忘れぬ約束

小さな少女は爛々として青年の手を握った。

「わたし、大人になったらあなたのお嫁さんになりたい!」

「………ああ、いいぞ。その言葉、大人になっても忘れるなよ。」

「忘れないもん、お嫁さんになれる年になったら絶対にまた言うね!わたしとの約束だよ?」










幼き日に約束した記憶は何時しか色褪せて、今ではすっかり変わりない日々を送っている。


「孝直、言われた仕事終わりましたよ。」

「ああ、お疲れ様です。」

彼に頼まれた仕事を全て終え、手足をうんと伸ばす。それを見た法正もまた筆を置いて腕を伸ばした。

「久々に頑張った気がします。最近あまりやる事がなかったので…手応えあったかも。」

「それは良かった…少しはその鈍った頭はほぐれましたか。」

む、と唇を尖らせて背中を突く。当然彼にはびくともせず、むしろやり返されてしまった。擽りが弱いななしはすぐに音を上げた。

「やめてっ、ふ……ふふっ!」

「そう言われて止める奴に見えますか…。」

「やだ……昔からここが弱いの知ってるでしょう?」

「ああ、昔から何も変わってないな。」

転げ回る身体はそのまま天井を見て、焦点を近くに合わせれば彼の姿が映る。
いつ見てもその表情や声が艶かしい、良い意味で甘い毒だ。

「………そろそろ婚姻は考えないんです?」

その言葉に彼は眉を顰めた。若いとは言え法正だってそういうのを考える年だ。ここまで男女の関係を持たないなんて事はきっと無い筈。

「……どうして貴女がそれを問うんです。」

「いえ、貴方ならきっと良い人がいると思って……深い意味はない、かな。」

床に広がるななしの長い髪は掬い上げられ、彼の口元へゆっくり寄せられる。女性の髪は甘い匂いを漂わせ、鼻の奥を擽られた。

「孝直……?」

「あの日から、俺は幾多の女の誘いや思いを全て断ってきた。…憶えていますか。」

「あの、日……。」

「やはり、思い出せないか……。」

何処か悲しげな瞳が異様に記憶を掻き乱す。肝心な事を忘れている気がする、彼との、何かを。

「ああ、気にせず……俺の戯言ですので今の話は忘れて下さい。」

覆い被さる身体はすっと離れる、それと同時に心も離れる気がしてとてつもない程に胸が苦しくなった。違う、何かが違う。

「待って、行かないで……!」

上半身を起こし咄嗟に手を握れば目をぱちっと丸くして驚く表情を見せる。

「…………。」

「ななし………?」

「………お嫁、さん。」

自分でも驚く程自然と口にしたその単語、記憶の奥底に眠っていた彼との約束が一気に甦る。

「そうだ…思い出した……私。」

黙って続きを聞く様に彼女を見れば、途端に涙を零し始め法正は思わずぎょっとしてしまう。

「おい……何で泣くんだ。」

「自分で言っておきながら、忘れるなんて馬鹿だなぁって。でも、あの時は凄く本気で……。……ずっと約束、守っててくれたんだ。」

「今は…違う、か。」

首をぶんぶん振って必死に否定をする。

「あの時から……ずっとずっと好きだよ…でも、憶えていてもきっと孝直は忘れてるんじゃないかって…。
そう思ったら記憶から何時しか無くなっていて。
貴方はもう素敵な人がいると思って。…ああもう何か、上手く伝えることが出来ないや……。」

くしゃりと笑って誤魔化せば、不意におでこに痛みが走る。彼が指で弾いたのだ、思わずその部分を擦る。

「何するん…です!」

「舌っ足らずな上に幻覚でも見てるのか……。俺が女といる所を一回でも見た事あってそう言ってるので?」

「………。」

「勝手に決め付けないでくれませんか……俺は待っていたんですよ。貴女からの言葉を、ずっとね。」

「………ごめんなさい。」

唇をきゅっと噛み締めれば今度は優しい表情を浮かべ、もう一度言ってくれ、と言う。

「あ……う……恥ずかしくて…言えませんよ。」

あの頃は幼かったから簡単に言えたが、今言うのは流石に勇気がいる。

「言わなければこのまま押し倒しますが……どうします。」

彼は両手で軽く彼女の両肩を押すと、今にも後ろに倒れそうだ。このまま言わなければ恐らく本当に襲うだろう。獲物を逃さないかの如く狙った目は何時になく本気である。

「…………。」

「…………。」

ついに身体が後ろに倒れこんだ。同時に衣服に違和感を持つと、彼の指が紐をじっくりと解いているではないか。

「わ、分かりましたから……!その先は行かないでください……!!」

手で彼の胸板を押せばその行為がぴたりと止まる。大きく深呼吸してしっかり見据え、

「…孝直…の、お嫁さんに…なりたいです。」

今までに無いくらい羞恥に駆られ心臓が煩い。恐らく死ねる筈だ。
そして時が止まったかのように彼は少しだけ目を開いて黙った。その沈黙がより一層辛い、しかしこれ以上何かを言おうとはしなかった。



「………ああ、好きになったのが、ななしで良かったですよ。」

と、ようやく約束が果たされた喜びを柄にもなく噛み締めた。

同時に紐を解く指が再び動き始めた。言ったのに何故そうなると必死に抵抗せど所詮は男女の力の差。当然適うはずもない。

「どうせ互い初めてだろう…?」

「そういう問題じゃない!!」

彼がどうしても初めてに見えないのは気のせいだろか。その後もその疑問だけが残ったななしであった。




(実践はしてませんが、代わりに色々漁って学びましたよ)

(書物でここまで出来るのですか…!)