消えてしまった者たちへ
  • 目次
  • しおり
  • 訪問者


     ハリーは退屈だった。夏休みが始まって初めの一週間は例年のとおり叔父のところへ預けられ、その後迎えに来たルーピンによってシリウスの家へやって来たのはいいものの、誰に会うこともできないまま既に七月の二十日にさしかかろうとしている。シリウスに不満があるわけではない。ダーズリーのところにいるより何倍の快適で楽しいと言えるだろう。しかしシリウスは特別なようでもない限りこの家からハリーを出さなかったし、社会が果たして今どうなっているのか伝えることもしなかった。シリウスは日刊予言者新聞を取っていなかったのだ。
     稀に人が訪れる。例えばルーピン、トンクス、ウィーズリーおじさんや本物のマッドアイ。マッドアイに初めて会った時は本物はこんな人なのかと不思議な気分だったが、バーティの変装がやはり巧かったらしくさほど違和感はなかった。彼らが訪れるとシリウスと共に部屋に籠り、ハリーはのけ者にされる。大人は大事な話をするから、と自分の部屋に押し込められてしまうのだ。
     そんなある日、ある女性がシリウスの家を訪れた。

    「久しぶり、ハリー」
    「ラミア!」

     ホグワーツの教師でシリウスの友人でもあるラミア・セルウィンと会うのは、ひと月半ぶりだった。ラミアは前学期の最終一か月を体調を理由に休職していたのだ。玄関口でつい抱き付くとラミアはそっとハリーの頭を撫でる。安心したように笑っていたが、少し顔色が悪いように見えた。

    「お元気でしたか?」
    「うん! ラミアは?」
    「もう元気ですよ」
    「良かった! ……ラミアもシリウスと話に来たの?」
    「ええ。どうして嫌そうな顔をするんですか?」
    「だって、誰が来てもシリウスと部屋に籠って僕をのけ者にするんだ」

     正直にそう答えてから恥ずかしくなった。自分が子供であることをひけらかしているような気がしたのだ。しかしラミアは、なら、と何かいいことでも思いついたように言う。

    「彼と話していてください。ハリー」
    「え……」

     ハリーは気が付いていなかったのだ。ラミアの後ろに一人の男がいることに。
     彼は被っていたフードを外すと素顔がさらされる。ハリーはその顔に見覚えがあった。その顔はとてもシリウスに似ていたのだ。

    「はじめまして、ハリー・ポッター。私はレギュラス・ブラックと言います」
    「れ、レギュラスってあの……」

     ハリーがレギュラスについて知っているのはほんの少し。シリウスの弟で、死喰い人で、もう15年以上前に死んでいるということだ。

    「わかりやすく、困惑していますね」
    「あなたが何も説明しないからでしょう」
    「てっきりシリウスが何か話しているかと思って」

     和やかに会話をする二人にハリーは何と言えばいいのかわからずに言葉を失う。すると後ろから声がかかった。

    「おお。来たのか、ラミア。ああ、レグも」
    「久しぶり、シリウス」
    「久しぶり、兄さん」
    「そんなところで話してないで、中入って来いよ」
    「レギュラスにハリーが驚いちゃって」
    「ああ、話してないからな」
    「シリウス! どういうことなの?!」

     家に入りシリウスは何と言えばいいのかと苦笑した。説明に困るようなことなのだろうか。

    「ラミア、シリウス。二人は仕事の話をしていてください。私はハリーと話しているから」
    「そうそう、そうしてもらおうかと思って。いつもつまらないってハリーは愚痴ってたよ」
    「俺だって話したいさ。でもダンブルドアが……」
    「その話は上で。……じゃあハリー、レグ。またあとでね」

     あれよあれよというまに、ハリーはレギュラスと一緒にリビングに残された。あの二人があんな感じということは、レギュラスは敵ではない。それは何となくわかったのだが……。

    「……あ、の」
    「なんですか? ハリー」
    「コーヒー飲みますか?」
    「はい! ありがとうございます」

     にこやかに笑う様はシリウスとは違っていて少し違和感がある。よく似ているが、シリウスの方が整っているとハリーは思った。
     コーヒーを淹れて座るレギュラスの前にカップを置く。ハリーは向かい側に座って自分にいれた紅茶を一口飲んだ。

    「ラミアが、生き返らせたんですか?」

     死んでいるはずのレギュラスが生きている。それを見て一番最初に考えたのはそれだった。セルウィンの人間は一生に一度だけ一人を生き返らせることができると言うのはラミアから聞いたことがある。しかしレギュラスはゆっくりと首を横に振った。

    「違いますよ。私は死んでいなかった、ただそれだけです」
    「なら、どうして」
    「記憶を失っていたんです」

     レギュラスは一口コーヒーを飲んで微笑んでから、話を始めた。

    「私はもともと闇の帝王の熱狂的な信者でした。あなたも知ってのとおりブラック家は闇の一族でもある。長男はイレギュラーにも闇の魔術を嫌う魔法使いになりましたが、次男の私はブラックの道を歩いたんです。私は十六の時、死喰い人になりました。
     名誉なことだと思いました。母にも父にも自慢の息子だと言われ、家を出た兄はいなかったものとされる。別に兄が嫌いであったわけじゃありませんから、少し複雑なところもあったのですけれど……。でも私は闇の帝王を裏切りました。彼の大切なものを奪い、死ぬつもりだったんです」
    「……でも、死ななかった?」
    「ええ、ラミアが助けてくれたんです。ですが、闇の帝王の大切なものを奪った代償に記憶をすっかり失ってしまって、ラミアのところで別の人間として生きていたんです。一度会ったことがあるでしょう?」
    「レジナルド……」
    「そうです」
    「あの、あなたは。どうしてヴォルデモートを裏切ったんですか?」

     一瞬レギュラスの腕が止まる。しかしすぐに微笑んで、レギュラスで良いですよとにこやかに言った。

    「私の大切なものをないがしろにされたからです。簡単に言えばね」
    「今は死喰い人ではないんですよね」
    「ええ。闇の印を見たことは?」
    「あります」

     昨年スネイプとカルカロフが話していたのを見た時に一瞬だけ。そう言うと、レギュラスは右手でまだ一度もテーブルにあげていない左腕を掴む仕草をした。ハリーは息を飲む。そこは何もない空洞。

    「左腕……」
    「私が記憶を失ってすぐに、あなたのお父さんに切り落としてもらいました。ラミアにさせられないから、と」
    「え? 父さんに?」
    「私の生存を知っていた数少ない一人だったのですよ、あなたの父ジェームズ・ポッターは。そして私が今、記憶を取り戻しているのも、彼の力のお陰でもある」

     信じられずにハリーは瞳を瞬かせる。レギュラスはまた嬉しそうに笑った。



     その後も様々な話をした。初めこそもと死喰い人の彼に警戒していたものの、ラミアの親友でシリウスの弟である彼のことを少しずつ理解しようとしたのかもしれない。彼の話は面白かった。十数年記憶を失っていたせいかラミアやシリウスより若く感じられる彼は、頭もよくホグワーツでわからなかったことを聞くとスラスラと答えてくれた。堅苦しく離さなくていいと言う言葉に甘えて、ハリーの口調は砕けていった。一時間ほど話していると、ハリーはどうしても聞きたいことがあってメモしていた羽ペンの手を止めた。

    「ねえ、レギュラス」
    「何でしょう、ハリー」
    「ラミアとは恋人同士なの?」

     純粋な疑問だ。ラミアは親友だと言っていたが、記憶を失っている間ずっと一緒に住んでいたようだし先ほどの少しの会話でも二人の距離の近さは恋人のそれのようであった。しかしレギュラスは苦笑して首を横に振る。

    「違いますよ、私たちは学生の頃からの親友」
    「好きじゃないの?」
    「その聞き方はずるいですね」
    「好き?」
    「ええもちろん。結婚したいくらいには」
    「しないの?」

     なかなか無礼な質問であることは承知の上だったがどうしても聞いてみたかった。あの男の影なんて見たことのないラミアの親友が生きていたとなれば、幸せになってほしいと言うのが正直なところだ。

    「ラミアがyesとは言わないでしょうね」
    「どうして?」
    「もう数年だから」
    「え? それってどういう……」
    「ハリー!!」

     悲しそうに言うレギュラスに詳しく聞きたいと身を乗り出した瞬間、部屋の扉が開きラミアが飛び込んできた。嬉しそうに笑い、ハリーの目の前までやってきて頭をぐしゃぐしゃと撫でる。その後ろには苦笑いしたシリウスが頭を掻いていた。

    「行きましょう、ハリー」
    「え? 何処に……?」
    「不死鳥の騎士団本部、グリモールドプレイス12番地に!」

     向かいに座るレギュラスが、良かったですね、とウィンクした。


    嫌いな色で塗りつぶして