いつか離れてしまうと分かっていても、好きになってしまった事は流れる時でも止める事は出来ないだろう。独りでも平然とやってのけた俺は柄にもなく一人の女性を愛してしまった。しかも普通の女ではなく、遥か時空の果てに生きる未来の人。
「法正さん、起きて下さい。」
穏やかに呼ぶ声に目を覚ますと、傍で笑みを浮かべて頬を付いているななし。意味もなく手を宙に浮かせれば、彼女は咄嗟にその手を取って握り締めた。
昨日に比べて手の色素が薄く先の天井が更に透けて見える。ああ、勿論俺の手だ、もう時間がないのだろう。
「………朝食、ありますか。」
「あ、はい!もう出来ていますよ。」
ゆっくりと起き上がるとその手を握り締めたままななしは立ち上がり、ベッドから降りると二人でリビングに向かう。扉を開けてすぐ目についたのは香ばしい香りを漂わせるコーヒー、若干だが食欲を沸かせた。
「………………ななし。」
「……分かっています、大丈夫です。」
大丈夫、ななしは笑ってそう言うが、俺は笑えない。次に目を覚ます時は生死を分かつ戦乱にもう飛び込んでいる、こうして毎朝彼女の顔を見る事すら叶わなくなるのだ。
「羨ましいですね、その強さ。」
光のように眩しい面影を脳裏に焼き付けて暗い戦場へと馳せていく。今までなら戦等どうという事は無かったのに、この時間軸に慣れすぎた所為か随分と呆けてしまったものだ。思い切り手を振りかざしても今までの半分程度の力量に過ぎず、今帰っても戦働きには全く役に立たないかもしれないな。
守るべき者が過去と未来に二つあるとして、果たしてどちらを取るか。懊悩した末に法正は乾いた笑いを漏らした。
「あの……法正さん?冷めてしまう前に食べましょう。」
ああ、と生返事をして箸を手に取る。
そうして食事を済ませると、彼女は片付けの為に食器をキッチンへと運ぶ。今までと同じように何でも無かったかのように。もう時間がないと分かっていても動揺の素振りは一切見せないのは気遣っての事だろう、下手に焦りを見せて帰る俺を困らせない様にする為に。
「ななし、それが終わったらこちらに来て下さい。」
はい、と嬉々とした返事が返ってくる。そして皿洗いを済ませるとそそくさと駆け寄った。
「………………。」
「やれやれ、時間は容赦無いですね。」
彼女が来るまでに足の爪先から徐々に色褪せていた。見れば見る程に侵食していく時間を、この時ばかりは呪った。この世界にとって異物なのは重々承知しているが、今だけは喰って掛かりたい気分だ。
その時ななしが一瞬だけ不安そうに瞳を揺らすのを俺は見逃さなかった。
「本当ですよ、時間は意地悪です。もう少しだけ…一緒に、いたかったのに。」
もう少しという名の永遠を望んだ、それが本音でありお互い思う気持ちは同じ。
「そうですね、本当に、柄にもなく思ってしまいましたよ。…貴女と一緒にいたいと。」
「………!」
告げずに行って後悔する位なら未だ告げていなかった想いを言ってやろう。
「好きですよ、ななしが堪らなく愛しい。」
ですが、続く言葉。
「在るべき所に帰るのは運命として変わりようのない事実だ。どれだけ惚れても手の届かない場所にいずれ行ってしまう。」
「……………。」
「好きになって良かった、好きにならなければ良かった。果たして、どちらが正しいんでしょうね。」
「………私は、好きになってよかったです。」
そう言う彼女の瞳は微かに潤んでいた。
「……いっそ私も貴方と向こうの世界へ行ってしまいたい…。勿論この世界とは違って過酷なのは分かってます。…だからこそ………迷惑は、掛けられません。」
「ああ、泣かないでくださいよ。俺が泣かせたみたいだろ。」
「ごめんなさい……笑って見送りする筈だったんですが、短い中であまりにも楽しい思い出が多すぎました……。」
ぽろぽろと涙が粒になって落ちていき、それを拭い取っても拭い切れない。
キリがないと思った次の瞬間にはななしの身体を強く抱いていた。
「法正………さ………。」
「受けた怨みも忘れないが、受けた恩も忘れない。だからこそ、貴女から受けた多くの御恩を生涯において俺は忘れません。必ず返す、どんな障壁に阻まれようと、俺はななしに……。」
唇に触れる程の口付けを施して真っ直ぐ見つめれば脆く消えていく部位、腕も抱けぬ程に透明になり、そして全てが空間に溶けていく。
「……ありがとう。」
それでも最後に見た彼女の顔は泣き顔ではなく、また逢えるのを信じて優しく笑っていた。
そうして一年もの年月が流れ、あの時見たものとは違う天井であり誰よりも知っている天井を見据える。辺りは煤けた様な色をして匂いも彼女の部屋とは大いに違う。
ゆっくりと身体を起こせばふと手元に当たる何か。
「………………。」
それは彼女がいつも付けていたネックレスとやら。こちらに帰ってきたと同時にこれも来てしまったらしい。キラリと陽の光に反射して眩い輝きを見せた。
「やれやれ。」
一息吐くと、そのネックレスを手首にはめ直して立ち上がる。どうやら太陽はすっかり真上に昇ってしまったようだ。
ああ、今日が何も無い日で良かった。
「これは法正殿、随分と長い睡眠を…。」
「確かに昼近くまで眠るなんて滅多にありませんね。余程疲れているんでしょうか、この身体は。」
他人事の様に呟いて立ち去るとそのまま庭に出る。相も変わらず殺風景だ、向こうの世界とは生き様が違い過ぎる故肥えていた目はすぐに飽きてしまった。
「今度はこの不便さに慣れるのに時間が掛かりましたよ、全く…………?」
天気が良いのに突如として濃い霧が現れる。辺りはすっかり白い世界に包まれて全方の視界を塞がれた。まるで俺だけを誘うように。
「また次から次へと厄介事を…この世界まで俺に怨みがあるのか。ただでさえ彼女と巡り会わせて引き裂いたという…の、に。」
その霧の果てに何が見えたのか、言うまでもない。
「いや………悪くない、最高の恩返しが出来そうだ。嘗てない程の、な。」
視えずとも分かる、歩いたその先に誰が待っているか……その時を待ちわびた法正は目を鋭くさせて口角を上げた。
(今度は俺が貴女を導く番だ)