「木路ー!」
「はいー?」
早朝に帰宅し仮眠をとっていたはずの師匠が、寝起きとは思えない張りのある声で庭までやってきた。片手には刀を一振もっている。背筋が泡立つ嫌な雰囲気は日輪刀のものだが、鍔(つば)を見るに師匠のものではない。
大きな動きでやってきた師匠は、縁側まで来ると急に固まった。
「……ときに木路」
「はい」
「俺が留守の間に何かあったか?」
師匠は帰宅後すぐに風呂に行ってしまったため、わたしから昨日の出来事は伝えていない。千寿郎くんもまだ話していないらしい。
わたしは頷いて宙に拳を突き出した。
「槇寿郎さんと殴り合いしました」
「よもや!?」
「もっとしっかりしてください、と」
「よく無事だったな……。元とはいえ、父上は柱を務めていたのだぞ」
「お互いに歯が折れました。わたしは生えましたが」
「よもや……。しかし、道理で、と言ったところか」
師匠は縁側から庭に下りてくると、寝ぐせの残る頭をかいてどこか落ち着かなそうに言う。
「先ほど父上と顔を合わせたのだが、何か言うでも睨むでもなく……物言いたげに見られたものでな。何かあったのかと思ったのだ」
「良い変化です。良かった、また殴るようなことにはならなそうで」
「木路は案外血の気が多いな」
「わたしにとって、煉獄一家は友人のようなものですから。間違っていると思ったことを、ずっと放置はできません。改善のきざしが見えないのならば尚更」
「そうか、そうか」
師匠は圧の強い目を細めて笑う。嬉しそうに深く頷き、軽く頭を下げてきた。「礼を」千寿郎くんと同じことを言うので、慌てて頭を上げてもらう。本当に、礼を言われるようなことはしていない。槇寿郎さんが笑顔で師匠や千寿郎くんに接するようになったとき、笑い話になってくれれば十分だ。
師匠はいくらか清々しい顔で、持っていた日輪刀を差しだしてきた。
「それで、本題だ。これは練習用の日輪刀。木路は刀に慣れていないと言うからな。常に肌身離さず持っていろ」
「……これを?」
「木路の日輪刀はじきに届くから、それまでは。遺品回収の任務に就いていたために、最終選別は免除されているからな」
「いえ、自分用の刀でないことに不満があるわけではなく……」
いずれ日輪刀を握らねばならないと覚悟していたが、目の前にすると躊躇ってしまう。師匠が急かすのでひとまず受け取ったが、じわりと冷や汗がにじんだ。
柄と鞘がある分、刃に直接触れるよりは断然マシだ。刀の欠片を投げるよりもまだ良い――いやどっちもどっちだ。破片を投げていたときはグローブをしていたし、収納していたのも丈夫で分厚いポーチだった。それでも悪寒をこらえて投げていたのだ。つまり柄と鞘があろうとも、嫌なものは嫌である。むしろ握り続ける必要がある分、こちらのほうが負担が大きい。
「あ゛、師匠ちょっと預かってもらっていいですか」
「何故だ?」
「腕組みしないでちょっと持っててください。グローブ、手袋、手袋持ってくるので」
「一体何が問題なんだ?」
「話していなかったかもしれませんが、日輪刀の気配というのは吸血鬼を殺す用の武器に酷似していまして、つまり冷や汗が止まりません」
「ほう」
師匠はやっと刀を預かってくれた。わたしは私室に駆け込んで特注の手袋をはめる。手袋は隊士の制服用の布から作ったものなので、丈夫で動きやすい優れものだ。
庭に戻って、再び刀を受け取る。薄手の布が一枚間に増えただけだが安心感がある。プラシーボ効果かもしれない。
「刀の扱いよりも、日輪刀に慣れるほうが重要かもしれんな……」
師匠は、渋い顔のわたしを見て顎をさする。
わたしは鞘を握ったり柄を握ったりと、刀を抜かずに刀の感触を確かめる。遺品で触れることはあるが、こうじっくりと持つのは初めてだ。
「刀の破片投げも最初は目眩がしていたくらいなので、その内慣れるとは思います」
「それでも止めなかったのか」
「鬼に対して普通のナイフでは、石ころを投げるのと変わりませんから」
「そうか! そうやって強く鬼に立ち向かってきたことは、素晴らしいことだな!」
落ち着いた調子だったのに急に大声を出すので、思わず肩をはねさせた。妙に期待に満ちた輝く目を向けられるので、わたしもつられて少し口角を上げる。
「ご期待に沿えるよう、頑張ります」
「俺も指導を惜しまない。みなを守れる、篤実で強い剣士となってくれ」
「……努力します」
これから継子を辞めたくなるようなトレーニングが待っているんだろうなと遠い目になる。わたしは逃げられないし、ここまで来て逃げるつもりもないけれど、現実逃避もしたくなる。
その内任務にも同行してもらいたいのだが、と師匠は言う。剣士の戦い方を見てほしいということらしい。わたしもそこは賛成なので、刀を問題なく最低限振るえるようになれば同行したい。
まずは握ることに抵抗を無くさねば。
「あのう」
千寿郎くんだ。割烹着を着て、控えめに声をかけてくる。
「兄上、食事の準備が出来ました」
「そうか、ありがとう。すぐに行く」
「あと、隊服からこれが」
千寿郎くんは首を傾けながら、手のひらをわたしたちに示した。
わたしと千寿郎くんとで庭の片隅にしゃがみこみ、軽く穴を掘ってひまわりの種を五つ入れた。井戸から汲んだ水をかける。
千寿郎くんが持ってきたのが、五つのひまわりの種だった。師匠が任務先で助けた町人のこどもにもらったのだと言う。せっかくなら植えようという話になり、ちょうど日当たりのいい場所もあった。
しゃがんだまま、背後で待機している師匠を振り返る。
「咲かせることも出来ますが、時期もありますから普通に育てた方がいいでしょう」
「咲かせると問題が? 花を見たいものだが」
「周期をゆがめる開花は、咲き続ける狂い咲きをさせることになるのです。枯れませんので、種がとれません」
「なるほど……」
「せっかくいい場所が開いているなら、種を取って、この一角をひまわり畑にするのはどうですか」
「木路さん、花を『咲かせることが出来る』とはどういうことですか?」
千寿郎くんからの質問が痛い。師匠を見るとどこかあらぬ方向に視線を向けていた。
「その……忍法的なもので、植物の成長を操作できるの」
「そんな技が!?」
「ほら、剣士も呼吸で身体能力強化したりするでしょう。そんな感じ」
全然違うが、誤魔化したかったのでつい言ってしまった。「ということは修行次第で……?」と思案気にする千寿郎くんには悪いが、これは吸血鬼の先天的な能力なので人間には無理である。
なんとか千寿郎くんの興味を逸らしたい。
「あ、そうだ。ひまわりには<深い愛情>って花言葉があるんだ。この花が咲く頃には、槇寿郎さんに笑顔が戻ればいいね」
よく顔の似た兄弟が目をしばたたく。いくら殴り合ったとはいえ話題を間違えてしまったか、と日輪刀を握っているとき並みの冷や汗が流れたが、二人はすぐによく似た顔で笑った。
「ひまわりを見ながら、一緒に茶が飲めたらいい」
「僕もご一緒します!」
ではわたしは、何か美味しい茶菓子でも調達して来よう。