影と月


黒いコートに身を包んだ少女は一人、路地裏を歩く。
その少女は華奢な体に似合わぬ長い刀を腰に下げ、それの柄を握り締めている。いつでも抜刀出来るように。

(さっきのは何だったんだろう…。歩いてたら急に真っ暗になって、真っ暗になったかと思えば景色が変わってて…。しかも零と一緒に居たのに一人だし…。)


少女の名は美夜。影と謳われるハンターだ。
そんな美夜の前に、美夜よりも少し身長の高い一人の少女が肩に何かを掛け、曲がり角から現れた。その少女が持つのは、冷たい印象を与える薄氷の瞳。それは何の感情も表さず美夜を見つめ、一度瞬く。


(女の、人…?)


自分も人の事を言えないが、少女が一人夜の路地裏を歩くのは不自然。そう思った美夜は少女の気配を探るも予想した気配は纏っておらず、違うかと息を吐き出せばこちらを見つめていた少女が美夜に向かって歩き出した。それに対して美夜は進めていた脚を止めて少女が傍まで来るのを待ち、じっと見つめ返す。
カツン、と少女が履いているブーツが音を立てて止まった。二人の距離は腕を伸ばせば届くか届かないかの程度。二人とも気安くは近付かない。
暫しの沈黙の後、美夜の前に居る少女が口を開く。


「…その刀、」


そこまで言って言葉を切ってしまった少女は形のいい眉を寄せ、一度美夜の腰にある刀に視線をやってから美夜へと視線を戻す。薄氷の瞳は相変わらず何も読み取れない。しかし機嫌が悪いわけではないらしく、首を傾げたりしている。言葉を切ったまま口を開かない少女を辛抱強く美夜が待っていると、更に少女の眉根が寄った。そしてポツリと成る程、と呟く。


「…どこから来た?」


初めての問い掛け。しかし美夜は答えない。迂闊に答えては大切な人達に危害を加えられるかもしれないからだ。
それでも少女は気を悪くした様子もなく肩に掛けていた黒く細長いケースを石畳に下ろし、カチリとロックを解除して開けた。その中には何も無い。


「少しデカいだろうけど、その刀ここに入れな。そのままだと人目について通りに出れない。」


そう言って三歩美夜から離れた少女は美夜がケースの中に刀を入れるのを待つ。


(……取り敢えず味方か敵かは後にして、お言葉に甘えることにしよう。)


ありがとうございます、と頭を下げた美夜は刀を外してケースの中に入れ閉めてからロックして背負う。しかし思いの外ケースが軽かったため驚く。
そんな美夜に付いてきな、と言って踵を返した少女は通りへと脚を向けた。それに美夜も続く。


(刀を見ても驚かない…か、それにこのケース…不思議な程に軽い。まるで背負ってないみたい、こんなに頑丈そうなのに。
…この人は一体……。)


暫く歩くと通りに出ることが出来、少女は一軒の喫茶店に入って空いている席に腰を下ろし美夜に視線を寄越す。どうやら前の席に座れと言っているらしい。素直にそれに従った美夜。
そこへウェイターがお冷やとお絞りを二人分テーブルに置いて、ご注文はお決まりですかと尋ねる。少女はホットコーヒーとミルクティーを一つずつとパフェを一つ注文し、ウェイターは下がった。
暫くして運ばれてきたホットコーヒーは少女の前に、ミルクティーとパフェは美夜の前に置かれる。そうするよう頼んだ少女の行動に驚いた美夜は断ろうとするも、ウェイターは既に伝票をテーブルに置いて下がっており少女も何くわぬ顔でホットコーヒーをブラックのまま飲んでいる。


「…あ、あの…。」

「私の奢りだから気にするな。」


さらっと言ってのけた少女はソーサーにカップを戻して頬杖をつき、美夜に疲れた顔をしていると指摘する。僅かに目を剥いた美夜は直ぐに頂きますと少女に頭を下げて湯気を立てているミルクティーを一口飲み、ホッと息をついた。緊張が解れてゆく。ミルクにはリラックス効果があると言うが、疲れのとれる甘いパフェも少女の配慮だろうか。
肩の力を抜いてカップをソーサーに戻す美夜を見た少女は、まずは自己紹介をする。


「私は結里菜。近くにある学園の生徒だ。」

「生徒さんでしたか…。私は晃咲美夜です。」

「…聞いたこと無い名だな……。」

「どうして私をここに?」


自分から本題を切り出した美夜に驚いたのか、結里菜と名乗る少女は数回瞬きをした後にフッと笑んでパフェを指差す。


「ちゃんと答えるから。…早くしないと生クリーム溶けるよ。」


そんな結里菜の言葉にハッとした美夜はスプーンを手にしてパフェを食べ始めた。その間に結里菜は話を進める。


「信じるかは自由だけどまず一つ、私はアンタの敵じゃない。これだけは宣言する。」


コクリと頷いた美夜。それを見た結里菜は続ける。


「それから二つ目、ここはアンタが居た世界じゃない。」


パフェを食べていた美夜の手が止まった。その顔は信じていない、と言うよりも困惑している様子。無理もないか、と息をつく結里菜は詳しいことは学園で話すと告げる。


「待ってください、世界…って…。」

「言った筈だ、信じるかは自由だと。まぁ…信じざるを得なくなると思うけど。」


それ以上結里菜は口を割らず、本当にここで話すつもりは無いらしい。それを悟った美夜は早く続きが聞きたく、少しパフェを食べるスピードを気付かれない程度に上げて食べ進めた。
美夜が食べ終えたのを見計らい、伝票を手にした結里菜はレジへ行き支払いを済ませる。それに気付いた美夜はせめて自分の分だけでも払わせてくれと頼むも、人からの厚意はありがたく貰っておけと言われてしまったので下がらざるを得ない。少し居心地が悪そうな美夜を見てこっそりと喉を鳴らして笑った結里菜は美夜の頭を軽く撫で、店を出る。
通りには既に人影は無く、美夜が続いて店を出ればシャッターが下りた。どうやら二人が最後の客だったらしい。


「あの、ご馳走さまでした。」

「ん。」


歩き出した結里菜の横に慌てて並んで礼を述べれば、結里菜は短く返事を返して路地裏へと入ってゆく。その脚はどこか急いでいるように…それでもどこか脚取りは軽く見えて、美夜は不思議に思いながらも付いていくが不意に感じたことのある気配に視線を巡らせる。
それと同時に、結里菜の脚が止まった。美夜も脚を止める。

二人の数メートル先には長身の男が立っていて。
その男は銀髪に浅紫色の瞳を持っている。
男に気付いた美夜は小さく声を漏らし、結里菜の背からヒョコリと顔を覗かせた。

それが、いけなかった。

男は何を思ったのか懐に忍ばせていた大型拳銃を取り出して引き金を引き、それに逸早く反応した結里菜は美夜を突き飛ばす。
しかし、銃口を向けられていたのは美夜ではなかった。

放たれた弾丸は結里菜の脇腹を掠った。焼けるような痛みに小さく呻いた結里菜の名を、悲鳴を上げるかの様に名を呼んだ美夜は彼女の体を支える。
途端、ヌルリとした感触。
そこに視線を注げば、結里菜の脇腹からは血が流れ出ており石畳に滴り落ちていた。


「美夜から離れろ、ヴァンパイア…!」


男が吐き捨てるようにして紡いだ言葉に目を剥いた美夜は視線を男から結里菜に移し、見つめる。
男がヴァンパイアと呼ぶ結里菜からはヴァンパイアの気配はしない。だが、対ヴァンパイア武器の弾丸によって傷つけられた脇腹は一向に治る気配はなく、それは結里菜がヴァンパイアだと証明していた。


「…ヴァンパイア、だったんですか…。」

「……騙してたつもりじゃなかったんだけど、…ごめん。」


苦い顔をして謝罪をした結里菜を見た美夜は唇をきゅっと引き結び、男に視線を向けた。


「零やめて、この人は何もしないよ。」

「何もしないと言ってお前を食らうつもりだったらどうする。」


食い下がる男…零と呼んだ名をもう一度強く呼べば、零は暫し黙った後結里菜を睨み付けたまま渋々と銃を下ろす。
それを見て内心胸を撫で下ろした美夜は結里菜に、立てますかと声を掛けた。


「…立てるから、その…男の横に行きな。」

「でも、」

「いいって。止血はしたから。」


美夜の言葉を遮って立ち上がった結里菜が傷を負った脇腹を押さえていた手を退ければ、その下にある銃傷は凍っていた。
それに驚いている美夜を零に押し付けた結里菜は何事もなかったかの様に踵を返し、歩を進める。

怒りも恐がりもしなかった結里菜から視線を外して銃を懐に仕舞った零は、美夜の肩を掴んで抱き締めた。
無事で良かったと、小さく呟きながら。
華奢な体の美夜には少々きつい抱擁。それでも心配を掛けたのだと解っている美夜は拒まず、そろりと控えめに零の服の裾を握る。


(…零、捜しててくれたんだ…。)


零から仄かに香る汗の匂い。それは、零が美夜を捜し回った事を語っている。
その事に少し嬉しくなり零の服の裾を軽く引こうとした美夜だが、ごめんねと謝るだけにとどまった。
そして、行こっかと零に笑い掛けて大きな手を引き、少し先を歩く結里菜の後を追う。

そして結里菜は学園に着くまで、一度も口を開くことはなかった。

〜私的居住区―結里菜side〜

美夜とあっちの世界の零をリビングに案内した私は二人にソファーに腰掛けるよう言い、お茶を淹れるためにキッチンへと入る。

見たところ美夜達はパラレルワールドから来てしまったらしく、多少混乱しているらしい。

それにどこまであっちの世界が進んでいるかわからないが、優姫と枢が居なくて良かった。もし居てあっちの零が“優姫がヴァンパイア”という事を知らなかったら、…大騒ぎでは済まされない。
因みに今日から一週間枢と優姫は実家に帰っていて居ないし、零も理事長も協会に行っていて居ない。まぁ、その時点であっちの零だと気付くべきだったのだろうが…零だと思って気を抜いていたためうっかり撃たれてしまった。

私は棚から湯飲みと急須を取り出そうと手を伸ばすも脇腹に激痛が走り痛みに顔を歪め、そこを押さえる。
…傷が開いた。
脇腹から離した手を見ればベッタリと血が付着しており、至極面倒臭そうに溜め息をつく。面倒臭そう、と言うより実際面倒臭いのだが。
私の知る零でないことに気付けなかった私も私だが、まさかいきなり発砲されるとは思わなかった。しかしそれ程に美夜を大切にしているのだろう。彼からは元人間の気配がしなかったから、美夜が救ったのだろうか。

そこまで考えて自身に影が差さっていることに気付き顔を横に向ければ、そこには零が立っていた。
一瞬どちらの零だろうかと考えるも、頭よりも先に体が動き零に抱きつく。私の知る零だ。本能的に分かる。
私から抱きついてきたのが珍しかったのか少しだけ零の手が宙でさ迷うが、傷に響かぬよう直ぐに私を優しく抱き締めて背中を軽く撫でる。


「…大丈夫か。」

「ん…少し、恐かった…かも。」


あっちの零を私の知る零だと思ったから気配がする方に近付いたし、美夜を庇った。
けれど実際撃たれたのは私で、美夜から離れろと言われた瞬間に軽く頭の中がパニックに陥ったのを覚えている。どうして私を撃ったのか、と。
しかし美夜があっちの零の名を呼んだため、私の知る零でないことが分かり冷静になれた。

それを話せば零は私の頬を両手で包み込みそっと口付け、着替えてくるよう促す。お茶の用意はしてくれるらしい。
急に口付けられたものだから反応が遅れた私は口を手の甲で隠し、赤くなった頬を見られぬ内にパタパタとスリッパで音を立てながら逃げるようにしてキッチンを後にした。
それを見て、零が笑っていたのを私は知らない。



着替えるついでにシャワーも浴びて血を洗い流した私がタオルで濡れた髪を拭きながらリビングに戻れば、何故か三人とも無言でソファーに腰掛けていた。

何だこの重々しい沈黙。


「…何やってるの。」

「えっと…。」


私の呆れた問いに答えようとする美夜だが、その言葉を遮るようにぶっきらぼうな謝罪が聞こえた。そちらに視線を向ければ錐生(零と零でややこしいので、魅様の零は錐生とさせていただきます)が眉根を寄せてこちらを見ている。


「…は?」

「……だから、…傷…悪かった。」


フイと顔を逸らしてしまった錐生。
私は暫く呆けた後錐生が言いたかったことを理解し、首を横に振る。気にするなと。


「美夜を連れ回した私にも非はある、アンタが気にする必要は無い。」

「…ヴァンパイアらしくないな、アンタ。」


本当にヴァンパイアか?
そんな風に怪訝そうな顔をしてこちらを振り向いた錐生は私をじっと見つめ、見えないと零す。
それに苦笑した私は零の隣に腰掛けた。


「たしかに私は他のヴァンパイアより人間に近い感情のつくりをしてるかもね…、普通の人間とは少し違うかもしれないけど。
まぁそれは置いといて、」


この世界の話をしようか。
途端、この部屋に緊張が張り詰める。


「ここの世界は…見ての通り、アンタ達のよく知る世界であってそうでない。それは私という存在で解るね?」

「はい。
この世界は私達が居た所によく似ているどころかそっくりそのままですが、私達二人は貴女の存在を知りません。」


冷静に答えた美夜に私は頷いた。
それを錐生と零は見つめる。


「私も美夜…アンタの存在は知らない。
似てるけれど違う世界…所謂パラレルワールドが存在し、アンタ達はそこに迷い込んでしまったというわけだけれど。」


そこまで言えば零から温かいお茶が入った湯飲みを渡されたのでありがたく受け取り、口をつけて一口飲んだ後テーブルに置く。
すると唐突に零が立ち上がって部屋を出てしまうが、私は気にせず口を動かす。


「私はアンタ達を帰す方法を知ってはいるけれど、それを実行できるかは分からない。
私の行ったことのある世界やどんな所か知っている世界であれば今すぐ帰すことは可能だけれど、残念ながら私は美夜達の世界を知らなくてね…。
似た世界は幾つも存在するから、今の状態でアンタ達の世界を探すのは不可能に近い。」

「“今の状態”は…?
つーことは、何かしらすれば帰れるのか。」

鋭く問うた錐生。美夜もたしかに、と呟き私を見つめる。
私は二人に頷いた。


「条件…ではないけど、アンタ達の内どちらかが私に警戒心を無くす、または信頼してくれれば帰すことが出来る。」


私の言葉に眉を寄せた錐生に、私は早とちりするなと宥める。


「これは私の意思で帰さないんじゃない、帰せないんだよ。アンタ達が心を開いてくれないとそっちの世界のイメージをつかむことが出来ない。
ということで、アンタ達にはここで暫く過ごしてもらう。」


そこへ丁度零が戻ってきた。…救急箱を片手に。
手当をするつもりだ。
首を横に振って、要らないと示すも零はそれを無視して私の横に腰掛け、パーカーに手を掛ける。


「ちょ、」

「俺の血を飲めって言っても飲まないだろーが。」

「だからって実力行使はないでしょ。」


慌てて手を掴んで止めさせれば眉間に皺を深く刻んだ零が鋭い目で私を睨む。
怖くはないが、これでは私が悪いみたいで後ろめたい…。

目の前で繰り広げられる攻防戦(?)に呆気にとられる美夜と錐生。
そんな中我に返った美夜は自分が手当すると申し出るが、零が即答で断った。
何で零が返答するのかと文句を言いたいが、言ったら最後後の祭りなのでとどめておく。


「大丈夫だから。」

「…結里菜。」


突如、低くなった零の声。
つぅ、と背筋に流れる冷や汗にヒヤリと伝わる冷気。。
多分、怒った。

私は掴んでいた零の手を放して一言謝り大人しくする。
零は私が羽織っていたパーカーを脱がせてから救急箱を開け、ガーゼやら包帯やら何やら取り出す。


(パーカーの下にはキャミソールを着てるからいいけど…それでも恥じらいという意味では抵抗しなかった結里菜さんって一体…。)


私はキャミソールを捲り上げて傷口を零に見せるが…どうも面倒臭い、それに腕も疲れる。胸には晒を巻いてるから別に脱いでも構わないだろう。
そう思えば即実行。私は腕を交差させてキャミソールの裾を掴み、一気に脱いだ。


「えっ」


驚きの声を上げたのは美夜ただ一人。
錐生は再び呆気にとられ、零は顔半分を手で覆って溜め息をつく。


「結里菜…。」

「何? 別に晒巻いてるから構わないでしょ?」
「…お前はそういう奴だよな…。」


零の言っている意味が解らず首を傾げると少し拗ねた様な声で、もういいと返される。
私は何かいけない事をしただろうか。
しかし拗ねている辺り、“いけない事”と言うよりも“気に食わない事”の方が正しいかもしれない。

機嫌が斜めってしまった零は眉間に皺を寄せながら手当をしてゆく。
沈黙が少々心地悪いが、仕方ない。
美夜達の方を向けば錐生が顔を赤らめもせず(赤らめられても困るけど)私に傷は深いのかと問うが、私は首を横に振る。
深いと言えば深いかもしれないが、人間でない私にとってはそこまで深くはないのだ。
私から否の答えを得た錐生はそうか、とだけ呟き美夜に視線を移した。美夜にどうしたのと問われているが答えない辺り見つめる意味は無いのだろう。

そこで私は、はたと気付く。錐生の感情に。
錐生は優しい瞳で美夜を見つめ、頭を撫でる。撫でられている本人は頭上に疑問符を飛ばしてはいるが少し嬉しそうで、その表情をさせている本人もまた嬉しそう。

好いているのか、美夜を。
となると、錐生を救ったのはやはり美夜だろう。もしかしたら閑の血を飲ませたのかもしれない。


「…。」


睦まじい二人を眺めていると視線を感じて、そちらに視線をやれば零がこちらを見ていて。


「何?」

「いや、お前が…会って間もない知らない奴を気に掛けるのは珍しいと思って。」


気に掛ける、だなんて。


「…別に、気に掛けては…ないけど……。」

「ミルクティーとパフェ奢ったらしいな。」


多少図星なので視線をそらしてゴニョゴニョと否定すれば喫茶店での事を言われ、思わず視線を戻す。
今、何て。


「疲れてるのに肩の力を抜かない晃咲に奢ったんだろ、本人が断っても。」

「……。」


図星だ。
ばつが悪い顔をした私がプイと顔を逸らすと零はフッと笑い、手当終了と告げてから私の頭を撫でる。


「お前のそういう所、好きだよ。」

「ッ」


直球な言葉に頬が熱くなった。

黙り込んで抵抗する気力が湧かないままでいると美夜と眼が合う。しかし赤くなってしまった頬を見られたくない私は咄嗟にまたもや顔を逸らすのだが、何故か美夜が近付いてきた。

錐生に名を呼ばれているが返事をせずに私に歩み寄り、そして――――


「え、ぁ。」


何故か抱き締めた。
優しく、傷に響かぬよう。

急の事に反応できず固まっていれば、私を抱き締めていた美夜の腕が離れる。
一体何だったのだろう。


「…結里菜さんって、何だかこう…さっきは冷静沈着でしたけど……零、くん?が関わると可愛いですね。」

「はっ?」


何を言い出すかと思いきや、…何を言い出す。
怪訝な表情で美夜を見るも、美夜の視線は零に向いていて気付く様子は無い。


「こういうの、何て言うんでしたっけ…。拓麻から教えてもらったんですけど、えっと…つ、…。」


言葉に詰まっている美夜。
それを見かねたのか錐生が口を開いた。


「ツンデレ。」

「そうそれ。」


美夜は錐生に振り返って少し嬉しそうに頷き、そんな美夜の表情を見られた錐生も表情は柔らかい。

じゃなくて。
つまり、私がツンデレだと…?
いつデレたというのだ。


「不満か?」


眉根を寄せていれば零がポンと頭に手を乗せてくる。
不満、と言えば不満だし私はツンデレではない。


「私はツンデレじゃない。」

「ツンデレだろ。」


否定したらそれを否定され、私は零にやや睨む感じで視線を向ける。

誰がツンデレだ、誰が。


「デレてない。」

「ツンは認めるんだな。」


確かにツンに当たる事をした覚えはあるが、デレた覚えは無い。
というか、ツンデレは零だろう。

答えない私を肯定と捉えたのかクスリと笑った零はパーカーを私の肩に掛けて腰を上げ、もう寝ろよと頭を撫でてリビングから姿を消す。


「……。」


私は撫でられた頭にそっと手を乗せた。

いつもなら、一緒に部屋を出るのに。私が寝るまで一緒に居てくれるのに。
別に零も一人になりたい時はあるだろうから縛るつもりもないけど、…さっきのは気を遣われた…?

はふ、と息をついた私はキャミソールとパーカーを身に纏い、美夜と錐生に視線を向ける。


「…夕食は済ませた?」

「あ、はい。私も零も食べました。」

「なら、シャワー浴びてもらうから…付いてきて。」


踵を返せば美夜はあの、と声を掛けて私を呼び止めた。
ゆっくりと振り返ると美夜は微笑んでいて。


「私達は私的居住区の事は知っているので、結里菜さんはお休みになってください。
幸い、この世界の私的居住区とあちらの世界の私的居住区は同じようなので。」

「…。」


私はそれに答えず、ソファーに再び腰を下ろす。了承と捉えたのか美夜と錐生はどちらが先に入るかを決め、結局美夜が先に入った。




私は美夜達がシャワーを浴びている間、ずっとリビングのソファーで膝を抱えていた。

どのみち、部屋割りをしなければならないから寝れないのだ。それも零は解ってる筈。

しかし、零は来なかった。


「結里菜さん…?」


名を呼ばれて、考えに耽っていた意識を引き戻す。
声がした方へ視線を向ければ美夜が心配そうに私を見つめていて。私は何?と出来るだけ不自然に見えない風に首を傾げる。

そういえば部屋割りした結果、美夜は私と同室に、錐生は客室になったんだったか。

美夜は私の反応に暫し間を空けてから何でもないです、と笑って布団に潜る。


「今日はお世話になりました、まだご迷惑を掛けるかもしれませんがよろしくお願いします。」


とても礼儀正しい娘だと思う。
だが、私が言えたことではないが…壁を感じる。それに笑顔も営業物だ。錐生に向けるものは、本物のようだが。


「おやすみなさい。」

「…おやすみ。」


私はベッドに身を委ね、息を長く吐く。

零は、何を思って一人になったのだろう。美夜と私が仲良くなるために、気を遣ったのだろうか。それとも、ただ眠くて?
…いや、恐らく後者はないだろう。

二時間程経てば美夜から寝息が聞こえ始め、眠りに落ちたことが分かる。
私は依然とベッドに寝転がったまま。
美夜も別世界にいるということからか、寝付きが悪かったらしい。

そして私も、眠れない。
私はそっと身を起こし、音を立てずに部屋を出た。


〜一時間後〜

美夜はふと目を覚ます。物音がしたからとかではなく、ごく自然に。
今は何時かと上体を起こして壁に掛けてある時計に目を向けるも、当然明かりがないため見えない。目が暗闇に慣れるまで待つことにした美夜だが、居る筈の結里菜から寝息が聞こえないことに気付いた。
起きているのかと思うも、呼吸さえ聞こえない。
まさかと思って暗闇に慣れてきた目を結里菜の眠るベッドに向ければ、そこはもぬけの殻。


「…え?」


そっと触れてみるとそこは冷たく、大分前に結里菜は姿を消したことが分かる。
ここは結里菜の住む所だと解っていても、様子のおかしかった事が気掛かりで美夜は部屋を飛び出した。


(結里菜さん…!)


ただ、眠れなくてリビングとかに居るだけかもしれない。それを解っていても美夜は走る脚を止めない。

しかし、結里菜はリビングには居なかった。


「…ッ」


では、一体どこに。
美夜はどこか結里菜が行きそうな所を考えてみるも今日(一十二時回っているから正確には昨日)知り合ったばかりなので分かる筈もなく。
だが、よく考えてみれば居るではないか。結里菜をよく知る者が直ぐ傍に。

美夜はまた駆け出す。


そして着いたのは、こちらの世界の零の部屋。
美夜は乱れた息を整え、ノックしようと手を胸の高さまで持ち上げるが、その手はピタリと止まる。

もしかしたら、零は知らないかもしれない。それに寝ている彼を起こすのは申し訳ない。

そこまで考えたところで不意に目の前のドアが開いた。
驚いて顔を上げれば怪訝な顔をした零。


「え、…っと…。」


驚いて言葉に詰まった美夜だが、零にどうしたと問われてまず頭を下げる。


「すみません、起こしてしまいましたよね…。」

「…いや、起きてたから気にするな。」


で、どうした。
再びそう問われ、美夜は言葉を発そうとするも一度口を閉じて黙り込む。
それでも零は苛立つことなく美夜の言葉を待ち、美夜が漸く口を開いた。


「あの、結里菜さ、」


そこまで言って、零の体が小さく揺れた。本当に、小さく。
しかし、それに気付いた美夜は首を傾げる。
今の零の体の揺れは“結里菜”に反応したわけではない。
なら、何故?

すると零が首を傾げる美夜を見てか困ったように笑い、それと同時に零の背後からスルリと細い女の腕が伸びて腹に回される。それはキュ、と零を抱き締めている様で。


「…もしかして。」

「あぁ、結里菜だ。」


美夜に頷いた零は回された結里菜の腕に優しく手を添えてポンポンと叩く。
その表情はあまりにも優しく穏やかで。美夜は思わず見惚れる。
しかしそれよりも、結里菜が零に抱きついていることに驚いた。零に直球で想いを伝えられて照れていた結里菜が自分から、しかも美夜の前で零に抱きついているのだから。


「…零くんの所に、居たんですね。」

「もしかして何も言わずに結里菜はここに来たのか。」


問いに苦笑した美夜を見た零は呆れた溜め息をついて結里菜を美夜の前まで引っ張る。


「結里菜…一言謝っとけ。」

「えっ、大丈夫ですよ!」

「いいから。
コイツ、来た理由を話さないんだよ。」

「…え?」


美夜はパチパチと瞬きをした。
来た理由を話さずにずっと零の部屋に居たのか、と。
ほら、と零に促された結里菜は暫しの間を置いてから、ごめんと謝罪をした。
その瞳はゆらゆらと揺れており、初めて会った時の鋭さは無い。


(どうしたんだろう…。
…でも、ここは零くんに任せた方が良いよね。態々零くんの所に来たってことは理由があるんだろうし。)


儚げな結里菜を見た美夜は心配になるも零に任せることにし、おやすみなさいと二人に残して踵を返した。


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