嫌いだ、嫌いだ、と悪党の男は語る。
気が狂う程に、胸焼け起こす程に、殺したい程に忌避してくれたら楽になるものの、その女は怒る訳でも悲しむ訳でもなく、優しさに満ちていつまでも変わらぬ愛を捧げていた。
「俺は貴女が嫌いなんです。」
「……分かっています。」
「なら、さっさと何処かに行ってください。無理に笑みを浮かべたその顔も見たくないし、耳障りなその声も聞きたくない。」
「それでも、私は貴方を慕っています。」
「俺は悪党ですよ。下手するとその細い首を容赦なく締めてしまうかもしれませんね。」
「それでも、構いません。」
「………っ、往生際が悪いな。失せろと言っている。」
「そんなに嫌いなら、いっそ殺めてしまったらいいです。それくらいの覚悟はーー、」
がたん、と近くの棚が小刻みに揺れたかと思えば、彼女は冷たい床に倒れてその細い首が無抵抗に締まっている。
「…………そうだな、そうしてしまえば、いい。」
「……………。」
「俺は、悪党故に誰にも好かれず、いつだって忌避され続けている。そうして何も持たぬ愚者は陰口を叩き、身に覚えのない噂まで容易く広めてしまう。その価値のない命を幾つも葬っては穢れに穢れきって、心もとうに荒んでしまった。
だからこそ、貴女が死ぬ程大嫌いですよ。」
彼が酷く嫌われる事と自分が忌避される事、どうにも引っ掛かる。ただ一つ分かるのは、その突き刺すような眼光は殺意に呑まれていないという事。本気で殺そうなどという気持ちには至っておらず、むしろ、何かを辛うじて守ろうとしているようにも見えたのだ。
まるで警告をするように、宛てがった指先は、未だ無垢な柔肌を奥底まで蹂躙していない。
「お前が、嫌いだ……。」
法正は絞るような声で、繰り返し言い聞かせるように呟いた。その表情は悲しく、何か失うのを恐れているように。
「なら、どうして、苦しそうな、顔を、するのですか。」
「…………。」
「法正、様。」
その頬に触れようとした直後、ひゅっ、と僅かな息がもれたかと思えば、すっかり乾いた唇が徐に水分を吸った。それもその筈、彼は貴重な酸素を全て奪うように彼女の口を塞いでしまったのだ。
「んんっ………。」
「………、は…………。」
その重い手によって未だ首が締まったまま、小さな口内が蠢く舌に犯されて、まともに息をする事も叶わない。
ああ、このままだと本当に彼の手によって死んでしまいそうだ。しかし、これだけ嫌われている筈なのに、何故このような行為をしたのか……せめてもの情けなのか、答えを聞きたくとも、もう不可能だろう。彼のような悪党に巡り逢ったが最期、その想いは悲恋に終わってしまうのが必然的な結末だったのだ。
……それでも、決して後悔はしていない。
最期まで彼を愛してよかったと、その想いを胸に抱きながら潔く死んでしまえばいい。愛した男の手によって、その命を奪われるなら、それこそ本望だ。
(愛して、います……。)
既に抵抗する力も残っておらず、視界が徐々に霞んでいくのを見届けながら意識を手放そうとした刹那、
「愛している。」
遠くから聞こえる愛の告白に応えるように彼女は息を吹き返した。そして崩れるように首の枷が外れて、更に深い口づけを施される。
「……っ、ほうせ、さ………。」
朽ちかけた視界に映ったのは、苦悩しきった果ての男の姿。
「………違う。」
ぽつり、限りなく低い声で法正は囁いた。
「好きだ……好きだ……本気で好いている。だが、それでは苦しむのはお前だ。悪党であるこの俺と結ばれれば、結末くらい誰にでも分かるだろう。
……俺は、悪党故に誰にも好かれず、いつだって忌避され続けている。なのにお前は決して恐れずに、こうしていつまでも俺だけを愛し慕ってくれる。そうした挙句、真っ直ぐで純情な貴女が、こんな俺といる事で傷付く事が許せなかったんですよ。
ああ、よりにもよって、なんで俺なんかを好きになったんですか……。」
「…………。」
「だが今ならまだ引き返せる。俺を……忘れて生きろ。」
先とは打って変わり諭すような優しい声色に、彼女は、堪らず声を上げて泣いてしまった。
「わ、たしは……どうなったって、構いません……!」
震える両手で法正の顔を包み、意思を固めた真っ直ぐな瞳を向ける。
「心から愛しているのです……!もう貴方なしでは、生きていけないのです……っ。例え誰が何と言おうと、私さえも虐げられようと、この想いは死ぬまで絶対に変わりませんから……!だから、だから法正様……。」
私の為に自分を殺さないでください。ぼろぼろと落ちる涙は衣服を濡らしていき、呆然とする法正の心を激しく揺さぶった。
「………俺は………。」
感情を抑えられず接吻をしてしまった以上今更後戻りは出来ない。ある者は滑稽だとせせら笑うだろう、結局手放す事が出来ないという事実を。
涙の通った道を指でなぞり、濡れたままの唇に触れて、慈しむように細められる法正の目。
「…………本当に、後悔しないんだな。俺のような悪党を愛したら最期、死ぬまで離れる事は許されない。俺が、赦さない。」
「………はい、法正様を愛した時から覚悟は出来ています。私を、傍に置いてください。私を、愛してください。私の、この儚い命が尽きるまで。」
その華奢な腰を引き寄せては二つの腕の中に閉じ込めて、強く抱いたまま彼女の唇を欲のままに貪る。
「……っ……。」
「……ふ、……。」
ねっとりと銀の糸を引き合いながら何度も角度を変えては深い口付けにどんどん酔い痴れていく。
互いの衣類が次第に開けていき、彼女の全身の輪郭がはっきりと映し出された時、法正は尖った喉をくつりと鳴らして
「恩返しの夜は、永いですよ。」
部屋の灯火が消えて、その二つの影は一つに重なった。
嫌いだ、嫌いだ、と悪党の男は騙る。それは愛する者を何も知らぬ愚者から守る為、決して優しくない嘘をついては本当の自分を殺した。その名に相応しくないのは分かっていても、焦がれるような想いには勝てなかったのだ。
「……………。」
この手に身につけた物はいつでも自ら手を下す意思表明で在る。それならば、最期まで守って愛するのが最大の恩返しというもの。そうして、邪魔な輩の口には劇薬を垂らして最大の報復を味わわせてやればいい。
「貴女に出逢えて良かったですよ。」
静かに眠る彼女の頬を愛おしく撫ぜて、男は初めて心から笑った。