彼らの愛
死の魔法。アバダケダブラ。
相手を死に至らしめる、禁断の魔法。
世界中の魔法を集め、その膨大な魔力と人並外れた制御力で失われた古代魔法すら駆使するラミアも、その魔法を使ったことは一度もない。
その魔法でラミアは恩人の忘れ形見を殺さなければならない。
ラミアにとってハリーは希望の光だ。レギュラスを失って、自分のエゴで長らえさせて。その罪悪感に苛まれながらも、何かしなければすべてを失ってしまう。何があろうと冷静に解決できると信じていたのに、親友が死んだことになってしまった世界に足が竦んだ。
『君は親友を救っただけだ。何を背負っているのか僕にはわからないけど、君のしたことは間違ってないよ』
ジェームズのその言葉がどれだけラミアを救ったか。気休めにしかならないような言葉でも、それでもよかった。レギュラスを救うためにジェームズは手を貸し、ラミアはジェームズの子供を守ると誓った。ラミアにはハリーを助けることで自分がまだこの世界にたった一人ではないと実感したかったのかもしれない。そんな自分勝手な理由で彼を手助け、見守ってきた。
そんな彼を、ラミアは殺さなければならない。
ブレスレットはあくまで所有者の生きる意志を感じ取り、その清廉な魂の一部を魔法石内に保つだけのものだ。セドリックが助かったのも、覚悟の足りないワームテールの魔法では魔法石内の魂を刈り取り切れなかっただけ。
理論上は可能だ。生きる意志はハリーの中に十分あるし、ラミアの魔法制御力をもってすればブレスレットに影響を与えないまま死の魔法をハリーに使うことができるだろう。
改良を重ねて完成したブレスレットなら、魂を石から体に戻した後もセドリックの時ほどの魔力消費はないはず。
わかっているのだ。可能であると。ダンブルドアの言う通り、ラミアの魔法制御力とラミアの作ったブレスレットなら。リリーの愛を欺いて、ハリーを殺すことが。
ラミアはもう、自分の力で誰かを蘇らせることはできない。今までその力を欲したことなんて一度もなかったのに、初めて恐ろしいと思った。
「リリー、私を許さなくていいから、どうか。私より先にハリーをそちらに連れて行かないで」
ラミアはガランサス邸に戻ってからそれまで十分すぎるほど熟練していた魔力のコントロールにさらに磨きをかけた。彼にあの緑の光線を向ける日はきっとそう遠くない。もしかしたら明日かもしれない。そう思うと恐ろしくて居ても立っても居られなかった。レギュラスも何かを感じ取ったようで、ラミアの異常なほどの執着に付き合ってみせた。
そしてその日はひと月も経たないうちに訪れてしまった。
『稲妻に打たれた塔。災難、大惨事。刻々と近づいてくる』
トレローニーの三度目の予言だった。ダンブルドアから連絡が届いたラミアは急いで準備をし、ホグワーツへ向かう。その日はダンブルドアの指定したラミアの防御壁が表面上消失する日だった。
死喰い人たちはもうラミアの生存を疑ってはいないのだろう。ダンブルドアは一旦ホグワーツを離れると言った。今夜死喰い人はホグワーツへ侵攻してくる。
ラミアはハリーを手紙で冥界の部屋に呼び出すと、ハリーはすぐにやってきた。ラミアは平静を装いながらハリーにココアを出す。
「ラミア! 会いたかったんだ!」
「ハリー」
「マルフォイのやつが必要の部屋で歓声を上げていたのを聞いたんだ。きっと企みごとが成功したんだ…」
「そのことですが、おそらく今夜死喰い人たちがこのホグワーツに侵攻してくる」
「え! なら急いで戻ってみんなに…。ラミア?」
ハリーはそこでようやくラミアの様子がおかしいことに気が付いた。すっと立ち上がったラミアが懐から杖を取り出し、ハリーに向ける。
「ハリー」
「ラミア? どうして僕に杖を向けるの…?」
「ごめんね。必ず、成功させるから」
ハリーは立ち上がり、椅子を蹴りながら後ずさる。杖に手を伸ばそうとしたようだが、どうにもうまくいっていない。
ヴォルデモートがホグワーツに来る前に、済ませなければ。失敗したら彼は死ぬ。
「ハリー、すぐ、終わらせる」
「ラミア、どうして。どういうこと!?」
縋るようなハリーの瞳に胸が苦しくなった。もうラミアの目ではあの緑の目を見ることは叶わない。落ち着け、と言い聞かせてひとつ深呼吸をする。そしてもう一度ハリーを射抜いたのは、氷のように冷えた青い隻眼だった。
「アバダ ケダブラ」
閃光がハリーを貫く。リリーの愛の守りが砕け、ブレスレットが光る。その場に倒れるハリーをラミアはじっと見つめていた。
「ジェームズ、リリー、おねがい」
小さく囁いて震える手のままハリーに近づきしゃがみこむ。ハリーの呼吸は完全に止まっていた。死んでいる。
ブレスレットに手を翳し、震えの止まらない指先を見つめながらラミアは叫ぶように言った。
「残りし魂、預けた魂。今、返されよ…!」
ブレスレットは淡い光を放ち、小さく点滅しながらその光を強くしていく。
「ハリー、帰ってきて……!」
ブレスレットから光の翼が弾け、ハリーを包み込んだ。そしてその翼が消えると、部屋を静寂が覆いつくす。
「ハリー、ハリー、おねがい、起きて…」
冷えた指先で彼の頬に触れる。視界が滲み、指先が震えているのが自分でもわかった。やがて温かい頬がひくと動き、瞳がゆっくりと開く。わからなくてもその瞳の色がリリーと同じであるとラミアは覚えていた。
「ラミア?」
「よか、った……」
泣きながらハリーを抱きしめるラミアを、ハリーは呆然として見つめる。何が起こったのか、よくわからなかった。ただ一瞬、ここではないどこかにいたような気がした。
「成功したようですね」
「あ、レギュラス! これ、何が起きてるの?」
ハリーを抱きしめたまま動かないラミアの背後から現れたのレギュラスだった。ずっと隣の部屋にいたのだ。何かあった時に対応できるように。
「すべて説明しますよ」
レギュラスはそう言って微笑んだ。
ラミアはすぐに平常心を取り戻したようで、少し赤くした瞳のままゆっくりと話し出した。
「あなたの中に強いヴォルデモートとのつながりがあるのはわかっていました。ダンブルドアはその原因があなたの魂に引っかかったヴォルデモートの魂であると考えたんです」
「僕の中に? ヴォルデモートの魂が?」
「はい。一種の分霊箱となっている可能性があると。もちろん意図した作成ではなかったはずですが」
「だから分霊箱としての僕を殺すために魔法を」
「そうです」
レギュラスの入れたハーブティーを飲みながら、ラミアはゆっくりと息を吐いた。そんな姿を見ながらもハリーは少し顔を強張らせる。
「なら先に言ってくれたらよかったのに! 僕だってラミアがそういうなら逃げたりなんかしないよ」
「説明してから使うのは、私が平常でいられる自信がなかったので」
「ラミアのことは尊敬してるけど、そういうところはだめだと思う」
「それは僕も思ってるよ」
「レギュラスまで、なにそれ」
ようやく空気が和らいできたところで、ラミアはまた呼吸を深くした。
「ハリー。恐らくブレスレットの改良であなたの魔力は必要以上に削られなかったはずですが、どうですか?」
「うん。少し疲れてる感じはあるけど、そんなにひどくはないかな」
「ならこれを飲んで。レギュラス特性の魔法薬です。色も味もひどいですが、効果は十分です」
そうやって出されたのはゴブレットに注がれた青く透明な液体。ハリーはあからさまに嫌な顔をしたが、しぶしぶ受け取って一気に飲み込んだ。
「うぇぇ…」
「先ほども言いましたが、今夜死喰い人の侵攻があります。寮にいれば安全ですが、きっとあなたはどう言い聞かせても大人しくなんてしていられないでしょう」
ラミアはハリーの褒めるように頭を撫でながらのゴブレットを受け取った。そして色の変わってしまったブレスレットをハリーの手首からするりと外し新しいものを渡す。
「ダンブルドアは?」
「あの人は死喰い人をおびき寄せるために一旦ホグワーツを離れています。ですが侵攻があればすぐに戻ってくるでしょう。少なくとも生徒に犠牲を出すような人じゃない」
「すべてダンブルドアの罠ってこと?」
「ええ。ダンブルドアは今夜、すべてを終わらせられると信じているようです」
「そうか…」
覚悟を決めたようにブレスレットを撫でるハリーは、ヴォルデモートと対峙することを考えているのだろう。ラミアは彼の手にそっと触れた。
「あなたがすべきことはたった一つです。生き残ること。それだけ。リリーが、ジェームズがきっとあなたを守ってくれる」
「ラミアでしょう? ラミアも僕を守ってくれる」
「ええ、あなたのお父さんとの約束、この命に代えても違えたりしません」
ラミアはゆっくりと立ち上がってハリーの手を引き、ハリーは逆らうことなく立ち上がる。
「さあ、寮に戻って。生徒たちはこの後寮からの外出を制限されるはずです」
「わかった。ラミア、それにレギュラスも。無事でいてね」
「ええ」
「もちろんですよ、ハリー」
ハリーは駆け出すように冥界の部屋から出ていった。
ハリーの気配が遠ざかると、ラミアは力が抜けたように体をふらつかせる。レギュラスはすぐにその体を支えて、部屋の端にある簡易ベッドに座らせた。
「ラミア」
「大丈夫、ごめん。ちょっと安心しただけ」
レギュラスが隣に座ると、ラミアはその胸に縋るように抱き着いて肩を震わせた。
「よか、った。ほんとうに、彼を、死なせなかった…」
「まだこれからだよ」
「うん、わかってる。でも…」
本当の戦いはこれからだ。だがようやく消えた自分の手で殺してしまうかもしれないという恐怖にひどく安堵する。
レギュラスはゆっくりとラミアの背中を撫でながら、額に唇を落とした。
「あなたならできるってわかっていたよ」
「レグ…」
「大丈夫。もうこれで最後だ。こんなに恐ろしい日は」
「そう、だね…」
ラミアはようやく顔を上げて、強請るように顔を寄せる。考える間もなく唇が軽く触れあって、離れた。
「愛しているよ、ラミア」
こんな日に似つかわしくないその言葉に、ラミアはきょとんとしてからふと笑った。
「レグにはっきりそう言われたのははじめてかも」
「…初めて寝たときに言った記憶があるんですけど」
「学生の時の? ベッドの上の男の言葉は信じちゃいけないって言ってたわ」
「誰が?」
「アントニーの書いた小説の主人公」
ラミアの言葉にレギュラスは嫌な顔をする。そしてまたひとつ軽いキスをしてから、すこし面白くなさそうに言った。
「なら今のもなかったことにされますか」
「あ、そっか。ここもベッドだ」
「しかも初めて寝たのもここです」
「…そうだったね」
もう十年以上前のことだ。考えていると羞恥心が沸き上がってきて、ラミアは気を取り直すようにレギュラスから離れた。そんな姿にレギュラスは笑いながら立ち上がる。
「そろそろ僕たちも準備しよう」
「うん、そうね」
差し出された手を取り立ち上がろうとして、やめた。
「ラミア?」
「レグ」
ラミアはぐいとその手を引いて、自分は少し体を伸ばす。そしてその唇に吸い付いた。
「私も愛しているわ、レグ」
ぽかんとした表情のレギュラスに、ラミアは満足したように笑って立ち上がる。手は握ったままその力を強くした。