屋上から続く階段を降り、何階かのフロアにあったキッチンで肉の焦げたにおいがした。火を見るよりも明らかなそれを無視して進む。

どこかからやはり人の声がする。複数の人間のそれはすべて低音だ。

「……男の人だなぁ…」

聞こえてくる会話の内容はさっぱりわからないまでも、時折何かがぶつかるような音が聞こえる。これはダメだ。少し話を聞いたりできないかと思ったものの、様子を聞くにどうやら荒っぽい。



ビルから外に出て歩く、赤い道標は大通りを避けるように続いていた。それを追うこともなく、あたりを散策しながら様子見をする。さっきのシルバーの車はあの辺りを曲がったはず。
真新しいタイヤの跡を見ながら、"奴ら"に気付かれないように走る。幸いさっきの騒ぎがあった通りに"奴ら"は集中しているらしかった。

「…?」

タイヤの跡を追いかけてたどり着いたところ、古い工場跡地のようなところを見つけた。レンガ造りのそれは劣化して剥げていたり崩れていたり。血のついたブロックが落ちている。

「まぁ!まぁまぁ…どうしたの?迷ったのかしら、こちらにおいで」

「!」

辺りを注意深く眺めていると、突然背後から声をかけられる。驚きのあまりに腰についた太刀を振り抜きそうになる。

「ね?こっちへいらっしゃい」

背後に立つ老女はにこやかに笑って手を差し伸べている。刀や銃のことなど気にも留めていない様子にまさか、と色んなことがよぎる。
おずおずと差し出された手を握ると老女は表情を変えないままゆっくりと握り返してきた。

「私の孫がね、面倒を見てくれているのよ。ここはみんなそうなの。あなたもいたらいいわ。大丈夫、孫は昔は悪かったのだけれど、今は改心したから。とっても優しい子なのよ」

早口でもないのに捲し立てるように隙間なく話す老女の圧に負けて、何も話せないまま中へ中へと案内されていく。
"ギレルモ"とやらは不良だけど優しいというテンプレみたいな人らしい。

少しずつ内装が変化していく。いくつかの個室の中を覗くと老人が寝ていたり、診察のようなことをされていたり。

「……老人ホーム、ですか」

「そうよ、そうなの。ここにいるのはみんなそうなの。孫やその友達がみんなで私たちを守ってくれているわ」

握りしめられたしわくちゃの手のひらは温かくてなんだか泣きそうになった。

「ジルベルト!」

「あらあら…どうしましょう、ちょっと」

広間のようなところに到着すると、人だかりができていた。中心にいる人物の姿は見えないが、それを囲うようにしているのもやはり老人ばかりだった。
老女はその様子をみて小さな歩幅を精一杯動かして向かう。"ジルベルト"とやらが一大事らしい。

「どう、されたんですか」

「!…いや、俺もよくわかんなくて。発作みたいなものだと思う。」

そばに立って心配そうにしている男に聞いてみるも彼もわかっていないらしかった。
アジア系の顔つきになんだか親近感が湧く。
腕組みをしている彼はこの中でもかなり若く、年齢は近そうだった。

話しているとさっきの老女が小走りでどこかへ走って行った。
えっ、とこぼしたそれに若い男は不思議そうに首を傾けていた。
彼女がいなくなるのはとても困る。連れてきておいて放置とは。
しかし消えた彼女の背中を見つめるしかできないままである。

「君は……あいつらの仲間なのか?」
「…え?」

「ギャングだよ。ここを守ってるみたいなんだけど……君はどう見ても毛色が違うから。その変なマスクとかさ」
「あー、さっきのおばあさんに連れられてきただけで…誰の仲間でもない。…それにこれは用心のためにつけてる」

アジア系の男は広間の入り口の方を見ながらそう言って寄こす。
不思議そうにマスクを見た後、腕組みしていた手のひらを向けられ、「グレンだ」と短い自己紹介。それに倣って返す。

「ナマエ」
「よろしく」

軽いシェイクハンドのあとに笑うグレンはとても気安くフレンドリーにみえた。

ジルベルトと呼ばれた男性のヒューヒューというか細い呼吸音が部屋に響く。
少しして広間の入り口からさきほどの老女と、保安官の制服を着た男性、ボウガンを背負った男、体の大きい男と続けてたくさんの男たちが入ってきた。
老女に導かれるように歩く男はさっきの自分の姿のようだった。
戸惑っている彼らと、そこから割って出てきた足を引きずった男が発作で苦しげなジルベルトに薬を差し出している。


「一体何が、」
「ぜんそくだよ。発作で」
「犬にでも喰われたかと思ったんだぞ!」


グレンと保安官の男たちが話している姿を横目に、ジルベルトは薬のおかげが次第に落ち着いた様子をみせた。

「おい、お前は誰だ」

「!」

「ギレルモ、その子は私が連れてきたの。迷子になってるみたいだったから」


突然腕を引かれたかと思えば、眼光の鋭い男が睨みつけてくる。ぐっと握られた手首が痛い。

この男が、ギレルモ。

仲裁するような老女に困ったように眉を下げる様子は確かに老女の言うとおり、優しそうだった。

「アブエラ…変なやつだったらどうする!危ないだろ」
「そんなことない。この子は普通の子だよ」

「…勝手に連れられただけ。何もする気はないよ」

「……アンタたちの仲間じゃないのか」
「!」

私の背後に立つ制服の男やグレンにそう続けたギレルモは老女の手前、強く言うようなことはなかった。

「知らない子だよ」
「あぁ、その子のことは知らない」

じ、と集まる視線に嫌な気分になる。人と会えたら良いと思っていたけれどこういう形じゃない。ひっそり一対一で話して情報をもらいたかっただけなのに。

「すぐ出ていくから。何もしないし。
あの、…この辺りに避難キャンプがあるって聞いたんだけど知らない?」

「…そんなものない。」
「正確には、あったけどとっくに"奴ら"に蹂躙されたよ」

私の質問には制服の男と、ギレルモの両方が答えてくれた。やっぱりそうだよな。大規模なキャンプ、避難所なんて。
それから二、三聞きたいことが聞けたものの、有益なことはなにも得られなかった。

「ありがとう。じゃあ」

私の質問が終わるとギレルモと制服の男は頷いた後にどこかへ向かっていくのを見つめる。
グレンがくいっと顎を動かしているのを会釈で返した。

「待ちなさいお嬢ちゃん」
「…?」

「ここにいたらいいわ。孫が守ってくれるし。ね?
1人は寂しいでしょう」
「……大丈夫。
久しぶりに人と話せて良かった。元気で。

…!わ、どうしたの、大丈夫?」

背後に立つ老女に抱き寄せられる。小さな体で精一杯抱きしめられて、祖父を思い出した。

「怪我に気をつけなさい。」
「…うん」

まるで本当の祖母のように抱きしめられて不思議に思いながら、手を振る。背後からの視線はずっと途切れなかった。




▽▲▽



「おい!テメェ!待て!」

老人ホームを後にして、しばらく歩いていると突然背後からバックパックを引っ張られて尻餅をついた。びっくりして声も出せない。

「ダリル!やめろ!」
「おい!」

目を白黒とさせながら、見上げたそこにいたのはさっきの老人ホームにいた男たちだった。
グレンが目の前で守るように立ってくれていたのに気がついたのは手を差し伸べられてからのことだった。

「…えっと、なに?」

「お前か?!兄貴を連れ去ったのは!話せ!」
「声を落とせ、ダリル!」
「乱暴にするなよ!」
「うるせぇ!お前だろ!兄貴をどこにやった!!?」

興奮した様子のボウガンを背負った男とそれを抑えつける制服の男と体の大きな男、そしてグレン。
荒々しい口調で睨みつけてくる男はフーフーと鼻を鳴らしている。一体何に対してキレられているのかさっぱりわからない。

「…何の話?」
「あぁ、…いや、あそこのデパートの屋上に彼…ダリルの兄貴がいたはずなんだけど…」

「手首を切っていなくなった!見てねぇか!?」

グレンの気まずそうな顔つきと、興奮冷めやらない男の言い分に納得する。
そういえばデパートの屋上にあったっけ。

「…この糸鋸なら見つけたけど。あなたのお兄さんなんて知らない。人に会ったのは1ヶ月ぶりなんだ。」

「!」

バックパックから取り出した糸鋸を見たダリルと呼ばれた男はまたも掴みかかりそうな動きを見せた。保安官の制服を着た男が慌てて止めている。

「なぜそれを持ってる?」

厳しい口調のそれに少し居心地が悪くなる。「落ちてたから拾っただけだよ」と返しても何かを探るような視線を向けられただけだった。

「趣味の悪ィマスク」

顔を隠すためにつけているマスクは男には不評らしい。吐き捨てられた悪態を無視しながら、探し人の情報はないと返す。

「…自己紹介がまだだったな。俺はリック。見ての通り保安官だった。こっちがTドッグ。
それから、彼がダリルだ。兄を探している。グレンとは話したか?」

「うん、さっき少し。私はナマエ」

「お前本当になにも知らねェのか」

「……強いて言うならハイウェイの高架下まで血痕が続いてるのを見たくらいかな」

ギレルモたちのところ向かう前に見たそれを伝えると彼らは立ち所に表情を変えた。


「!それって…」
「俺たちの車が停めてあるところだ!」