空泳ぐ、君


神様…お願いします。あと2週間だけ待って下さい

あの人が…この学校を卒業する…その日まで――



「ふっあぁ〜…おはよ」
「お〜!…って、ぃやーまた遅刻やし、裕次郎」

いつもの様に呆れて言う凛。
寝坊して登校したのは1限目が始まって10分経ってからだった。でも先生はいねぇ。
黒板を見ると『自習 プリントやっておくように』って書かれてる。
ラッキー!先生の小言聞かなくて済むさー!
わんは自分の席に座り、机の上に置かれてるプリントを見た。でも眠たくて全然やる気がおきねぇ。

「はぁ…」

わんが大きく欠伸をした時、後ろの席から小さな溜息が聞こえてきた。
クラスのムードメーカー、松崎。いつも元気なくぬひゃーが今日は元気があらん。

「どうしたんば?溜息なんか付いて。元気ないやー」
「うん。…今、幼馴染が事故で入院してて…まだ意識が戻らないんさ…」

だからか…。そりゃ仲良い友達がそんななったらへこむわな…。

「でも、ぃやーがそんなちらしてたら元気になるもんもならんやし。友達の為にも元気だせ!」
「…ありがとう。甲斐」

少し笑って松崎は言った。

「そうそう。ぃやーはそうやって笑ってれ〜。んじゃ…」
「…どこ行くば?」
「わんのお気に入りの場所。天気もいいし、もう少し寝てくるわ」
「って…課題はぁ?!」
「適当にやっててくれ〜」
「…えぇぇ!私が?!」
「…じゅんに…自由人やさ、裕次郎は…」

呆れ顔の2人を背にして、わんは屋上にあるプールへ向かった。



***



「ふっぁ〜…授業中なら静かやし、ゆっくり寝れそうさ〜」

プールへの扉をゆっくり開けると温かい日差しが入り込んできて、わんは手を顔の前に翳した。
もう春だな〜。あと2週間もしたらくぬ場所ともお別れか…。
そう思い、1歩2歩と外に出た時だった。
いつものプールと…少し違う。よく見ると…プールの中を白いワンピースを着た女子が泳いでいる。空を映した水面を泳ぐ…まるで…空を泳いでるみたいさ…。
わんがそんな事を考えていると、泳いでいたそいつがプールからあがってきた。
でも…何か違和感を感じた。
…水が…ついてねぇ…。
太陽の光を浴びて明るい髪にも、白のワンピースにも…プールの水がついていない。海から流れてくる潮風に…なびきもしていない。
不思議に思っていると、プールからあがったそいつはわんに気付いてわんの方を見た。

「…甲斐君?」
「あぃ?…何でわんの名前…」
「って!…甲斐君、私の事見えてるば?」
「?…あぁ」
「そうなんだ…他の人は気付かなかったのに」
「?」

ビックリした様なちらしてるそいつ。
…一体何なんば?

「あ。私、3年3組の苗字名前。この前事故に遭ってこんな体になっちゃったんだ」

その言葉を理解するのに少し時間が掛かった。その時、不意に頭に過ぎったのが松崎の言葉だった。
もしかして…くぬひゃーがあにひゃーの…って事は…くぬひゃーは幽霊…ってやつか?幽霊を信じてる訳やあらんが…でも実際目の前にいるしな…。

「甲斐君、サボリ?」
「あ…あぁ。…ぃやーは?」
「私?…なんでかな…。気がついたらここにいたんだ。…でも…この場所は大好きなの」

緑色のフェンスの前に立ち、遠くの空を見つめて苗字は話した。

「私、水泳部なんさ。毎日毎日ここで大会に向けて練習してて、休憩時間になったらここで座ってぼぉ〜っと空見たり、潮風の音聞いたりしてた」
「確かに、ここ静かやし落ち着くな…」
「甲斐君もそう思ってくれる?」
「?…あぁ」
「そっか…なんか…嬉しい!」

ふんわり笑った苗字。
初めて喋った奴やんに…なんか…他の女子と違う感じだと思った。…幽霊だからか?
そんな軽く思っていた。…苗字の事――



***



それから屋上のプールに行く度、苗字と話した。
大会前、練習に集中し過ぎて夜8時過ぎまで泳ぎ続けてた事。わんのクラスの松崎と小さい頃一緒に遊んだ事。…それから――

「私…甲斐君に沢山励まされたんさ」
「わんに?…わん、前にぃやーと話したば?」
「あ、ううん。そうやあらんさ。…ここからテニスコート見えるでしょ?」

いつもの様にフェンス前に腰を下ろして喋ってたわったー。校舎横に見える3面のテニスコート。

「タイムが伸びなかったり、思う様に泳げなかったりした時に…いつもテニスコートを見るの。…そしたらね…楽しそうにテニスしてる甲斐君がいるの」

…そりゃ、テニス部だしな。

「仲間と一緒にテニスして笑ってる甲斐君をみてると…私も楽しくなってきて…よしっ!頑張ろう!って思えるんさ」
「…そっか」
「うん」
「…そら、どうも」
「…なんで甲斐君がお礼言うば?」
「…なんとなく?」
「あははっ!ぬーがそれっ」

笑うくぬひゃーのちら見てたら…わんも自然に顔が綻ぶ。
こんなゆっくりした時間が自然に思えるのに、そんな時間は掛からなかった。



***



いつもの様に屋上のプールに向かう。扉を開けると、あにひゃーの姿が見えない。
…こういう時は…。

「…ぃやー、しんけん泳ぐの好きだな」

プールの中を覗くと、気持ちよさそうに泳ぐ苗字の姿。
じゅんに…気持ちよさそうさー

「あ、甲斐君!そんなに授業サボって大丈夫ば?」
「もうすぐ卒業やし、大丈夫さー」
「卒業……か」

遠くを見つめる…苗字の瞳。…くぬひゃーの体は、未だ眠ったままだ。

「卒業式までに…目ぇ覚めるといいな。ぃやー」
「……そうだね」

水面に浮かびながら、呟く様に言った。

「もっと…」
「?」
「もっと早く、甲斐君に話しかける勇気があれば…いろんな思い出が作れたのに」
「…意識戻ったら、いつでも会えるやし。思い出なんか…それから沢山作れるさ」
「うん。…目ぇ覚めたら…水きって泳ぎたいなぁ」
「泳げるさ…すぐに」
「…甲斐君、知ってる?」
「ん?」

泳いでいた苗字が体を起こし、水面から出した自分の手をじっと見ている。

「…人が死ぬ時ね…少しの間だけ、この世界の物に触れる事が出来るんだって」
「…へぇ…。でも、わったーにはまだまだ先の事やさ」
「……そっか。そうだよね」

苗字の話を…そう言って終わらせた。その先を…聞いてはいけない気がしたから。



***



苗字と会って2週間があっという間に過ぎ…今日は卒業式。卒業式だってのに、生憎の曇り空。太陽の姿も見えやしない。
…苗字…意識戻らなかったな。…もうプールに行く事もできないし…松崎に病院の場所聞こうかな。

「や〜っと卒業か。これで漸く裕次郎の遅刻注意するのもおさらばやさー」

背伸びをしながら凛が言った。

「高校上がっても一緒のクラスかもしれないんどー?」
「うげっ!…絶対風紀委員にはならねぇ…」

式が終わって凛や仲間達と他愛ない会話。…やしが――

「…っっ、ヒッ…ぅぁッ」

1人、携帯を握りしめ泣いている松崎の姿が目にとまった。

「松崎、泣き過ぎやんに。どうせ殆どの奴とまた高校で会えるんだろ?」

そう言ったわんの言葉に、松崎は力なく首を横に振った。

「…さっき…病院のおば…さんから…電話あ…てッッ」

『病院』の言葉に、わんの鼓動が揺らめいた。

「名前…が…っっ死んだ…てッ…!」

松崎の言葉が…何度も何度も頭の中を過ぎる。
そんな言葉を信じたくなくて、わんは上履きに履き替えることも忘れ校舎に駆け込み階段を上った。

『卒業式までに…目ぇ覚めるといいな。ぃやー』
『……そうだね』

『…人が死ぬ時ね…少しの間だけ、この世界の物に触れる事が出来るんだって』
『…へぇ…。でも、わったーにはまだまだ先の事やさ』
『……そっか。そうだよね』

悲しげに呟いた苗字のちらが脳裏を映る。
あにひゃーは…知っていたのか?…この事を…。知っていて…残りの時間が少ないと分かっていて…。
いつもより…プールへ続く階段が長く感じた。肩で息をするくらい…必死になって“いつもの場所”へ向かった。
やっと…あにひゃーの事知ったのに…。これからもっと…あにひゃーの事…名前の事知りたいって思ったのにっっ!

勢いよく開け放たれた扉。その向こうには、初めて会った時の様に…名前がプールを泳いでいた。…日に焼けた明るい髪と…白いワンピースを水になびかせて――

「…―ッッ!」

わんは羽織っていたブレザーを脱ぎ捨て、プールに飛び込んだ。雲のせいで目の前に広がる水はいつもより陰っている。でも…その奥で、気持ちよさそうに泳ぐ名前…。
わんに気付いた名前が、水の中で…そっと微笑み、手を伸ばしてきた。
その手に触れ…わんは名前を抱き寄せた。
プールの中で…初めて触れた名前を…離したくないと思った。

抱き合ったまま、わったーは水面から顔を出した。
お互いを見つめ合ったまま…そっと名前のちらに手を添えた。
髪から流れ落ちる雫が…わんの手を沿ってプールに静かに落ちる。

「甲斐君…」

沈黙を破ったのは、名前だった。

「卒業、おめでとう…」

優しく…微笑んでくれる名前。

「…ぃやーも…卒業…おめでとう…」
「…うん。…今日まで待っててって…約束だったから…神様と」
「神様…か。しんけんいるば?」
「いるよ〜。だから…私もここにいる」
「…そっか…」

名前のちらを…ちゃんと見ることができねぇ…。

「…甲斐君」

そっと…わんのちらを覗き込んでくる…名前のちらが――

「なんで…泣いてるば?」

こんなにも…愛おしい――

「…なんで…せっかく……ッ、ぃやーと…名前と…逢えたのに――」

ただただ嘆く事しかできないわんに、名前は微笑んでわんの頬に触れた。
瞳から零れる涙を…優しく拭い、わんの目をじっと見つめた。

「…私もね…最初は悔しかった。…やっと…憧れだった甲斐君と話せたのに…。もっといっぱい甲斐君の事…知りたいのに…って。…でも…これはどうしようもない事なんだ」

名前の口から現実を突きつけられ、わんはなかなか言葉が出ない。
そんなわんの気持ちを知ってか、名前が笑った。

「でもね…私、嬉しいよ。この世を離れる最後の…この瞬間に、甲斐君と話せて。…大好きな人と触れ合える事ができて…」

微笑む名前の頬に…一筋の雫が流れた。
…でも哀しい雫やあらん。…嬉しくて流れる…涙――

「甲斐君は…私と出逢えて…よかった?」

わんは…ぎゅっと名前を抱きしめた。

「当たり前やさ……」

名前を…体に刻み込む様に――
名前の額にわんの額をあわせ、ゆっくりと瞳を閉じた。

「忘れない…名前の事…名前と過ごした…この2週間…絶対…忘れない」
「うん…にふぇーでーびる…」

名前の『ありがとう』の言葉と同時に、曇っていた空から一筋の光が差し、わったーを包み込んだ。

ゆっくりと…空へとけていった名前は…まるで…プールで見た時の様に…優しく笑っていた――



***




あれから1ヶ月。

「お〜い裕次郎!早くしーね!入学式から遅刻する気ば?ぃやー」

今日は比嘉高校の入学式。
雲ひとつない真っ青な空の下、わったーは1歩1歩学校へ向けて進んでいく。
こういう晴れた日は、いつも空を見上げる。

「どうしたんさ。空に何か見えるんば?」
「…あぁ」

あの時の様に、優しく笑って――

空泳ぐ…君がそこにいるから―――

fin
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お友達のハネちゃんのBDプレに捧げた作品。

しおり
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