名前のない毒
「久部六郎です。」
「みょうじです。よろしくどうぞ」
「お願いします」
「とりあえず、案内しますね」
「あ、はい」
神倉さんが以前から募集をかけていた記録係に、ようやく応募者が現れた。
医学部在学の学生さんらしく、若々しい風貌とどこか影を感じさせるメガネの奥の眼差し。
短く自己紹介を告げ、荷物の置き場所や使うデスク。それから実際の仕事場である解剖室に案内する。
「あー…ちょっと待って」
「えっ?はい」
「ロッカールームここで鍵これね。ちょっとここ見て待っててもらえますか?」
「はい。………?」
姿が見えない上司がまさかいないだろうな、と。なにかの勘だった。それが当たっていませんようにと向かった解剖室。
自動ドアのセンサーを切っているらしく、目的地である解剖室の扉は開放されていた。嫌な勘は当たるものなのだろう。
「ウワ、まぁた寝てる」
「なかどーさん。なかどーさん!」
「チッ うるせえな、なんだよ」
「どいてもらっていいですか?」
「あ?」
「なんでここで寝るかなぁ。
新しい記録係の子がきてていま案内してるんで。寝たいなら上戻ってください」
「……チッ。クソが」
検死台をベッドにして眠る上司の顔にはまるで内覆いのように布が被せられている。
縁起でもないその姿と、無防備に投げ出された四肢がリラックスしているように見えてなんだか変な感じだ。
不用意に触れて驚かせるわけにもいかず、三歩ほど離れた位置から声をかける。二度目で起きられるなら熟睡していたわけでもなさそうだ。
不機嫌に歪められた表情はデフォルト。これはデフォルトだと自分に言い聞かせる。
舌打ちに本日初めての口癖が一つ。大きなため息にのそりと動く気配を感じて「はやく行って下さいね」と振り返らずに告げる。返答はないものの、小さくかしゃんと音がしてペタペタとサンダルの音がする。
▽△▽
「どうせ中堂さんでしょー。中堂さんと組んだ人誰も続いてない。」
「だれも?」
「最長三ヶ月、最短で三日」
「みじかっ」
「あ、でもなまえがいま更新中か。そろそろ四ヶ月ってとこ?」
「…へえ。」
「ミコトもなまえも来てくれてほんと助かったよー。私が中堂班に回されるところだった」
「中堂さんってどういう人なんですか?」
「う〜ん。触らぬ神にたたりなし。カオナシみたいなもん」
「カオナシ?」
「同じ解剖医としては、もう少し協力体制取りたいんだけどねぇ」
「無理無理!
あ、でもさ、ああ見えて中堂さんってバツイチらしいよ!」
「えっ!結婚できたの!?」
「ははっ!それよ!」
「二人案外ひどいですね……。あ、みょうじさんのほうは?」
「なまえ?ん〜……なんだろ。ふくろう?」
「ふくろう?」
「おれは猫かなって思ってた〜」
「猫かぁ。わからなくもないけど、梟の方がキリッてしてる」
「なにそれ」
それまで三人の声だけだった前室に声が一つ増える。さっきロッカールームで項垂れていた坂本さんだった。
「なんかあの冷めた感じとかさ、気軽に触れられない感じが猫っぽい」
「それはわかる。なまえはやっぱりあの顔で仕事は超!優秀なのに私生活だらしなそうなのがいいよね。オフのなまえを見てみたい」
「東海林いっつもそれ言ってるよね〜」
「はぁ…。でもなんか、わかる気がします。」
軽口の応酬である女性二人からそこへ坂本さんが加わり、みょうじさんがいかに面白い人であるのかを話している。オンモードの彼女ができる人というのは同意する。
会ったのはまだ数回しかない久部にとって例え話に参加することはできない。
けれど、的確なアドバイスに無駄のない説明を聞いていて漠然と【仕事のできる人】だと感じていた。
しかし、案内している時に二回も段差に躓いたり、彼女のデスクの引き出しの中身が乱雑になっているのをたまたま見ていたから。見た目も相まってそれが"ふくろう"っぽさもあるのかもしれないなぁとガウンの紐を結びながら考えた。
そうして幾分もないまま残りの中堂班のひとりが前室に入ってくる。無駄のない動きをするなまえになんとなく、久部はこうも思った。
中堂さんがカオナシなら。みょうじさんは千尋?
「おそい!」
「解剖室で寝てれば誰だって一番乗り」
「ぶはっ」
「クソが」
なまえのぼそりとつぶやいた声を拾ったのは久部と言われた本人だけで。吹き出した久部に眉を寄せながらもたった一言でお終いだ。解剖室に急ぐ坂本さんの後を追うように入るなまえの背を見つめた。
▽△▽
解剖依頼のご遺体は、どん詰まりになっているらしい。三澄さんや久部さん、東海林さんがあらゆる毒物のスクリーニング検査も行っていたけれど該当するものは検出されなかった。らしい。
らしい、というのも自分は中堂班であり今回のご遺体には関わりがなかったから。
ポコン。軽い通知音はスマホに新しいメッセージを知らせた。
【解剖依頼のご遺体、MARSウイルス感染の可能性あり】
所長である神倉さんからのメッセージに、【了解しました】とだけ返した。
死後日数が経っていておそらく不活化しているウイルスだから、感染の可能性はない。しかし、この事態は…。
翌日出勤するとラボは大騒ぎになっていた。
「MARS確定ですか」
「そうだな」
中堂さんは今日も今日とて中堂さんのままだ。
MARSウイルスの致死率は30%以上だ。もっと動揺しろよ、と内心で告げる。
いつも通りにソファに深く沈み込み、解体新書を捲る姿に他人事だ、と遠くを見つめた。
懸念していた通り、二日もあればこの知らせは日本中に広まった。
ワイドショーでウイルスについての説明をする学者と、雑なリアクションをするだけの芸能人、囃し立てる司会者を毎日見ることになるほどにだ。
それからまた数日もすればSNSは当該の高野島さんの名前だらけになった。配慮しないTV局やジャーナリストのせいだろう。
「なまえー!超!久しぶり!」
「おー」
SNSに医大時代の友人からのDMが届いたのはその頃だった。
学生時代、実習地獄を共に過ごした友人は現在東央医大に勤めているらしい。
「積もる話しかないよね?!」という連絡にたまたま予定のなかった夜、UDIから駅までの道のりにある居酒屋を指定されて向かった。
最近はいつも残業気味だったせいか、定時通りに帰宅準備する自分を見た東海林さんは「彼氏!?ねえ!彼氏なの!?」と詰め寄って来たけれどそれはスルーして「お先です」と告げる。
なにかまだ背後で騒いでいたような気もするけど無視だ。
「いや〜世知辛いよ!毎日さ〜」
「なんだっけ?今どこ?」
「研究室に入ってるんだけど、最近超忙しいんだよぉ!聞いて!」
「…それ、まじの話?」
「大 マ ジ で す」
「…だから連絡くれた?」
「内緒だからね。なまえだから教えたんだよ!」
「助かります」
「いいえ!お礼は今度良い男紹介して!」
「良い男かは知らないけど最近入った学生なら…ワンチャン?」
「…前に言ってた先輩は紹介してくれないの?」
「…か、カウントしてなかった。あの人は良い男じゃないと思う」
「ん〜???本当にぃ?怪しいなぁ?」
「お黙りやがれくださーい」
▽△▽
MARSウイルス判明から騒がしいままのラボ裏口。
いつも通り紫煙を吐き出すために安っぽい百円ライターをポケットから取り出す。ジッと石が擦れる音を聞きながら素早く着火する。
朝の静けさと時折聞こえる車のエンジン音の中にジリジリと葉の燃える音が混ざる。
「おや、みょうじさん」
「あー、おはようございます。木林さん」
「おはようございます。本日のご遺体です」
「あ、はい」
フォレスト葬儀社と印字された制服に身を包みながら、奇抜な跳ね上げサングラスをかけた木林南雲さん。
うちと提携している葬儀社さんだ。
柔和な笑顔と温厚そうな話し方とは裏腹に圧のある人だと思っている。
ガシャガシャと車輪が鳴ると見慣れたそれが運び出された。
ガチャ。
持っていたタバコを押し潰してからドアを開けようと立ち上がったところで内部から開けられたドアに少しだけぶつかる。
「邪魔だ」
「…」
出てきたのは上司、中堂系だった。
煙に顰めた眉。鼻を塞ぐように手をあげている。
「くせえな」
「ここは喫煙所でもあります。権利」
「うるさい。よそに行け」
「嫌です」
「たいへん、仲がよろしいようですね」
「どこがだ」
「木林さんはサングラスを上げてから話すべきです」
「上げてますけどねえ。ふふ」
売り言葉に買い言葉の応酬に終止符を打ってくれたのは木林さんだった。
にこやかに書類を渡している。
なんだ、オラオラ男が受け入れ対応してくれるならいいか。
そう考えて消し潰してしまおうとしたタバコをもう一度咥えた。
二人はたぶんタバコが嫌いだろうけど、権利は権利である。ただ配慮はすべきだろうと少し離れた風下に向かうことにした。
距離が離れたことによって二人の会話は遠い。何を話しているのかは知らないけれどあの二人、仲良いのだろうか。
二本目を吸い終え、二人の会話がどうなったか様子を見る。
微かに聞こえたのは木林さんの声で、「金魚」という単語だった。
金魚?ってあの金魚?
疑問に思いながらも盗み聞きは悪い気がして最後の一口を吸い込む。
わざとらしく咳を一つすると、こそこそと何かを手渡したのが見えた。まるでドラッグの売人が人に見られないように手渡すような動作に変に思ったものの、追求できる雰囲気ではなかった。
「みょうじ、なにしてる。さっさと来い」
「もう戻るところでしたよ」
「解剖依頼だ」
そう言うと中堂さんはペタペタと音を鳴らすサンダルでさっさと中に戻っていってしまった。呼ぶくせに待たないのかと思いながらその背中を見送る。
「みょうじさん、それでは。」
「あ、はい。お疲れ様でした」
木林さんもいつもの貼り付けた笑みを携えて車に乗り込んで行った。
ガチャッ
「なにしてるって言ってんだ。さっさと来い!のろま!」
「あっはい」
戻ってきた暴君に捕まった。引きずられるように中に戻るけれどまたも眉を顰めている。あぁ、タバコくさいってことね。
「あの、…中堂さん」
「なんだ」
「きのう、…友人から聞いたんですけど」
「なにを」
「東央医大、院内感染の可能性あるみたいです」
「…なんだって?」
昨日の友人から聞いた話はこうだ。
友人は東央医大の研究者で先月以前から体調の悪化した入院患者が陰圧制御室に入れられるようになったらしい。
確信的なことは知らないらしいが、院内がどうやらきな臭いことになっていると感じて、高野島さんの騒ぎのこともあって私に連絡してくれた。
掻い摘んで話す私の話に、相槌もなく黙って聞いている中堂さんは何を思ったのか歩くペースを早めた。
「ちょっ、はや!聞いてますか?!」
「聞いているからだ!」
「なんでその話を聞いた時点で報告しない!!バカなのか!」
「事実か確認してからの方がいいかと!」
もはや走り始めた背中を追いかけ、デスクに辿り着くとPCに触れる。意図を理解してデータを確認していけば"それ"はあった。
翌日、結局泊まり込みで調べた"証拠"を三澄さんに手渡す中堂さんを見つめる。
入院患者の死亡率が倍増している。資料を作ったのは私!と言いたいのをこらえながら、中堂さんの話を聞くみなさんを横目に、徹夜の疲労からストンと落ちるようにソファで寝落ちした。
目が覚める頃には事態は急速的に変化し、そして終結していった。
やはり院内感染は事実で、高野島さんは院内感染の被害者で、彼自身が"始まり"ではなかった。
翌日には院内感染を知らせる東央医大の会見が始まり、それをスマホで横目で確認しながら溜まった事務仕事をこなす。
この知らせで誰かの心が、少しでも楽になったなら。
この仕事はそれだけでやりがいのある、意味のある素晴らしい仕事だと実感できる。