「………………。」
「………………。」
「………………。」
「………………うわ、ビックリした。」
「ふふ、どうしたんですか、難しい顔して。」
箸を持つ手が止まり思考がグルグル脳内を駆けずり回る頃、彼女がじっとこちらを見つめながら純粋なる瞳を輝かせてニコニコと笑っていた。そんな事に気付かないまま遠くを見つめるような暗い瞳で別世界を覗いていると、いつしか視界は彼女で埋め尽くされていて。
スッと瞳に光が宿るなり、徐庶は慌てて箸先を軽く振った。
「あ…………いや、特に何かあったという訳ではないんだけどね。」
「そうなんですか?私にはそんな風に見えましたけど。」
徐庶はそっと目を逸らす。
「……………えっと、そう、課題がなかなか終わらないんだ。」
「…………本当に?頭の良い徐庶さんがそんな事で悩んだ事、大学入ってから唯の一度も見た事ないのに。」
「あはは、俺は秀才とは程遠い男だよ。君が思っている程の人間じゃあ………。」
「…………嘘、ついてますね。」
ぴしゃりと言い当てられて、思わず汗が滲み出る徐庶。ここで言い訳をしても逃れられないと判断した彼は折れて
「………、君には敵わないなぁ。」
頭を軽く掻いて、困ったように笑いを見せた。
「勿論です、徐庶さんの癖から何まで全部お見通しなんですから。特に顔…、そう、貴方は主に顔に本音現れますし。」
「そんなに俺の顔って分かりやすいかな。」
「その……徐庶さんに限りませんよ?誰だって本気で悩んでいる時は、自然と顔が教えてくれるものです。」
「…………凄いな、恐れ入るよ。」
「………あの、ところで、何の事で悩んでいたんですか。」
観念した徐庶は箸を置くと、不意にななしの手を取って
「この夏休み、君とデートに行きたいと思っているんだ。」
「………………え?」
凛とした顔でそんな事を言うものだから、ななしは改めて聞き返すことしか出来なかった。
「え、その、デート……を、だね。」
「…………で………。」
「やっぱり………嫌だった、かな……ごめん。」
「そ、そうじゃなくて……!私の事だと思ってなくて、つい………。」
取られた手の先からみるみる熱くなり、堪らず目を逸らしたななしだが、徐庶の捨て犬のように潤ませた眼差しに敵わず徐々に引き込まれてしまい、挙句にはその身体を勢い良く抱き締めてしまった。
「………っあ、ななし!?」
「うう………その目………反則ですって………!」
「目……?俺の目がどうかしたのかい。」
「これで本人自覚なし………!何でも無いです!とにかく、デート、ですよね?分かりました、絶対に行きましょう。」
「……………?」
少々乱れた彼の髪の毛を直すように撫でながら、彼の消極的になる話を黙々と聞いていた。
「それで、いざ何処に行こうか……そもそも君はOKしてくれるだろうか……そんな事ばかり考えていたら、何だか頭の中がこんがらがって………。」
控えめに眉尻を下げる仕草を見せる徐庶。そんな不安を打ち消すように彼女は自然と明るい声を発した。
「…………ふふ、断る訳ないじゃないですか!だって、これでも私は………。」
指先をくるりと回して、言うべきか否かと懊悩した挙句。
「………これでも私は、徐庶さんの……こ、恋人………です、から。」
「ななし………!」
「えっ、その、これは……!」
つい調子に乗って言ってしまった、言い訳の語尾を小さくするなりななしは頬を赤く染め上げて、気まずそうに目を左右に泳がせた。
「す、すみません……私ってば、つい余計な事を……。」
「いや、そんなまさか!限りなく嬉しいよ、君のその言葉だけで俺は明日も生きていける。」
「………ああ、もう……どうしてそんな言葉がすんなり言えるんですか………。」
「………?」
嬉しそうな顔でこっちを見つめるのを止めて下さい。ああ、それは勿論良い意味で言っている。
はてさてそんなこんなで夏休みを迎え、家族、恋人、友達、誰しもがこの瞬間だけは嫌な事を全て忘れて存分に楽しむ世界がやって来る。そんな中、とある夢の国へと誘われていく二人の姿がそこにあった。
淡い期待に深く深呼吸し辺りを大いに見渡すと、激しく急降下していくジェットコースターに緩やかに廻るメリーゴーランド、どことなく漂ってくる遊園地独特の甘いお菓子の香りの誘惑。
ぐるりと360度身体を回して行き交う人々の表情を伺えば同じように心躍らせている人ばかり、自分もまた同じ立場だと思えば数段嬉しさが込み上げた。
「うん、この気持ち、久々に味わう。」
遊ぶ前から些か幸福感に満ち溢れる彼女の背後で爽やかな緑色のシャツを着こなす徐庶は、恐る恐る首を傾げて問い掛けた。
「その、遊園地………で、本当に良かったのかい………?」
「はい勿論!たまにはこういうスリルを味わいたいなって思ってましたし。それにここの所ずっと勉学の事で頭いっぱいで、息抜きには丁度いいかなって。」
「そうか、ななしが喜んでくれるなら、こうして来た甲斐があったよ。」
「それより、私に付き合わせてしまって……なんだか申し訳ないです。むしろ徐庶さんは遊園地、平気ですか?」
「ん?遊園地は……そうだね、昔よく家族と一緒に行ったから。記憶が朧気だけども、よく帰り際で父に肩車してもらって、自分の小さな目線が大人よりも高くなって嬉しくなった事を思い出すなぁ。」
懐かしそうに目を細める徐庶。
「わぁ、羨ましいです。私のお父さんなんて娯楽に殆ど興味ない人だったので、いつも友達と遊びに行ってた記憶しか……。」
「ああ……確かに、君のお父さんは真面目で誠実な人だよね……会ってすぐに分かったよ。」
「ふふ、この前だって家に来た時も、密かに徐庶さんの観察してましたからね。」
「………ええ!……そうか、やっぱり俺じゃ君の彼氏に相応しくないのだろうか………。」
「そ、そういう意味じゃなく!むしろ喜んでました!こういう誠実で頼れる男性と結婚出来たなら、父さんも安心してお前を送り出せる…………みたい、な………。」
とんでもない発言をしたと、彼女は真っ赤な顔で口を噤んだ。
「………その………ななし……………。」
「そ、そろそろ何か乗りましょうか!ほら、あそこのジェットコースター人数が少ないので今がチャンスですよ!」
誤魔化すようにななしは彼の手を取ると、自分でも驚く程に早歩きで適当なアトラクションに向かった。スタスタと靴音を鳴らして無心に歩くも頭の中の事は先程滑らせた言葉が過り、後ろで何度も名前を呼ばれるもどんな顔して振り返れば良いのかとひたすら頬を火照らせるばかり。
「お二人様ですね。こちらへどうぞ。」
スタッフに言われるがまま二人用のシートに座ると、彼の言葉を遮るように発射のベルが鳴り響いた。
そうして機体は古い金属音を鳴らしながらぎこちなく動き始め、焦らすように速度を抑えながら徐々に天辺に向かって上って行く。
が、その中で聞こえてきた後ろのカップルの会話が、とんでもない事態を引き起こしてしまう。
「うわ、マジ緊張する。」
「そう言えばこのアトラクション、この遊園地の中で一番怖いらしいよ。だから人の寄り付きも少ないんだって!むしろそこが穴場なんだけどさ!」
いや、待て、このアトラクションは一番怖い?
「嘘………!」
しかし気付いた時には既に遅し。喉を鳴らす音すら掻き消すような怒涛の如く押し寄せる緊張感に思わず天を仰ぐ。その場凌ぎに選んだアトラクションがまさか最大級の恐怖であったとは!後悔に自分の拳を忌々しく握っていた彼女だが、天辺に辿り着いた瞬間に辛うじて堪えていた恐怖が一気に押し寄せ、思わず彼の手を強く握り締めたのだ。
「………っえ、ななし、………うわぁ!」
違う意味で鼓動が波打った徐庶だったが、同時に自分の全身は凄まじい勢いで冷たい風を切った。中身が浮きそうになる重力に何とか耐えながら、彼はきつく握り締められた細い手を離さまいと握り返す。
目の前が見えなくなる程の速度に先程まで言いたかった言葉も見事に掻き消され、今はただこの状況に耐え切る事だけで精一杯の徐庶。聞こえるのは風の音と彼女の引っ切り無しの悲鳴、しかし心なしか次第に恐怖の悲鳴に聞こえないのは気の所為だろうか。
「……………っはぁ。」
散々悲鳴を上げた挙句、満更でもない笑みを浮かべるななし。しかしその隣では既に疲労感溢れてる徐庶の姿が。
「終わってみると案外あっという間でしたね、徐庶さ………徐庶さん!?」
「え………あ、ああ、終わったんだ………。」
「ご、ごめんなさい……!徐庶さん顔色が……っ……とにかく近くの休憩所に………!」
慌てて彼女が立ち上がろうと腰を上げるが、
「………っ……。」
握られていた手に力が一層込められ、思わず彼の顔色を伺う。すると弱々しいながらも小さく笑みを浮かべて
「大丈夫、心配しないでくれ。」
と、ゆっくり腰を持ち上げて縮こまっていた身体をうんと伸ばした。
「……私の所為で、徐庶さんに迷惑を………。」
「平気だよ、君が楽しめたなら、それで十分。」
「………っ………ああ、どうして、もう………。」
自分の身を心配をするなり私を叱るなり、そうしてくれたなら楽なのに。そんな優しい心が余計に申し訳ない気持ちにさせた。
「取り敢えず、あのベンチに座りましょう。私何か飲み物買ってきますね。」
「すまない……。」
財布だけ持ち出して鞄を彼に預けると、駆け足で人混みの中を掻き分けてフード店に向かっていくななし。
「確か、乗り物酔いには炭酸水が良いって言っていたような………。でも、ここじゃ砂糖が入った飲料しかないよね……。」
ひとまず水が無難だろうか、フード店を後にして暫く歩いた先の自動販売機で二つペットボトルを購入した……のだが。
「えっと………あれ?」
自動販売機を探すのに必死だった為か、不幸な事に彼の座っているベンチの居場所を見失ってしまった。人の流れに逆らいながらもときた道を辿るが、どうにも見知らぬ場所ばかりが視界に入り込んでくる。
「どうしよう……。」
連絡しようと自分の手元を探るが、彼に預けた鞄の中に携帯を入れっぱなしだった事を思い出し、遂に打つ手なしで途方に暮れてしまう。
「ああ………どうしてこうも私ってば………。」
見知らぬ人ばかりが行き交い、取り残された自分がみっともなく感じて、動かし続けていた足が止まってしまった。
「徐庶さん………。」
名を呼んでも来る筈がないのに。およそジェットコースターのバチでも当たったのだろう、当然の報いだとペットボトルを見つめていたその時。
「ななし!」
呼ばれる事のない名前が何処からともなく聞こえて、思わずななしは俯かせていた顔を上げて辺りを見渡した。すると彼女の鞄を肩に下げた見慣れた男性が慌てて駆け寄った。
「そんな………徐庶さん……どうして……!」
「良かった………あまりにも遅いから、心配になって探したんだ………。」
軽く息を切らせて笑う徐庶だが、そんな光景にますます心を痛める。
「…………謝っても謝りきれないです………。」
一体何度彼に迷惑を掛ければ気が済むのか。体調の優れない彼にまた無理をさせて、非常に居心地悪く涙が出そうになった。気にしないでくれ、そう柔らかい口調で頬を撫ぜるものだから、余計に。
「でも、どうしてここにいる事が分かったんですか……。」
「……………何となく、君の呼ぶ声がした。まるで現実的じゃないと笑うかもしれないけど、それでもななしの声が聞こえたんだ。」
握られたペットボトルごと包み込む手が温かくて思わず喉を詰まらせてしまった。
「………ありがとう、ございます。」
「こちらこそ水、ありがとう。」
そのまま受け取ると徐庶は水を飲んで大きく息を吐いた。
「………ふう、ようやく気分も良くなってきたし………そろそろ、俺も吹っ切れないといけないな。」
「え?」
「折角君とのデートを楽しみに来たのに、俺がこんなんじゃあまりにも情けない……。もっと、君との時間を楽しみたいんだ。」
「徐庶さん………。」
不意に差し出された手と彼の顔を交互に見つめながら、彼女もまたありがとうと微笑んで己の手を委ねた。
その後の徐庶は今までとは打って変わり、本当に心から楽しんで笑顔を見せるようになった。むしろそのペースについていけなくなる位に次々とアトラクションを乗りこなしていく。
「次はあれに乗ろうか。」
「じ、徐庶さん……っ、凄い早い……!」
「ごめん、一番激しいアトラクションに乗ったら他の乗り物があまり怖くなくなって。……でも、そろそろ休憩しようか。あの観覧車なんてどうだい?」
この遊園地のシンボルでもある巨大な観覧車に目を向けて分かりましたと頷くななし。一つのゴンドラが地上に着くと同時に乗り込み、お互い向き合うように座った。
「……………。」
「……………。」
「…………綺麗な、夕日。」
「もうこんな時間だったんだね。夢中で気付かなかったな……。」
「ふふ、でも徐庶さんの無邪気な姿見れて良かったです。」
「そ、そんなにはしゃいでいたのかい……?何だか、照れるな………。」
照れくさそうに頬を掻く徐庶は、目のやり場に困って外の景色を眺めた。
「………でも。」
「でも?」
「何よりも、君と過ごす時間が愛おしいと思えるんだ。」
「……………。」
憂う横顔に言葉を返せず、同じように窓の外の景色を見つめる事しか出来なかった。しかし、そうしてぼんやりと眺めているのも束の間、ギシリとゴンドラが僅かに揺れて、ふと圧のかかった隣を見ると穏やかな徐庶の姿があった。
「徐……。」
徐庶さん、そう言いかけた唇だが、近付いた唇に全てを飲み込まれ、長い睫毛がその驚きに揺れる。
今までの思いを全て託すかのように塞がれた唇。それは次第に濃厚なものに変わっていき、ゴンドラが丁度天辺に来る頃には幾度も角度を変えて愛情を確かめ合っていた。生憎両隣は空席であり、こちらのこうした行為は誰にも見られていない。
「………っん………ななし……好きだ………。」
「私も、徐庶さんが……好きです………。」
「また、こうして俺と一緒にデート、してくれるかい………?」
何を当たり前な事を。しかしその返事は無言のキスで徐庶にリップ音を残せば、自分からしてきたのにもかかわらず彼の耳は夕日のように赤く染まっていた。
「今日はありがとうございました。」
「えっと、こちらこそ、本当に楽しい一日だったよ。」
じっくりと愛の時間を堪能した観覧車から降りた二人は正に幸福の絶頂期。今日のあらゆる出来事を嬉々として振り返る彼女を尻目に、徐庶の眉と口元が緩み
「次ここを通る時は、かつて父が俺に肩車してくれたように………。」
自分の子供にも、そうしてあげたい。そう語った徐庶の瞳はいつになく揺るがない真っ直ぐなものであった。
(今度君の両親に挨拶しに行くよ。ななしの事この一生をかけて必ず幸せにすると、胸を張って話そうと思う)
(徐庶さん………いつになく逞しいです……!)
(あはは……やっぱり普段は頼りないか……)