眠る鬼は目覚めるか

「ああ、閻魔大王様は私を地獄より更に地獄の所へ行かせるなんて……。」

ななしは永遠に続きそうな針山を登る様な気持ちで長い廊下を歩く。
さて、彼女は何処へ向かっているのかというと、とある鬼の眠る部屋である。
それはもう、誰もが嫌がる事を任されてしまったと嘆く他ない。君ならおそらく大丈夫だという、一切安心出来ない声掛けは足取りを更に重たくさせる。
思えばあの三匹はよく無事に起こす事が出来た物だ。神業に近い手段があったのだろうか。

「扉を開けるだけでこんなにも緊張する……。」

汗ばんだ手は更に開けづらい扉に変えてしまう。深呼吸をしてそっと、気付かれないように部屋に入れば暗闇が広がっており、見渡せば何やら珍しい物が沢山並んでいて違う意味で冷や汗をかいた。

「………。」

その鬼、鬼灯の眠るベッドを見つければ息を殺して足音立てずにゆっくりと近付く。後ろを向いているお陰で緊張感は最高潮にまで達する事は無いとまずは一安心に小さく息を吐いた。とりあえずは控えめに、小さくか細い声で名前を呼んだ。

「……様…。」

もはや"様"しか聞こえていないが、やはり爆睡型な為に微動だに動こうとしない。次はもう少し大きめに声を出せば突然寝返りをうった。悲鳴を漏らしそうになるのをなんとか手で塞ぎこみ間一髪その場にしゃがみこむ。

「………。(びっくりした)」

心臓が飛び出そうな程だ、恐る恐る手を振ってみるが気付く気配はない。肝心の瞼は完全に閉じているので、ほっと胸を撫で下ろしつつも恐る恐る生唾を飲み込んだ。

「鬼灯、様……鬼灯様…。」

危害を加えられても平気なように一歩下がって何度も呼び掛ける。すると綺麗な眉間に皺が寄ってさぞ不機嫌そうな表情を見せた。そろそろ起きるだろうと身構えるも想定外な事に、再び気持ちよさそうな寝息が聞こえてくるではないか。恐るべし爆睡型、到底己が出来る業ではないと逆に感心させられた。

こうなったらやけくそか、手をそっと伸ばして頬に触れようと試みる。さようならななしの魂、こんにちは地獄への門。

すると目が突然開いた。鋭い目は腹を括った彼女を瞬時に捉えて布団の中から腕が伸び、見えぬ速さで手首の方をがっちりと掴まれる。

「ひぃ!?」

「夢の中で何度も呼び掛ける声が聞こえたと思いきや……なるほど、そういう事でしたか。」

そのままアリジゴクのように引きずり込まれ布団の中へとに飲まれる身体。もがけばもがくほど蜘蛛の糸の様に絡まって遂には抜け出せなくなった。手足が絡み完全に固定されてしまう。

「離してください鬼灯様!死んでしまいます!」

「いえ、地獄にいる地点で死んでいますので。」

的確な突っ込みはいらない、肉体的ではなく魂的に滅んでしまうと泣きながら訴えかける。すると耳元で彼は何かを呟いた。

「……睡眠不足で辛いんですよ、仕事が減らない一方で不眠不休。それで起こされる気持ち、貴女には分かりますか。」

「それはそうですけど………いえ、それでも閻魔大王様の命令ですから、私も此処でおめおめと引き下がるわけにいきません。」

軽く舌打ちが聞こえた。自分に対してかと一瞬怯えたが、どうやら閻魔大王様の糞めやら何とやら。彼の愚痴はいつもの事である。

「ところで鬼灯様、このがっちりと掴んだ全身を解いていただけませんか。私の心臓が張り裂けてしまいそうです。」

「ああ、どうせ閻魔大王様が言うのはつまらぬ用事でしょう。ほっといても構いませんよ。」

「あのそれもそうですがこのがっちり…。」

「貴女もお疲れでしょう……一休みしなさい。」

「寝ぼけてます?鬼灯様、寝ぼけてますよね!」

次第に彼の声が小さくなっていく。これは最悪の事態を招いているのでは、とななしは言葉を失った。



さて、見事に予想が当たり、彼はピクリとも動かなくなった。なんと言う事だ、小説のベタなワンシーンが現実に起こっている。いや、あの世で起こっているとでも言うべきか。この際どちらでもいい。
助けを呼びたくとも鬼畜なるプライベートルームに足を踏み入れる者などいるものか。ましてや魂が砕け散っても人には見られたくない、羞恥で人前に出る事すら叶わなくなるような危機に瀕している。

「ああ、もう、わざと…ですかっ。」

とうとう口にせずにはいられなくなった。どうせ深い眠りに落ちて聞こえていないだろう。再び安らかな寝息を立ててしまっている。今なら何でも言えるような気がしてスラスラと流れる様に言い分が吐き出された。

「勿論、鬼灯様の事をお慕いしているし、言えば恋だってしています。でもそんな事に疎そうですし、ましてや私の様な鈍くさい女なんて何とも思って……うっ。」

言い終わる前に腕の力が先程より強くなった気がする。

「起きた時にさぞ驚いてることでしょう!私なんかがこんな所で寝ているんですから……。」

それでも構わず唱え続ければいい加減疲れたのか、ななしは意識を手放す所まで誘われ、言いたい事を存分に言い終わると同時に真っ先に瞼を閉ざしてしまう。

それと同時に鬼灯の瞼がゆっくりと開かれた。

「………全く、殆ど聞こえてましたよ。」

鬼灯は身体を起こして、眠るななしに布団をそっとかける。

「私が疎いと?随分と言ってくれたものですね。

……起きてから話の続きをしましょう。」

耳元でそう囁くと珍しく口角を緩めて、寝癖と着物を直しては、楽しそうに金魚草の様子を見に行く鬼灯であった。



(……あのー、鬼灯君、まだ来ないんだけど)

(見に行った彼女も帰ってこない……)