どうか悪い夢でありますように
何がどうなって、こうなっているんだ。
ぼーっとする頭を頑張って回転させるけど、その答えは全く出てこない。もしかしたら夢かもしれないなんて悪あがきをして何度か瞬きをしてみるけど、私の視界には見慣れた人の寝顔しか映らなかった。
『、なんで、』
ようやく出せた声は自分が思ってたよりも渇いていて、唾をごくりと飲み込む。私の横で気持ちよさそうに寝ている彼は何故だか半裸で寝ていて。あ、寝る時はパンイチだって言ってたな、なんて他人事のように彼がインタビューで話していた内容を思い出した。
お願いだから悪い夢だと言ってくれ、どう考えてもこの状態は彼らのマネージャーという仕事に影響が出過ぎる…と落胆しながらもゆっくり起き上がると肩からキャミソールの紐がはらりと落ちた。
『え、』
事態を飲み込めずにいた私はやっと自分自身の現在の姿を確認した。キャミソールに下は短めのペチコート姿。いやいやいや、ちょっと、え?なんで服着てないの?と唖然としていたら、寝ていた彼が「んん、」と声を上げて顔を顰めている。
「………ん、おはよぉ」
『お、はよう、ござい、ます…』
「ふぁあ…いまなんじぃ?」
『え?あ、えっと、ろ、6時半すぎ、です』
「あ〜〜そろそろ起きなアカン時間や、」
彼がそう言い終わったタイミングでピピピピと彼のスマホのアラームが鳴った。慣れた手つきでそれを止め、瞼を擦りながら起き上がる。
『あ、の…』
「ん?」
『えっと、あの、私はなぜ、ここに…?』
布団を手繰り寄せ、自分の姿を少し隠しながら、意を決して目の前の彼、大橋さんに尋ねた。また一つ大きなあくびをした彼は、ベッドサイドに置いてあったメガネをかけて「覚えてないん?」とこちらを向く。
『…………すみません』
「まぁ、覚えてないもんはしゃあないよなぁ」
ベッドから出た彼は腕を伸ばして大きく背伸びをした。時刻は早朝。目の前の大橋さんはパンイチ姿というファンからしたら鼻血ものの格好。そして私は何故かスーツを脱いだ薄着で、どう考えても一夜を一緒に明かしてしまった状況は本当にまずい。
「とりあえず、これ着ぃや」
『え、』
「ちゃんと洗濯したやつやから。俺、シャワー浴びてくる」
『え、』
未だ混乱している私をよそに大橋さんは綺麗に畳まれたスウェットの上下を私に渡す。寝室を出て行った彼の背中をぼーっと見つめ、思考が停止しそうな頭を振って受け取ったスウェットに袖を通した。
シャワーを浴びている音が妙に恥ずかしく感じるのはこの状況のせいだから仕方ない、と何故か言い訳をしながら寝室を出ると、綺麗に整ったリビングに出る。そういえばよく西畑さんが「はっすんの家は歯医者さんみたいに綺麗」と言っていたなと思い出した。
『あ、スーツ』
リビングを見渡すと、ハンガーにかけられた私のスーツがあった。近くには鞄も置いてあり、慌ててスマホを取り出す。
ロック画面に西畑さんからのメッセージが表示されていて「無事帰れた?」の文字。大きく深呼吸をしてから少し冴えてきた頭で昨夜のことを思い出そうと、思考を巡らせた。
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「華ちゃん、この後暇やったらご飯行かへん?」
『え?』
「恭平とここのご飯屋さん行こうって話になってんけど、華ちゃんもどうかなって」
そう言った西畑さんは自身のスマホ画面を私に向ける。そこには何だか美味しそうな食事が並ぶお店のホームページが載っていて。ほぼ昼抜きのような状態で夜まで働き詰めた私にとってそれはとてもとても魅力的なもので、途端に空腹を感じる。
『……おいしそう』
「よっしゃ、ほな予約しておくな〜」
スマホをささっと操作して予約しているであろう西畑さんを横目に、エレベーターのボタンを押した。この後は西畑さんと高橋さんをラジオ局へ送迎し、ラジオの収録。多分終わるのは21時過ぎで、美味しいご飯にありつけるのはもう少し。
「じゃ、今日もお疲れ様!かんぱ〜い!」
『おつかれさまで〜す』
グラスをカチッと合わせ乾杯してからごくごくっと喉を鳴らしアルコールを摂取する。美味しい。幸せ。最高。そう思ってるのは私だけではなく、今日も今日とてハードなスケジュールを乗り越えた西畑さんと高橋さんも同じような表情を浮かべている。
「ちょ、大吾くんこれめっちゃうまいっす」
「せやろ〜いっぱい食べ〜」
どうやらこのお店は西畑さん御用達らしく、個室で落ち着いた雰囲気のご飯屋さんだった。お酒を飲みつつ仕事の話を中心に会話が弾む。こうやって彼らとご飯に行くのは何度もあるから仕事中とは違って少しラフな話し方になって、気軽に無駄話ができるのも楽しかったりするわけで。
「華さん、次何飲むん?」
『ん〜〜ハイボール』
高橋さんが私の分のお酒も注文してくれて、残りわずかになったビールをぐびっと飲み込んだ。ん、お肉柔らかい。空腹が満たされ、今日も一日中仕事頑張った良かった〜と嬉しさが込み上げる。
「華ちゃん、最近寝る時間あるん?」
『ん?まぁぼちぼち』
「マネージャーって、俺らより先に起きて迎えにきて俺らより遅く帰るやん。寝れてるんかなぁって心配なるわ」
『まぁ、でもほら、マネージャーは交代交代でちゃんと休みあるし。代わりのきかないアイドルの皆様の方が大変だと思います』
「いやいや、お互い様やで」
『あ、高橋さんは早めに起きてもらえるとめっちゃ助かります』
「それは言うたらアカンやつ〜〜」
美味しいご飯に美味しいお酒。楽しい時間が進むと同時に襲ってくる睡魔に小さくあくびをする。明日、私は休みだけど彼らは朝から仕事なので響かないうちにお開きにしなくては。少しの酔いと眠気でふわふわした気持ちの中、ぬるくなったハイボールに口をつける。
「華ちゃん、最近彼氏とはどうなん?」
『え?』
「あ〜なんやっけ、福岡?熊本?だかに転勤になった彼氏?」
『福岡ね。まぁ、別れたんだけど』
「うっっっっそやん」
自分で聞いた手前、若干気まずそうな表情を浮かべながらも驚きの声を上げる西畑さんと、飲んでいた焼酎ロックを吹き出した高橋さん。あ〜あ、と思いながらゴホゴホと咳き込む高橋さんにおしぼりを手渡した。
「え……?それはなんで、とか聞いても、ええもん?」
『ん?別に、全然大丈夫』
「なんで別れたん?いつ別れたん?」
『高橋さんは遠慮という言葉を知らないねぇ』
苦笑いを浮かべながら、特に楽しくもないであろう元彼との別れ話をする。付き合って2年ちょっと、私が彼らのマネージャーをして3年目になるけれど多忙でなかなか会う時間を作れなかった。彼は彼で仕事が忙しく、しまいにゃ数ヶ月前福岡へと転勤になり遠距離恋愛。お互い大切にしたいものが少しずつずれ、最終的にお別れする形となってしまったのだ。
『…ってことで、2週間前に別れました』
「つい最近やん」
『ん〜でもなんかね?こうなりそうだなぁとは思ってたから、そこまでショックではないというか。ある意味ちょっとスッキリもしてる』
「え、じゃあ、華さん今誰とも付き合ってないってことやんな?」
『うん』
私がそう頷くと高橋さんは西畑さんに何やら耳打ちをして、西畑さんもうんうんと頷いた。残っているお肉に箸を伸ばし口に放り込む。ん〜美味しい、と思いながら咀嚼していると少しずつ重くなってくる瞼。やばい、寝そう。目の前の2人が「…大橋くんに、」と何か話しているのを聞きながら、ゆっくりと微睡の中へと落ちていった。