Red AngelD
「今日は帰った方がいいと思う⋯」
いつものように何の前触れもなく姿を現したジンに名前は開口一番そう言った。
少し掠れてしまった声。
時折咳き込む様子も窺える。
フラフラと冷蔵庫の前までやって来た名前はミネラルウォーターを取り出した。ところが熱の所為か、手にしたペットボトルをその場に落としてしまう。気怠そうに溜息を吐いてそれを拾おうとしたその時――それまで黙って様子を見ていたジンは傍まで歩み寄ると素早くボトルを拾い上げる。
無言のまま差し出せば名前は小さな声で礼を言った。
「熱はどれくらいだ」
「朝計ったときは38℃近くあったかな⋯」
「ならさっさと横になれ」
「うん⋯でも、」
薬切らしてるから買いに行かないと⋯と言った名前にジンは舌を打ち、徐にコートの内ポケットを探る。
そしてピルケースからカプセルを1つ取り出した。
「これを飲め」
「なに⋯?」
「組織が開発した薬だ」
「組織が開発⋯?いくら何でも怪しすぎ⋯」
「只の風邪薬だ。そこらの薬より良く効く」
「組織のくだりは完全スルーですか」
「前にも言っただろ⋯死にたいなら教えてやる」
不敵に笑うジンに名前は観念して薬を受け取った。もしこれで死んだとしても仕方ない、と半ば自棄気味になって一気に水で流し込む。しかし暫く待ってみても特に変化はみられない。名前は一先ずホッと胸をなでおろし、ソファまで歩いていくとポスンと身体を預けた。
また熱が上がったのかもしれない。もう立っているのも辛いし、正直自室のベッドまで戻るのも億劫だ。しかも急激に眠くなってきたような気がする。もうこのままでもいいや⋯などと考え始めていたがそれは叶わなかった。すかさずジンの険しい声が飛んでくる。
「おい。まさかそこで寝るつもりじゃねぇだろうな⋯」
「うるさいなぁ。もうほっといてよ⋯」
「人が親切に薬まで与えてやったのに、それじゃ意味ねぇだろう」
「後でちゃんと移動するって」
「⋯名前」
駄々をこねる子どもを戒めるかのようにジンは彼女の名を口にする。厳しくも、どこか優しさを含んだ声色に名前は思わず顔を上げた。
「ふふ⋯」
「⋯何が可笑しい」
「初めてだな〜と思って」
「何がだ」
「名前⋯呼んでくれたの」
嬉しい、と微笑む彼女にジンはバツが悪そうに視線を逸らした。
「フン⋯。くだらねぇことほざいてないでとっとと部屋へ行け」
「うん。そうする」
先程とは打って変わり、素直に移動を始める名前。ジンは言いようのない疲労感を覚えながらもその小さな背中を見送った。
***
寝ぼけ眼を擦りながら、名前は枕元に置いていた携帯で時間を確認した。
午後6時28分。
ジンに促されてベッドに雪崩れ込んでから数時間経過している。貰った薬が効いたのか、身体は随分軽くなっていて名前は上着を羽織って部屋を出た。リビングに続く戸を開け、一歩足を踏み入れたその時──名前は驚きのあまりその場で固まった。
とっくに帰ったと思っていた人物がまだそこに居る。ダイニングテーブルで煙草を吹かしながらノートパソコンを見つめているジン。名前の存在に気づくと煙草を灰皿に押し付けてパソコンを閉じた。
「起きたのか」
「な⋯なにしてるの、」
「見れば分かるだろう。仕事だ」
「そうじゃなくて、何でまだここに⋯?」
「フン。いつまで居ようと俺の勝手だ」
言いながらジンは立ち上がると名前の傍まで歩み寄る。そしてそっと彼女の額に手を当てた。大きくてひんやりとしたジンの左手。まさかそんなことをされると思っていなかった名前の心臓はドキリと跳ねた。
「熱は落ち着いたようだな⋯」
「うん⋯身体はだいぶ楽になった気がする」
「食欲は?」
「軽いものなら少し食べたい、かな」
「そうか」
ならそこに座ってろ、と言いジンはキッチンへ入っていく。
言われた通り名前はダイニングテーブルに就く。暫くするとジンが小さめの盆を手にして戻ってくる。そしてそれを名前の前に静かに置いた。トレイには名前が普段使用している茶碗と匙、それと水の入ったグラス。茶碗には玉子粥がよそられていた。
目の前に置かれたそれらをじっと凝視する名前。無言で微動だにしない彼女にジンは怪訝な表情で問うた。
「食わねぇのか⋯?」
「どうしたの、これ」
「外に出るのも面倒だったしな⋯。ある物で適当に」
「もしかしてジンが作った、とか?」
「他に誰がいる」
そう言ったジンを名前は信じられない思いで見上げた。この男がキッチンに立ち、ましてや料理をする姿など誰が想像できようか。見た目は至って普通の玉子粥だが、もしかして⋯。様々な思考が頭を巡るがせっかく彼が自分のために作ってくれたのだ。不安要素も大きいが、それ以上に嬉しさが込み上げてくる。
「いただきます」
些か緊張した面持ちで名前は両手を合わせると匙を手に取る。舌を火傷しないようにフーフーと息を吹きかけて粥を口に運んだ。
「! 美味しい」
「粥ごときに美味いも不味いもあるか」
「あるんだよね〜それが。昔お父さんがお粥作ってくれたことあったけど、最悪だったし」
塩と砂糖間違えてるしおまけに焦げ付いてて⋯と懐かしそうに思い出を語る名前。その顔は笑っていたがどことなく寂しそうで。ジンは変わらず無表情だったが、内心では“そんな顔はして欲しくない”と考えていた。何故そんな事を考えるのか自分でもよく分からないが。
すると一人で喋り笑っていた名前が途中勢いよく咳き込み、ジンもハッと我に返る。
「お喋りはその辺にしておけ⋯。食ったらまた横になれよ」
「うん。ジン、色々ありがと」
「あぁ」
ジンはコートと帽子を身に着けるといつものように姿を消した。珍しくジンが垣間見せた優しさにふんわり包まれていたせいか、この日は彼が去った後も寂しさを感じることはなかった。
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2014/5/27
加除修正 2023/3/3
いつものように何の前触れもなく姿を現したジンに名前は開口一番そう言った。
少し掠れてしまった声。
時折咳き込む様子も窺える。
フラフラと冷蔵庫の前までやって来た名前はミネラルウォーターを取り出した。ところが熱の所為か、手にしたペットボトルをその場に落としてしまう。気怠そうに溜息を吐いてそれを拾おうとしたその時――それまで黙って様子を見ていたジンは傍まで歩み寄ると素早くボトルを拾い上げる。
無言のまま差し出せば名前は小さな声で礼を言った。
「熱はどれくらいだ」
「朝計ったときは38℃近くあったかな⋯」
「ならさっさと横になれ」
「うん⋯でも、」
薬切らしてるから買いに行かないと⋯と言った名前にジンは舌を打ち、徐にコートの内ポケットを探る。
そしてピルケースからカプセルを1つ取り出した。
「これを飲め」
「なに⋯?」
「組織が開発した薬だ」
「組織が開発⋯?いくら何でも怪しすぎ⋯」
「只の風邪薬だ。そこらの薬より良く効く」
「組織のくだりは完全スルーですか」
「前にも言っただろ⋯死にたいなら教えてやる」
不敵に笑うジンに名前は観念して薬を受け取った。もしこれで死んだとしても仕方ない、と半ば自棄気味になって一気に水で流し込む。しかし暫く待ってみても特に変化はみられない。名前は一先ずホッと胸をなでおろし、ソファまで歩いていくとポスンと身体を預けた。
また熱が上がったのかもしれない。もう立っているのも辛いし、正直自室のベッドまで戻るのも億劫だ。しかも急激に眠くなってきたような気がする。もうこのままでもいいや⋯などと考え始めていたがそれは叶わなかった。すかさずジンの険しい声が飛んでくる。
「おい。まさかそこで寝るつもりじゃねぇだろうな⋯」
「うるさいなぁ。もうほっといてよ⋯」
「人が親切に薬まで与えてやったのに、それじゃ意味ねぇだろう」
「後でちゃんと移動するって」
「⋯名前」
駄々をこねる子どもを戒めるかのようにジンは彼女の名を口にする。厳しくも、どこか優しさを含んだ声色に名前は思わず顔を上げた。
「ふふ⋯」
「⋯何が可笑しい」
「初めてだな〜と思って」
「何がだ」
「名前⋯呼んでくれたの」
嬉しい、と微笑む彼女にジンはバツが悪そうに視線を逸らした。
「フン⋯。くだらねぇことほざいてないでとっとと部屋へ行け」
「うん。そうする」
先程とは打って変わり、素直に移動を始める名前。ジンは言いようのない疲労感を覚えながらもその小さな背中を見送った。
***
寝ぼけ眼を擦りながら、名前は枕元に置いていた携帯で時間を確認した。
午後6時28分。
ジンに促されてベッドに雪崩れ込んでから数時間経過している。貰った薬が効いたのか、身体は随分軽くなっていて名前は上着を羽織って部屋を出た。リビングに続く戸を開け、一歩足を踏み入れたその時──名前は驚きのあまりその場で固まった。
とっくに帰ったと思っていた人物がまだそこに居る。ダイニングテーブルで煙草を吹かしながらノートパソコンを見つめているジン。名前の存在に気づくと煙草を灰皿に押し付けてパソコンを閉じた。
「起きたのか」
「な⋯なにしてるの、」
「見れば分かるだろう。仕事だ」
「そうじゃなくて、何でまだここに⋯?」
「フン。いつまで居ようと俺の勝手だ」
言いながらジンは立ち上がると名前の傍まで歩み寄る。そしてそっと彼女の額に手を当てた。大きくてひんやりとしたジンの左手。まさかそんなことをされると思っていなかった名前の心臓はドキリと跳ねた。
「熱は落ち着いたようだな⋯」
「うん⋯身体はだいぶ楽になった気がする」
「食欲は?」
「軽いものなら少し食べたい、かな」
「そうか」
ならそこに座ってろ、と言いジンはキッチンへ入っていく。
言われた通り名前はダイニングテーブルに就く。暫くするとジンが小さめの盆を手にして戻ってくる。そしてそれを名前の前に静かに置いた。トレイには名前が普段使用している茶碗と匙、それと水の入ったグラス。茶碗には玉子粥がよそられていた。
目の前に置かれたそれらをじっと凝視する名前。無言で微動だにしない彼女にジンは怪訝な表情で問うた。
「食わねぇのか⋯?」
「どうしたの、これ」
「外に出るのも面倒だったしな⋯。ある物で適当に」
「もしかしてジンが作った、とか?」
「他に誰がいる」
そう言ったジンを名前は信じられない思いで見上げた。この男がキッチンに立ち、ましてや料理をする姿など誰が想像できようか。見た目は至って普通の玉子粥だが、もしかして⋯。様々な思考が頭を巡るがせっかく彼が自分のために作ってくれたのだ。不安要素も大きいが、それ以上に嬉しさが込み上げてくる。
「いただきます」
些か緊張した面持ちで名前は両手を合わせると匙を手に取る。舌を火傷しないようにフーフーと息を吹きかけて粥を口に運んだ。
「! 美味しい」
「粥ごときに美味いも不味いもあるか」
「あるんだよね〜それが。昔お父さんがお粥作ってくれたことあったけど、最悪だったし」
塩と砂糖間違えてるしおまけに焦げ付いてて⋯と懐かしそうに思い出を語る名前。その顔は笑っていたがどことなく寂しそうで。ジンは変わらず無表情だったが、内心では“そんな顔はして欲しくない”と考えていた。何故そんな事を考えるのか自分でもよく分からないが。
すると一人で喋り笑っていた名前が途中勢いよく咳き込み、ジンもハッと我に返る。
「お喋りはその辺にしておけ⋯。食ったらまた横になれよ」
「うん。ジン、色々ありがと」
「あぁ」
ジンはコートと帽子を身に着けるといつものように姿を消した。珍しくジンが垣間見せた優しさにふんわり包まれていたせいか、この日は彼が去った後も寂しさを感じることはなかった。
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2014/5/27
加除修正 2023/3/3