「…………法正、さん。」
真剣な願いを聞き入れたかった、しかしその誓いを遮る様に
「……そんなの……認めません…!」
耳を劈く沙耶の叫び声。法正は抱き締めたままその声の主を鋭く見た。眉を顰めてむしろ離すまいと力を込めていく。
「法正様……その方は私達の縁談に賛同してくれたんですよ。なら、私だけを、見てください……!」
「…………姫様。」
「その呼び方をするのも、彼女が好きだからですか。私を特別扱いをしないのは、彼女がそんなにも大切だからですか……。
私といる時の法正様は、いつも瞳に映していない……何処か遠くを見ていて、一度も私を見てくれなかった……!」
沙耶もまたぼろぼろ涙を流して、その場に崩れ落ちる。ななしはその姿に息を詰まらせ法正から離れようとした。しかし逞しい腕がそれを許さない。彼の息吐く音が掠める。
「………ええそうです、俺が守りたいと思ったのは後にも先にも、ななしだけなんですよ。……すれ違っていた互いの気持ちが分かった今だからこそ、な。
貴女には申し訳ないですが、この話は無かったことにして下さい。」
そんなにも思っていてくれたからこそ嬉しいと思いたい、本来ならば。
だが好きな人から言われるその言葉は、もし私が彼女の立場であったら悲しみに打ちひしがれて、張り裂けそうになるだろう。
しかし何と言葉をかければいい、同情も出来ない。きっと謝罪でも済まされないだろう。何も出来ずに彼の胸の中でそっと瞼を閉ざす。
「嫌です……私は、法正様を心から愛してます……!振り向いてくれないというならこの命…!!」
大粒の涙を落として一心不乱に叫ぶ、すると次の瞬間懐から小刀を出して己の首に目掛けて振りかざした。
「………っち!」
あっという間に自分の身体が自由になると、彼はその行動を止める為に沙耶の腕を掴み上げる。手首に力が入らなくなり刀は地面へと音を立てて落ちた。
しかし、それと同時に彼女は法正に求める様に縋り
「…………!」
二人の唇が重なる瞬間をはっきりとこの開いた目に映した。
「………っ。」
法正の瞳が憤怒と苛立ちで満ちている、しかし突き飛ばすわけにも行かずに冷静に密着する身体を引き剥がす。
ななしは目の前の出来事に驚愕するが顔を逸らさなかった。
否、逸らせなかった。命を懸けてまで行動に示した事があまりも衝撃的で。
「…………法正、様。」
囀る様な、か細い声で愛しい名を呼ぶ。
「………それで、満足か、俺の心は奪えたのか、そう思うのならいずれ必ず報いますよ……。
憎悪の感情を出来れば持ちたくはない、故に最後の警告です。俺は貴女の事を愛していない……この話はこれきりです。」
それに、と彼は続ける。
「……沙耶様なら、俺の様な悪党を好きにならなくとも必ず良い人に巡り会えますよ。」
後半の口調は柔らかく、静かに告げる。沙耶は悲痛に唇を噛み締め背を向けた。
「…………っ。」
涙を、息を殺し、そして闇へと身体が溶けていく。
「待ってください。」
ななしは彼女を呼び止める。
「私は…確かにあの時本当に貴女の事を思って賛成しました。」
振り返る事ない姿に構わず続ける。怒っているのか悲しんでいるのか、表情は分からないが正直に伝えたい。
「それに、今の法正さんに思い慕う気持ちも本当だという事も痛い程分かります。だからこそ私は…。」
しかしそれを遮るように
「…もういいですよ、言いたい事は分かっていますから。この通り彼の心に私がいないのであれば、素直にこの場を退くだけです。
…悔しいですが、貴女ならきっと法正様を幸せに出来ます、この気持ちに嘘も偽りもございません。」
さようなら、と消え入る声で告げると完全に姿が見えなくなった。追いかけようとしたが震える足がそれを許さなかった。
「…………ななし。」
名を呼ぶ法正の声に漸く意識をはっきりさせる。安息はなく、正直に言えばこの場の雰囲気が気まずい。
「は、はい……。」
ぎこちなく返事をすれば、こちらに歩み寄り距離を縮める。
彼女は本当に愛していたのだと改めて認識し、それをどうにも出来なかった自分に悔しさを募らせていた。人を愛すれば、こうして誰かが犠牲になる。
しかしそれを知ったからこそ恐れて引き下がる事など出来ないのだろう。
「私は………。」
「貴女は、優しすぎる。」
「……。」
「だからこそ俺は、ななしが堪らなく欲しい。」
最後まで愛したい。こんなにも彼に惹かれているのだから。
すれ違う事なく、今度は伝えなければいけない。
「……私もです。……どうか、」
貴方の側にいる事を、涙ながらに微笑めば、頬を両手で包まれて与えられる深い口付け。何度も何度も愛を求める様に互いに交わされる。
離れる事も口惜しくなる程に。
「…………ああ、俺は本当に悪党です。言わずとも分かっていると思いますが。」
「…全くもって強引で身勝手ですよ。本当に軍師なんですか?」
「ええ、一応そうですが…分からせる為に試してみましょうか。」
「………ごめんなさい。」
そして、ありがとうございます、と小さく告げて彼に自分の身体を委ねた。
(なればこそ、私はこんなにも)