都市の巨大樹

デフォルト:クゥシン



「可欣が牢から出たそうだ」

 館に向かう途中、無限(ムゲン)が言った。
 小黒(シャオヘイ)が無限を見上げると、相変わらずすました顔で何を思っているのか読み取りにくい。案外よく笑うというのは、短いながら一緒に行動をして分かったけれど、基本的に表情の変化が少ない。

「会える?」
「ああ」
「洛竹(ロジュ)は? 天虎(テンフー)は? 虚淮(シューファイ)も会える?」

 同様に捕らえられたものたちの名前を挙げる。

「館内の自由が許されたのは、今のところ可欣だけだ」
「そっか……」

 自然と肩が落ちる。
 彼らは規則に背いたことをした。小黒も利用した。大勢の妖精が奔走し、大勢の人が危険にさらされた。それでも、小黒は彼らに助けられて食事をともにして寝床を用意してもらった。別の目的があったにせよ、あのとき救われたのは事実なのだ。

「……可欣は」

 視線を地面に落とした小黒に、無限が続ける。

「可欣は、元々中立だった。風息(フーシー)寄りではあったが、館の者と話すこともあった。彼ほど頑なではなかった。だから、すぐに出された……出ることに応じたのだろう」
「師父も話したことある?」
「あるよ。……優しい妖精だ」
「……うん。優しかった」

 小黒は、小黒の耳の裏をくすぐって楽し気だった可欣を思い出す。
 同時に、無限を圧倒する勢いの高温の炎と雷を思い出す。小黒は後で知ったことだが、霊属性金の無限は、霊属性火の可欣に対して不利。小黒の意識が戻るのがもう少し遅ければ、可欣が領界内へ突入するのが早ければ、無限は戦闘不能に陥っていた可能性が高いらしい。
 小黒は、力の入っていなかった耳を立てた。

「そうだ、可欣、木苺が好きだって言ってた」
「……摘んでいくか?」
「うん!」



 館に到着したものの、無限は中に入ろうとはしない。人間である無限を、人間にしては強すぎる無限を嫌う妖精も多いからだ。
 小黒は、外で待つという無限に手を振って館の中へ急いだ。顔なじみの妖精と挨拶や短い雑談をしながら館内を進む。可欣の居場所を聞きながら進むと、到着したのは館の屋根の上だった。
 よく日の当たる場所で、右の額に角を一本生やした妖精がくつろいでいた。

「可欣!」

 小黒が名前を呼んで駆け寄ると、可欣は驚いたようだった。小黒を二度見して、怪訝な顔をして、なぜか少し退く。
 
「小黒?」
「なんで逃げるの?」
「驚いたからよ。来ているのは気配で分かるけれど、そんなに無邪気にやってくるなんて」
「どうして?」
「だって……わたしたちは、小黒にひどいことをしたわ」

 小黒は、木苺の入った袋を握りしめる。

「とても辛かった」
「ええ」
「でもあのとき、洛竹と可欣が風息を止めようとしたこと、覚えてるよ」
「……」
「風息も……路地裏でぼくを助けてくれたこと、覚えてるよ」
「……」

 可欣が深くため息をつく。息の流れがどこか揺れていた。

「謝らないわ。小黒も、わたしたちを許さなくていいわ」
「ぼく、多分怒ってないよ」
「……ならどうして、協力してくれなかったの」
「なんか、嫌だなあって思ったんだ。人間が悪いやつばかりじゃないって分かったから」
「……」

 一番に思い浮かぶのは無限だ。彼は優しい。出会い方こそ最悪だったが、小黒に戦うすべを教え、人間の街を教え、小黒が捕らえられたときには怒り助けようとしてくれた。行動を共にすることも、微笑んで許してくれた。
 小黒も人間の行動のせいで故郷を追われている。人間に対する感情が良いものだけというわけでは、決してない。けれど。共存できるという可能性を、素敵だなと思ったのだ。

「分かっているわよ、そんなこと」

 可欣が上空を見上げる。雲に囲まれた館からは、何の遮りもなく天空が見える。

「それでも、わたしたちにはそれしかないのよ」
「人間が嫌い?」
「嫌いじゃないわ」

 即答されて、小黒は大きな目をしばたたく。苛烈な戦いぶりを披露しておきながら、人間を嫌ってはいないと。そういえば風息もそのようなことを言っていた。
 可欣は「無限のことも、嫌いじゃないわ」と少し笑って付け足した。

「だったら、どうしてあんなことをしたの?」
「わたしたちにはそれしかないのよ」

 可欣は同じことを言う。
 小黒は顔をしかめて首を傾け、子どもらしく素直な疑問を口に出した。

「人間が嫌いじゃないなら、共存出来るんじゃないの? 街で生活している妖精がいたよ。正体さえバレなければ、そうやって生きてもいいって」
「わたし<共存>って言葉が大嫌いなの」

 吐き捨てられ、小黒は少し身構える。可欣は小黒の様子に気付いたのか、すぐに脱力した笑みを浮かべた。そうしてまた空を見上げる。

「だっておかしいでしょう」
「……何が?」
「住処を追われるのはわたしたち、正体を隠すのはわたしたち、人間の顔色をうかがうのはわたしたち。対等じゃないわ。そんなので共存なんて無理よ。わたしたちにルールを守れというのなら、人間たちにルールを守らせるのが先じゃないの? 先に住んでいたのはわたしたちなのよ。住処を追われた、わたしたちが、どうして、人間に媚びないといけないのよ」

 可欣の声は震えている。

「居場所を失って消えてしまった友達もいるわ。わたしも、数えきれない回数家を失ったわ。それでも、わたしたちは、人間を殺したりしなかったのよ。人間はわたしたちを殺すのに」
「……」
「強硬手段に出るしかないじゃない。風息も、人間を殺したかったわけじゃないのよ。人質にとって、それでようやく対等に話をしようとしただけ。そうでもしないと、わたしたちはいつまでも下に見られたままなのよ」
「可欣……」
「ひどい、ひどいわ。館のやつらも、無限も、あなたも。わたしは、妖精だってことを隠さずに生きていたいだけなのに。対等になりたいだけなのに」

 可欣はとうとう泣いていた。「おかしいじゃない」「わたしにだって家があったのよ」「みんなひどいわ」膝を抱えて、服の袖で何度も目をこすっている。
 小黒は耳をぺたんと下げた。可欣の主張が痛いほど分かる。生まれて数年のこども妖精でも、可欣の気持ちが分かる。しかし、答えは分からなかった。



 館に到着したときとは打って変わってしょげかえった小黒に、無限は慌てていた。ぽてぽて歩く小黒の前にかがみこみ、柔らかく、少し焦りながら問いかけてくる。

「何かあったか?」
「ううん」
「木苺は?」
「渡せた。というか、近くに置いてきた」
「可欣に何か言われたか?」
「泣いてたんだ。ぼくは、何も言えなかった」

 無限に頭を撫でられる。
 風息も、優しく小黒の頭を撫でてくれた。仲間だよ、おいで、と優しく手を差し伸べてくれた。

「……ぼく、可欣の言いたいことも、分かるから」
「ああ」
「風息は優しかったよ」
「……そうだな」
「共存って、難しいね」
「!……小黒」
 
 無限が小黒の後ろを指さす。小黒は滲んだ視界をそのままに振り返った。
 涙で表情がぐちゃぐちゃの可欣が立っていた。片手に、小黒が置いてきた木苺の入った袋を握っている。

「小黒、これありがとう」
「うん」
「それから無限」
「なんだ」

 可欣は号泣しながらツカツカと歩き、小黒の頭をひと撫ですると、しゃがんだままの無限を立たせた。少しだけ背の高い無限を泣きながら見上げて、その頬を片手でつまむ。
 
「あんら、可欣」
「八つ当たりくらいさせなさいよ」
「……」

 小黒は、片頬をつままれて不格好な無限に口元を押さえる。こらえきれない笑いが手の間からもれた。

「人間がみんな、無限みたいに、妖精に理解があればいいのに」
「……」
「無限ほど強いのは御免だけど」
「……はなへ」
「ふん」

 手を離した可欣は乱暴に涙をぬぐうと、木苺を二つ口に放り込んだ。さらに二つ取り出して一つを小黒に渡し、もう一つは無限の口に押し込む。

「なによ、大人しく八つ当たりされるの」
「どっちなんだ」
「……あなたは、わたしたちを責めるものだと思っていたわ」
「……。小黒が生きているから、いい。裁くことはわたしの役目ではない」

 小黒は名前を出されて、ピッと耳を立てた。少し口角を上げた無限に頭を撫でられる。それを甘んじて受けていると、震えるため息が聞こえた。可欣だ。
 木苺を食べて落ち着いたかと思ったが、またぼろぼろ泣き始める。つられて小黒も涙ぐむ。

「あまり泣くな……」
「うるさいわね」
「……わたしは、謝らないぞ」
「謝罪を求めているわけないでしょう。あなたたちは間違っていないわ」
「……」
「わたしたちも、間違っていると思っていないわ。申し訳ないことをしたなと、小黒には思うけれど、それでも謝らないわ。許しを請うくらいの覚悟なら、あんなことしていないもの。……生半可な覚悟では、あなたと敵対なんて決意出来ないわよ」
「……」 

 小黒は無限にあやされながら可欣をうかがう。無限との敵対を<覚悟>と言うのは、執行人最強と言われる無限に対してだろうか。それとも、館とも交流があったという可欣は無限とも交流があったのだろうか。嫌いではないと言っていた。頬をつまんだり木苺を口に押し込んだりする程度には、友人として付き合いがあったのだろうか。
 可欣は袖で雑に涙をぬぐう。あまり意味はなさそうだった。「嫌になるわ」何に対してか分からないが、可欣は呟いてしゃがみこむ。
 焚火を和やかに囲んでいたことが嘘みたいだ。小黒は、たった一晩を思い出してしゃくりあげる。
 みんな笑っていた。可欣も洛竹も天虎も虚淮も、風息も。小黒も嬉しかった、人間のいない静かな森でこれから暮らすのだと。それが、あっという間に失われた。無限や妖精館を恨むなどということは当然無いけれど、あの一晩は小黒にとって特別だった。
 あの夜は、もう、二度と。

「可欣、可欣」
「うん?」
「可欣は、どこにも行かない? ねえ、風息は、風息、」
「小黒」
「いなくならないで、ぼくとまた会って話して。ぼくのこと、嫌いでもいいから、会えないところに行かないで」

 しゃくりあげながら可欣にしがみつく。ぐりぐり頭をすりつける。

「……小黒、わたしはどこにも行かないわ」

 可欣が声を絞り出す。可欣の嗚咽が聞こえて、小黒はさらに泣いた。
 一方的にしがみつく体勢から、可欣と抱き合う形に変わる。

「小黒、わたしはね、大丈夫よ。また会えるわ」
「ほんと? ほんとに?」
「ええ、本当よ。わたしは風息の……風息の最後の居場所を、守らないといけないから。それからね、小黒」
「うん」
「わたしが言うのはルール違反で、きっと、あなたに謝るのと同じくらい、しちゃいけないことなのかもしれないけど」
「うん」
「風息はね、小黒のことを本当に大事に想っていたのよ」
「うん、ぼく、知ってる」
「ありがとう」

 仲間だよ、と。そう言って手を差し伸べてくれた風息の優しさを、小黒はしっかり覚えている。
 涙腺が壊れたんじゃないかと思うくらい涙が止まらなくなって、おそらく可欣も同じように。しばらくふたりで泣いていると、体がさらに温かく包まれた感触があった。
 無限が、小黒と可欣をまとめて抱きしめていた。乏しい表情の中に優しさを感じて、小黒は一層泣いた。

「ししょお」
「むげん、なんのつもりよお」
「なんとなく……」

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