1ーA


「みなさん、おはようございます!」

 教壇に立つ男性は、わざとらしいほどの笑顔で言った。数多の無邪気な声が、妙にのびた挨拶を返す。
 錦は自席で、おはようございます、といつも通りの声量で返した。元気があるのは良いことだ、と小学生らしからぬ顔で微笑む。
 帝丹小学校の入学式が挙行され早数日、錦は毎朝の難関(早起き)を乗り越え、一小学生としての生活をスタートさせた。
 錦は子供らしくない子供だが、不思議なことに、今のところ"仲間はずれ"の兆候は見えない。児童は、己とは異なる存在を排除するかと思いきや、人一倍小柄な錦を気遣うことさえしていた。無垢な子供たちにとっては、錦が尊敬の対象であると同時に守るべき小さな子どもとして映るらしい。
 これが中学校や高校なら少し違ったかもしれない、とは凌の言である。
 むしろ、教師の方が錦を持て余していた。特待生で合格した将来有望な児童への対応に戸惑っているらしい。それでも錦は特に気にしないし、錦からそれを聞いた凌もため息をつくだけだった。
 ともかく、錦は児童の間では人気者だった。休み時間には、クラスメイトが口々に声をかけてくる。

「ねえ錦ちゃん!お外行こう!」
「わたくし、外はあまり得意ではないの。さあ、お友達と行ってらっしゃい」

 冬ならばまだしも、錦は快晴が苦手だ。ボールを持った子供たちを見送る。

「錦ちゃん、お絵かきしよーよ」
「……上手に描けたら、見せてくれる?」

 松田からもらった色鉛筆はお道具箱に入っているが、授業で必要な時にしか出さない。

「ねえ、えーっと、えーっとお……錦ちゃん!!」

 叫ぶように名を呼ばれて、教室のドアの方へ顔を向ける。錦の机を囲むクラスメイトたちも、一緒になって声の主を見た。
 カチューシャをした女の子と、背の高い男の子と、わがままボディの男の子の三人組だ。戸口で女の子が緊張した面持ちを浮かべて両手を握っており、二人の男の子はその後ろで視線を泳がせている。
 錦はクラスメイトにことわって席を立ち、口元をむぐむぐと動かしている女の子の前に立つ。

「あ、あのね、あゆみっ。いやあの、隣のクラスの、吉田歩美です!」
「歩美さんね。知っているようだけれど、わたくしは橙茉錦」
「うん!あの、それでね、歩美、お礼を言いたくて!」

 歩美はせわしなく手を動かしながら、必死で言葉を選んでいるようだ。とても、同級生に対する態度ではない。
 錦は微笑んで歩美の言葉を待つ。次第に歩美は落ち着きを取り戻した。

「前にコンビニで!歩美を助けてくれてありがとう!」
「ふふ、どういたしまして。気にしないでいいわ」
「錦ちゃん、とってもかっこよかったわ!おんなじ学校なんてびっくりよ!」

 錦は去年の夏、コンビニ強盗で人質にとられた子供を庇ったことがあった。
 錦が覚えていると分かると、歩美は表情を輝かせる。「かっこよかった!」「すごかった!」と全身を使って称賛する。錦は微笑んだまま一通りの賛辞を聞き、ところで、と二人の男の子へ視線を移す。
 
「お二人は、歩美さんのお友達かしら」
「つっ!円谷光彦です!」
「お、オレは小嶋元太!」
「円谷君と小嶋君ね。わたくしは橙茉錦」

 名を呼んで微笑むと、二人も過度の緊張を解く。歩美の後ろで様子を窺っていたが、そろりと歩美の隣に並んだ。

「強盗犯に立ち向かうなんて、橙茉さんはとっても勇気があるんですね……」
「ちゃんと食ってんのか?おっきくなれねーぞ」
「もう、元太くん!失礼ですよ!」
「錦ちゃんは小さいから可愛いのー!」
「歩美ちゃんも失礼ですよ……」

 会話のテンポがよく、三人の仲の良さがうかがえる。小学校で出会った、という訳ではなさそうだ。
 歩美がぴょこんと跳ねて、小さな手を差し出してきた。

「これからよろしくね、錦ちゃん!」
「ええ、よろしくね」
 

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