君さえ


食べて眠って好きを育てましょう


「もう日が暮れてしまうし、君の生活用品を揃えるのは明日かな」

 膝に乗せた私の背を優しく撫でながら、彼は夕暮れも遠退き始めた窓の外をちらりと見やった。確かに、森に囲まれたこの洋館から外出するには、もうこの時間は遅すぎる。

「何がいるかな。ベッドと、トイレと、…あとは君が遊べるような道具が必要だね。ご飯もちゃんとしたものの方がいいだろうし」

 今日は後でパンと牛乳でも貰ってきてあげるよ。私にとってはそれだけで十分すぎる程なんだけどなぁと思いながら、私は顎に手を当てて考えている彼ににゃあとひとつ鳴き声をあげてみた。

「君の好物は何だろうね」

 ううん、野良の時は野草や木の実ばかりを食べていたから好物という好物は思い当たらない。

「まあ、これから色々なものを食べて探していけばいいか」

 ひょい、と私を膝から抱き上げた彼は、そのまま私の体を優しく床に下ろし、椅子から立ち上がった。長い足が目の前で動くのを、私は視線だけではなく体でも追いかける。
 その足は部屋の外へと繋がる扉へと向かっていて、一体どこへ行くのだろうかと私は彼の足元をうろうろとする。 するとそんな私を見下ろした彼は小さく笑って、扉に手をかけた。

「そろそろ夕食の時間だから、私は食堂に行ってくるよ。流石に他のハンター達がいる場所に君を連れては行けないからね。いい子で留守番をしているんだよ」

 細く長い指先で私の頭をまた撫でて、彼は部屋から出て行ってしまった。確かに猫が食堂に立ち入るのは衛生的にも問題だろうから、私がここで留守番というのも理解できるし納得もできる。

 ────ただ、

「………にゃあ」

 明るくて広い部屋に、私の鳴き声だけが寂しく響いた。



 彼が出て行ってから、どれぐらいの時間が経っただろう。多分実際は数十分程度の時間なのだろうけれど、私にとってはそれが数年数百年にも及ぶ時間に感じられた。
 何となく動く気になれなくて、私はずっと扉の前に座り込んだまま。
 彼はいつ戻って来てくれるのだろうかと。
 ふと前足を伸ばして、扉に肉球を押し当てた。爪で引っ掻いては扉に傷ができてしまうから、爪は伸ばさないまま前足をてしてしと扉に何度も叩きつける。これに一体何の意味があるのか私にも分からないが、何故か体が勝手に動いた。多分そういうものなのだろう。
 耳をすまして、彼の足音が聞こえやしないかと外の音を探る。

 ────と、その時、ひとつの音が私の鼓膜を揺らした。

 それは誰かの足音。誰かの歩く音。それは少し早めのリズムで私のいるこの部屋へと近づいてきていた。

 きっと彼だ!!

 ぱっと顔を上げれば、尻尾もそれと同時に天を向く。扉の前に座ったまま、足音が近づいてくるのを私は待った。早く彼に会いたい。ああ、やっぱり私は彼が大好きだ。

「ただいま───って、なんでそんな所にいるんだいティナ」

 目の前で扉が開いて、彼の姿が視界に映る。彼は扉のすぐそばにいた私を見た瞬間その綺麗な瞳をまあるく見開いて、私の名前を呼んだ。

「私が下を見ていなかったら蹴飛ばしてしまっていたよ?」

 お皿をふたつ片手ずつに持った彼はその場にしゃがみこんで、私に視線の高さを合わせてくれる。彼の背後で扉が静かに閉まる音を聞きながら、私は彼の足に擦り寄った。

「……もしかしてずっとここにいたの?」

 そうですよ、の言葉の代わりにまたひとつ鳴いてみせる。すると彼は困ったような、それでもどこか嬉しそうな表情でふわりと笑ってくれた。

「そんなに私が帰ってくるのが待ち遠しかったんだ」

 もちろん!

「……ふふ、そう」

 よく分からないけれど、彼が嬉しそうだから私も嬉しい。私がごろごろと喉を鳴らしていれば、彼はふと思い出したようにその手に持っていたふたつのお皿を床へと置いた。

「忘れるところだった。これ、少ないし質素だけれど君のご飯だよ」

 片方のお皿には、小さなパンがひとつ。もう片方のお皿には牛乳が薄く満たされていた。

「君がどれぐらい食べるのか分からなかったから適当に貰ってきたけれど……足りるかな?」

 つい昨日まで1日に一度何かを食べられるか食べられないかの生活をしていた私にとってこれはご馳走以外の何物でもない。十分だと彼に伝えるためにまたにゃあと鳴いて、私はパンに齧り付いた。
 体が小さいから口も小さくて、パンを食べることにも手間取ってしまう。口を開いて、噛み付いて、なんと噛みちぎってを繰り返していれば彼もそれに気づいたらしい。ひょい、と私の目の前からパンが消えたかと思えば、次の瞬間には小さな欠片となって再び私の目の前に現れる。しかも彼の指先に摘まれた状態で。

「ごめんね、気遣いが足りなかった。この大きさなら食べられるかな?」

 彼の手からご飯を食べるなんて、と一瞬躊躇した私だったが、空腹にはどうしたって勝てない。私が彼の指先からパンの欠片を食べれば、彼は楽しげに笑ってまたパンを千切る。このひとは本当に、なんて優しいひとなのだろう。
 結局残りのパンは全て彼に食べさせてもらい、あとは牛乳だけ。ちろちろと牛乳を飲んでいれば、そんな私の姿を見つめる彼の優しい視線を感じる。

「沢山食べて、大きくなるんだよ。ティナ」

 出会ってからまだ1日も経ってはいないのに、どうしてこんなにも彼は私に愛情を注いでくれるのだろうか。その理由はなんだっていい。彼のそばにいられるなら、それでいい。


「そろそろ寝ようか。おいで、ティナ」

 夜の色も深くなった頃。お風呂に入って濡れた髪を乾かした彼が、大きなベッドの上から私を手招く。部屋の隅で邪魔にならないように寝ようと思っていたのだが、どうやら彼はそれを許してはくれないらしい。
 彼の声に誘われるがまま私はベッドにそろりそろりと飛び乗って、彼のそばに佇む。

「寝相は悪くないはずだからきっと君を押し潰したりはしないと思うけれど……もしもの時はちゃんと逃げておくれよ」

 横になった彼の隣に私も寝転んで、ぐるりと体を丸めた。彼の手のひらが、そんな私の背中をゆるゆると撫でていく。

「ふふ、お前はあたたかいね」

 そう笑った彼の指先は酷く冷たかったけれど、そんなことはどうでもよかった。彼がたとえ『何』であろうと、彼が私の大好きな飼い主様であることに変わりはないのだから。


「おやすみ、ティナ」


 おやすみなさい、また明日。


2019.09.07

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