か弱い女の子


 錦は、人間よりも五感が優れている。
 聴覚に関して言えば、遠くの音や小さい音が聞こえることはもちろん、音の聞き分けに関しても優秀だ。
 近頃、凌が言うところの不思議能力に制限が生じているといっても、五感という基本的な能力は変わらない。

「わかった。歩美、がんばる!」

 その一言が、なぜか二重に聞こえたのだ。
 錦は、公衆電話で話している歩美らしき人物に近づくと、フードをかぶっている顔を覗き込む。
 蝶ネクタイを口元に構え、大きな受話器を持つ子供は、どこからどう見ても江戸川コナンだった。
 錦に気づいたコナンが、「げっ」と失礼極まりない反応をする。その声も、錦には二重に聞こえていた。

『なんだ?警察か!?』
「ち、違うよ!な、なんでも、」

 コナンは錦を横目で見ながら、何やら慌てて弁解している。歩美のものと思われる女物の上着を着て、蝶ネクタイで声を変えて応答しているようだ。
 錦は小さな咳払いを一つして、受話器に顔を寄せた。

「おじさん、歩美ちゃんのおともだち?」
『っああ、そうだよ。君は、歩美ちゃんのお友達か?』
「うん。おじさん、何か困りごとなの?」
『そうなんだよ。じゃあ、君も手伝ってあげてくれ』
「いいよ!」

 コナンが錦を凝視してくるが、男に呼びかけられて、歩美の声で応える。二、三言交わすと、背伸びをして受話器を戻した。
 コナンが蝶ネクタイを仕舞うと、もう歩美の声は聞こえない。
 
「どっから声出してんだ……」
「あら、以前の江戸川君を見習ったのだけれど?」
「そーかよ。それで、その、橙茉さんは……」
「歩美さんの声と江戸川君の声が重なって聞こえたものだから、気になっただけよ。不思議な道具を持っているのね」

 正直に指摘すると、コナンは明らかに表情を強張らせた。先程の電話よりもよほど焦りがうかがえる。
 言いよどんでいるコナンに、錦は密かに嘆息して、ところでと話題をそらした。

「さっきの、わたくしを顎で使おうという無礼者はどなた?」
「橙茉さん、いいよって言ってたじゃん……」
「無礼者との口約束を守る必要がどこに?」
「ソウデスカ。話合わせてくれたのは助かるけど、帰るのをおすすめするぜ」

 コナンいわく、人気アーティストTWO-MIXが拉致されているらしい。犯人は人質と引き換えに新曲のデモテープを要求しており、コナンはそれを持って、今から犯人のもとへ向かうという。
 犯人の指示があるという次の公衆電話に向かいがてら、コナンが端的に説明した。

「新曲の歌詞が、犯人が以前起こした殺人事件を想起させる……ね」
「ああ、間違いねぇよ」
「それで、なぜ江戸川くんが?」
「犯人からの指示だよ。警察を撒いて、歩美ちゃんが持ってくるようにってな。だから俺が歩美ちゃんのフリをして、こうして犯人の指示に従ってる」

 コナンはフードが外れないよう、押さえながら走っている。犯人の目があるかもしれないと、彼は警戒を怠らない。

「取引は構わないけれど、あなた、そのまま犯人を拘束するつもり?」
「当然!ま、子供たち(あいつら)に俺のメガネを預けてっから、俺の探偵バッジのGPSを辿って、警部たちを連れてきてくれるはずだ」
「さすがね」
「……てか、橙茉さんはどこまで着いてくるんだよ。危ねえから、取引現場には近づくなよ」
「わたくしが足手まといになるとでも?」
「思わねーよ……けど危ないのは本当だぞ」

 コナンがフードの中で顔をしかめている。錦に帰宅を促しているが、帰る気がないと察して半ば諦めているようだ。
 錦は、見下されるのが大嫌いなのだ。殺人を犯し、続いて誘拐事件まで起こしている男に使い走りにされ、引き下がるはずがない。
 加えて。

「わたくしの目の前で、友人が巻き込まれているなら、関わろうかという気まぐれくらい起こすわよ」
「ハハ……優しいんだかどうなんだか……」
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