようになる直前まで特に変わった様子はなかったはずだよ」
「そうかぁ……ううん、じゃあとりあえず、ここ最近であったことを一つずつ挙げていこうぜ! そうしたら何か分かることがあるかもしれない」

 パイモンの提案に、アルベドもそうだねと素直に頷きを落とす。そうして顎に手を当て、これまでの記憶を思い出すようにパライバトルマリンの瞳を伏せた。
 彼が瞬きを落とすたびに、その瞳を飾った長い睫毛が揺れる。その様を眺めながら、旅人とパイモンは彼の言葉を待った。

「──ああ、そうだ。確か、しばらく前に彼女に『好きだ』と伝えたのだけれど……」
「よし、ちょっとストップだ‼」

 とはいえ、まさかそんな爆弾が落とされるだなんて思ってはいなかったので。元気いっぱいに彼の言葉へ待ったをかけたパイモンに、旅人はもちろん全面的に賛同の姿勢だ。

「どうしたんだい?」
「ううん、うーん、うん、うーーーん……ひとまず聞くんだけど……その時、ニグレドは何て答えたんだ?」

 頭を抱えて唸り声をあげるパイモンと、その姿を見て首を傾げるアルベド。そしてそんなふたりの間に佇む旅人。それは傍から見ればなんともカオスな空間だったことだろう。
 歯切れの悪いその問いかけに、アルベドは少しばかり目を瞬かせた。けれどその表情もすぐさま困り顔に変わり、どこか哀愁を帯びた声で答えを紡ぐ。

「ニグレド? ……『私もだよ』、とあっさり答えられて終わったよ」
「確認なんだけど……、アルベドのその『好き』っていうのは……」
「ああ、そうだよ。もちろん彼女と同じ意味のそれでもあるけれど、その時の言葉にはそれ以上の想いを込めて伝えた。……まあ、そんな返答をされることも何となく予想はしていたからね。それほどショックではなかったし、それ以上食い下がることもしなかったよ」
「そうか……」

 きっと、ニグレドにとってアルベドはどこまでも「大切な弟弟子」なのだろう。それ以上でもそれ以下でもない、唯一無二。それはアルベドにとって何よりも嬉しいことであると同時に、今は何よりも苦しいことだった。
 つい数カ月前までは彼女がただ目覚めてくれさえすれば、また笑ってくれさえすればそれでよかったはずだというのに。自分の隣にいてくれたならば、ただそれだけでよかったはずだというのに。どうやらこの「恋」なんて呼ばれる感情は、どこまでも強欲な温度をしているらしい。
 今まで通りにただひたすら純粋な「愛」だけで彼女を想えたならば、一体どれほどよかったことだろう。そんな考えが胸中にあふれ、口元に自嘲の笑みがこぼれた。

「……とはいえ、それは彼女から避けられるようになってしまうよりもさらに数週間前のことだ。その後彼女の様子が変わったということもなかったことだし……、それが原因とするのは少し不自然な気がするのだけれど」
「うーん、いや、そうでもないんじゃないか?」

 予想外のパイモンの言葉に、アルベドがその目を丸く見開いた。

「どういうことだい?」
「いや、だってそれって……」

 旅人は何とはなくパイモンの言わんとするところが分かり、隣で小さく頷きを落とす。原因と結果は、必ずしも密接に隣接しているものではない。

「アルベドのその言葉を聞いてから、ニグレドが少しずつアルベドを『恋愛対象』として意識するようになった。だから、それに困惑しておまえを避けるようになった……とも考えられないか?」

 ぎりぎりになるまでその違和感にアルベドが気づけなかったのは、彼女が丁寧にそれを隠し通していたから。彼女本人に確かめるまでそれはあくまで推測の域をでないけれど、今ある情報をかき集めればそれが一番の理由であるように思えた。
 彼自身、もうニグレドからのそういった種類の想いが自らに向くことはないと諦めきってしまっていた部分があるのだろう。だからこそ、その可能性に至らなかった。ぱちぱちと目から鱗をこぼすかのように瞬きを続けるアルベドの姿に、旅人とパイモンは目を見合わせて小さく笑った。
 相変わらずどこか浮世離れした雰囲気を纏った彼ではあるけれど、こうして「恋」という感情、ひいては「ニグレド」という存在に振り回されている姿はあまりにも人間味に満ち満ちたもの。ニグレドを捕まえて一度ちゃんと話し合ってみろよ、というパイモンの言葉に、アルベドは言葉もなくただ頷きだけを返した。


  ***


 咄嗟に捕まえたその手首が想像以上に華奢な輪郭をしていて、アルベドは衝撃に思わず身を固めてしまった。とはいえ、その手首の向こうに自らのこの行動によって驚いている存在がいるのだから、思考停止などしてはいられない。慌てて視線をその人へと向ければ、自分の顎ほどの高さにある双眸が、丸く見開かれてこちらを見つめていた。
 空と海を溶かしたような瞳。それが我ながら的を射た表現であったのだということを、地上に上がって初めて本物の海を見た時にアルベドは理解した。
 言葉もなく見つめ合うこと数秒。瞬きも覚束ない彼女の瞳が今にもこぼれ落ちてしまいそうで、乾ききってしまいそうで。早く言葉を紡がなければと、急いた気持ちに唇が開かれる。

「……最近、避けているよね。ボクのことを」
「……なんのこと、かな」

 小さく呑まれたニグレドの息が、逃げるように逸らされた視線が、あまりにも雄弁に語っていた。彼女が意図してアルベドを避けていたのだということを。
 分かりきっていたはずのその事実に、けれどもやはり悲しさは募るもので。しかしつい数時間前の旅人たちとの会話を思い出せば、その悲しみもあっという間に他の感情へと塗り替えられてしまって。なんとも忙しない自らの感情を、アルベドは必死に噛みしめた。

「ねえ、ニグレド。――これだけは教えて欲しい」

 ひとつ静かに息を吸い、可能な限りの真剣さを帯びた声でそう紡ぐ。向こうの視線がそらされてもなお、アルベドの視線は真っすぐに彼女を見据えたまま。きっと、見てはいなくても彼女は彼のその視線に気づいているのだろう。彼のその表情に、気付いているのだろう。
 小さく震えたその肩に少しの申し訳なさを覚えながらも、今はそれらの全てを無視してしまうことにした。彼女は隠しごとが上手で、こちらが意図して踏み込んでやらなければ決してそれを明かそうとはしてくれない。そのことをアルベドは痛いほどに理解していたから。

「ボクのことを、嫌いになってしまったのかい?」

 言葉にするだけで胸が痛くなった。針で刺されているような、酸に侵されているような、縄で締め付けられているような、そんな苦痛に襲われる。
 言いたくなどなかった。そして同時に、聞きたくもなかった。


「――っ、そんなわけないだろう!!」


 だからこそ、噛みつくように彼女がそう応えてくれた時、心底ほっとしたのだ。もちろん、彼女が自らを嫌いになるなんてことはあり得ないとアルベド自身よく理解していたのだけれど、口にしてもらわなければどうしたって不安というものは募ってしまう。
 声と同時に持ち上げられた彼女の視線が、ぱちりとアルベドの瞳を射抜いた。その表情があまりにも悲しげで苦しげなものだったから、アルベドはその胸に罪悪感を巣食わせることとなる。それでもその裏には嬉しさが滲んでいるのだから、やはり感情というものはどうにもままならない。そんなアンビバレンスにも、今となってはもう随分慣れ切ってしまっているのだけれど。
 またしても沈黙が落ちる。唇を噛みしめてどこか悔しそうに顔を顰めた彼女は、どうやらその先に紡ぐべき言葉を躊躇しているらしい。それを理解した途端、アルベドの心臓がどくどくと慌てたように歩調を速めた。一体何に対してそんなにも逸っているのかは分からないけれど、それでも、

 ――聞きたいと、思った。
 彼女の言葉を、聞きたいと。

 彼女の手首を握る手へ、ほんのわずかに力を籠めた。温かいその肌を間違えても壊してはしまわぬようにと最大限力を制御しながら。

「だって、君が……」
「ボクが?」

 絞り出すようなその声をひとかけらも聞き逃してはたまるものかと、アルベドはほんのわずかに背を屈めて彼女へと顔を寄せた。すると彼女はそんなアルベドから距離をとるように再びかんばせを地面へと向ける。さらにはその足も一歩後ずさろうとするのだけれど、それはアルベドの戒めによって叶いはしなかった。

「君が、……君が!」

 必死に言葉を探し何かを訴えようとするその声へ、アルベドは静かに耳を傾けた。その先に続く言葉が何であれ、彼女から与えられるものならば全て余さず受け止めたいと思ったから。


「――っ君が、あんな表情で、あんなことを言うから……」


 重力に従って下へ下へと流れるその黒髪の隙間から、彼女の耳が覗いている。そこに少しばかりの赤が滲んだように見えたのは、アルベドの単なる気のせいだろうか。それとも、……それとも。

「これまで必死に気にしないようにしていたのに。以前よりさらに君の背が伸びたことにも、君の声が低くなっていることにも、君の手が大きくなったことにも、……君が、もう、私が庇護するべき『子ども』じゃなくなってしまったことにも」

 ニグレドと「おやすみ」を言い合ったあの時、確かにまだアルベドの外見は今よりもずっとずっと幼く、彼女と並べば姉弟以外に見られることは全くと言っていいほどに無かった。けれど今となっては、ふたりの外見年齢はほぼ同じか、いっそアルベドの方が少し上かというほどのそれであって。

「……そんな君に対して姉や保護者としての感情以外の何かが芽生え始めてしまっていることにも、必死に気づかないふりをしていたのに……」

 知らないふりをしていたのに。あり得ないと、そんなのおかしいと、そう掃き捨てていたのに。
 それなのに。君が。

 感情に震え始めた彼女の声がアルベドの耳朶をくすぐる。不謹慎だと分かりながらも、今はただただどうしようもなく、彼女のその表情を見たかった。
 空いた片手を彼女の頬へと伸ばす。ゆっくりと、ゆっくりと、繊細な雪細工に触れる時よりもいっそう優しい動作で。
 その指先が彼女に拒絶されることはなかった。手袋の布越しにも分かるほど彼女のその頬は熱を帯びていて。ああどうして先に手袋を外しておかなかったのだろうかと、少しばかりの後悔が胸を食んだ。
 けれど、それにばかりかかずらってはいられない。その指先で促すように彼女のかんばせを上へと導いてやれば、予想外にも抵抗なく彼女は視線を持ち上げてくれて。

「……一体、どうしてくれるつもりなんだい?」

 じわりと涙を滲ませた瞳が、睨みつけるようにアルベドを見据えている。こんな感情、知りたくなかった、気付きたくなかったと言葉もなく訴えられているような気がした。けれどその頬は熟れ切った林檎のように真っ赤に染まっているのだから、険しい表情をされたとて恐ろしさなど微塵も感じられはしない。
 罪悪感の甘さが、歓喜の苦みが、アルベドの心に満ち満ちていく。申し訳ないという感情を言動に少しでも覗かせてやるべきだったのだろうけれど、今のアルベドには、その感情に急き立てられるまま彼女の身体を腕の中に閉じ込めることしかできはしなかった。


2021/4/3


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