Red AngelC
「俺は済んだら連絡しろ、と言った筈だが?」
「この娘がグズグズ迷っていつまでたっても決まらないんだもの」
「ならお前が見立てればいいだろう」
「貴方のペットでしょ?飼い主が責任持ちなさいよ」
「もう少し利口なペットなら有難いんだがな⋯」
「⋯⋯人を勝手にペット扱いしないでください」
ベルモットの腕は確かなものでヘアメイクは順調に仕上がり、あとはドレスを選んでからシャドウとリップをのせるのみとなった。あれこれ悩んで2着までは絞り込めたがどちらも捨てがたく⋯結局ジンに決めてもらうという運びになったのである。
最終候補に残ったのは白と赤のドレス。白は細身である名前のラインがより美しく見えるタイトなデザイン。そして淡いスカイブルーのストールがついていて、名前はそこも気に入っていた。
一方、赤のドレスは膝丈のふんわりとしたシルエット。シンプルなデザインだが鮮やかで嫌味のない赤がとても印象的。胸元にある黒バラのコサージュがよりドレスの色彩を一層引き立てていた。
「自分の好みで判断すればいい」
「アタシなら白ね。貴女肌が白いから映えて見えるわよ」
一応返事をしつつも、決定打とはならないジンとベルモットの言葉は右から左。どっちにしよう⋯と名前は延々と唸り続ける。一向に決まる気配のない空気にジンはとうとう痺れを切らし、深い溜息を吐いてから口を開いた。
「今回は赤にしろ⋯」
「赤?なんで?」
「理由なんざどうでもいいだろう。望み通り決めてやったんだからさっさと着替えてこい」
「それもそうだね。じゃあ行ってくる!」
赤いドレスを大事そうに抱えて名前は指示された部屋へ。
彼女が部屋に入るのを確認して、ジンは僅かに声のトーンを落とした。
「ベルモット」
「何よ」
「残りは自宅に届くよう手配しておけ」
「ふふ、結局どっちもプレゼントするんじゃない」
「一着も二着も大差ねぇだろう」
「そんなこといって、次のデートのこじつけなんじゃないの?」
「⋯⋯」
「冗談よ」
そんな会話が繰り広げられているとは露知らず。
背中のファスナーが上がらない⋯と情けない声でドアの隙間から顔を覗かせる名前。ベルモットはやれやれと立ち上がり最後の仕上げに取り掛かったのだった。
「馬子にも衣装だな⋯」
開口一番、そう言い放ったジンに何か言い返してやりたかったが名前はグッと我慢した。ベルモットに『貴女が身に着けている物すべてジンが用意したのよ』と先程聞かされたばかりだ。値段を尋ねるのも失礼だろうし、尋ねたからといってどうしようもない。どの品もきっと高価な物なのだろうと容易に想像がつく。すればいつもの憎まれ口は影をひそめ、ジンへの感謝の言葉が自然とこぼれていた。
「なんだ⋯珍しくしおらしいじゃねえか」
「だってこれ全部、ジンが用意してくれたんでしょう?」
「まぁな」
「本当にいいの?こんな高そうなもの。すごく申し訳ないんだけど」
「⋯誕生日」
「?」
「明日、お前の誕生日だろう」
その一言に名前はハッとした。云われてみれば、明日は自分がこの世に生まれた日だ。両親が亡くなってから、この類の行事は無意識のうちに記憶の中から排除していた。両親の誕生日も自分の誕生日も⋯楽しかった思い出ばかりだ。それを思い出すと言いようのない淋しさに襲われてしまうから。
「ふーん、そういうことだったの」
やや遅れて別室から出てきたベルモットがすかさず口を挟む。その表情はとても楽しそう。
「じゃあアタシも何かプレゼントしなくちゃね」
「そんな⋯!ベルモットさんにはもう充分良くしてもらいましたから、」
「これはあくまでも“仕事”よ。だからアタシにも何かお祝いさせて頂戴。それから⋯」
恐縮しきりの名前にベルモットはそっと耳打ちをする。
「ジンが誰かの誕生日を祝うなんて、アタシが知る限り貴女が初めてだと思うわよ?」
ベルモットの囁きに大きく目を見開いて顔を赤くする名前。そんな二人のやり取りを見ていたジンは思わず眉間に皺を寄せた。これ以上ベルモットに余計なことを吹き込まれては堪らない、とばかりに名前に退室するよう促す。足早に部屋を出て行こうとするジンに慌ててお礼を口にしながらベルモットを振り返った。
「楽しんでらっしゃい」
名前は手を振りながら嬉しそうにそれに応え部屋を後にした。
***
「黒澤様、お待ちしておりました」
───クロサワ?
初めて耳にする呼び名に名前はチラリと視線を向けるが当の本人は完全スルー。その後案内された席は溢れんばかりの夜景が窓一面に広がっていた。他のテーブルと隔離されたその空間は明らかにVIP席であることを物語る。
これまでの経緯から何となく予想していた展開に内心では驚きながらもドレスアップしている自分が幾分か自信に繋がり、名前はあくまで平静を装っていた。二人がテーブルにつくと飲み物の如何を問われる。何の躊躇もなくシャンパンを2つ、と言ったジンに慌てて名前がストップをかける。
「ジン、私まだ未成年だよ」
「別に構やしねぇよ」
「全然良くないから!」
「チッ⋯面倒な女だぜ⋯」
着席早々言い合いを始めてしまった二人に内心で苦笑いしつつも、それはおくびにも出さずウェイターは即座にフォローを入れた。
「それではノンアルコールのシャンパンは如何ですか?」
見た目もお洒落で美味しいですよ、との説明に名前はパァッと目を輝かせて首を縦に振った。暫くしてオーダーしたドリンクと焼きたてのパン、そして前菜が運ばれてくる。互いに軽くグラスを掲げてから口に運ぶ。
「うわ〜、コレすごく美味しい!」
「どんな味だ?」
「白ブドウのスパークリングかな。ほんのり甘くて飲みやすい」
「要するに炭酸入りのジュース、だろう?」
「⋯ノンアルコールシャンパンです」
ククッと喉を鳴らすジンに名前もつられて笑顔になる。それからは時々名前の他愛ない話を挟みながら静かに食事は進んでいた。決して気まずい空気というわけではなく、ゆったりと落ち着いた時間。
途中、名前の瞳は食事をしながらずっとジンの姿を追っていた。自分とは違う、男らしい大きな手。節くれ立った長い指が器用にナイフとフォークを操っている。無駄のない動作一つ一つが上品で、色気すら感じてしまう。間接照明の淡いオレンジ色の光がより一層ジンという男を引き立てていた。まるで美しい絵画でも見ているような気持ちにさせられる。
「何だ⋯さっきから人のことジロジロ見やがって」
こっそり見ているつもりが、いつの間にか完全に見惚れてしまっていたらしい。名前はそれを悟られぬよう咄嗟にごまかした。
「ジンも普通に食事するんだな〜と思って」
「俺が飯食ってるのがそんなに珍しいか」
「だってうちでゴハン誘っても断ってばかりだし、飲み物すら口にしたことないから」
「そうだったか?」
「そうだよ。だからジンも人間だったんだってしみじみ実感したというか」
「お前な⋯俺を何だと思ってやがる」
「わわっ、お願いだから今日くらいはその殺人眼力封印してよ」
せっかくの誕生祝いなんだし、と必死に自分を宥めようとしている名前にジンは渋々引き下がった。
そうこうしているうちに食事も終盤。デザートのガトーショコラは程よい甘さと苦みが絶妙で蕩けるような美味しさ。同時に出された紅茶も薫り高く、今まで飲んだ中で一番だと感じる。終始幸せそうに口を動かしている名前にジンも満足気な表情を。
「美味かったか」
「とっても。こんな美味しい物食べたの初めて!それにこの紅茶もすごく香りが良くて」
「レディグレイ」
「何?」
「紅茶だ。アールグレイをベースにブレンドされている」
「ジンって本当に掴めないというか、色んな意味で凄い人だよね。なんか歩く辞典みたい」
「フン、勝手に言ってろ⋯」
こうしてまた誰かに自分の誕生日を祝ってもらう日が早々に来ようとは思ってもみなかった。まして、意中の相手からこんな風に祝ってもらえるなんて。来年はまた一人ぼっちの誕生日かもしれないけれど、今はそんなことはどうでもいい。ジンと過ごせたこの全ての瞬間を忘れたくないと思う。
ううん、絶対忘れない。
***
ディナーも終わりジンと名前は最初に訪れたスイートルームにいた。ベルモットの姿は見当たらず、部屋もルームメイキングが施されている。
「あれ?ベルモットさんは?」
「元々俺が呼びつけただけだからな⋯」
「あ、ここってベルモットさんじゃなくてジンが泊まる部屋だったんだね」
「そういうことだ」
ドサリとソファに腰を下ろしたジンは煙草に火をつける。
「向こうにジャグジー付のバスルームがある。入ってきたらどうだ?」
荷物を取ったらすぐに帰宅しようと考えていた名前。予期せぬ提案に目を瞬かせている。
「酒が入ってんだ⋯今から送ってはやれねぇよ」
「うん。だから私はタクシーで帰るよ(飲酒運転とか気にする人種には到底見えないけど)」
「ここまで来て今更人の好意を無碍にする気か?」
ニヤリと意地悪な笑みでいけしゃあしゃあと言い放つ。こう云えば名前の性格上、何も言い返せないことをジンは熟知していた。
「安心しろ。ガキには興味ねぇ」
「なっ!?」
「ベッドルームも2つある。好きな方を使えばいい」
「⋯⋯それじゃあお言葉に甘えて」
完全にジンのペースに嵌っている気がしなくもないが、正直なところ身体も疲労を訴えていたのでここは素直にジンの提案を受け入れることにした。バスルームへ向かう途中、念のため荷物をチェックしようと着替えをした部屋に立ち寄る。クローゼットを開けると自分の持ち物である衣服と鞄とは別に、見慣れぬ紙袋が一つ。
『 To Red Angel 』
表に貼られたメッセージカードを開けば、中にはハッピーバースデーの文字とベルモットの名が。中には淡いスカイブルーの可愛らしい下着のセットとキャミソールが入っている。それは名前がとても気に入っていた白ドレスの付属品であるストールを彷彿させた。今晩名前がこのホテルに宿泊するであろうことまで見越していたのかは定かでないが、おかげで入浴後には清潔な下着を身に纏い休むことができる。女性ならではの気遣いも多分に含まれていることを感じ、名前はベルモットに心から感謝した。
一人物思いに耽りながら入浴を堪能していたら結構な長湯になってしまった。濡れた髪を乾かし、贈られた下着類とシルク生地のバスローブを身に着けてリビングへ。
「お風呂ありがとう」
「シンデレラの魔法もすっかり解けちまったか⋯」
「それ、普段の私がみすぼらしいって遠回しに言ってる?」
「解釈は任せるさ」
しれっとした態度でテーブルに置いてあるワイングラスを口に運ぶジン。入浴中にルームサービスでも頼んだのだろうか。テーブルには赤ワインのボトルが1本とアラカルトがいくつか並んでいた。名前はそれを呆れた眼差しで見つめる。
「さっきも随分飲んでたように見えたけど?」
「あんなもん飲んだうちに入らねーよ」
「わ、また高そうなワイン」
「飲むか?」
「だから私まだ未成年、」
「せっかくの祝いなんだろ?一杯くらい付き合え」
ジンはさりげなく腕時計を掲げて見せた。
あと20分足らずで日付が変わろうとしている。名前の誕生当日まであと少し。
「私チューハイくらいしか飲んだことないからどうなっても知らないよ?」
言いつつも、一杯くらいなら大丈夫だろうと名前自身も分かっていた。人目の無いプライベートな空間にいるということも後押しとなる。ジンの手によってワインがもう一つのグラスに注がれた。それだけでふわりと芳醇な香りが漂ってくる。
そっと目の前に差し出されたグラスを手に取って香りを堪能する。チラリと横を見やれば飲んでみろ、とジンが視線で訴えていたのでそのまま口を付けた。想像していた味と全然違っており、名前はすぐに顔を綻ばせた。
「もっと渋くて重たい感じをイメージしてたのに⋯意外と飲みやすくてビックリした」
「銘柄や種類にもよるが、どんな酒でもそれなりの金を出せばそれなりの味が楽しめる」
「なんだか今日1日で一生分の贅沢をさせてもらったような気がするよ」
「ククッ⋯めでたい女だな」
一杯だけ、のつもりが口当たりの良さも手伝って結局それだけでは止まらず。酒が入った名前はほんのり頬が上気して、普段よりも饒舌で終始にこにこ笑っていた。
そして三杯目に差し掛かる頃には目つきが少しとろんとして徐々にウトウトし始める。眠気に襲われ始めた名前の手からジンはグラスをゆっくり抜き取った。
「そろそろやめておけ⋯」
「ん、」
「おい⋯こんな所で寝るな」
返事をしながらも完全にソファへ体を預けた名前はその場から動こうとせず。現実と夢の狭間をフワフワと漂っているような不思議な感覚に身を委ねていた。時折、独特の低音ボイスが耳を掠めていくのも心地良い。
それからジンは何度かベッドに誘導しようと試みたが時すでに遅し。軽く舌打ちをし、仕方ないとばかりに名前の身体を抱き上げた。ところが予想を遥かに上回る彼女の軽さにジンは驚く。
「ジン、」
微笑みながらふいに呟かれた己の名。ジンは名前を抱き上げたまま、その寝顔を見つめると暫しその場に立ち尽くした。これまで感じたことのない感情が沸々と湧き上がってくるのを感じる。それが何なのかは分からない。
しかし、ジンはすぐに考えることをやめた。
「フン⋯くだらねぇ⋯」
突如浮かんだ感覚を払拭するかのようにジンは寝室へと歩みを進める。
その表情は長い髪で覆われてよく分からなかった。
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2014/5/1
「この娘がグズグズ迷っていつまでたっても決まらないんだもの」
「ならお前が見立てればいいだろう」
「貴方のペットでしょ?飼い主が責任持ちなさいよ」
「もう少し利口なペットなら有難いんだがな⋯」
「⋯⋯人を勝手にペット扱いしないでください」
ベルモットの腕は確かなものでヘアメイクは順調に仕上がり、あとはドレスを選んでからシャドウとリップをのせるのみとなった。あれこれ悩んで2着までは絞り込めたがどちらも捨てがたく⋯結局ジンに決めてもらうという運びになったのである。
最終候補に残ったのは白と赤のドレス。白は細身である名前のラインがより美しく見えるタイトなデザイン。そして淡いスカイブルーのストールがついていて、名前はそこも気に入っていた。
一方、赤のドレスは膝丈のふんわりとしたシルエット。シンプルなデザインだが鮮やかで嫌味のない赤がとても印象的。胸元にある黒バラのコサージュがよりドレスの色彩を一層引き立てていた。
「自分の好みで判断すればいい」
「アタシなら白ね。貴女肌が白いから映えて見えるわよ」
一応返事をしつつも、決定打とはならないジンとベルモットの言葉は右から左。どっちにしよう⋯と名前は延々と唸り続ける。一向に決まる気配のない空気にジンはとうとう痺れを切らし、深い溜息を吐いてから口を開いた。
「今回は赤にしろ⋯」
「赤?なんで?」
「理由なんざどうでもいいだろう。望み通り決めてやったんだからさっさと着替えてこい」
「それもそうだね。じゃあ行ってくる!」
赤いドレスを大事そうに抱えて名前は指示された部屋へ。
彼女が部屋に入るのを確認して、ジンは僅かに声のトーンを落とした。
「ベルモット」
「何よ」
「残りは自宅に届くよう手配しておけ」
「ふふ、結局どっちもプレゼントするんじゃない」
「一着も二着も大差ねぇだろう」
「そんなこといって、次のデートのこじつけなんじゃないの?」
「⋯⋯」
「冗談よ」
そんな会話が繰り広げられているとは露知らず。
背中のファスナーが上がらない⋯と情けない声でドアの隙間から顔を覗かせる名前。ベルモットはやれやれと立ち上がり最後の仕上げに取り掛かったのだった。
「馬子にも衣装だな⋯」
開口一番、そう言い放ったジンに何か言い返してやりたかったが名前はグッと我慢した。ベルモットに『貴女が身に着けている物すべてジンが用意したのよ』と先程聞かされたばかりだ。値段を尋ねるのも失礼だろうし、尋ねたからといってどうしようもない。どの品もきっと高価な物なのだろうと容易に想像がつく。すればいつもの憎まれ口は影をひそめ、ジンへの感謝の言葉が自然とこぼれていた。
「なんだ⋯珍しくしおらしいじゃねえか」
「だってこれ全部、ジンが用意してくれたんでしょう?」
「まぁな」
「本当にいいの?こんな高そうなもの。すごく申し訳ないんだけど」
「⋯誕生日」
「?」
「明日、お前の誕生日だろう」
その一言に名前はハッとした。云われてみれば、明日は自分がこの世に生まれた日だ。両親が亡くなってから、この類の行事は無意識のうちに記憶の中から排除していた。両親の誕生日も自分の誕生日も⋯楽しかった思い出ばかりだ。それを思い出すと言いようのない淋しさに襲われてしまうから。
「ふーん、そういうことだったの」
やや遅れて別室から出てきたベルモットがすかさず口を挟む。その表情はとても楽しそう。
「じゃあアタシも何かプレゼントしなくちゃね」
「そんな⋯!ベルモットさんにはもう充分良くしてもらいましたから、」
「これはあくまでも“仕事”よ。だからアタシにも何かお祝いさせて頂戴。それから⋯」
恐縮しきりの名前にベルモットはそっと耳打ちをする。
「ジンが誰かの誕生日を祝うなんて、アタシが知る限り貴女が初めてだと思うわよ?」
ベルモットの囁きに大きく目を見開いて顔を赤くする名前。そんな二人のやり取りを見ていたジンは思わず眉間に皺を寄せた。これ以上ベルモットに余計なことを吹き込まれては堪らない、とばかりに名前に退室するよう促す。足早に部屋を出て行こうとするジンに慌ててお礼を口にしながらベルモットを振り返った。
「楽しんでらっしゃい」
名前は手を振りながら嬉しそうにそれに応え部屋を後にした。
***
「黒澤様、お待ちしておりました」
───クロサワ?
初めて耳にする呼び名に名前はチラリと視線を向けるが当の本人は完全スルー。その後案内された席は溢れんばかりの夜景が窓一面に広がっていた。他のテーブルと隔離されたその空間は明らかにVIP席であることを物語る。
これまでの経緯から何となく予想していた展開に内心では驚きながらもドレスアップしている自分が幾分か自信に繋がり、名前はあくまで平静を装っていた。二人がテーブルにつくと飲み物の如何を問われる。何の躊躇もなくシャンパンを2つ、と言ったジンに慌てて名前がストップをかける。
「ジン、私まだ未成年だよ」
「別に構やしねぇよ」
「全然良くないから!」
「チッ⋯面倒な女だぜ⋯」
着席早々言い合いを始めてしまった二人に内心で苦笑いしつつも、それはおくびにも出さずウェイターは即座にフォローを入れた。
「それではノンアルコールのシャンパンは如何ですか?」
見た目もお洒落で美味しいですよ、との説明に名前はパァッと目を輝かせて首を縦に振った。暫くしてオーダーしたドリンクと焼きたてのパン、そして前菜が運ばれてくる。互いに軽くグラスを掲げてから口に運ぶ。
「うわ〜、コレすごく美味しい!」
「どんな味だ?」
「白ブドウのスパークリングかな。ほんのり甘くて飲みやすい」
「要するに炭酸入りのジュース、だろう?」
「⋯ノンアルコールシャンパンです」
ククッと喉を鳴らすジンに名前もつられて笑顔になる。それからは時々名前の他愛ない話を挟みながら静かに食事は進んでいた。決して気まずい空気というわけではなく、ゆったりと落ち着いた時間。
途中、名前の瞳は食事をしながらずっとジンの姿を追っていた。自分とは違う、男らしい大きな手。節くれ立った長い指が器用にナイフとフォークを操っている。無駄のない動作一つ一つが上品で、色気すら感じてしまう。間接照明の淡いオレンジ色の光がより一層ジンという男を引き立てていた。まるで美しい絵画でも見ているような気持ちにさせられる。
「何だ⋯さっきから人のことジロジロ見やがって」
こっそり見ているつもりが、いつの間にか完全に見惚れてしまっていたらしい。名前はそれを悟られぬよう咄嗟にごまかした。
「ジンも普通に食事するんだな〜と思って」
「俺が飯食ってるのがそんなに珍しいか」
「だってうちでゴハン誘っても断ってばかりだし、飲み物すら口にしたことないから」
「そうだったか?」
「そうだよ。だからジンも人間だったんだってしみじみ実感したというか」
「お前な⋯俺を何だと思ってやがる」
「わわっ、お願いだから今日くらいはその殺人眼力封印してよ」
せっかくの誕生祝いなんだし、と必死に自分を宥めようとしている名前にジンは渋々引き下がった。
そうこうしているうちに食事も終盤。デザートのガトーショコラは程よい甘さと苦みが絶妙で蕩けるような美味しさ。同時に出された紅茶も薫り高く、今まで飲んだ中で一番だと感じる。終始幸せそうに口を動かしている名前にジンも満足気な表情を。
「美味かったか」
「とっても。こんな美味しい物食べたの初めて!それにこの紅茶もすごく香りが良くて」
「レディグレイ」
「何?」
「紅茶だ。アールグレイをベースにブレンドされている」
「ジンって本当に掴めないというか、色んな意味で凄い人だよね。なんか歩く辞典みたい」
「フン、勝手に言ってろ⋯」
こうしてまた誰かに自分の誕生日を祝ってもらう日が早々に来ようとは思ってもみなかった。まして、意中の相手からこんな風に祝ってもらえるなんて。来年はまた一人ぼっちの誕生日かもしれないけれど、今はそんなことはどうでもいい。ジンと過ごせたこの全ての瞬間を忘れたくないと思う。
ううん、絶対忘れない。
***
ディナーも終わりジンと名前は最初に訪れたスイートルームにいた。ベルモットの姿は見当たらず、部屋もルームメイキングが施されている。
「あれ?ベルモットさんは?」
「元々俺が呼びつけただけだからな⋯」
「あ、ここってベルモットさんじゃなくてジンが泊まる部屋だったんだね」
「そういうことだ」
ドサリとソファに腰を下ろしたジンは煙草に火をつける。
「向こうにジャグジー付のバスルームがある。入ってきたらどうだ?」
荷物を取ったらすぐに帰宅しようと考えていた名前。予期せぬ提案に目を瞬かせている。
「酒が入ってんだ⋯今から送ってはやれねぇよ」
「うん。だから私はタクシーで帰るよ(飲酒運転とか気にする人種には到底見えないけど)」
「ここまで来て今更人の好意を無碍にする気か?」
ニヤリと意地悪な笑みでいけしゃあしゃあと言い放つ。こう云えば名前の性格上、何も言い返せないことをジンは熟知していた。
「安心しろ。ガキには興味ねぇ」
「なっ!?」
「ベッドルームも2つある。好きな方を使えばいい」
「⋯⋯それじゃあお言葉に甘えて」
完全にジンのペースに嵌っている気がしなくもないが、正直なところ身体も疲労を訴えていたのでここは素直にジンの提案を受け入れることにした。バスルームへ向かう途中、念のため荷物をチェックしようと着替えをした部屋に立ち寄る。クローゼットを開けると自分の持ち物である衣服と鞄とは別に、見慣れぬ紙袋が一つ。
『 To Red Angel 』
表に貼られたメッセージカードを開けば、中にはハッピーバースデーの文字とベルモットの名が。中には淡いスカイブルーの可愛らしい下着のセットとキャミソールが入っている。それは名前がとても気に入っていた白ドレスの付属品であるストールを彷彿させた。今晩名前がこのホテルに宿泊するであろうことまで見越していたのかは定かでないが、おかげで入浴後には清潔な下着を身に纏い休むことができる。女性ならではの気遣いも多分に含まれていることを感じ、名前はベルモットに心から感謝した。
一人物思いに耽りながら入浴を堪能していたら結構な長湯になってしまった。濡れた髪を乾かし、贈られた下着類とシルク生地のバスローブを身に着けてリビングへ。
「お風呂ありがとう」
「シンデレラの魔法もすっかり解けちまったか⋯」
「それ、普段の私がみすぼらしいって遠回しに言ってる?」
「解釈は任せるさ」
しれっとした態度でテーブルに置いてあるワイングラスを口に運ぶジン。入浴中にルームサービスでも頼んだのだろうか。テーブルには赤ワインのボトルが1本とアラカルトがいくつか並んでいた。名前はそれを呆れた眼差しで見つめる。
「さっきも随分飲んでたように見えたけど?」
「あんなもん飲んだうちに入らねーよ」
「わ、また高そうなワイン」
「飲むか?」
「だから私まだ未成年、」
「せっかくの祝いなんだろ?一杯くらい付き合え」
ジンはさりげなく腕時計を掲げて見せた。
あと20分足らずで日付が変わろうとしている。名前の誕生当日まであと少し。
「私チューハイくらいしか飲んだことないからどうなっても知らないよ?」
言いつつも、一杯くらいなら大丈夫だろうと名前自身も分かっていた。人目の無いプライベートな空間にいるということも後押しとなる。ジンの手によってワインがもう一つのグラスに注がれた。それだけでふわりと芳醇な香りが漂ってくる。
そっと目の前に差し出されたグラスを手に取って香りを堪能する。チラリと横を見やれば飲んでみろ、とジンが視線で訴えていたのでそのまま口を付けた。想像していた味と全然違っており、名前はすぐに顔を綻ばせた。
「もっと渋くて重たい感じをイメージしてたのに⋯意外と飲みやすくてビックリした」
「銘柄や種類にもよるが、どんな酒でもそれなりの金を出せばそれなりの味が楽しめる」
「なんだか今日1日で一生分の贅沢をさせてもらったような気がするよ」
「ククッ⋯めでたい女だな」
一杯だけ、のつもりが口当たりの良さも手伝って結局それだけでは止まらず。酒が入った名前はほんのり頬が上気して、普段よりも饒舌で終始にこにこ笑っていた。
そして三杯目に差し掛かる頃には目つきが少しとろんとして徐々にウトウトし始める。眠気に襲われ始めた名前の手からジンはグラスをゆっくり抜き取った。
「そろそろやめておけ⋯」
「ん、」
「おい⋯こんな所で寝るな」
返事をしながらも完全にソファへ体を預けた名前はその場から動こうとせず。現実と夢の狭間をフワフワと漂っているような不思議な感覚に身を委ねていた。時折、独特の低音ボイスが耳を掠めていくのも心地良い。
それからジンは何度かベッドに誘導しようと試みたが時すでに遅し。軽く舌打ちをし、仕方ないとばかりに名前の身体を抱き上げた。ところが予想を遥かに上回る彼女の軽さにジンは驚く。
「ジン、」
微笑みながらふいに呟かれた己の名。ジンは名前を抱き上げたまま、その寝顔を見つめると暫しその場に立ち尽くした。これまで感じたことのない感情が沸々と湧き上がってくるのを感じる。それが何なのかは分からない。
しかし、ジンはすぐに考えることをやめた。
「フン⋯くだらねぇ⋯」
突如浮かんだ感覚を払拭するかのようにジンは寝室へと歩みを進める。
その表情は長い髪で覆われてよく分からなかった。
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2014/5/1