「今日も誰かを罠に嵌めましょう。」
そんな物騒な事を言い出したのは、ななしという齢十八の少女。劉備の重臣の娘であり、好奇心旺盛且つ悪戯好きで名が通っている。
稚気な姿、そんな彼女からは想像もつかない程に策を練る事が趣味らしく、先日は徐庶がその策の被害者となった。
「ななし様、またその様な事を仕出かして…皆が迷惑しておりますよ。」
「それでも徐庶様は笑っていましたよ?」
それは、彼女の女中である怜は呆れて物も言えなかった。こうして皆か弱き女と見て叱ること無く許すが故に、罪という自覚を持たなくなってしまうのだ。
どうにかそう言った現状を覆す猛者は現れないか、ひたすら溜息ばかり溢した。
「今日は落とし穴を作ってそこに人を呼ぶ、そうねそれにしましょう!」
爛々と目を輝かせる姿。それがもっと別の方に向いてくれれば、切実に願うばかりであった。
「さて、準備は整ったわ、後は誰を落とすか……徐庶様は昨日したし、馬岱様もその前の日に……。」
そこに一人の男性が現れる。真面目な蜀に似合わない風貌、真赤な布を腰に下げて歩くその男の名は
「あれは…法正様。そうね、今日はこの方にしましょう!」
隠していた姿を現し、彼と直接対面する。話した事はあったが、彼の性格などは全く知らない。
「こんにちは法正様、今日は天気がいいですね。宜しければ庭で一緒にお話しませんか?」
「これはななし殿……いいですよ、お付き合いします。」
頭を軽く下げて礼をし、庭へと足を運ぶ。足取りは愉しみな所為か早くなったり遅くなったり。
そして遂に目の前まで来たのだが何を感じたのか、法正は歩みを遅める。
「……法正様、どうかなさりましたか?」
首を傾げて見上げれば、考え事をする様な表情を浮かべている。企みが知られてしまったのか、心臓の鼓動が徐々に速くなり波打つ。
しかし彼は何事も無かったように歩み始めた。その時、ななしは刹那に訪れた恐怖に思わず叫んでしまった。
「………駄目!!」
その言葉と同時に物騒な音が響く。法正は片足をすっぽりと掘った穴に持って行かれ土まみれになった。穴の深さはそれ程ないが、それでも膝までは達している。
彼はゆっくりと目を落とし、ななしの方を見つめる。
「ああ、駄目……とは、何の事でしょう。」
第一声は想像以上に低く、背中がぞくりとした。やってはいけない人間にやってしまった、自分の中の何かが瞬時に声を出して阻止したのも危険を察知した、それなのか。
今までの人とは格が違う、涙声になりながら頭を必死に振り下げた。
「申し訳ありません!!……その、誰かを策に嵌めようとするのが…えっと…。」
しどろもどろで言いたい事が上手く話せない。兎に角謝罪しなければ、そんな気持ちに駆られて涙でじんわりと視界を覆って行く。
「お噂はかねがね伺ってましたが、貴女は俺を恐れずにこんな事をした……この悪党を嵌めるとは……くく……。」
頭は下げていて彼の表情は分からないが、笑ってるのだろうか。どちらにせよそれなりの罰を受けるのだろう。
「…お命だけは……!!」
「俺の信条って、ご存知ですか。やられたらやりかえす……それが女子供であっても。報復は報復を招く、この世はそういう摂理だという事を理解してもらわなければ。」
「何でも…何でも言う事を聞きますから!!どうか……!!」
何度も頭を下げて懇願した、まだ死にたくはない。
「そうですね……もっと楽しめそ…いえ、うってつけの罰はあるんですが、今すぐに報復するのも面白くはない……ならこうしましょう。
貴女は明日から一週間、俺の言う事を何でも聞くのはどうです?」
「………一週間!」
「当然毎回でなくていいんですよ、必要な時に呼びますし。別に縄に括る事や裸踊りなんて言う事は強要しません。一番楽だと思いますが?」
命が取られないだけいい方だ、ななしは力強く何度も頷いた。
「まぁ、報復するかしないか、最後に決めますが。」
「そんな……。」
救いの手を差し伸べたかと思えばぱっと離す。かつて見ない彼のそんな性格さに心が揺れていた。
(敢えて罠に嵌ったのは……ああ、どちらにせよ愉しみだ)