代わる代わる誰かが部屋に入ってくることには気がついていた。触れる手が誰のものなのかも区別がつくようになった。
うとうとした意識でそれに気がついて、反射的に掴んでしまった。
「大丈夫。…私よ」
マギーの声にハッと浮上する意識。目を開ければ綺麗なグリーンの瞳に覗き込まれていた。乱暴に掴んでしまった手を離して短く謝罪すると、やんわりと口元が弧を描いた。
「雑誌、気に入らなかった?」
「…若すぎる」
「えっ……そうなの。ごめんなさい」
「いや…うん」
朝食はトーストにベーコン、スクランブルエッグだった。theブレックファーストという品目に空腹だった胃袋がぐぅ、と主張した。
それにくすくす笑うマギーに途端に気まずく感じたものの口に運ぶ卵の柔らかさに"終末以前"を思い出し、感傷をぐっと卵と共に飲み込んだ。
「元気そうでよかったわ」
「ハーシェルが大袈裟なんだよ」
額に巻かれた包帯を見つめるマギーの視線に気がつく。これより脇腹の方が酷いとは口に出さないようにトーストを突っ込む。
心配そうに怪我を見つめられるのも嫌だが、もぐもぐ咀嚼する様子を見つめられるのも困るものだ。
「そうだ、ずっと言いたかったの。あの時ベスを助けてくれてありがとう」
「……?なんかしたっけ」
「あの……納屋の時のことよ。ママが…ママだったウォーカーが、ベスを掴んで食べようとしたでしょう」
「あぁ。ベス、ベスね。
別に、気にしなくていい。目の前であんなふうになったら誰だって助けるよ」
「ありがとう」
ベスと言われて誰だったかを思い出す方が難しかった。
この状態で運ばれるようになって治療を受けているうちにやっとパトリシア、マギーを覚えたためだ。ハーシェルの家族という認識しかないし、関わりもないままだったから。
ベスは彼女の妹でたぶん少し前までこのパステルカラーとビビットカラーがないまぜになった雑誌を読んでいた人物だろう。
言われてようやく色素の薄い金髪を思い出した。
たぶん彼女らにはナマエがベスと近い年に見えているのだろう。
全然、全くもって違うという否定は面倒だからしなかった。おかげでこの雑誌を渡されたが。
マギーが部屋を後にしていくのをベッドで眺める。
あれから一週間は経っていた。
思うように体を動かせない苛立ちは募るばかりだった。
脳震盪の後遺症が起こることはなかったけれど、脇腹の傷が思いの外悪く、立ち上がるたびに引き攣るような感覚に悶えた。
ハーシェルによればガラスが刺さったこともそうだけどあばらにヒビが入っているかもしれないという。レントゲンのない今、明らかな骨折と違ってヒビはわかりにくい。
そんなこともあって、ベッドで過ごす時間は長引いてしまっていた。
それから何日かを無為に過ごした。
時折聞こえたのはマギーと、たぶんベスが金切り声をあげてケンカしている声。何かを投げる音も。
この部屋にいながらでも外のことはある程度聞いていたし、部屋に代わる代わる来てくれる女性陣からも愚痴のように溢れていた。
ランダルとやらがどうなるか。ベスは生きるつもりなのか。
「よし、」
長い療養期間を終えてーーー実際許可はもらってないがーーー立ち上がる。
ベッドサイドに置かれたままのマスクをつけ、フードをかぶっていつものスタイルに戻す。コンソールテーブルに鎮座したままのナイフ、脇差に太刀を腰に差して部屋を後にする。
扉を開いてすぐ、スツールの上に座ったまま眠っている男がいた。
「シェーン、何してるの」
腕を組んで壁に背中を預けて、余りに余った足を投げ出した男の肩を揺らす。体の大きさに合わない高さのスツールのせいで長い足が廊下を横断するように置かれているのを跨いで避ける。
「……ん、……ナマエ!…もういいのか」
いつもと違う寝起きの柔らかなブラウンの瞳と目が合う。
寝ぼけていたはずの意識を浮上させたらしい彼の眼光は途端に険しくなる。
顔は殴り合いでもしたのか青いアザと赤いアザが混在している。
「平気。ハーシェルが大袈裟なんだ」
「悪かった……お前が意識を失ったのは…」
「ローリから聞いてる。仕方ないことだった。自分を責めなくていい」
バツが悪そうにしているシェーンはきょろきょろと視線を彷徨わせ、所在なさげだ。何度も足踏みするように動く体は不安そうにしている。
シェーンが迎えにきてくれた時のことはうっすら覚えていた。
ローリが見舞いに来てくれた際にその時のことは聞いた。声を荒げたローリの姿を見て代わりに怒ってくれたのだと悟ってからは特に何も思っていない。
本当に怒ってないと伝えても、シェーンは口をもごもごと動かしては言いづらそうだ。
「…だが!!」
「なに?」
「…お前は…その、……女だろ」
「!!なんで…」
普段より幾分小さい声に耳を寄せるように手招きされ、耳元でつぶやいたそれに目を見開く。どうして知ってる。
今ここにいる人たちの中で私の顔を見たのはローリ、不可抗力でハーシェルとマギーとパトリシアだけのはずだった。
私の眼差しに耐えきれないように下を向いたシェーンは、居心地悪そうに頭を掻いた。
「お前を突き飛ばしたときに…その、フードが外れて……」
「…黙ってて。突き飛ばされたことは問わないから。」
ローリはそこまで話してくれていなかった。シェーンがナマエの正体を知ったことなど。どうして教えてくれなかったんだろう。
せっかくハーシェルが気を利かせてくれてこれ以上人数が増えないように関わる人を絞ってくれたというのに。
「今のは、どういうことだ」
シェーンとナマエだけの空間に、突然第三者の声が響く。
慌てて振り向くシェーンの瞳が捉えたのはリックとその背後に立つメンバーだった。
▽▲▽
リックは苛立ちを抑えきれずにいた。
「何をやってるんだ!お前は!」
条件を遵守して、聞きたい気持ちを抑えて。いつか信頼を勝ち取った末に顔を突き合わせたいと思っていた人物を乱暴に扱った挙句に意識を失わせ、その上で秘密まで暴いた。
自分の親友は、ここまで抑えの効かない人物だったろうか。
元から少し短気な部分があったのは知っていた。それでも今の世界で如実に現れる性格は以前と比べものにならないほどだった。
忌々しげに見つめるリックの眼差しに、シェーンは反論の余地がないとわかっているのか口を噛んで耐えるような仕草をしている。
「アイツが怪しくて…。あの時は動転してたんだ!」
「だからって!」
「わかってる!…ローリが怪我をしてるのをみて焦ってたんだ…腹の子供のことだって…」
「…ナマエの方が重傷だった。その怪我の一端はお前のせいでもあるんだぞ」
「…あぁ…謝罪した。許してもらえたさ」
「ナマエにとってはもう済んだ話だからな。だがやったことは事実だ。」
「…あぁ」
シェーンはいつもナマエを怪しいやつだと言って信じていなかった。
ナマエを見る瞳はギラギラと、事を起こせばすぐにでも引き金を引いてやるように警戒していた。
それなのにあの日以来、シェーンがナマエの部屋の前で何度も様子を伺うように座っている。
その姿を見ていたメンバーたちは怪訝そうにしていた。
リックも同様に、あれほど警戒していた相手を心配しているのはおかしいと感じていた。
今日も部屋の前のスツールに座っているのに気がついていた。
グループで今日の作業についてダイニングで話していると、シェーンの声が聞こえてくる。それはナマエが眠る部屋の方からだった。
そしてそこに近づくにつれて正確に聞こえてくる声は、正体を見たというシェーンに口止めしているナマエの姿を見つけた。
「女の子!?」「うそだろ」
「本当なの!?」「えぇ?!」
「!」「…」
「…ハァ、…名前は…知っての通りナマエ
年は28。日米ハーフだけど生まれは日本。よろしくどうぞ」
グレンの困惑した声、Tドッグは額を撫で付け、アンドレア、キャロルは口を抑えている。デールは無言のまま目を瞬かせ、ダリルは真顔で固まっている。
グループは、気だるげにソファにあぐらをかいている彼女がマスクとフードを外していくのをつぶさに見つめる。
ナマエの滑らかな黒髪と緑の瞳が顕になると、それぞれがリアクションするのも無視して、さらに気だるそうに自己紹介する彼女に一同はまた固まってしまった。
ローリとマギー、パトリシアは一足先に知っていたはずなのに驚いた表情をしている。それは彼女の年齢についてだった。
「に、にじゅうはち!?」
「その見た目で!?」
カールを除けばグループ内でも小さいシルエットだった彼女は幼い顔つきも含めて実年齢よりかなり若く見積もられていた。
「アジア系は若く見えるけど…」
グレンを見つめたマギーの視線に気がついたグレンは頷いていたものの、他メンバーと同様に10代と予測していた年齢が自身の年齢より上と知って焦っていた。
「…もういいだろ、散れ散れ」
「でも、」
「注目されるのは嫌いなんだ」
しばらくまじまじと顔を見つめるTドッグやデール、キャロルに眉を寄せたままのナマエを囲うようにして談笑していた頃。
嫌がったナマエがマスクを取り返そうと手を伸ばしていると玄関のドアがギィと鳴る。
一同がそちらへ視線を移すと、突然注目された三人は部屋の入り口で固まった。
リックとシェーン、そしてその二人を連れてきたらしいカールだ。
「あぁ!ナマエ!顔見せてる!」
「…お」「へぇ」
新たに増えた視線にうんざりしたナマエはカールに好き勝手に触らせた後はマスクとフードをかぶって部屋から逃げるように飛び出して行った。
まるで野良猫が毛を逆立てたようなそれに一同は久しぶりに笑い声を上げた。
▽▲▽
久しぶりに動かせる体は以前より重く感じる。一週間はまともに動いてなかったせいだ。
運動がてら、農場の敷地をランニングしたり、刀の素振りなんかを続ける。
あばらの痛みは続いたけど、どうにもじっとしている性分でもない。しかしハーシェルの厳しい視線に念のためコルセットはしたままだ。
たまに出会うメンバーは以前よりもずっとフレンドリーで気安く話しかけてくる。
マスクの効果はそういう面では良かったのに、やはり明かすんじゃなかった、と後悔する。ああなってしまってはもう仕方なかったけど。
一通りのトレーニングを終えて、玄関ポーチに置かれているロッキングチェアに座る。
忙しくなく動いているみんなの姿を遠目に見ていると、玄関ドアの軋む音がする。
「君はもう、仲間だ」
「そう?私はまだ同行者気分なんだけど」
「……顔を見せてくれたのは信頼してくれたからでは?」
「不可抗力だ」
リックはいつもの険しい顔を少しだけ緩め、眉間の皺も消えた表情でそばにしゃがみ込んだ。
ソフィアが納屋にいたあの日、グループに戻ってもらえないかという打診の返答は、していなかった。
結局不可抗力で顔を見せることにもなってしまって有耶無耶になったままだった。
だからか、顔を晒してからこうして確認するみたいに何度か仲間だとアピールされている。
別に彼らが悪い人間だなんて思っていない。それは、最初から。
でも、このグループに属すると手放しでは言えなかった。それを伝えられないままだ。
「ナマエ、俺たちには君が必要なんだ」
「…」
彼らにはまだ、判断力がない。
シェーンがしきりにリックと対立している理由がそれに当たる。
ナマエとローリが事故に遭ったあの日、リックはランダルという少年を農場に連れて戻ってきた。
ベッドの上にいる時からその話はマギー、パトリシア、ローリ、ハーシェルから聞いていた。
いわく、ギャングのように荒れたグループに属していたらしい少年は置き去りにされてしまい、それを捨て置けずにリックが連れてきたとか。
そういう事情から、少年を放流してギャングがここへやってくることをシェーンやリックは恐れている。
一度助けたというのに、処刑まで考えてるらしい。
「…悪いけど、……同行者でいさせてもらうよ」
「そうか。……今後も説得はさせてもらう」
「……」
曖昧なままじゃ、生き残れないんだよ。
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