客間の障子の前には、乱藤四郎が控えていた。ヒサメの世話は
乱は抜丸を見つけると「おはよ」と軽く手を振ってくる。それに振り返しながら、声を出して挨拶をしてくるということは彼女も起きているらしいと頷く。散歩のために、無理に起こすつもりもなかった。
「ヒサメ殿は?」
「いま身支度中。寝癖が直らないんだって。ヒサメさんに用事?」
「散歩でもどうかと思いまして」
「あ、抜丸さんですか?」
客間の中から声がする。すぐに障子が開き、しっかり覚醒しているヒサメが顔を出した。
「はい、抜丸です。寝癖は直りましたか?」
「誤魔化しました。散歩、ぜひご一緒したいです」
「では参りましょう。ヒサメ殿には禿がつきますから、乱は休んで良いですよ」
「はーい。行ってらっしゃい」
乱に見送られて庭へ降りる。
昨日、部屋に飾ってある草花の話をしたので、それが咲いている場所を案内していく。道中も、もう少し暖かくなればここに桜が、夏はここに向日葵が、秋にはこの小道は紅葉し、冬の椿は少し前に終わったと、ヒサメがそれらを見るか分からないのに話していた。
ヒサメは、花のついていない椿の木ですら輝く目で見ている。
「季節というものは魅力的ですね。同じ土地に様々な種類の植物が……」
「ああ、海の底に季節はありませんね」
「海の底にも、陸上にも。わたしが住んでいる場所は、同じ土地に別の気候が訪れることはありません。ずっと太陽が照りつける国があれば、ずっと雪深い国があるとも聞きます」
「それはまた……」
「今もこんなに花と緑に溢れて素晴らしいのに、それが移ろうなんて」
ヒサメは鼻歌交じりに抜丸の先を歩く。硬そうな白い尻尾が跳ねていた。
「スイの里での生活を嫌ったことはありません。ですが、海の底に花の香りは届かず、蝶はおりません」
ヒサメが両手を広げて朝日を受ける。
スイの里に暮らす者たちは、普段陸上に上がることがほとんどないと聞いている。日光は海の水越しで、部屋に飾るのは珊瑚、散歩するのは庭ではなく海中だ。抜丸が海中を見たことが無いのと同じくらい、ヒサメは陸上に馴染みがないのである。ヒサメは純粋無垢な子どものように、野花ひとつひとつに興味を示す。それがとても微笑ましい。
抜丸は拾った木の枝を揺らして笑いながら、ヒサメに続いて歩く。
「禿も、スイの里とやらに興味があります」
本丸の池で遊ぶ刀剣男士もたまにいるが、抜丸がそこに混ざったことはない。水に入るのは入浴時だけだ。しかし湯舟に潜ることもないので、水の中からの景色というものは全くの未知だ。海に入るのは錆びそうなので遠慮したいが、興味があるのは本心だった。
昨日の夕会で「ヒサメが海の底から来た」ということは全体に共有されているので、今日にでも浦島虎徹がヒサメと話しにやって来るだろう。そのときに共に話を聞きたい。そうでなくとも、ヒサメに構うつもりではあるのだが。
ヒサメが、抜丸に倣って木の枝を拾った。「わたしのほうが長いですね」と自慢げにする。
「可能であれば遊びに来ていただきたいです。海水からあらゆる意味で身を守るために、海神の加護は必須ですが……争いの無い静かな里です。珊瑚が美しい場所への案内も、魚の群れと泳ぐことも出来ます。とても美しい里ですよ、場所が辺鄙なところだけが欠点ですね」
「馬では行けませんね」
「シマエイに乗りましょう。エイ、御存じですか?」
「なんとなくですが」
ヒサメが木の枝で土に絵を描く。その場にしゃがみこんでシマエイというものの姿や温厚な性格の魅力について話を聞き、その代わり、抜丸は朝食前に馬屋へ寄ることにした。