君さえ


居住環境を整えましょう


 ふわりと意識が浮上して、閉じたまぶたの向こうからじんわりと感じる優しい光に朝が来たのだと悟る。ぱち、と目を開けばやはり世界は朝の光に包まれていて、私はゆっくりと頭を起こしその場でひとつ伸びをした。
 ふわふわと柔らかいシーツの上で視線を周囲へぐるりと巡らせた私はふと気づく。隣に彼がいないことに。そして、部屋の中のどこにも彼の姿が見当たらないことに。
 慌てて飛び起きた私は、ベッドから降りて部屋の中をうろうろと歩き回る。彼は一体どこに行ってしまったのだろうか。バスルームの方にも行ってみたが、やはりそこにも彼はいない。
 もしかしたらもうどこかへ出掛けてしまったのかもしれない。彼にも用事はあるだろうし仕方ないとは分かりつつも、耳が地面を向くのを抑えられない。

 せめて彼を見送りたかったなぁ。

 そんなことを考えながら、私はベッドから飛び降りて再び前足を前に出しぐいぐいと体を伸ばす。そして毛繕いをしようと頭をもたげた、その時だった。

「!」

 感度の良い耳が拾った音に、私跳ねるように立ち上がり出入口へと走った。聞こえたのは彼の足音。もうこの音は覚えたから、きっとどれだけ遠くても私はこれを聞き分けられるだろう。
 扉のそばでうろうろと彼が帰ってくるのを待つ。

「……お、っと……もう。そんな所にいたら蹴飛ばしてしまうって言っただろう?」

 扉が開いて、待ちわびた彼の姿が見えて、私は素早く彼の足元に擦り寄った。そうすれば彼も私の存在に気づいて目を丸くしたあと、眉を下げながら困ったように笑うのだ。

「おはよう、ティナ。気分はどう?」

 気分はいいけど目が覚めた時にあなたがいなかったから少し寂しかったです、という気持ちを込めて私はにゃあと鳴く。

「君が起きるまで待っていなかったから怒ってる? ごめんごめん、ちょっとここの主の所に行っていたんだ」

 彼は私を抱き上げて顎を撫でながらそう言った。だいたいあっているけど、怒ってはいないんだよなぁ。まあいいや。私は気にしていないですよと彼の手にぐりぐりと頭を押し付ける。

「ここの持ち主は一応主だからね。君をここに住まわせていいかを聞いてきたんだ。結果はふたつ返事で『可』だったけど」

 確かに猫を飼うとなるとにおいやゴミや引っかき傷などがどうしても家屋に影響を及ぼしてしまう。家主に確認を取るのは正しい判断だと言えるだろう。彼に手間をかけてしまったことを少し申し訳なく思うが、ここにいてもいいと家主の方にも許可を貰えたことに安堵する。

「まあ許可なんて貰えなくたって君を放り出すなんてことはしないけどね」

 あなたにそう言って貰えるだけで、私はどうしようもないほどに幸せものだ。
 嬉しくて嬉しくて、私は彼の頬に擦り寄った。

「ふふ、くすぐったいよティナ。……ああ、そうだ。実はその後主がね、君のために色々なものを用意してこの部屋に送ると言ってくれたんだよ。もしかしたらあのひとは猫が好きなのかもしれないね」

 一体何が送られてくるんだろう、と少し楽しげな様子の彼を横目に、私はここの主と呼ばれる方への申し訳なさと感謝の気持ちに駆られる。まさかそんな所まで手を回してくれるとは。いつか会うことが出来た時には精一杯の感謝を伝えさせてもらおう。

 と、私がそんな決意を胸に抱いていた時、扉が外からノックされる。
 それに応えて扉へ向かう彼に、私も付き従って歩いた。

「これは予想以上に大きいな……ティナ、少し扉から離れておいて」

 その言葉に従って部屋の中央へと私は戻る。すると彼は扉の向こうから大きな箱を引きずるようにしながら部屋の中へと入ってきた。

「よいしょ、っと。主は一体何を送ってきてくれたんだか」

 床にしゃがみこんで大きな木箱を開ける彼の膝に前足を乗せて、私も一緒に中をのぞき込む。

「ええと、これは君用のベッドかな。これは餌入れ。こっちが餌。こっちは……組み立てて使うものかな?」

 棒や毛皮の板にかまくらのような形の丸いものをいくつか箱から取り出して、彼は一緒に添えられていた説明書らしき紙を見ながらそれを組み立てて行く。みるみるうちに出来上がっていったそれは、背の高い彼と同じかそれ以上の高さのタワーになった。
 それを見て首を傾げる彼の前で私がそれによじ登り、彼と目線が同じになる高さにたどり着けば、彼もこの道具の使い道が分かったようだ。

「なるほど。そうやって君が登って遊ぶためのものなのか。主も随分良いものを送ってくれたね」

 私へ手を伸ばして頭をゆるりと撫でて彼は笑う。そのタワーは窓際の壁のそばに置かれ、私の遊び場所になる予定だ。

「……あ、これの使い方は分かるよ」

 そう言って彼が箱から取り出したのは、細長い棒の先に何か白くふわふわとしたものがついたそれ。ゆらゆらと揺れるそのふわふわに、私の猫としての本能が叫ぶ。
 思わず視線でそれを追いかけてしまっている私に彼も気づいたらしい。
 にこにこと笑いながらそれを床でぱたぱたと揺らし始めた彼に、私は本能に抗うことも出来ずそれを追いかけ始めてしまった。
 右へ動けば右へ、左へ動けば左へ、上へ持ち上げられたら飛び跳ねたり後ろ足で立ったりして必死に私はそれを追いかける。
 視線がそれに釘付けな私の視界には映らないが、彼の楽しそうな笑い声が聞こえるから、きっと彼も楽しんでくれているようだ。それなら私も嬉しい。

 ひと通り遊び終わって、主さんからの贈り物も全て確認し終えて、ようやく一息ついた私たちは椅子に座ってゆっくりとした時間を過ごしていた。彼の膝の上で寝そべりながら瞼を閉ざしていると、今にも眠ってしまいそうだ。

「……この部屋にこんなにも物が増えるなんてね」

 ふわふわと微睡む意識の向こうに、彼の声が聞こえる。

「最初は本当にただの気まぐれだったけれど……」

 彼の声を聞いていたいのに、優しいその声はずるずると私を眠りへと誘ってくる。


「……君を見つけることが出来て良かった」


 それは私の台詞ですよ。

 その言葉は彼には届かないけれど、この気持ちだけはいつかどうか伝わればいいなと、そんなことを思いながら私は眠りについた。


2019.09.24

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