住居の入手方法


 寒々しい廃墟から、市を二つ移動して安いビジネスホテルに場所を移した。節約のためにダブルルーム、喫煙可の素泊まりである。
 錦はクローゼットを開け、引き出しを開け、風呂場に立つ。ユニットバスのカーテンを一往復させた。サービスの剃刀や櫛を物色して、バスタオルの感触を確かめる。

「俺の家には帰れないし、口座は使えない。携帯は置いてきてるし、そもそも穴空いてたけど。今日のところはいいとして、これからどうするか……。仕事も家もないんだからなあ」

 錦はユニットバスから顔を出した。凌がベッドの上に座って、深いため息をついている。

「その辺りで、空いている部屋を見繕えば?」
「電気ガス水道、どうするつもりだ。戸籍とか住民票とか誤魔化してくれる後ろ楯が、今の俺たちにはないだろ?」
「あなた自身の後ろ楯とやらは使えないの?」
「……駄目だな。俺が生きてるってどこからか漏れたら、俺を見逃したことになる二人の身が危ない。少なくとも今は、俺が俺だってばれる心配はないみたいだし?」
「もちろんよ、パパ」

 錦の感覚では。そのあたりの空き家に住み込んでもなんら問題はないのだが、"ここ"はそうでもないようだ。
 錦は小さい体をベッドの上に移動させて、凌のそばまで転がる。鍛えられた男の足を枕にするには高すぎたので、あぐらの揺りかごにおさまった。

「……家に関しては、用意してみるわ」
「あてがあるのか?」
「何とか出来る、と思うわよ」
「俺に出来ることは?」
「お役所の場所まで地図を書いて下さる?」
「はいよ。今すぐ?」
「んー」

 錦はあぐらからおりて、ベッドに横になる。凌がベッドサイドのメモとペンを引き寄せるのを横目に、目一杯欠伸した。



 夕方と夜の間の時間、錦は客室の窓から躍り出た。窓枠を蹴ると、小さな体は近くの電柱まで浮遊する。凌と日傘は留守番だ。
 地面に降り立つと、メモに従って歩き出す。忙しなく歩く人々にぶつからないよう、歩道の隅をとてとて歩く。
 ほどなくして到着した役所は閉まっていたが、明かりはしっかりついている。錦は建物の裏手に回り、職員出入口で足を止める。運良く、一人の職員が終業して出てきた。錦は何事か問いかけられる前に、職員に話しかけた。

「ここで一番偉い人は誰?」
「……谷本さん」
「その方、仕事はよく出来る?」
「とても」
「ならいいわ。谷本さんはいまどこに?」
「まだ残業、してる」
「そう。あなたはここで谷本さんへの届け物をたまたま受け取ったわ。渡さなくてはいけないわね?けれど不審に思ったあなたは、その包みを持ち込むことを躊躇う。さあ、ここに谷本さんを呼び出しましょ」

 にっこり。ゆっくり。
 職員は疑問を呈することもなく、携帯で上司へ連絡を入れた。錦が言った通りのシナリオを告げて、通話を切る。

「ありがとう。あなたはもう帰っていいわ。誰にも会わなかったのだから」

 帰宅する職員を見送って、呼び出した人物を待つ。職員の姿が見えなくなると、入れ違いに谷本とやらが現れる。よく仕事の出来る上司は、一人残る錦を見て煩わしそうな顔をした。
 錦はまたしても、一方的に告げた。

「住処を確保するために、必要なことを全て」

 谷本は虚ろな目で頷いた。



 錦が保護者を確保してから数日後。安いといえどビジネスホテルは値がはるので、ネットカフェや終日営業のファミリーレストランを転々としていたが、遂にマイホームを手に入れた。
 夢の、というにはあまり苦労もなく。苦労した人間は確かにいるのだが、それは錦でも凌でもなく、本人ですら意識外でのことである。

「これが家?」
「ええ。住民がいなくなったものの中々取り壊しが進まなかった物件よ。書類上は、わたくしたちが買い取ったことになるわね」
「俺は印鑑の注文したくらいなんだけど」
「夜の間に進めていたの。凌がぐっすりの間にね」
「気付かなかったぞ……もう鈍ったのか」
「無理もないわ。目が覚めないようにしたもの」
「……今思うと、ここ数日錦にキスされてから記憶がないな」
「ふふ」
「俺、寝てたんじゃなくて気を失ってた……?」

 住宅街に立つ一軒家。二階建てで庭はないがガレージがある。外壁はくすんだ色をしており、郵便受けには少々錆がある。使い込まれたような、長く人が住んでいた雰囲気が色濃く残っていた。
 手に入れてある鍵を回し、ドアを開ける。
 一階は1LDK、二階は洋室が四部屋という二人暮らしには十分すぎる広さである。掃除もされており先住民の私物も運び出されているが、家電製品はそのままだ。錦は見慣れない道具に首をかしげたが、凌は得をしたなと感心していた。

「洗濯機に冷蔵庫と電子レンジか。キッチンはガスコンロ……。ダイニングテーブルも置きっぱなしだし。至れり尽くせりだな。光熱費は、今朝くれた通帳の口座から落ちる、と」
「その辺りは、わたくしには分からないけれど、そう言っていたわ」

 凌がダイニングの椅子に座って、新しい通帳をめくる。錦も向かいの椅子によじ登ると、立ったまま通帳を覗いた。座高が全然足りないのである。クッションがいるわね、と一人頷く。

「既に十万入ってるのは?」
「親切な方から少しずつ頂いたのよ。振り込みも、親切な方にお願いしたわ」
「カツアゲか?」
「失敬ね。同意の元よ。逆らえはしないでしょうけど」
「同意とは」

 かくして、不思議な親子の新生活がスタートしたのである。


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