片腕の男がいた。ナイフのようなものを義手代わりに取り付けていて、「メルル」と呼ばれていた。
意識が朦朧とする中、ナマエは彼のぼそぼそとした呪詛のような声を聞いていた。「絶対に許さねえ」――リックへの恨み。そして時折、ダリルへの罵声。
ナマエはその声を、気を失いかけていた時の記憶として、ぼんやりと思い出していた。

何度目かわからない頬への平手打ちにそろそろ互いの頬と手のひらが赤くなってきただろう。

グレンがメルルの指示通りに車を走らせ停車した頃。
ナマエは目が覚め、殴られたせいでズキズキとする側頭部に無意識に触れようとするとその両手は縛られていることに気がついた。そして気絶する前に共にいたはずのグレンとマギーの姿がないことも。


「聞いてるか?おい、オリエンタルガール」

パシン、また叩かれたことでようやく視界がクリアになる。車から降車させられてから幾分経ったか不明だ。
目の前には知らない男。スパニッシュかラテン系の、野球帽をかぶった男。

「ヘイ、聞いてるか」
「………」
「ようやくお目覚めか?お友達はとっくに起きてるぜ」


『うああ"っ!』
『う…ふ、うぅ…』

にやける目の前の男のことよりも、言われて初めて気がついた誰かのくぐもった声。泣き声のようなそれと、叫び声。
マギーとグレンのものだ、とすぐにわかる。拷問を受けているのかもしれない。

辺りを見回してみるも、地下なのかわからないが窓はない。薄暗いオレンジの照明。椅子、目の前の男。背後はよく見えないが資材のようなものが置かれている。


「2人に何してる?ここはどこ。一体なにが目的?」

パンッ

「俺が質問する。お前は答える。シンプルだろ?」

また1発引っ叩かれる。手加減はされている。しかし無防備な頬への平手打ちは視界が歪む。
相手の男を睨みつけ、精一杯の威嚇をするもニヤニヤしているだけだった。
2人は無事だろうか。ジミーはホイッスルの音を聞いただろうか。わからないことを考えても仕方がない。
不安を悟られたくないとナマエは無表情を決めた。そういえばつけていたはずのマスクはどこに行ったんだろう。
(他人に無防備に顔を見られることがこんなに不安になるなんて)
別のことを考えれば少しは落ち着けるかと思ったがそんなことはなかった。

ヒリヒリと熱を帯びた頬に、目覚めるまで何度もやられたのだと、感覚だけで理解した。
どうやら相手は脅したいらしい。時折見せるナイフや腰のホルスターに収まっている銃をチラつかせている。
そんなもの誰でも持ってる。怯えるわけないだろうと内心鼻で笑ったナマエだったが、だからといって脱出の糸口はない。

「何が聞きたい。知らないことは答えられない。そっちの質問に答えた場合2人を解放しろ」

バチン!
「違う。お前が要求するんじゃないって言ってるだろ?俺たちが要求する。お前が答える。それだけだ」

「…何が聞きたい」
「お前たちの根城。人数。銃の数や、脅威度だな。」

「……私は彼らとたまたま会っただけ。彼らがどこを根城にしてるかなんて話してないし、人数も銃も知らない」
「……だが知り合いだろ?」

しばらく思案した様子の男はそれだけ言うと出て行ってしまった。
先ほどまでの会話がなくなり、部屋は途端に静かになった。そうすると今まで聞こえづらかった音が届くようになった。
悶え苦しむ声、だれかの話し声に何かを殴るような鈍い音。壁にぶつかる音ーーーグレンへの拷問の音だった。







▽▲▽



娘とカールを連れ、久しぶりに中庭で陽の光を浴びていた時のことだった。
ローリを喪い、正気を失っていたと自覚する。娘を抱き上げていると少しだけ荒んだ心が落ち着いていくのがわかった。
しかしそれもほんの束の間のリラックスにしかならなかった。抱いていた娘をベスへ託し、ゲートに向かう。


遠目に見えた時から変だと感じた。
血みどろの体に一瞬ウォーカーかと思ったがどうやら違う。
ふらつきながら握る左手には濃い赤のショッピングカゴ。奴らはそんなもの持ったりしない。
フェンス越しに睨み合うようになるも、すぐにウォーカーに襲われている。カタナのようなもので対応している体はフラフラと危なげだった。

バンッ!
放たれた弾丸は彼女のそばにいたウォーカーに命中する。
突然の銃声に周りを見たものの、そばで銃を構えていたカールは引き金を引いてないと首を振った。
だったら一体誰が。


「リック!リック!」
「……!?……まさか、ジミーか!?」

女が倒れるのが視界に入った瞬間、奥の茂みから男が出てくる。それも己の名前を呼んでいる。
持っていた銃をホルスターにしまった男が両手を上げながら走ってくる様子にようやくそれが誰だかわかる。
ジミーは腰のホルスターからナイフを取り出すとそばに寄ってきていたウォーカーの目を突き刺した。
その動きの速さに眼を見張りながら、倒れた女へと向かう。徐々に距離を詰めてくるウォーカーはジミーとカールが対処してくれていた。

足に血の跡。撃たれたのか?
「噛まれてるか!?」と叫ぶハーシェルに、すぐさま首を振る。「違う、銃創だ」
カールがゲートを開ける。ジミーが先に入り、女を背負って担ぎ上げた。


「治療が済んだら水と食料を渡し出て行かせてやる。
だが何故ここがわかり、何故粉ミルクを持っていた?」

少し落ち着いた様子を見せる女は設置している椅子に座っていた。さっきよりも話せそうだった。


「若いアジア系の男と、女だ。」

「何があった?」
「襲われたのか?」

「連行された」
「誰に」
「私を撃ったクソ野郎だ」

要領を得ない話し方をする女にイラついた。

「仲間に何があったのか話せ。ーーー今すぐに!」

怪我をしている足を掴むと女は「私に触るな!」と怒り、声を荒げた。
すかさずダリルがボウガンを向ける。話したほうが身のためだと警告して。
それらに苛立ったのか「自分たちで探せ」とあしらう。これでは埒があかない。

「なぜここへ来た」

「………街がある。"ウッドベリー"だ。75人ほどの生存者がいる。

"総督"ってやつが仕切ってる。顔も良くて魅力的な男だが、まるでカルト教祖のようにしているよ。」

「…用心棒は?」
「民兵気取りの奴らが何人か。出入り出来るすべての門を見張ってる」

「入り方がわかるのか」
「ウォーカーは入れないが抜け道はある」

ようやく話の輪郭がわかるようになってきた。さっきまでの頑なな様子はもうない。
何度も苛立っているようにみえていたが落ち着きを取り戻したようだった。
改めて聞く、「何故ここがわかったんだ」。



「刑務所に戻ると言っていた。近くだって。
その話の最中、そこの店の屋上から変なマスクの奴が出てきた。黒っぽい、歯のあるマスクだ。
2人と知り合いのように話してた」



「!」「長い2本の牙があるマスクか?!」

「たぶん…正確にはわからない。距離があったから。…でも」
「でも?」
「ナマエって、呼ばれてた」

女の話はそこで終わる。
ハーシェルを紹介し、治療を頼むとダリルと共に独房へ早足で向かう。

ジミーの話も聞きたい。


奥の独房に入り、鍵を閉めるとジミーに抱きつくベス、キャロルの姿が視界に入る。涙を流して嬉しそうにしている。

「生きてやがったか」
「ああ、ナマエのおかげでね」

ダリルの一言にジミーは口の端を上げて笑い、拳をぶつけた。その手のひらには無数の傷が刻まれ、袖の隙間からのぞいた腕は7ヶ月前よりも大きくなっていた。
目の前にいるのは本当にジミーか?リックは頭の中が軽いパニックになった。銃の正しい持ち方さえ知らなかった子供だったはずだ。

落ち着いて話す様子に、鍛えた体。外に慣れた様子。ナイフの持ち方にウォーカーの対処に至るまで。

「色々話したいけど、ナマエやマギー、グレンの方が先だよ」
「そうだな、聞かせてくれ」




「って言っても、俺にも詳しいことはまだわからない」

「俺とナマエには何かあった時のために音で知らせるって決まりがあった。トランシーバーも持ってるから、話せるならそっちだけど。」

「仕掛けた罠の確認で離れて、戻ろうとした頃に三回、ホイッスルが鳴った。」

「俺たちの間では短く一回ならウォーカー、これは群れとかってこと。
で、二回が人間からの襲撃とか。回数で危険度を表すときもあるね。
三回以降はとにかく逃げろ。って意味で使ってる」

「………お前たちは長く外で過ごしてたのか」
「最初はね。落ち着けるところで半年くらいは。まあ襲われたりとかでいろいろ……。
…まだ他にも取り決めはあるけど大まかにこんな感じ。
で、音が聞こえて急いで戻った。ナマエは絶対怒るけど、なにより心配だったし。
で…戻ったらさっきの女の人がいて。問い詰めたら連れてかれたって」

信頼関係のとれた二人の関係性に驚きながら、順を追った説明にナマエは巻き込まれたのだとわかる。もちろんマギーとグレンが悪いわけではない。女を撃って追いかけてきた男のせいだ。

「…怪我もしてるし治療しようとしたけど、あの人ここに行けば何かわかるかもって言い出して。
それで連れてきた。万が一ってことがあるから俺は茂みに隠れてただけ。まさかリックたちだとは思わなかったけど」




「……よし、助けに行くぞ。ジミーお前も来れるか?」
「当たり前。ナマエに仕込んでもらったから大丈夫」
「えっ?何を言ってるのよジミー!ここにいて!やっと会えたのよ!?」

「…うん、でもナマエは大事だ。俺がいま生きてベスやハーシェルに会えたのもナマエのおかげだ。だから絶対助けたいんだ」
「……!」
ベスは少し目を伏せたあと、小さくうなずいた。
「……わかったわ。ナマエを、ちゃんと連れて帰ってきて」
ジミーの目は真っ直ぐだった。その奥にあるのが恩なのか、それ以上の何かかまでは、ベスにはわからなかった。
「うん、わかってるよ」
ジミーの表情には迷いがなかった。
それはただの感謝以上の、深い信頼にも似た想いだった。

ジミーの言葉に耳を傾けながら、ダリルは煙草に火をつけた。
短く吸っては、吐き出す。何度も。
「……あいつ、そんなふうに人と関わるようなやつだったか?」
独り言のような、問いのような声だった。

少し間を置いて、リックが視線を落としたまま答えた。
「……少なくとも、俺たちには そうじゃなかったな」
ダリルは何も返さなかった。
ただ煙を吐き出しながら、どこか遠くを見ていた。

(……変わったのかもな)
そう思ったが、言葉にはしなかった。



今は三人のことが先決だ。
絶対に、助け出す。
それだけを考えよう。