変化
目が覚めて隣にある温もりに安堵した。レギュラスに寄り添うように眠っているラミアは、未だ深い眠りについている。外から漏れる光はまだ淡く、夜が明けたばかりのようだ。
ラミアは一度死んで以来、よく眠るようになった。元々はあまり長く眠る方ではなかったので、その分を補っているのかもしれない。彼女にその自覚はないようだったが。
顔にかかっている黒い髪を避けて、閉じられた瞼に指を優しく滑らせる。目を覚ました彼女の片目が薄い灰色になっているのを見て、恐らく見えていないのだろうなと思った。しかしそれを彼女は決して口にはせず、いつも通りを演じてみせた。よく見ていれば左目も違和感がある。ラミアが自分の目の色のことを何も言わないということは、色を失っているのかもしれない。
何も言わないラミアに苛立ち、それと同時に頼られない自分自身にも苛立つ。しかしそれを口にする勇気もきっかけもなく、子供みたいなことをしてしまった。そんなことをすれば彼女が困ることなんてわかりきっていたのに。
しばらくラミアに触れていると、彼女がようやく目を覚ました。
「……ん」
「ラミア」
「…レグ」
未だ眠たそうな瞼を数回瞬かせるラミアにキスをする。
「まだ早いから寝ててもいいよ」
「んー」
目覚めがあまり良くないのは、子供の時からだ。まだ半分は眠りの中にいるのかもしれない。ゆっくりとした瞬きをしながら、体温を求めるようにラミアがすり寄ってきた。
「レグは?」
「ラミアが寝るのならここにいるよ」
「それは魅力的だね」
ラミアを抱き寄せて、その背をゆっくりと撫でる。脱力した彼女の身体が心地いい。あっという間に眠りに落ちたラミアに誘われるように、レギュラスも瞼を閉じた。
腕の中の温もりが消える感覚で意識が浮上する。追うように目を開ければ、ラミアが上体を起こし体を伸ばしていた。彼女の白い肌がカーテン越しの日に当たって眩しい。ただ気になることも多い。
「痩せすぎ」
ついこぼした言葉にラミアはきょとんと振り返った。自分の細い腕を見ながら苦笑いをする。
「やっぱり? 食べようとは思ってるんだけど…。肉がついてた方が好み?」
「好みというか、普通に心配」
「あー、なるほど」
「もともと痩せてたのに…」
ラミアの腕を掴んでみるが、スカスカで不安になる。昨晩も思ったのだが、力を入れる間もなく簡単に壊れてしまいそうだ。ラミアのことだから不健康な太り方はしないだろう。無理に食事をとらせる気はないが、少し増やすようにサッティに伝えてもいいかもしれない。
もともとラミアは健康的な方ではない。死ぬ前でも十分痩せていたのだ。だが三週間の昏睡ですっかり骨と皮だけになってしまった。
彼女が一番健康的だったのは恐らく学生の頃だろう。しかも彼女が家族を失う前。卒業の頃には一時回復していたのだろうが…。
「僕にも原因はあるから」
「…そんなことないよ。目が覚めてからはそれなりに食べてるし」
言われてみればゆっくりではあるが以前に比べれば食べているような気がする。書店で療養に向いた料理本でも見つけてサッティに渡そうと決意した。
一週間に数度、ガランサス邸には数名の団員が訪れていた。主にラミアの近況を聞くためだ。
彼女が死んだことで世間的にこのガランサス邸はセシル・セルウィンに相続されると思われていた。しかし彼女は死んでいないためもちろん相続は怒らない。とはいえこのままにしてラミアが生存していると知られてしまうわけにはいかないため、この家は表向きアントニーに相続されたということにしたのだ。
突然の申し出に一番驚いたのはアントニー・クロムウェルだ。
「ダンブルドアからの手紙で驚いて心臓が飛び出そうだったんですけど」
「私も最初はそうだったよ」
未だにラミアに非難の視線を向けるアントニーを置いて、一緒に訪れていたセオドア・コレットは面白そうに言った。
「なんて書いてたんです? 偽の遺言には」
「セシルになんて絶対に渡さない。私の授業を引き継ぐんだからこの大量の書籍や植物もそのままアントニー・クロムウェルに引き継いで」
「なるほど」
実際に相続が発生しないが、外的には十分効力があるように仕向けるのはラミアにとっては難しいことではなかったらしい。
「魔法省の相続に関する部署なんてガバガバよ」
「ばれたら俺が怒られるんですから、ちゃんとしてくださいよ…」
アントニーは苦笑いをしながら彼女の破天荒ぶりにため息を吐く。ホグワーツで会っていたことに比べれば随分顔色もよくなって体も軽そうだった。
去年一年間助手を務めたとはいえ、急に教授を任されるとは思っていなかったためアントニーは不安すら感じていたのだが。
「大丈夫よ。アントニーは教えるのも上手だし。私の代わりに何回かやってた授業も評判よかったじゃない」
「まあ、そうなんですけど…」
小説家という本業があるとはいえ、ダンブルドアはそれも承知でアントニーに依頼をしていると聞かされた。はじめはその二足の草鞋をこなせるか自信はないが、やってみてもいいだろう。それなりに収入も安定するし、なんて思いながら渡された本の山を鞄に詰める。
「冥界の部屋も好きに使っていいよ。ハリーたちも時々来るだろうし」
「あそこの書籍もなかなか魅力的ですから、そうさせてもらいますよ」
これは早めにホグワーツに行って準備する必要がありそうだ。
「セオ、ちょっと手伝ってね」
「はいはい、わかってますよ」
アントニーやリリスの幼馴染でありアイリスの父でもあるセオドアはまた笑いながらアントニーの背中を叩く。今はある魔法街で書店員をしているのだ。
「セオ。リリスやアイリスにもよろしくね」
「ええ。ラミアが元気だったって伝えておきますよ」
セオドアはアントニーの荷物の一つを持つ。そうして二人は帰っていった。
次に訪れたのはシリウスだった。応接室でサッティの淹れたお茶を飲みながら、レギュラス、ラミアの三人で話をする。
「ハリーがグリモールドプレイスに来たよ。ラミアのこと心配してた」
「そっか。夏休み中には会えないかもなぁ」
だいぶ体調も安定してきていたとはいえ、いまだ体力は戻り切っていなかった。それに魔法自体は少しずつ使ってみてはいるものの、片目を失ったハンデはなかなかに大きい。
「色もわからないんだろ? 魔法でどうにかはならないのか」
「レグといろいろ試してはみたんだけどね。病気とかで機能的に悪くなってるのとは違うからか、まったく効果がなくて」
代償であり呪い、そして生への祝福だ。きっとどんな魔法でも戻らないだろう。
「マッド・アイに義眼職人でも紹介してもらうか?」
「冗談でしょ? 私にあんな悪趣味な義眼をしろっていうの?」
ダンブルドアのあとに一度訪れたマッド・アイはラミアの目が覚めているのを一目見るだけで帰ってしまった。特に話すこともなかったのだろう。
「で、レギュラスはどうするんだ? 生きてるの知られたんだろ?」
「たぶんね。あの場にいた死喰い人はかなり捕らえたけど全員ではない。ベラは僕にもちろん気が付いていただろうし、彼女が闇の帝王に話さないとは思わないな」
「しばらくはレグも私と一緒で外には出ないよ。買い出しはサッティが済ませるし、このガランサス邸には強力な人払いの魔法がかかってる。私の許可がなければ近づくこともできないし、私が死んでいてもそれが有効であるって適当に話すようにアントニーには言ってある」
ラミアの強力な魔法を破るには並大抵の魔力とそのコントロール力がなければ無理だろう。それに加えてラミア並みの魔法知識がなければいけない。そんな魔法使いは世界中探したってそうはいないはずだ。
「多分ここにいるのはすぐにわかりそうだな。お前たちが懇意だっていうのはそれこそ詳しいだろうし。アントニーにも警護をつけた方がよさそうだ」
「そうしてもらえるとありがたいな。一応守りのブレスレットを渡してはいるけど、アントニー自体は魔法が特別得意なわけじゃないからね」
ラミアたちの都合で彼を危険にさらしているのは彼本人も含めて承知の上だった。だからこそ万が一にも彼に危害が加わってはならない。
「シリウスも外には出られないんでしょう?」
「まぁな。俺はラミアより生死を疑われてるだろうし。しばらくはあの家に缶詰だよ。まあハリーたちがいるからまだましだろうけど」
「お互い大人しくしているのが最善みたいだね」
全員が苦笑いをこぼし、その姿にお互い声をあげて笑う。平和な世の中には程遠いが、少なくともその場所は幸福の一部だった。
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ハリーは夏休みに入り数日をダーズリー家で過ごした後、ダンブルドアが迎えにやってきた。その際もひと悶着あったのだが、ダーズリー夫妻はひどく複雑そうな顔をしながらもハリーを引き留めはしなかった。てっきり直接グリモールドプレイス十二番地に連れて行ってもらえるのかと思いきや、寄り道をしても? というダンブルドアにバドリー・ババートンという村に連れていかれた。そこにいたのはダンブルドアの旧友、ホラス・スラグホーン。彼はかつて魔法薬学の教師をしていたらしい。今回はホグワーツの教師へ復帰するように説得するためにハリーを連れ出したらしかった。
スラグホーンはダンブルドアが席を外すとハリーに向き直り両親の話をし始めた。そしてかつてのお気に入りの生徒の話を。その中にはシリウスやレギュラスの名前もあった。そして最後に視線を落としてそれまで明るかった声をすとんと落としてこぼした。
「ラミア・セルウィン。きみは彼女から学んでいたのだろう。非常に残念だ」
「ラミアのことも知っているんですか?」
「もちろんだ」
数々の写真の中にようやく彼女を見つける。その隣には若いころのスラグホーンとハリーの知らない快活そうな青年が笑っていた。
「彼女が短命なのは知っていたが、こんなにも早いとは思わなかった。ラミアの父親だってもう少し長かっただろう…。」
ラミアがまだ死んでいないと知っているのはごく少数で、ハリーの口からは何も言えなかった。
その後もいくつかの話を聞いているうちにダンブルドアが戻ってきた。そして勝算がない、と去ろうとするダンブルドアに、ようやくスラグホーンは引き受ける、と叫んだのだった。
そうしてグリモールドプレイス十二番地にやってきたのだが、ハリーの頭は新たな教授よりも神秘部で倒れたラミア・セルウィンのことでいっぱいだった。
彼女は神秘部での戦いの後意識を失い、昏睡状態になったとダンブルドアから聞いた。ただ表向きラミアとシリウスは死んだことにしていたため手紙で情報を受け取ることもできず、ダーズリー家にいる間は全く情報を手に入れることができなかった。
ラミアが目を覚ましたと連絡がきたのは七月の下旬だった。ダンブルドアがグリモールドプレイスに来た際に、ガランサス邸に行ってきたと伝えられた。
「決して元気というわけではないようだが、長生きできそうだと本人も言っておったよ」
そう言ってハリー、ハーマイオニー、ロンに渡されたのは小さな木箱。その中には緑色のブレスレットが入っていた。
「完成したそうじゃ。肌身離さず身に着けてほしいとラミアから」
今まで渡されていたブレスレットなども全て保管しており、一番新しいものを身に着けていた。ハリーたちはそれらを外し、渡されたブレスレットを身に着ける。「あなたたちの命を救いますように」と添えられていた手紙には懐かしいラミアの文字があり、少しだけ彼女が生存しているという実感がわいた。
八月に入り騎士団の団員の出入りはますます増えていった。しかしその中にレギュラスやラミアの姿はなく、人伝に彼女の話を聞くばかりだった。
「元気そうだったわよ」
「よかった!」
会議にやってきたコーディはいつも通りお気に入りのビスケットを齧りながら笑ってそういった。ほかにもシンシアやシリウス、マッド・アイなんかもガランサス邸を訪れたらしいが、ハリーにその許可は下りない。
「会いに行ったらダメなの?」
「ラミアはまだ本調子じゃないんだよ。きっとクリスマスにはここに来られるだろうから、それまでは手紙でも送れば喜ぶだろう」
最後にラミアとレギュラスに会ったらしいリーマスはそう言って笑っていた。
そして九月一日、また新学期が始まる。