03:ジーザス!ジーザス!

アイスティーが入ったカップを片手に名前は足早に歩いていた。予定より遅くなってしまった、と今一度時間を確認しておこうと腕時計に視線を移したその時、丁度店の角から姿を現した人物と出合い頭に衝突してしまう。手から離れたカップはそのまま名前の足元に直撃しその衝撃で蓋が外れた。

「ご、ごめんなさい!」
「いや、私の方こそすまない。怪我はないか?」

⋯あれ?
この声どこかで聴いた覚えが。

頭を下げていた名前はそろりと上体を起こしぶつかった相手を確認する。

「あっ」
「なんだ、君か」
「赤井さん⋯でしたよね?」
「あぁ」
「本当にごめんなさい。私ちゃんと前を見てなくて⋯。服とか濡れませんでしたか?」
「大丈夫だ」

赤井の返答に名前は幾分ほっとした表情を浮かべる。
一方、赤井の視線は彼女の足元へ。

「君の方は酷い有様だな」
「これは自業自得なので気にしないでください」
「そういう訳にはいかんだろう」
「そんな高い靴でもないですし、もう帰宅するところなので」
「すぐそこに店がある。⋯行くぞ」
「え?ちょっと待っ⋯、」

赤井は少々強引に彼女の手首を掴むと有無を言わせず歩き出してしまう。途中、このままで平気だと名前が訴えるも全く聞く耳を持たずでそうこうしている内に目的地に到着してしまい、そのまま店内へ。すると品の良い女性店員が二人を出迎えた。

「女性ものの履物を見たいんだが」
「こちらでございます」

店員に案内され今更自分一人出ていく訳にもいかず⋯。名前は流されるまま戸惑いながらも後ろをついていった。

「これなんかいいんじゃないか?」

赤井が示したのは可愛らしいリボンが付いたミュール。パステルカラーの淡い色彩が爽やかで、促されるまま試着してみると決して甘すぎないところが良く似合っていた。

名前も鏡の前でどんな雰囲気なのか確認してみる。自身では普段選ばないようなデザインだが、こういうのも有りかもしれないと素直に思える。それに美しい空の色を思わせるカラーは好きな色でもあった。他にも赤と白、2色の色違いがあると言われ一通り試してみることに。

「最初に履いた色が一番似合うと思うが、あとは彼女に聞いてくれ。本人が気に入らなければ意味がない」
「そうですね。いかがいたしましょうか?」
「私もこの色が気に入りました」
「そうですか。ではこちらをご準備致します」
「出来ればすぐに履いて帰りたいんだが」
「ではタグを外して参りますのでお掛けになって少々お待ち下さい」

フィッティング用ソファに腰掛けて身に着けていたミュールを脱ぐ。用意ができるまでの間に名前は隣に立つ赤井に小さく声を掛けた。どうした?と彼は続きを促すがこのままでは言い辛いのか、彼女はもう少し近づいて欲しいとちょいちょいと手招きをする。

「今チラッと確認したんですけど⋯一つ桁が多いです」
「ん?」
「ミュールのお値段⋯」
「ああ、そのことか。私が払うから君は何も心配しなくていい」
「いや、そういう問題ではなくて、」
「お待たせ致しました」

店員の声に遮られ、名前は言いかけていた言葉を飲み込む。彼女が差し出されたミュールに気を取られている間に会計を済ませようと赤井はカウンターへ。結局お金の件は有耶無耶になってしまい、購入したミュールを名前が履き終えると店を後にした。暫く歩いた後、大きな交差点に差し掛かり二人はそこで別れることに。

「私の不注意だったのに新しい履物まで⋯。本当にありがとうございました」
「不注意だったのはお互い様だ。だが今後はもう少し用心することだな」

相手によってはどんな目に合うか分からない。だから気をつけろよ、と。言い方は少々ぶっきらぼうだが、心から案じてくれているのはちゃんと伝わってくる。そして赤井は持っていた紙袋を彼女に手渡した。

「君が最初に履いていた物だ。まだ使い物になるか分からんが、一応包んで貰った」
「何から何まですみません」
「ではこれで失礼する。あの男にも宜しく云ってくれ」

まあ、向こうは宜しくしたくはないだろうがな。

彼は笑い交じりにそう言うと彼女に背を向けて歩き出す。名前はその背中に向かってもう一度お礼を言いペコリと頭を下げた。赤井は前を向いたまま、それに応えるように片手を挙げて去って行った。


***


赤井と別れたあと名前は急いで自宅マンションに向かう。幸いまだジンの姿は見当たらず、早急に夕食の準備に取り掛かった。

「――あ、おかえりなさい」
「あぁ。今帰った」
「ご飯できてるけど、先にお風呂入る?」
「いや、食事でいい」

ネクタイを緩め、ジャケットを脱いでハンガーに掛ける。

「あのミュールはどうしたんだ」
「え?」
「玄関に置いてあった。今朝履いていったものとは違うだろう?」

相変わらず目聡い⋯。

帰ってすぐ靴箱に仕舞っておけば良かった、と名前は些か後悔しながらもあまり深く突っ込まれないように考慮しつつ、あくまでも平静にジンの問いに答える。

「今日帰り際にちょっと、ね」
「何だ。ちゃんと説明しろ」
「人とぶつかって持ってた飲み物が零れちゃって。それで履いてたのが駄目になっちゃったから⋯」

本来ならそれ以上追及するつもりは更々無かった。だが彼女の態度が微妙に不自然さを感じさせ、それがどうにも引っ掛かった。そしてもう一つ気になっていたのはミュールのデザイン。名前自身が選んだにしては少し可愛らしすぎる印象を持った。本人は平静を装っているつもりだろうが、ジンはしっかり普段との違いに気づいていた。彼女は何か隠したい事があるとあまり目を合わせようとしない。根が素直な分、名前は隠し事をするのが本当に下手だ。

「自分で買ったのか」
「ん?うん⋯まぁ、」
「⋯⋯名前」

ジンの低くなった声色にビクリと反応し、実はぶつかった相手に買ってもらったの⋯と段々語尾を小さくしながら名前は白状した。ずっと言葉を濁していたことから推測して、相手は男だろうか?けれども例え相手が男だったとしても見ず知らずの人間だ。客観的に見ればそんな相手とアクシデントがあったくらいでここまで隠そうとする必要はない。考えられるのは余程自分に知られたくない相手だった場合。先程から居心地悪そうにしている名前に徐々に苛立ちの感情が芽生え始めたジンは更に追求する。

「相手は男か」
「う、うん⋯」
「どんな男だ。名前は?」
「え⋯」
「履物を贈られて名前も聞かずに別れたって話はねえだろう?」
「⋯ぁ⋯⋯さん」
「あ?聞こえねぇ」
「FBIの赤井さん⋯」

赤井秀一、だと?

相手が明確になった途端、ジンは眉間に深く皺を寄せた。赤井とは互いに良い印象を抱いていないことは名前だって百も承知な筈だ。できることなら隠しておきたいと考えていた理由もこれでハッキリした。

それにしたって、どうしてよりにもよってあの男なのか。偶然にしたって出来過ぎている。一体どれほどの確率でそんな状況に陥ったのか逆に問いたい。苛々が最高潮に達したジンはクルリと背を向け玄関に向かって歩き出す。ミュールを手に取りリビングに戻るとすかさずゴミ箱の方へ歩みを進めた。

「ジン、何してるの?!」
「見りゃ分かるだろう。コイツを今から捨てるところだ」
「ダメ!私が悪かったのに赤井さんが気を遣ってプレゼントしてくれたのに」
「あぁ?お前、まさかあの男に気でもあるんじゃねぇだろうな⋯」
「何でいきなりそういう発想になるの?そんな訳ないでしょ」
「どうだかな⋯。大体いつもいつも妙な輩に目を付けられやがって」
「は?」
「相変わらず無自覚か⋯。フン、まぁいい。とにかくコイツは処分することに決定した」
「勝手なこと言わないで。人様の好意を無碍になんかしたらバチが当たるよ」

名前はやっとの思いでジンの手からミュールを取り返すと、奪い返されないようにギュッと胸の前に抱えて彼を牽制した。そんな彼女の態度が面白くなくて、ジンの機嫌指数は益々低下していく。

「靴が欲しいなら俺が好きなだけ買ってやる。だからさっさとそいつを寄越せ!」
「絶対やだ!」
「⋯⋯」
「これは私の持ち物だもん。ジンの思い通りにはさせないんだから」

最後に「DV反対!」と言い放ちあからさまに敵意を剥き出しにしている。こうなったらテコでも言うことはきかないだろう。幼く大人しそうな外見とは裏腹に芯が強くて頑固な所が彼女の持ち味でもある。

「はぁ⋯お前の言い分は良く分かった。もうそいつに手は出さねぇ」
「ほんと?」
「ああ。その代わり⋯」
「その代わり⋯?」
「今夜はたっぷり仕置きしてやるから、精々覚悟しておくんだな?」

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2014/7/26