あの日借りたタオルを、いつでも返せるようにかばんに入れて持ち歩いている。
階段を上っていると、目の前に一組の母子が歩いていた。
その男の子が買ってもらったばかりの靴が入った赤い袋を嬉しそうに覗いていると、突然母親が男の子を隠すようにしゃがみ込んだ。
「な、なになに!?」
急に押されて驚いた男の子は、その持っていた袋を落としてしまう。あっとその紙袋の行先を見つめる男の子に対し、母親が何やら階段の上を注意深く何度も様子を見ている。
「兄貴!」
「お〜お前か」
階段の上、通路の所で何やら柄の悪いいかにもな高校生と黒いTシャツ姿の大柄な小学生が話しているのが見えたときには、俺の腕の中に男の子が落とした赤い紙袋が収まっていた。
「あの…」
「はい」
男の子が母親の元をすり抜けて、数段上の目の前に立っていた。紙袋を腕を伸ばして手渡せば、男の子はまたもや嬉しそうに受け取って元気な声でお礼を言うと母親の元へ戻っていった。
男の子の姿を見送って、もう一度上を見上げたが、もうあの異質な面子の姿はそこになかった。
「靴拾ってくれたお兄さん、かっこよかったな〜」
「え?巧、何か言った?」
▲▼
子供が昔から好きだった。
今日見た男の子も笑顔でお礼を言ってくれる素直ないい子で、心が温かくなるような、そんな気持ちになった。
自分に兄弟がいないせいか、周りが話す兄弟喧嘩の話にすら羨ましいと思ってしまう程。
ひとりっ子で愛情をたくさん注いでもらった分、色んな子に優しくしたいと思う様になったのは、きっと親の
「あっ」
「あ」
摩耶と別れた後、帰路を歩いていたら、件の彼が目の前から歩いてくるではないか。目が合うとぺこりと会釈をする彼は、相変わらず愛想がない様に見える。
「あ!ちょちょちょっ」
そのまま歩いて行こうとする彼に、慌てて引き止める。
「?」
「これっ!ありがとう」
いつでも渡せるように、かばんの中に入れておいた借りていたタオルを彼に渡す。
「あぁ、別によかったのに」
とそれを見て呟いた彼は、受け取ってかばんに仕舞うと
「わざわざ、ありがとうございました」
と小さく笑った、ように見えた。
「あのさ、よかったら、今度お礼させてくれないかな」
条件反射のように「え?」と言った彼の目は、この前見た 眠たそうな目ではなかった。
あなた、と切り出して
「この辺りに住んでるんでしょ?暇なときでいいからさ、お礼させてよ」
と言う押しの強いその瞳に、別にいいです、と断るつもりだった気持ちが揺れる。
視線を落とす彼に、肯定と受け取ったのか彼女は話を進めてくる。
「あ、連絡先教えて?あたしはいつでもいいからさ」
と携帯をかばんから出すので、まぁ連絡先だけなら...、と自分も制服のポケットから携帯を取り出した。
「じゃぁ、いつでも連絡してね」
はい、と返事をして、家に帰ろうと歩き出すと
「すっぽかさないでよー」
と後ろから大きな声が飛んできた。
わざわざ礼をされるようなことじゃない、と連絡する気のない電話帳を登録したのがバレたのかとドキッとした。
苦笑い付きの会釈で返せば、女性は笑って大きく手を振った。
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「苗字名前っていうのかぁ」
「お母さん?どうしたの携帯見て」
「なーんでもないよ。潤一もあんなお兄さんになってくれたら嬉しいなーと思ってさ」
「?」
▲▼
“斉藤 全子”
自分の携帯に女性の連絡先が登録されたのは貴重だが、なんだかすごい人と知り合いになってしまったんじゃないかと思う。
暇な日、ねぇ...
机の横のカレンダーをぼーっと眺めて、あの人のことを思い出す。
メール、明日でいいか...