島唄


「ただいま〜」
「あ〜、お帰り裕次郎」
「お帰りなさい、裕次郎君」

1学期の終業式が終わって学校から帰ると、見慣れない女子が店にいた。

「…母ちゃん。たーか、くぬひゃー」
「ふらー!初めて会う人にくぬひゃーって何か!」
「いいですよ。はいたい、裕次郎君。夏休みの間、この店でバイトする事になりました苗字名前です。よろしくね」

笑顔でそう挨拶してくれた名前さん。わんより2こ上で近くの私立高に通ってるらしい。
母ちゃんが8月に入ってから2週間、近所のおばさん達と旅行に行くから急遽短気バイトを雇ったとか。それが、名前さん。
…まぁ、わんは夏休みも全国大会に向けて猛練習だから、店番頼まれないで助かったけどさ。



***



「っぁあ〜!今日も疲れたやー」



夏休みに入って、早乙女のスパルタは今まで以上にキツクなった…。木手も全国が近づくにつれてピリピリしてゴーヤー三昧やし…。

「…ん?……うた?」

店の近くまで来ると、中から三線の音が聞こえて来て一緒に歌が聞こえてくる。
…これは…島唄?昔おばぁがよく歌ってた島唄やし…いったいたーが……。
そーっと店の中を覗き込むと…名前さんがレジ横の椅子に座って三線を奏でながら歌っていた…。

「…ほ〜…うまさよ…っとと!」
「!…裕次郎君?」

見るのに夢中になってて足元にあったビール瓶のケースに気付かず躓いてしまった。変な格好で店前に現れたわんを、名前は笑って出迎えてくれた。

「…名前さん、三線弾けるんだな」
「あ〜、これ?うん。小さい時におばぁちゃんに教えてもらったんさ」
「わんのおばぁもよく弾くぜ。ぃやーの歌ってた島唄もよく歌ってさ〜」
「そうなんだ!私大好きなんだよね、島唄!」

そう言って、また三線を鳴らし心地のいい島唄を歌いだす名前さん。
わんは横に座って…じっと聴いていた。名前さんの奏でる島唄を――。



***



名前さんが三線を持って来る度、わんは名前さんの島唄を聴いた。部活でクタクタになった体も、その音色を聞けば癒されていく気がした。

「裕次郎君、島唄好きだよね」
「ん?まぁ…何でさ」
「いつも私が弾いてると、その場所に座ってじっと聴いててくれるから。余程島唄好きなんだろうなって」

まぁ…島唄は好きやしが…。

「裕次郎君も三線練習する?教えてあげるよ?」
「…いーよ。…わんはぃやーが弾いてるの聴くのが好きだから…」
「…そっか。にふぇーでーびる」

照れて笑った名前さん。わんの母ちゃんもよく笑うけど…全然違うんだな…。
ただ…そう感じていた。


そして…あっという間に1ヶ月が過ぎようとしていた。
わんの全国大会も終わって家で寝転がってると、下から聴き慣れた島唄が響いてきた。その音に誘われる様に下りていくと、いつもの場所で名前さんが三線を弾いていた。

「あ、裕次郎君。おはよう!もうすぐお昼だよ?夏休みだからって寝すぎやんに」
「いいんさ。全国も終わったし、夏休みの間はゆっくりすっさ」
「裕次郎!んな事言ってて、ちゃんと宿題はできてるば?!」
「…そのうちやんよ」

呆れて溜息をつく母ちゃんと、笑ってる名前。
こんな光景もあと少しで終わりか…。ま、バイト終わっても同じうちなーやし、いつでも会えるやさ。

「じゅんにお気楽者やさ裕次郎は。名前ちゃんを見習って、少しは受験生としてちばりよ」
「見習う?」
「名前ちゃん、9月から海外へ留学するんだって」
「……留学?」
「音楽の勉強しにね。当分の間は向こうに行く予定」

じゃあ…もう気軽に会えなくなるば…?
いつでも会える…なんて考えていたわんは…その時、どう言葉を返していいのか分からなかった…。



***



「…留学…か」

その日の晩、わんは布団に寝転がりながらぼぉーっと考えていた。
なんか…夏休み入ってからほとんど毎日名前さんと一緒にいたから、会えなくなるって実感が湧いてこない。…でも、このままぼぉーっとしてたら…いつの間にか最後の日が来て…あの時、あーすればよかったのか…こうすればよかったのか…なんて思いたくない…。

「…そうだ!」

わんは飛び起きて、階段を数段飛ばしで下りていった。

「あぃ?裕次郎!くんな時間からどこ行くば?!」
「おばぁんトコ!」

靴を急いで履き、そのまま玄関を飛び出した。

「…おばぁに何の用があるんば?あの子…」

おばぁの家はわんの家から走って10分くらいの所にある。
でもおばぁの家に行くのは久々さー。中3なってからは部活ばっかでなかなかちら見せてなかったしな。
久々に向かうおばぁん家への道のり。わんは部活の時みたいに猛ダッシュで道をかけて行った。

「おばぁ!」
「あぃ?裕ちゃん、久しぶりやさー。どうしたば?くんな時間に」
「おばぁ、頼みがあるんさ!」
「頼み?」
「実は――」



***



「じゅんに、にふぇーでーびる!お蔭で助かったやー」
「いえ、私も楽しかったです!」
「わっさんやー。裕次郎、おばぁん家行ったっきり帰って来ないんさー。最後に挨拶くらいしーねー言ったんやしが…」
「そうですか。…じゃあ、裕次郎君に宜しく伝えて下さい」
「わかった。じゃ、元気でね?」
「はい。お世話になりました!」

バイト最後の日。
挨拶を済ませ、店を出た苗字。海岸沿いの道を、海をみながらゆっくりと歩く。
あと何日もすれば、当分の間はこの景色を見る事ができないのだからと。

「…あれ?……裕次郎君!」

数メートル先の防波堤に一人座って海を眺めている甲斐の姿があった。
大きな欠伸をして、何かを抱えている様子だ。

「あ、名前さん。待ってたさー」
「待ってた?」
「家じゃ、母ちゃんが煩そうだからやー」

そう言って持っていた物を見せた。
――三線だ。

「名前さんみたいに、上手くねえけど――」
「……」

防波堤に座り、ゆっくりと三線を奏でだした甲斐。その音色は、いつも苗字が店で甲斐に弾いていた島唄だった。
おぼつかない弾き方だが一生懸命に弾く甲斐の姿に、苗字は笑みをこぼし、その音色にあわせて唄を歌った。夏休みの間、酒屋に響いてた、あの唄を――。

「にふぇーでーびる。裕次郎君」

演奏が終わり、拍手と共に苗字は甲斐にその言葉を伝えた。

「別に…。わん、ぃやーに何もしてなかったやし…」
「そんなの気にしなくていいのに。…三線、どうやって覚えたば?」
「おばぁに教えてもらった。時間あらんかったし、ぃやーみたいに綺麗に弾けないけど…」
「そんな事ない!…裕次郎君の音、でーじ綺麗だった」

笑って言った苗字の言葉に、甲斐は照れを隠すように顔を海に向けた。

「わん、名前さんが戻ってくるまでに、いっぱい練習する。だから…名前さんもちばりよ。…わん、うちなーから島唄贈ってるから…」
「…うん。私も覚えてるよ。頑張れって言ってくれた…裕次郎君の音を…」

波風に揺られる髪をかき上げ、苗字は手を差し出した。甲斐はゆっくりその手をとり、きつく握手を交わした。

「元気でね、裕次郎君」
「名前さんも…。うちなー戻って来たら、また遊びに来てくれよな?」
「もちろん!」

約束を交わし、苗字は自分の歩むべき道を歩いて行った。甲斐はその後姿が見えなくなるまで見送った。…また再会できる日を夢みて――。



***



「裕次郎!今日は家にいるんだろ?ちょっと出かけて来るから店番しててさー!」

下から聞こえてくる母ちゃんのデカイ声。わんは重たい体を起こして下へおりて行った。
たまには店の手伝いもしてやらんと。わんは店の椅子に腰掛け、いっぱいに開けられた店の入り口の奥に見える青く光る海を見ていた。
…あれから何度目かの夏が来た。

「…元気にしてっかな…」

わんはレジ横に立てかけられた三線を手にして、1音1音ゆっくり奏でた。――夏が来るたび思い出す、心に響く島唄。
あれから何度も何度も練習して、指か勝手に動くくらい弾けるようになった。この椅子に座ってお客が来るまでの間、この唄を弾くのがわんの癖みたいになってる。
三線でこの曲を奏でていると、今でも聴こえてくる気がするから。優しく、あたたかな歌声が…。

「……あぃ?……うたさ…」

わんは顔を上げた。微かにだが、歌が聴こえて来た。最初は幻聴かと思ってた…やしが、どんどん大きくなる…その声――。

「…上手くなったやー、裕次郎君」
「…ぃやー…」

幻覚かと思った。
…でも、声も、優しい笑顔も…あの夏のままの姿で――

「いつ、帰ってきたば?」
「さっき。家に戻る前に…なんでか足がこの場所に向いたんさ…」

少し照れた様に海風になびく髪をおさえ、わんの下へ1歩1歩近づいて来て――

「…裕次郎君の奏でる島唄が…ずっと聴きたかった…。もう一度、弾いてくれるかな?」

わんは…笑って、少し震える手を三線に向けた。わんの奏でる音に乗せて、名前さんの歌が響く…。
2人の音が混ざり合って…互いの気持ちが手に取るように分かる。

わんもずっと聴いて欲しかった。
わんの想いを乗せた…この島唄を―――。


fin

しおり
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