Red AngelH
昨夜から続いた任務を終えたばかりのジンが本部にある幹部専用のラウンジにいた。早朝のためか彼以外の人間は今のところ見当たらない。
無事取引を終えるまで相手の意向に従い深夜まで同行し、最後はホテルの一室で始末した。酒に酔った相手を消してしまうことなど造作もなかった。当然殺害の証拠となる物や痕跡は一切残していない。こうして何の問題もなく任務は完了したのだが――想定外だったのは名前があのパーティー会場に姿を現したこと。そしてあの場で自身が彼女にしてしまった行為。
何故あんなことを⋯。
考えても考えても答えは出ず、苛々は募るばかり。
テーブルの上の珈琲は一度も口に運ばれることなくすっかり冷めきってしまっている。
「エンジェルの事が頭から離れない⋯?」
入口に凭れて此方を見つめているベルモット。突如響いた声にジンは忌々しそうに表情を歪めたがそれ以上は特に反応せず。彼女はわざとらしくヒールを鳴らして彼の側まで近づいた。
「何の用だ」
いつもに増して刺々しい声色。これ以上踏み込んで来るなという意が込められていることは明白である。だがそんなものはお構いなしとばかりにベルモットは続けた。
「聞かなくても分かってるでしょう?」
「知るか」
「ジン⋯貴方いったい何を考えてるの」
彼女、泣いていたわよ。
その言葉にほんの僅かだがジンが反応する。身体や表情が変化した訳ではなかったが、ベルモットは肌でその空気を感じ取っていた。
「本当は薄々気づいているんでしょう?」
「⋯⋯」
「そうやってこれからも見て見ぬふりを続けるつもり?」
「⋯お前には関係ない」
「あのマンションでずっと彼女を飼い殺しにする事が貴方の望みなのかしら?」
「⋯黙れ」
「まあ気持ちは分からなくはないけど。けれどそんな事をしたって何の意味もないことくらい、貴方にも分かるでしょう」
「黙れと言っている、死にたいか?!」
珍しく怒気を滲ませながらジンは懐のベレッタを掴むと同時に立ち上がり、銃口をベルモットに向ける。しかし彼女は先程と同じく全く動揺する素振りはない。それどころか更に目の前の男を挑発するかのように唇を三日月形にしてみせた。
「挙句に嫉妬に駆られ首を絞めてキス?身勝手にも程があるわ」
「ふざけた妄想も大概にしろ。俺はあいつの危機感の無さに少々警告してやったまでだ」
「ふーん。警告、ねぇ⋯」
ねえ知ってた⋯?
貴方アタシを抱いてたとき一度だって自分からキスをしてくれたこと、なかったわよ。
ベルモットの真っ直ぐな視線がジンの深緑の瞳を貫いた。
***
ジンと身体を交えていた女性は何人もいた。けれどそこに愛情というものは存在せず、一時の快楽を共有するだけの関係。ベルモットもその中の一人で彼女自身もジンをそういう相手として認識していた。ところが彼と身体を重ねる回数が増えていくにつれ、いつしかそれとは違う感情が芽生えている事に気づく。身体だけの関係ではなく、一人の女性として見て欲しい⋯と。
彼女は今まで自分が望んだものは全て手に入れてきた。金も地位も名誉も、当然異性だって例外ではない。ところがジンという男だけはどうしても手に入れることが出来なかった。どんなに極上の女の部分を強調しても、甘い言葉を囁いてみても彼が心を動かすことはない。ジンが組織に対してストイックであり続け、この先自身も含め誰のものにもならないのならば、彼が気まぐれで抱く『人形』の中の一人で充分だと云い聞かせ無理に己を納得させてきた。
そんな中、突如現れたのは何の変哲もない普通の女子高生。最初はどんな小娘かと正直馬鹿にしていた。ところが実際“苗字名前”という人間に触れてみると、いつの間にかそんな気持ちは微塵もなくなっていた。初めて会った彼女に『ジンのパートナーではないのか?』と尋ねられたとき咄嗟に高笑いで何でもないように振る舞ったが本当は『そうだ』と肯定してしまいたかった。それはずっと自分が望んでいたことだから。
しかし彼女と自分は全く異なる存在だと思い知らされた。ただ純粋に「好きだ」と云った名前はとても美しく眩しかった。何の打算も駆け引きもなく、相手に真っ直ぐ想いをぶつける事など自分には出来はしない。もうそんな年齢でもなくなってしまった。ベルモットはこの時これからは彼女を影で支える立場でいようと心に決めた。本心を隠し、仮面を被ることには慣れている。それに彼女だけでなく、恐らくジンも――。
***
「フン⋯くだらねぇ⋯」
ジンの声にベルモットの意識は現実に引き戻される。そして彼の口から「何度もしただろうが」という台詞が付け加えられた。
「身体への愛撫としてはね⋯。でも唇にはただの一度もしてくれたことないじゃない」
「そんなこと一々覚えちゃいねーよ」
「自分でも意識してないのね⋯。ホント、罪な男⋯」
「戯言はそれだけか?」
俺はまだ仕事が残っている。さっさとそこを退け。
銃を下ろし、鋭い眼光で言い放ったジン。それに対し今度は大人しく引き下がったベルモット。足早にラウンジを後にするジンの背中に向って最後に一つだけ告げる。
「この先もこんな中途半端なことを続けるくらいなら、あの娘を自由にしてあげて」
今ならまだ引き返せる。彼女が平凡な幸せの中で生きていけるように。組織としては決して許されない行為だが、ジンがそう決意するのなら自身も力を貸そう。これまでの出来事やジンとの関わりを全てなかったことにするために。
そんなベルモットの想いも虚しく、彼が後ろを振り返ることはなかった。
next
2014/8/8
加除修正 2023/4/6
無事取引を終えるまで相手の意向に従い深夜まで同行し、最後はホテルの一室で始末した。酒に酔った相手を消してしまうことなど造作もなかった。当然殺害の証拠となる物や痕跡は一切残していない。こうして何の問題もなく任務は完了したのだが――想定外だったのは名前があのパーティー会場に姿を現したこと。そしてあの場で自身が彼女にしてしまった行為。
何故あんなことを⋯。
考えても考えても答えは出ず、苛々は募るばかり。
テーブルの上の珈琲は一度も口に運ばれることなくすっかり冷めきってしまっている。
「エンジェルの事が頭から離れない⋯?」
入口に凭れて此方を見つめているベルモット。突如響いた声にジンは忌々しそうに表情を歪めたがそれ以上は特に反応せず。彼女はわざとらしくヒールを鳴らして彼の側まで近づいた。
「何の用だ」
いつもに増して刺々しい声色。これ以上踏み込んで来るなという意が込められていることは明白である。だがそんなものはお構いなしとばかりにベルモットは続けた。
「聞かなくても分かってるでしょう?」
「知るか」
「ジン⋯貴方いったい何を考えてるの」
彼女、泣いていたわよ。
その言葉にほんの僅かだがジンが反応する。身体や表情が変化した訳ではなかったが、ベルモットは肌でその空気を感じ取っていた。
「本当は薄々気づいているんでしょう?」
「⋯⋯」
「そうやってこれからも見て見ぬふりを続けるつもり?」
「⋯お前には関係ない」
「あのマンションでずっと彼女を飼い殺しにする事が貴方の望みなのかしら?」
「⋯黙れ」
「まあ気持ちは分からなくはないけど。けれどそんな事をしたって何の意味もないことくらい、貴方にも分かるでしょう」
「黙れと言っている、死にたいか?!」
珍しく怒気を滲ませながらジンは懐のベレッタを掴むと同時に立ち上がり、銃口をベルモットに向ける。しかし彼女は先程と同じく全く動揺する素振りはない。それどころか更に目の前の男を挑発するかのように唇を三日月形にしてみせた。
「挙句に嫉妬に駆られ首を絞めてキス?身勝手にも程があるわ」
「ふざけた妄想も大概にしろ。俺はあいつの危機感の無さに少々警告してやったまでだ」
「ふーん。警告、ねぇ⋯」
ねえ知ってた⋯?
貴方アタシを抱いてたとき一度だって自分からキスをしてくれたこと、なかったわよ。
ベルモットの真っ直ぐな視線がジンの深緑の瞳を貫いた。
***
ジンと身体を交えていた女性は何人もいた。けれどそこに愛情というものは存在せず、一時の快楽を共有するだけの関係。ベルモットもその中の一人で彼女自身もジンをそういう相手として認識していた。ところが彼と身体を重ねる回数が増えていくにつれ、いつしかそれとは違う感情が芽生えている事に気づく。身体だけの関係ではなく、一人の女性として見て欲しい⋯と。
彼女は今まで自分が望んだものは全て手に入れてきた。金も地位も名誉も、当然異性だって例外ではない。ところがジンという男だけはどうしても手に入れることが出来なかった。どんなに極上の女の部分を強調しても、甘い言葉を囁いてみても彼が心を動かすことはない。ジンが組織に対してストイックであり続け、この先自身も含め誰のものにもならないのならば、彼が気まぐれで抱く『人形』の中の一人で充分だと云い聞かせ無理に己を納得させてきた。
そんな中、突如現れたのは何の変哲もない普通の女子高生。最初はどんな小娘かと正直馬鹿にしていた。ところが実際“苗字名前”という人間に触れてみると、いつの間にかそんな気持ちは微塵もなくなっていた。初めて会った彼女に『ジンのパートナーではないのか?』と尋ねられたとき咄嗟に高笑いで何でもないように振る舞ったが本当は『そうだ』と肯定してしまいたかった。それはずっと自分が望んでいたことだから。
しかし彼女と自分は全く異なる存在だと思い知らされた。ただ純粋に「好きだ」と云った名前はとても美しく眩しかった。何の打算も駆け引きもなく、相手に真っ直ぐ想いをぶつける事など自分には出来はしない。もうそんな年齢でもなくなってしまった。ベルモットはこの時これからは彼女を影で支える立場でいようと心に決めた。本心を隠し、仮面を被ることには慣れている。それに彼女だけでなく、恐らくジンも――。
***
「フン⋯くだらねぇ⋯」
ジンの声にベルモットの意識は現実に引き戻される。そして彼の口から「何度もしただろうが」という台詞が付け加えられた。
「身体への愛撫としてはね⋯。でも唇にはただの一度もしてくれたことないじゃない」
「そんなこと一々覚えちゃいねーよ」
「自分でも意識してないのね⋯。ホント、罪な男⋯」
「戯言はそれだけか?」
俺はまだ仕事が残っている。さっさとそこを退け。
銃を下ろし、鋭い眼光で言い放ったジン。それに対し今度は大人しく引き下がったベルモット。足早にラウンジを後にするジンの背中に向って最後に一つだけ告げる。
「この先もこんな中途半端なことを続けるくらいなら、あの娘を自由にしてあげて」
今ならまだ引き返せる。彼女が平凡な幸せの中で生きていけるように。組織としては決して許されない行為だが、ジンがそう決意するのなら自身も力を貸そう。これまでの出来事やジンとの関わりを全てなかったことにするために。
そんなベルモットの想いも虚しく、彼が後ろを振り返ることはなかった。
next
2014/8/8
加除修正 2023/4/6