死神のパパになる
詳しい経緯は省く。ただ、俺は死ぬつもりだったという所を押さえてもらえれば十分だ。
俺は決して自殺志願者ではない。すべきことがあって、けれど、それが遂行できなくなったのだ。俺と同じように危ない立場にある友人を守るために、俺ではない誰かが任務を遂行できるように。そう思って、情報の詰まった端末と己の心臓を打ち抜いたのだ。
撃ち抜いた、はずだったのだが。
俺はこうして思考できている。つまり死んでいない訳だ。そばでは自殺する俺を目撃してしまった男と、俺を追ってきたらしい友人とが修羅場を繰り広げている。原因はどう考えても俺なんだが、どうやら彼らには死んだ俺が視えているらしいのでどうしようもない。というか、あの足音は友人だったのか。てっきり敵方と思っていた、早まったな俺。
いや、まあ、その。結果的には死んでいないんだが。多分。
「あなた。わたくしの、パパになって?」
そう言ったのは彼らではなく、俺の目の前にいる幼女。日傘をさして、沢山の白薔薇を潜ませたようなスカートを揺らして。四歳程度だろうか、座り込んでいる俺と近い目線で幼女は笑んでいる。
疑問形だが、有無を言わさぬ圧力を感じる。ふくふくとした頬と、舌足らずな話し方で、全身で幼女であることを肯定しながら。
幼女と話している場合ではない。殺し合いに発展しそうな彼らの仲裁をせねば。元々、あまり仲が良くなかったのだ。俺がいなくなっては悪化するのが目に見えているし、俺が死んだことで決定的に決別しそうである。
あ、そうだ。俺は死んだんだ。多分。
ならば、この子供は死神か何かだろうか。将来が楽しみな容貌は、人間でないと言われても納得してしまいそうだ。子供はみな可愛いというが、それとは一線を画した領域である。この歳では恐ろしすぎる美貌であった。きっとこの小さな死神は、俺を迎えに来たのだろう。
少し気が抜けた瞬間に、こくりと頷いていた。幼女は笑うが、特に嬉しそうではなく。俺が頷くことが当然だとでもいうようだった。
そうして俺は、パパになったのである。
「いや、ちょっと待ってくれ」
幼女に連れられて、どこかのビルに移動した。建設計画が頓挫したのだろうか、そこは中途半端な状態で放置されていた。建設途中のため、本来は屋内になるはずのそこは屋上で、むき出しの鉄骨が寒々しい。
幼女は常に微笑んでいるような、優しい目をしている。それをさらに細めて、幼子の言葉を待つように俺を見上げている。
「流れでついてきたけど。俺がこうして生きているとまずいんだ。こんな小さい子に言うのもおかしいんだけど、俺の死体があがらないと、色々困る。ん?でもあいつら、俺を見てなかったよな?やっぱ俺って死んでる?幽霊?なら君も幽霊?」
「落ち着きなさい。あなたの代わりになるものは、あそこに置いてきたわ。貴方に見えるように少しだけ、おまじないをかけているの。だから、あなたはあそこで死んだわよ」
幼女は一音一音はっきりと話す。子供では難しい部分があるのだろう、ずいぶんゆったりとした口調になっていた。
だからといって、言っている内容が呑み込めるかと言われれば、圧倒的に否だ。何からどう説明していいものか。何を言おうにも機密事項で、口にするのは躊躇われることばかり。あーうーと唸って頭をかいていると、幼女が日傘をくるくると回す。
「あなたは、死ななければならなかった。わたくしは、パパがほしかった。そして、あなたは死んで、わたくしのパパになった。何か問題がある?」
「とんでもねぇジャイアンだな」
「じゃいあん?」
「自己中心的ってこと。ちっこいお嬢さんにゃあ、分からないかもしれないけど」
「子どもだからって、侮ってはいけないわ」
どっからどう見ても幼女なのに、なんでこんなに偉そうなんだ。潜入捜査官の身としては、もう少し誤魔化せよと思ってしまう。
俺はすべてを投げ出してしまいたい衝動を抑える。この幼女の言うことをどこまで信じるかにもよるが、先ほどの彼らを見ている限り、確かに俺は死んだらしい。代わりが何なのか非常に、とっても、気になるが、とりあえず座って話し合う姿勢を見せた。
幼女はコンクリートの床に足を数度滑らせて、無くなりそうにないざりざりとした感触に腰を下ろすことを止める。あぐらをかいている目の前の男とは、己が立っていても目線が近いので、特に支障もなかった。
三十路前後の男は、終始怪訝そうにしている。それでも大人しく着いて来て、敵意を伏せているのは、奇怪な現象を目の当たりにしたからだろう。
「わたくし、橙茉錦。あなた、お名前は?」
ゆっくりと。一音一音を置くように名乗る。
男は、唸りながら遠くを見ていた。本名を伏せることはともかく偽名を名乗ることすらしない。その正直さに、深く笑みを刻んだ。男の年齢がどうあれ、幼女――錦にとっては"子ども"同然である。
「使ってた偽名もまずいし、本名もまずいからなあ。どんな名前にするかな」
「名字は、決まっているわよ。"橙茉"を名乗ることを、許してあげるわ」
「そりゃ光栄だ。なら、君が名付けてくれよ」
男が裏のない懐っこい顔で笑う。
錦は人差し指を顎に当てて首を傾ける。そんな芝居じみた動作が恐ろしく様になっていた。日傘を二度回転させて、顎から離した人差し指を立てる。子供の短い指でくるくると円を描いた。
「"凌(しのぐ)"は、どうかしら?」
「橙茉凌か。いいな、カッコイイ。ありがとう、母さん」
「構わないわ、パパ」
偽名を名乗ることに慣れているらしい彼は、嫌な顔をのぞかせることなく頷いた。
難儀なものね、と錦は言葉にせず呟く。橙茉錦は紛れもない本名であり、自身にとっては偽名を名乗る必要性などありはしない。今までも、そんな場面はなかった。錦は、名前という何物にも代えがたい両親からの贈り物を隠さねばならない男に、少しばかり同情する。
疲れがにじんでいる男の頭に、小さな手を伸ばす。男は流石に警戒を浮かべたが、錦が黒髪を撫でても拒むことはなかった。
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