だが杞憂である
工藤新一は、怪しげな取引現場に出くわしたと思ったら背後から殴られ、薬を飲まされた結果、体が縮んで以下略。
江戸川コナンに改名し、外見相応の振る舞いとして小学校をやり直す羽目になっていた。
協力者である阿笠博士(ひろし)から貰った"キック力増強シューズ"を履き、体育のサッカーで強烈なシュートを決めたコナンは、クラスメイトにおかしな言葉をかけられた。
「錦ちゃんと、どっちがすごいかなあ!」
誰だよ錦ちゃん。
コナンは違和感や疑問を放置できない性質なので、その体育後も悶々と頭を悩ませることになった。転入したばかりのコナンは、クラスメイトの名前しか把握できていない。
しかし、樹木をへし折るほどのシュートに対抗できる小学生がいるとは思えない。
コナンは帝丹小学校指定のランドセルを背負って、ため息をついた。
「錦ちゃん、ねえ……」
「コナン君、錦ちゃんのこと知らないの!?」
コナンの呟きに、クラスメイトの一人が大げさなくらいに反応した。子どもたちが充実した放課後を過ごすために教室を飛び出す中、女の子が身を乗り出してくる。カチューシャがトレードマークの吉田歩美だ。
「錦ちゃんだよ!?錦ちゃん!」
まるで白米を知らない日本人に出会ったかのような驚き方である。
重ねて言われても、コナンはその子どもを知らない。正直にそう告げると、歩美は愕然とした。コナンの腕を引っつかみ、教室から連れだした。
コナンはされるがまま、隣のA組へと移動する。足早に教室を出る子どもの中に、一際小さく、悠然とした足取りの女の子がいた。
「錦ちゃーん!一緒に帰ろー!」
「歩美さん?バス停までになるけれど、構わないかしら」
「うん!」
高校二年生のコナン(新一)から見ても子どもらしくない錦なる人物は、あらゆる点で普通とは異なっていた。
外で遊んだことなどなさそうな白い肌、歩美より小さな身長でありながら老成した雰囲気、おっとりとした口調には少々アンバランスな知的な声音。どことなく浮世離れした印象の、きれいな女の子だった。
そして、コナンは錦を知っていた。忘れもしない、嗅覚で殺人犯を突き止めた幼女である。
「円谷君と小嶋君は、一緒じゃないのね」
「二人はおうちの用事で、急いで帰っちゃったの……。でも、錦ちゃんと帰れるの嬉しい!」
「ふふ、ありがとう」
コナンは二人の後ろをついて行きながら、錦をじっと見つめる。事件で出会ったときは"普通じゃない子ども"として記憶に焼き付いたが、特殊な体験をした今、それだけでは済ませない。"普通じゃない子ども"よりも、"子どもの姿をした大人"の方がよほどしっくりくるのだ。
錦と楽し気に話していた歩美が、下駄箱を出てようやく本来の目的を思い出す。日傘をひらいた錦と、後ろを歩いていたコナンの間に立った。
「あっ!歩美、コナン君に錦ちゃんを紹介しようと思ってたんだった。コナン君、この子が錦ちゃん」
「わたくし、橙茉錦よ」
「ボクは、江戸川コナン……。えっと、よろしくね」
「ええ、江戸川君」
クラスメイトから散々からかわれた名前には特に反応がない。さらりと名字に君付けで、ますます子どもとは思えなくなってくる。
まさか、黒づくめの奴らと関係が……?この子、いや、彼女も薬を飲まされて……?
コナンは錦の実年齢を見失う。ちゃん付けするのも躊躇われ、彼女にならって「橙茉さん」と呼びかけた。
「なあに?」
「橙茉さんは運動が得意なの?」
「体力はある方よ」
「……木を、へし折ったりできる?」
「ちょっと難しいわね」
ちょっと?
「でも、錦ちゃんはなーんでも出来るのよ!A組の子が言ってたもん!」
「へ、へえー」
「お勉強も!かけっこも一番で、逆上がりも出来るのよ!それに、歩美を強盗から助けてくれたヒーローなの!」
「は?強盗?」
「とーってもカッコよかったんだから!」
力説する歩美には悪いが、コナンの中では錦の不信感がうなぎ登りだ。自分のことは棚に上げて、到底子どもとは思えない錦を見据える。
錦はコナンの怪訝な視線にも、歩美に対するものと同じ微笑みを浮かべていた。
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