一行は乗ってきた車2台にそれぞれ別れて乗り込んだ。
ナマエはリック、ミショーンと。ジミーはマギー、グレンと。
向こうの車内はどうか知らないが、ナマエの乗るリックの運転する車内は驚くほど静かだった。
何故か指定された助手席で、めいいっぱいシートを倒して横になるナマエはようやく足の痛みが和らいだことに安堵した。

「戻ってくれて嬉しい」とまっすぐに前を見つめながら言うリックは、今にも崩れそうだった。短く返事を返したところで車内はまた静かになった。

ジミーが運転する車がゆるやかにスピードを落としたのにリックが気づき、車は停車した。どうやら倒木のようで、道路を横断するように車へ向かって倒れてしまっている。

ジミー、マギー、グレン、リックが降車して向かう中、ナマエはミショーンと共に車内に残った。
話している内容は知らないがグレンが怒りに任せてウォーカーを踏み潰している。
聞こえていなくとも推測はできる。きっと総督のことを話しているだろうとも。

しばらく車を走らせると、見慣れた赤い煉瓦造りの建物が見えた。
ナマエとジミーが残してきた物資の回収のためだ。
二人がこの1ヶ月に集めた物資、武器。諸々を積み込み、一行は刑務所へと向かった。

しばらくスピードを変えずに走り続け、ブレーキを踏む重力に体がずり落ちるのを片手でナマエを支えたリックの口端が上がっている。
短い謝罪と応じた声の後、リックはミショーンに運転を変わるように伝えると外に出ていった。


▽▲▽

カールに飛びつかれて呻き声をあげたナマエはハーシェルに絶対安静と厳しく叱られた。
X線写真は撮れないけれどおそらく折れていること、打撲に首のアザはしばらく残ること。ジミーを生き残らせてくれた感謝を述べられた。

「…使えるように鍛えただけ」
「見事だ。男になっているよ、あの子が」
「そうかもね」
「ありがとう、恩にきる」

ハーシェルが独房から消え、しばらく体に残ったアルコールのにおいに浸る。心地よい風がふわりと抜けていく。
誰かの話し声の中にか細く弱々しい声が混じっているのを子守唄に、鎮痛剤の副作用で眠気に勝てずにまた落ちていく。


「ナマエ?…おはよう」

高く綺麗な声に振り向くと赤ちゃんを抱いたベスがそこに立っていた。
肩にかけたタオルには吐き戻しの跡。

「大丈夫、まだ明け方よ。この子のミルクで起きてるのは私だけ」

聞く前に、聞きたいことが全て返事されてしまい言葉に詰まり、思わずクスリと笑いが漏れる。
それに釣られてかベスまで小さく笑ってくれていた。
笑い合っていたのも束の間、ぐ、と体に重みがかかりベスに抱き寄せられる。

「ジミーを助けてくれてありがとう。マギーのことも」
「…どういたしまして」

「その子が?」
「ええ、ローリが産んだ子よ。まだ名前はないんだけど。ダリルはリトルアスキッカーって呼んでた」
「リトルアスキッカー…。はは、そういえば言ってたな」

リトルアスキッカーちゃんを抱き上げるとふにゃふにゃと柔らかく優しい香りがする。
抱きしめるとこの世の全ての幸せが詰まっているような幸福を感じられる。
どうやら顔が気になるのか小さな手で触れてくるので自然と笑顔になってしまう。

「ダリルはずっとナマエを探してた。どこかにいるはずだって」

「…マギーにも聞いたよ」
「リックも、探してたのよ。
あの夜があってからリックは変わった。でもあなたのことだけはずっと探してたの」
「……」
「…だからまた会えて嬉しいの。本当に」

少しだけ眠りたいから見てて欲しいと頼まれ、二つ返事で返すと、ベスは睡眠不足や心労でふらふらと自分の監房内に戻っていった。
リトルアスキッカーを抱きながらゆらゆらと揺れてみる。拙い知識から実践してみたものの次第に眠くなったようで、彼女はナマエの腕の中で寝静まった。食べたら寝る、なんてシンプルで健康的なのだろうとまた口角が上がってしまう。

そうして赤子と共に刑務所内を散策した。一部エリアは危ないらしいのでCブロックだけ。
階段の上の踊り場には誰かの荷物がまとめられていた。乱雑さからナマエはダリルのものと推測してその中から羽織りを一枚拝借する。
それがダリルの物と確信を持てたのは香りのせいだった。そこまで気がついて、匂いを覚えていることに気恥ずかしくなり思わず脱ぎ捨てそうになった。
思い直したのは微かに残った冬の寒さがドアの向こうから流れ込んできたから。赤子に寒さは厳禁だ。

ギィと嫌な音をたてるドアをできるだけ静かに開けて外に出る。
寒さはあるものの、もう春だ。陽が上れば気温は上がるだろう。天気は晴れだ。



しばらく眺めていた景色から、意識は捕まってからのことに移る。
記憶の断片が、断続的に脳裏をよぎる。それはまるで、頭を何度も殴られているような痛みだった。指先が細かく震え、呼吸が浅くなっていく。

顔や体を殴りつけられて、首を絞められて、足を切られて、体を舐め回されて。

「はぁ、」

気持ち悪さが込み上げるたびにため息に変換する。思い出したくもないのにぐるぐるぐるぐる、脳内はそればかり。
嫌だったし、気持ち悪かったし、早く忘れたい。でもあの男へ借りは返したい。やられた分くらいは。







▽▲▽




監房に戻って二度寝したせいか、体はギシギシと骨が軋んだ。寝起きの体を精一杯伸ばし、貯めているらしい雨水で顔を洗う。持ってきた歯ブラシを口に咥えながらぼう、と磨く。まだ頭が覚めていない気がする。
いつのまにか隣で寝かせていたリトルアスキッカーはいなくなっていた。きっと目が覚めたベスが連れていってくれたのだろう。

「おはよ」

同じように朝の身支度に来たらしいカールの声。肩にぽん、と置かれた手に気付いて振り向く。
前にあった時よりも少しだけ目線が合うようになってきた。子供は見ない間にあっという間に大きくなるんだな。

「…ほふぁよ"」
「ナマエのバカ」
「ほめん"?」
「……心配したんだよ」
「…ふん"、ほめん"」

口に咥えた歯ブラシのせいでほとんど喋れていないナマエに、始終むすっとした顔だったカールは我慢ができずに吹き出した。

「あははは!ほめんってなに!もう!僕怒ってたのに」

笑っているカールを横目に急いで口を濯いで、タオルで拭いて。ようやく向き合って話せるようになる。涙まで出して笑っていやがる。

「歯磨き中に話しかけたのはカールだろ?
…背、伸びたね」
「…うん」

それから他のみんなとも改めてゆっくり会えた。キャロルにハーシェル。
ハーシェルの足は、片方無くなっていたけど元気に松葉杖をついて歩き回っている。
この場にいないのは二人。Tドッグとローリだけだった。

「Tドッグは?」
「……」
「そっか。…二人はどこに?」
「中庭に…」
「そう」

カールの目線が下がり、リックの瞳は揺れていた。二人は最愛を失ったばかりだ。新たな命が生まれようとそれは変わりない。

「残念だよ」
「…っ…あぁっ……」

リックとカールを抱きしめる。ぼろぼろと涙を流すリックはナマエにきつく抱きついた。それは、みんなの前で初めて流したリックの号哭だった。






「ナマエ」
「なに?」

一度口を開けかけて、リックはためらった。言葉を選んでいるのか、それとも感情が先に出てしまいそうで抑えているのか。
そして絞り出すように言った。
「俺と、……俺たちの仲間に?」


他のメンバーと話したりしたあと、再会の挨拶をしに中庭に向かったナマエはそばに咲いていたたんぽぽを供えた。
日本式になるけれど、手を合わせ心で二人に「ただいま」と伝えた。
背後からリックが歩いてきたのに気がつき、振り向くとすぐにそう言われた。
何を言っているのかと不思議そうに眉を寄せたナマエに、リックの瞳は涙を溜めて揺れているようだった。

「いるよ」
「っ…そうか。ありがとう」

彼はかなり不安定だ。目の前にいるナマエがいなくなってしまえば、崩壊するかのように。
ダリルの助言を思い出しながら、支えるってどうすればいいんだろう、と胸中でこぼした。

「大丈夫、仲間だよ」

言ってから初めて、ナマエはリックたちの仲間になったと自覚した。
死線を越えたことも、みんなで夜を明かしたこともあったというのに。
ナマエは何度も線引きしていたが、それでも仲間になってくれと言い続けたリックにようやく絆されたと思った。
目の前でぐらぐらと今にも倒れてしまいそうになっているリックを見つめる。

「ローリとのこと、少しは聞いたよ。…カールのことも。
それに、……シェーンのことも。」

ナマエは静かに言った。
リックが抱えてきたものを、ほんの一部でも知っていた。

「あの日を共有できたのは私だけだった。
…辛かったよね、ごめん。」


あの日――農場を追われたあの日のことを、共に知っているのは自分だけだった。
そのあと、彼がどうなったのか、ベスが少しだけ話してくれた。
擦り切れそうな精神を、責任感だけで繋ぎ止めていた。
ようやく安息を手にしかけた時、事故が起こった。
ナマエとジミーが聞いたアラーム音の正体はこの刑務所で起きていたことだった。
そうして掛け違えたボタンを正す時間もなく、彼は喪った。

ボロボロと涙を流して嗚咽するリックは、その場に崩れ落ちるように膝を曲げた。

「大丈夫。誰もあなたを責めていないよ。あなたを責めて辛くしてるのはあなた自身だ。
ローリはそんなの求めてなかった。わかるだろ?」


「だから、もう……休んでいいよ」

沈黙が落ちた。
張りつめていた糸が、ぷつりと音を立てて切れるように。

「あ"ぁッ……っ」

「あなたを愛してたよ、ローリは。リックもだろ?後悔してることも彼女はわかってる。だからもう休んでいいよ」



彼は蹲り顔を覆ったまま、泣いていた。誰にも見せたことのない姿で。

ナマエは何も言わず、ただそばにいた。
すぐ隣で、彼の涙が落ちる音を聞いていた。