君さえ


10


『──だからね、暫くの間ユエのことをハートの海賊団にお願いしたいの』

 紡がれた言葉の意味を理解することに、数秒の時間を要してしまった。見開かれたユエの瞳には、驚愕と困惑が溢れている。

「え、……ま、まってマザー! それは……!」
「分かった、引き受ける」

 ユエの主張を抑えつけるように、ローが無断でアデリアの頼みに頷いてしまった。それにまたユエは焦る。どうして、と。

『ありがとう。助かるわ』
「まってまって、私を無視しないで。だって私がいないとジークリンデは……」

 ジークリンデ海賊団は、たった20名ほどしか船員のいない女系の一団だ。医療活動を生業とする彼女らは、各々自衛の手段を持っているとはいえ、大人数で攻め立てられたり能力者に目を付けられたりしてしまえばひとたまりもない。海賊団での戦闘は、専ら能力者でありそれなりに戦闘能力も高いユエの仕事なのだ。
 だから今までも、ユエが船を離れるのはジークリンデ海賊団がどこかの国に停泊し安全が確保できた時だけだった。
 今もジークリンデ海賊団は島にこそ停泊はしているが、そこで滞在している国があまりにも危うく危なすぎる。本当ならばユエは今も彼女らの傍にいるはずだったのだ。かといって、流石に命を失っては元も子もないため今回はそれを考える余裕もなく逃げ出したのだが。
 ともかく、今回の一件はジークリンデ海賊団にとって異例中の異例であり、それゆえにユエは少しでも早く彼女たちのもとへ戻りたかった。戻らなくてはいけなかった。

『大丈夫よ、心配しないで』

 けれど、そんなユエの焦りなど気にした様子もなく彼女は電伝虫の向こうで微笑んだ。

『少し事情が複雑だから説明は割愛するけれど、今私たちはこの国の兵士たちに守ってもらっているの。彼らも王族には飽き飽きしていたみたいでね、革命の準備を進めているそうよ。それに便乗して私たちも行動しているの。……だから、私たちは大丈夫』

 ちゃんと迎えに行くから、それまで待っていて。
 まるで幼い子供に言い聞かせる母親のような声で紡がれたアデリアの言葉に、喉元まで溢れてきた感情をなんとか飲み込んで、ユエは小さく頷いた。

「……分かったよ、マザー」

 そうして、そのままの勢いでローの方へと身体を向け、ベッドの上に座ったまま頭を深く下げる。少しだけ腹部の傷がひきつったけれど、些細なことだ。

「───すみません、トラファルガーさん。暫くお世話になります」

 そうすれば頭上から落とされたのは、言葉ではなく深いため息。その直後に、ぽんと頭に乗せられたのは大きな手のひら。紛うことなく、優しい優しい彼の体温だった。

「ああ」

 短いその返事を彩る音も、やはりどうしようもなく柔らかくて。どうして自分の回りにはこんなにも優しい人ばかりなのだろうかと、ユエは緩みそうになる涙腺を押し殺した。

『ふふ。ありがとう、ハートの坊や。その子は料理も掃除もなんでも出来るから、そっちでも働かせてあげて。なんて、ユエのことだから私が言うまでもないだろうけれど』
「……全快してからの話だ」
『ええ、それはそうね。あなたのことだから心配はしていないわ』

 くすくすと笑うアデリアの声に、ローは居心地が悪そうに眉間に皺を寄せた。


『改めて、ユエをよろしくお願いします。ハートの海賊団さん』


 それじゃあ、また連絡するわ。お大事にね、ユエ。
 その言葉を最後に、アデリアとの通話は終わった。全く、どこまでも母親気取りなのだから。娘として扱われることが満更でもないのも事実ではあるけれど。
 だらしなく持ち上がってしまう口角を隠し切れずに、ユエはローへと向き直った。

「なんというか、どこまでも巻き込んでしまってすみません……」
「お前ひとり抱え込む程度、何の損害も弊害もおれたちにはない。ただし全快したら十分にこき使ってやるからな」

 本当に、なんでこんなにも優しいひとが冷酷非道な死の外科医なんて謳われているのだろうか。まあきっとそれも正しく彼の一面ではあるのだろうけれど、ユエにとってのトラファルガー・ローというひとは、今ここでこうして酷く優しい笑みを浮かべている彼に他ならないのだ。


「……だから、さっさと治せよ」


 不器用な言動も、仏頂面も、全てが全て彼と言う存在を形作るもの。
 そんなの、愛さずにはいられないだろう。


「はい!」


 能力者の居候をその船に乗せて、ハートの海賊団はまた海を行く。
 船を包む空も、海も、まるでその航路を祝うように穏やかに凪いでいた。


 今は、まだ。



2019.10.27

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