epilogue


 一息ついて、椅子から立ち上がる。窓から見える月を見上げ、ぐいぐいと伸びをした。
 以前から机仕事をする機会はあったが、ここ数ヶ月は比ではない。しかし疲労こそあれ、苛立ちは不思議と感じなかった。

「――拓麻様、藍堂英様がご到着されました」

 入室を許可すると、召使に連れられて英が顔を見せる。
 拓麻は笑顔を浮かべてソファを示し、召使には空になったカップを渡した。

「いらっしゃい、藍堂。代理ご苦労様」
「どうも。そっちこそ、休む暇もないだろう」
「こういう時、吸血鬼って丈夫でいいよね。……優姫ちゃんは良かったの?枢、ゆっくり出来ないでしょ」
「瑠佳を置いてきた。あと星煉も戻ってるから、心配いらない」

 拓麻は、何も世間話のために英を呼んだのではない。本当なら藍堂家当主である英の父親に声をかけていたのだが、急遽都合がつかなくなったため、英が足を運んだという訳だ。
 まだまだ各界の混乱は続いていることもあり、拓麻自身も、スケジュールは頻繁に変更されている。英の父親を責めることはなかった。
 重要な話をするのは確かだが、学園で数年間をともにした学友だ。堅苦しさや形式ばったやりとりもない。
 英の言葉に棘が潜んでいるのは、枢と対等である拓麻への嫉妬が微かでもあるからだ。
 拓麻は用意していた資料を英に渡し、自身もソファへ腰を下ろす。自身も資料に目をやりながら、早速で悪いけど、と切り出した。

「そっちは、協会が元老院と共同で行ってた吸血鬼因子の研究の抄録まとめね。これは諸々の薬。詳しい組成と作用は別紙参照」
「結構あるな」
「元老院と協会が組んでるからね、色々事欠かなかったんじゃない?」

 表立って販売している薬――当然、普通の人間には気付かれないように――の代表は、吸血鬼が常備している血液錠剤だ。問題なのは今までコソコソと研究されていた薬で、服用によって見込まれる効果に眉をしかめるしかないものだ。幸いどれも流通はしていないが、試験的に服用した者もいるようだった。
 元老院にも協会にも、資料が少ないのが痛いところだ。更に詳細が記録されていれば、拓麻としても動きやすいのだが。
 特に元老院では、記録物が軒並み処理されているのである。"そういう術式"でも施されていたようだ。

「……で、これを"元人間吸血鬼の人間化"に利用するってことか」
「そ。元々そういう研究はあるけど、設備不足とかデータ不足とかあるから。今日は吸血鬼(こっち)側で行われてる研究についての、その辺りのことを詰めたいんだ。協会ともおいおい話さなきゃならない」
「色々結びなおさないといけないしな……」
「そうだね。あ、そういえば、白蕗家が研究の資金支援を申し出てて――――」

 緩やかに、けれど確実に二人の雰囲気が変わる。学友から仕事モードへ移行したというべきか、一条家と藍堂家の代表者がそこにいた。
 散らかっていくテーブルに負けないくらい、放置されている拓麻のデスクには、多くの書類が置かれている。その内の一枚には、"夜間部再開"という文字があった。





 黒主学園で、新学年がはじまる。
 理事長はまだ復帰出来ておらず、学園内にはハンターがいる。戦いの爪痕も残っている。そう簡単には"元通り"にならず、あの日の記憶があるものは、少しの複雑さも抱きながらの始業式となった。
 クラスが変わり、教室や担任も変わる。本日は始業式を行い、実力テストを行ったのち、ホームルームで色々な委員会を決めて解散となる。
 気分を一新した新しいクラスで、テストへの愚痴がこぼれる。各々準備をして開始を待つ中、教師が問題用紙と解答用紙を配布した。
 教室が静まりテスト開始まで二分となった時、ガチャリと控え目にドアが開いた。
 教師には話が通っているのだろう、入って来た生徒を咎めることも驚くこともなく、席を示して準備を急かす。
 多くの生徒が、驚きを内心で留めて表情に出すことはなかった。しかし数名、目に見えて動揺する生徒がいる。
 中でも一番衝撃が強かったであろう沙頼は、遅れた生徒に釘付けになっていた。否、沙頼を含めた記憶所持の生徒に、驚くなという方が無茶な話だった。
 あの夜以来学校を出て、何が起こり何をしているのかも知らされなかった美夜が、見慣れた黒い制服で登校していたのだ。名簿で同クラスだと分かっていたとは言え、彼女が学校へ来ると知らされていなかった面々は、埋まった席を喜ぶよりも驚愕が先だっていた。
 折角のテスト勉強の成果を吹っ飛ばしかねない衝撃だ。
 沙頼は口元にきつく手を当てて、緩んでしまいそうな表情を引き締める。久々に見る親友は、確かにこの学園の制服を着ていて、テストのために着席している。

「……おかえり」

 誰にも聞こえないよう微かに呟いたはずが、美夜は席が近い訳でもないのに気付いたようだった。ちらりと沙頼へと視線をやって、小さく口を動かす。
 ――ただいま。
 そう柔らかく笑むものだから、沙頼もこらえきれずに破顔した。



『いってらっしゃい。……止めはしないけれど、貴女いつ寝てるの?』

 そう言われ、沙頼に送り出されたのが昨夜のことだ。
 学園を拠点をするので遠方の任務はそうないが、それでも夜通し動くことになる。朝になれば学校が待っているという時間制限があり、美夜の方針である"集まっている所に斬り込む"を行う余裕がなく、走り続けることもざらなのだ。加えて、密集区の仕事が減っただろうからとリストの処理――期限付き――を帆泉から命じられている。
 早朝、大急ぎで帰寮した美夜は支度をしながら沙頼を送り出し、血液錠剤を食べながら校舎へ急いだ。零の血をもらえば疲労も吹き飛ぶというものだが、美夜は錠剤を口にできることもあり、"学園内での吸血行為の禁止"を律儀に守っていた。
 ……学園に通い始めて、いかに鈍ってたか分かるなあ。
 美夜はハンターであることを隠すために、任務が入らないようになっていた。そう長い期間でもなかったが、帆泉との打ち合いで勘は戻っても体力は戻らなかったらしい。

「あ、美夜!間に合ったのね」
「セーフ?」
「セーフよ、まだ先生来てないわ」

 間に合ったことに胸を撫で下ろしながら、沙頼の隣に座った。安堵もそこそこに鞄の中身を確認する。
 そして気づく――任務帰還の報告を、まだ零にしていない。いつか、心配したと苦しそうに告げられたことを思い出し、冷や汗が伝った。




 SHR後慌てて零のクラスに向かうも、クラスメイト曰く「今日はまだ来てない」とのことだった。ハンターが学園に留まるようになってから鳴りを潜めていた"遅刻魔"は、潜んでいただけで健在らしい。
 まだ寮にいるのかと思えば、「制服の零見たけど?」と壱縷に言われる。刀を持つか、零が殺気立ちでもすれば場所がわかるのだが。
 悩んだ末、授業をサボって零を探すことにした。無事に帰ったという報告は、美夜としても行いたい。
 授業をサボって零が向かう場所と言えば、真っ先に浮かぶのが馬屋だ。零が教室にいない時、馬屋に来れば会えるといっても過言ではない。
 けれど、零の姿は見えなかった。リリィに話しかけてみても手がかりはつかめず、思わず唸る。"あの時"以来使えるようになった使い魔――全身の変換は難しいけれど――を飛ばそうかとさえ考え、しかし歩いて探すことにした。



 長身の灰銀を見つけたのは、立ち入り禁止となっている区域だった。

「どこに行ったかと思ったら」

 未だ撤去が完了していない月の寮は、戦闘の大きさを物語っている。
 足元に注意しながら軽々と登り、棒立ちになっていた零に声をかける。美夜が微笑みかければ、零が目元を和らげる。

「ただいま。探したよ、一時間目サボっちゃった」
「美夜はサボっても支障ないだろ。……おかえり、怪我は?」
「無傷だよ。で、どうしてこんな所に?」
「お前もよく来てるくせに」

 ぽすぽすと頭を撫でられながら言われ、まあね、と返す。
 少しして、零の手の動きが止まった。かと思えば髪の房をすくうように動く。美夜は小首を傾げ、口元の躊躇いがちな動きを見た。

「――悔いては、いないのか」

 一人でこの場所に来るのは、何か思うところがあるのではないかと。何も思わない訳がないが、学園への復帰は苦しいことでもあっただろう、そう零が問うてくる。
 美夜は笑みを消して、辺りの残骸を見渡した。
 いつだったか、考えたことがあった。悔いるとすれば、零に血を与えたことも舞踏祭でのことでもない。もっと始めの部分であると。

「"学園に来なければ良かった"――そう思ったことは、正直、あるんだ。李土の言う通り大人しくしていれば、悩むこともなかった。けど、もし時間が巻き戻ったとしても、私は学園に来る選択をすると思う。……皆と会えたし、何より、人間らしくなれたと思うから」

 学園に来なければ、李土の気持ちを本当の意味で理解は出来なかったかもしれない。誰かの為にしか動けない自分は、何が自分の望みであるか気付けないかもしれない。
 全てが仮定の話で、今更考えても虚しいだけだ。李土に関しては押し付けの面もあるが、最期に笑ってくれたから、美夜は絶対に後悔しないと決めていた。
 己に課された刻印もブレスレットも、大切な人を壊したことも守ったことも全て、美夜には唯一無二の宝物だ。

「私は、"誰かの為にやったから"って言い訳にしたくない……自分のしたことの結果を忘れないために、ここに来るの。私は私のために、学園(ここ)を選んだんだから」

 多大な影響を与えちゃったんだけどね、と瓦礫の上で両手を広げる。そのまま笑みを浮かべれば、零がクスリと笑ったのが分かった。
 最初は全く想定していなかった、想定できるはずもなかった結果。その過程で、美夜は"誰かの為に"尽くす最善と自分の願いを近づけるすべを覚えつつあった。
 美夜の視野にある光景は、あまりにも狭いものだったのだ。
 きっかけは、まぎれもなく――笑わなくていいと告げてくれた彼だった。

「私ね、零のこと、大好きだよ」
「――ああ、俺も」

 面喰ったらしい零は、軽く目を見開いてから目を細めた。そのかすかな微笑みで美夜は温かいものを感じ、集まる熱を心地よく思う。
 ゆるく伸ばされた腕にすり寄り、影に身を置けば、どちらともなく笑い声が漏れた。
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