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 寒さが和らぎ、ハンター協会本部にも黒主学園にも雪が降らなくなった。
 黒主学園は進級前の休暇に入り、生徒は皆帰省した。
 今までは休暇中も学園にとどまっていた零も、ハンター協会で過ごすことになる。協会では美夜が零を迎えることが多かったが、休暇中に限っては、美夜が迎えられる側になっていた。
 ハンター協会には複数の訓練施設があり、一時期美夜は訓練場の一つを貸し切りに近い形で使っていたこともある。
 だが、その頃から、一切立ち入ったことのなかった施設がある――射撃場だ。
 ハンター家の者は、程度はともかく、一通りの武器を扱えなければならないが、美夜は初めから刀を使うことが決まっていた上、多くの武器の訓練を受ける時間もなかった。銃に関してある程度の知識はあるが、実際に撃ったことはない。射撃場に入ったのも、学園に行ってからが初めてだったのだ。

「……美夜」
「うん?」

 美夜が弾のきれた小銃を下ろすと同時、肩を叩かれ耳当てを外す。隣で撃っていた零の正面にある的は、中央部分が穴だらけになっていた。美夜は感嘆しつつ、疲れた様子のない零を見上げた。

「そろそろやめとけ。痛めるぞ」
「あ、はーい」

 美夜はハンターとしての勉強もかね――好奇心も否定出来ない――数時間だけ零に射撃を教わっていた。身につかなけれなならない、という訳でもないので、素直に片付けに入る。相当な怪我じゃないと痛まないだろうけど、とは思うに留めた。
 同時に零まで銃を下ろしたので、撃ってていいのに、という意味を込めて首を傾げた。零は美夜を一瞥しただけで何も言わない。黙々と片す彼に、美夜は小さく笑った。
 射撃場を出て、零に与えられた部屋に向かう。互いが互いの部屋で過ごすことは既に当然となっており、美夜にも抵抗はない。すれ違うハンターの意味深な視線にも慣れたもので、相手がどうあれ会釈しながら歩いていた。

「銃は残弾数を気にしないといけないから大変だね……」
「外さなければ、そう困ったことにはならない。俺は弾がなくても何とかなるが。……刀は投げるわけにいかないだろ」
「瞬発力と敏捷性には、そこそこ自信あるよ。零は消音器使ってるっけ?えっと……サプレッサー?」
「……一応、持ってはいる。ワンタッチで装着出来るやつ。人がいる時の任務で、たまに使うくらいだけどな」

 のんびりと互いの相棒の話をしつつ、殺風景な廊下を進む。
 美夜は移動中、無意識に気配を完全に絶ってしまうことが多く、その度に注意もされていた。「すぐ消えんな」とため息をつかれ、はっとして気配を浮上させる。

「仕組みの分からない刀だよな……」
「否定出来ないけど、そんなにしみじみ言わなくても」

 互いの師に笑われそうなほど色気の無い会話をかわし、零の部屋に到着する。
 そしてそこでは、上質な素材で出来た封筒が待ち構えていた。





 待ち構えるのはメイド達と、マナーの先生役である瑠佳だ。彼女らの呆れの視線や苦笑を集めているのは、部屋の隅で膝を抱えている優姫である。
 この状態で十分は経過しており、瑠佳が優姫を引っ張り立たせるのも時間の問題だった。

「ちょっと。いい加減にしてくださいますか、優姫様」
「すみません……ちょっとあの、あのー」
「さっきからそればっかり……もう、今夜の夜会の主役なんだから、胸を張っていればいいのよ」

 分かっているんですけどごにょごにょ、と優姫は小さく小さくなる。
 今夜に備えて沢山勉強をし、身振りの特訓もした。昨日まではある程度自信もあったのだが、目の前にすると逃げ腰になってしまう。らしくないということは、優姫自身分かっていた。
 パフォーマンスも兼ねている今夜、優姫は間違いなく中心に立つ――否、優姫"も"。
 優姫は両手で頬をはたいた。ぱしん、と間抜けな音を出して伝わる鈍い痛み。

「……覚悟決まったのね」
「はい。よろしくお願いします」

 瑠佳とメイドに向き直り、表情を引き締めて頷く。
 軽く顎をひくことも、まっすぐに背筋を伸ばすことも、彼女に会うために身に着けた技だった。





 元老院がなくなってから、初めての大掛かりな夜会である。何をもって"大掛かり"と言うのかはそれぞれであるが、<純血種>の存在の有無による所が大きいだろう。
 その点では、やはりこの夜会は大掛かりと言えるのだ。
 なにせ、主催が玖蘭家である。そして<純血種>からの招待を無下にする吸血鬼などおらず、穏健派を中心として数多くの客が会場へ入って行くのだ。
 招待状は他の<純血種>にも送られているが、何時ものように出席は見込めないのでノーカウントである。
 会場へ入った招待客たちは、主催者の登場を今か今かと待ちわびながら、社交を楽しみ、"命の水"を嗜む。家ではどれだけ忙しかろうと、吸血鬼界の立て直しにどれだけ疲労を感じていようと、わざわざそれを表に出す者はいない。
 また、彼らの関心は別の一点にも向けられていた。
 会場に佇む一組の男女。二人とも夜会服を着、周りに呑まれることなく、時折若い吸血鬼を中心に声をかけられては楽し気に会話をしている。 問題は、二人が有名ハンターであり、監視としてではなく"主賓"としてこの場にいるということだった。



 白地に青のグラデーションが入ったドレスは、超有名ブランドの特注品。身につけるアクセサリーも、靴も、見る者が見れば一発で分かるほどのもの。要するに、吸血鬼の夜会にも堂々と身に付けられる品だ。
 ……前の舞踏祭の時のも一級品だったんだろうな。
 美夜はふと思い出しながら、自分のドレスを眺める。腰の装備が非常に物騒なのだが、これは致し方ない。

「視線が鬱陶しい……」
「まあ、ね……」

 主賓として招かれた美夜と零は、ひしひしと感じる視線に苦笑する。夜会の主賓となれば、他の招待客から挨拶があるのが普通だが――言わずもがなである。莉磨や千里を筆頭とした元夜間部生とその両親くらいのものだ。
 夜会のパフォーマンス――隠し姫と次期協会長のお披露目に加え、吸血鬼と人間との歩み寄りを目的としたものだ。さらに、吸血鬼界を混乱させた元老院及び玖蘭李土の排除における功労者としての"影"。パフォーマンスとしては申し分ない役者だが、吸血鬼とはいえハンターを主賓とするのは、思い切りがよすぎる。
 夜会のことを知った互いのお師匠様が、"闇鍋"と称したほどだ。

「枢さんってば何を企んでるんだろ」
「何も企んでないだろ……とは言えないが。単に、妹に甘いだけだろう」
「確かに」
「……美夜に会うためのステージなんじゃねーの、これ」

 それもあるのだろうが、李土の置き土産が無害であることを示すためであるとも考えられる。<レベル:U>云々はどうあれ、美夜の"主"が誰なのか、知れ渡っていても不思議ではない。
 招待理由に不満が全くないとは言わないが、私情を割り切る技術はある程度身に付いている。それでも、李土を裏切ったと言うつもりは微塵もない。

「あ、理事長来てる」
「どこだ?」
「二階のギャラリーの……あっちの柱の後ろ」
「……遠」
「なんか隠れてるっぽ、い……」

 話しながらではあったものの、美夜はおそらく誰よりも早く、それを感じ取った。会場の一点に視線を固定して、無意識に口元を緩める。
 零は怪訝そうにしたもののすぐに察し、同じ方向を見つめる。
 気配が近づき、会場に二人の人物が登場し、途端に会場は静まり返る。招待客は腰をおり、膝をつき、首をたれる。元夜間部生も例外ではなく、当然のごとく頭を下げていた。動かないのは、見張りや美夜らハンターだ。
 この夜会の主催者であり主役、玖蘭枢と玖蘭優姫は、平伏す招待客に楽にするよう声をかける。皆が姿勢をただしてから、美夜らに顔を向けてきた。
 毎日顔を合わせていた二人を、本当に久しぶりに見た。
 目が行くのはやはり優姫で、招待客が遠巻きに見守る中、美夜は零にエスコートされて歩み寄る。優姫もまた、枢のエスコートで距離を詰めた。

「……今夜は、ご招待ありがとうございます」
「……遠いところを来ていただけて嬉しいです」

 主催者と主賓だ、まずは挨拶から。零と枢が口を開くが、言葉にトゲが見え隠れする。
 零の言葉に合わせて、軽く礼をして、この一発触発な感じも懐かしいなと苦笑する。続いて美夜も口を開きかけるが、すぐに閉じる。ここでは姫の紹介を優先すべきだと思ったからだ。
 優姫も立場を自覚しているのだろう、ピンと背筋を伸ばして、招待客へ顔を向ける。
 すっかり、らしくなったと思う。気圧されずに前を見据えて、自分の両足で立っている。
 不意に、夜会で更を見て、隠れたことを思い出した。かつて遠く感じたであろう場所に、優姫自身が立っているのだ。

「はじめまして、皆さん。……玖蘭優姫です。今夜はどうぞ楽しんでくださいね」

 微笑みながら柔らかい声で、優姫が自ら名を述べる。招待客は口々に名を褒め、亡き玖蘭夫妻を重ねた発言をする。
 ぜひお近づきになろうと吸血鬼たちか近づいてくる中、優姫はもう一度改めて笑みを浮かべた。何も言葉を発していないが、彼らはそれだけで口を閉ざし、動きを止める。

「……皆さんに、ぜひ私から紹介したい人がいるんです」

 少々予想外の展開に、美夜も零も呆気にとられる。優姫は枢を見上げて、悪戯が成功したように笑った。

「次期ハンター協会協会長、錐生零。そして、"影"と呼ばれ、吸血鬼界革新の一翼をになった晃咲美夜。私の大切な――いえ、私たちの大切な友人です。今回は反発も覚悟で、私のわがままでお招きしました」

 一介のハンターが<純血種>からの紹介を受けるなど、聞いたことがない。
 私だけではなく、二人とも話して見てください、きっと楽しいですよ。などと優姫がのたまう。美夜はちらりと零と視線を合わせて、招待客に顔を向ける。予想通り複雑な表情が多く、優姫の強行に内心感心してしまった。

「……錐生零、です」
「晃咲美夜です」

 零は、名前以外言うつもりがないと口を閉じる。美夜は零から、自分が口を開いてもろくなことにならない、と夜会前に聞いていたので、零も零らしいなと思うのみだった。
 しかし、主賓という立場上、零の代わりに何か言うべきかと瞬時迷い――結局、笑みは浮かべたままで、零と同じように口を閉じた。
 美夜と零はその後しばらくしてから、自然な流れで会場から別の部屋へと誘導された。
 そこで待っていたのは、夜会の主催者――ではなく、元風紀委員の優姫と元夜間部寮長の枢だった。

「美夜ー!」
「っわ、と、優姫!」
「うん!」

 美夜が部屋に入るなり、優姫が飛びついてくる。
 ぎゅうぎゅうと抱き合って再会を喜ぶかたわらで、零と枢は静かに睨み合う。間違っても微笑み合いはしない。

「……元気そうだね。安心したよ」
「どうも。……あんたも、変わらずで何よりだ」
「もう、枢も零も相変わらずなんだから」

 美夜に抱きついたままの優姫が、わざとらしく頬を膨らませる。呆れた声をかけられた零は視線をどこかへ逸らし、枢は穏やかに笑った。
 枢さんを呼び捨てにしてるんだ、さっきの挨拶良かったよ、ハンターを招くって思い切りいいね、新しい生活はどうかな――美夜は色々な言葉を飲み込んで、優姫を抱きしめ返す。
 優姫に不安そうに名前を呼ばれても返さずに、顔を伏せた。

「美夜?ど、どうかした?まさか何か零に……?」
「おい優姫……」
「何かやらかしてるなら、私が叱ってあげるからね」
「優姫、ちゃんと美夜くらい養えるよって言っておかないと」
「そうだね!美夜、いつでもうちにおいで!」
「……いい加減にしろよ」
「ふ、ははは」

 軽い調子での会話がくすぐったい。美夜は一度奥歯を噛んで、絞り出すように言った。

「もう……嬉しいなあ――――ありがとう」
「!美夜……」
「ありがとう、良かった……良かったなぁ」

 何が、とは言わない。ただ、優姫が笑ってくれることが嬉しかった。
 ぐい、と優姫が体を離し、澄んだ目に見つめられる。きりりと眉を吊り上げて、少し怒ったように言った。

「それは私のセリフ。あのね、美夜」
「うん」
「今、私、美夜のお陰で幸せだよ。ありがとう!」
「ん、どういたしまして」

 真っ直ぐな目を細めて笑ったかと思えば、今度はしょぼんと眉を寄せる。目の奥が熱くなっていた美夜は、ころころと変わる表情に薄く笑む。

「美夜、左手の……」
「うん、刺青。必要だからね。零とお揃い」

 手袋をしていない左手をひらりと振る。美夜の反応が予想外なのか優姫はきょとんとしてから、なんか美夜らしい、と言って笑った。

「あ!そうだ優姫、あのね」
「なに?」

 美夜はもっていた小さなポーチを漁り、小さな紙切れを一枚優姫に差し出す。不思議そうにした優姫と枢だが、優姫はすぐに気付いたようで目を見開いていた。
 美夜はちらりと零を見上げて、してやったりと笑う。

「"一緒にお出かけ券"で、私とお出かけしてくれませんか?」
「も……もちろんだよ!」

 優姫にもらっていた三回分のうち、一回は長期休暇旅行前に使った。残った二回分は大切にとってあり、夜会に参加すると決めてから、優姫に渡すと決めていたのだ。ちなみに最後の一回は、沙頼含めた三人で出かけるためにとっている。
 券がなくても、優姫は美夜の頼みを聞いてくれるだろう。だが優姫は今や、自由に出かけられない立場にある。優姫からもらった非売品の券を使って予約した方が確実ではないか――面白がっている面もあるが――という結論に至った。
 美夜は優姫の返答に笑みを浮かべて、察したらしい枢に視線を移す。

「そういうことで枢さん。優姫との外出許してくださいね」
「ふう、仕方ないね」

 わざとらしく息を吐く枢は、喜ぶ優姫を見て頬を緩める。
 静観していた零もまた、懐かしい美夜と優姫のやりとりに表情を緩めていた。
 丁度その時、パシャリ、とカメラのシャッター音が部屋に響く。四人が反射的に視線を向けた先には、見慣れたデジカメを構える理事長がいる。理事長が本気で気配を抑えているからか、もしくは気配に敏感な美夜が緊張を緩めていたからか――枢が気付いて黙っていた可能性もある――完全に不意打ちだった。
 八つの目にさらされた理事長は、デジカメを庇いながら視線を泳がせた。

「ほら、ね?色々あったけどこうして揃ってる皆を見ると、つい、ね?」

 理事長がデジカメを携帯していることは、四人とも知っている。理事長と久しぶりに会う喜びよりも、"理事長らしい"と苦笑するほどだ。
 美夜と目が合った理事長は明らかに慌てていたが――眼鏡の奥が潤んでいることに気付かない振りをする――美夜は笑顔で理事長を手招いた。

「理事長」
「データは消さないよ?!」
「違いますよ。せっかくなら、理事長も入って五人で撮りませんか?」
「いくら美夜ちゃんの頼みでもメモリーカードは――――え?」
「……すみません、私、写真嫌いでも苦手でもないんです」

 理事長はぱちりと瞬きをして、そっか、と嬉しそうに笑う。誰も美夜に理由を問うことはなく、美夜も口にはしなかった。
 理事長がデジカメのタイマーを設定し、五人で枠内におさまる。美夜が、理事長のカメラで、はじめてカメラ目線で笑った写真だった。





「もっとなんか、護衛がいると思ってた」

 美夜と優姫のデートは、美夜のその一言から始まった。
 夜会から二週間後、なんとか予定を合わせた二人は、吸血鬼がいないとされる地区のショッピングモールに出向いていた。二人ともただの女の子としてそこにいた。
 驚いたことに、優姫に護衛はついていない。きっちりと送迎はされるようだが、美夜といる間優姫は自由なのだ。
 少なくとも二人くらいは付き人をつけるだろうと思っていた美夜は、護衛の気配のなさを訝しんだくらいだ。純粋な枢からの配慮に加え、美夜が護衛といっても差し支えないからだろう。
 美夜は目立つ刀を持っていない。優姫は[狩りの女神]を仕込んでいるようだが、見た目にはわからない。二人の女の子のお買い物、というありふれた光景である。
 ショッピングモール内を歩き回り、気になったものは手にとったり購入したり。普段からショッピングというものと縁遠かった美夜も、久々のショッピングになる優姫も、つかの間の休息を満喫する。
 疲れ知らずの二人だが、目についたスイーツの写真に誘われて、有名洋菓子店のカフェに入った。コーヒー一杯で五百円以上する店だが、優姫は「枢からお小遣いもらってるの」と足取り軽く入店する。
 微笑む美夜も、以前と違ってしっかり仕事の報酬をもらっているので、抵抗なく入った。
 それぞれのケーキセットが運ばれる。一通り感想をいい終わった後、美夜は一度フォークを置いた。「あの、」と俯いて切り出すと、優姫もその真剣な空気を汲んでフォークを置いた。

「相談っていうか、なんていうか」
「うん?」
「私ほんとにいいのかなって思って、どうしても気が引けちゃって。優姫の意見も聞きたいというか。すごく迷ってて」
「う、うん。なんかすごく困ってるのは分かった」

 優姫に相談するというのは、零からの提案でもあった。美夜はそれに乗った訳だが、優姫がどう応えるかはある程度予想出来ている。
 零は、美夜が優姫の意見を無碍に出来ないと知っているからこそ、相談相手に優姫を推薦した面もあるだろう。
 そう分かっていて行動する自分は――。

「……甘えちゃってるんだけど」
「うん」
「背中を押して欲しいっていうのも事実なんだ……けど、それ以上にさ。こればっかりは、優姫に許してもらわないといけないと思ったの」

 美夜はそこまで前置きをして、ようやく本題を告げる。
 短く端的だったが、優姫はすぐに理解したようだった。

「……美夜のやりたいようにって言っても、違うよね」
「う、ん」
「私は"そう"してほしいと思うよ」

 優姫が呆れたように笑う。仕方ないな、と表情が語っているが、口元の笑みは優しかった。

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