タチの悪い手品


 コナンや子供たちが警察官から注意と称賛を受けている一方、錦がふらりと輪から離れる。
 警察は錦の関与を知らず、子どもたちは興奮していて周りが目に入らず、永野と高山は救急車でバイタルチェックを受けていたため、錦の行動に気付いたのはコナンだけだった。
 コナンは現場を離れるため「ちょっとトイレ」を発動し、大人たちの間をぬって錦を追いかけた。
 錦には"隠れる"や"逃げる"といった意識はないようで、コナンが呼び止めるとすぐに立ち止まった。

「どこ行くの?」
「帰るのよ。もうママが帰ってきているかもしれないわ。少し散歩をするだけのつもりだったから、書き置きしていないのよ」
「……怪我は」
「重傷に見えるかしら?」
「全く」

 錦の二の腕には、何の変哲もない絆創膏が一枚貼られている。元々持っていたのか、くすねたのか、救急隊員に処置してもらったのかは分からない。
 
「怪我をするつもりなんて微塵もなかったのだけれどね……」
「犯人を煽るからだろ……。銃弾をよけられるとでも思ったのかよ」
「よけたら火事になっていたわ。あそこ、とても油臭かったから」
「わざとよけなかった、ってそんな訳ないか」
「今はともかく。発砲された弾を、空中で捻じ曲げるには、力が足りなかったの」
「……俺、橙茉さんの冗談はハイレベルでついてけねえわ」
「ふふ」

 何が面白いのか、錦はご機嫌そうに笑っている。
 コナンは深いため息とともに頭をかいて、少しの間を置いてからもごもごと言った。
 錦からの追及がないとはいえ、変声機の使用をばっちり目撃されているのだ。犯人との対峙ですっかり忘れている、という楽観的な考え方も出来ない。

「あのよ……電話の時に、言ってたことだけど」
「『歩美さんの声と江戸川君の声が重なって聞こえた』?」
「ああ。……そのこと、黙っててほしい」

 錦がきょとんと首をかしげるが、すぐ合点がいったように頷いた。

「わたくしくらい耳が良くないと、きっと分からないわ」
「あ、いや、そういうことじゃ……」
「声を変えるだなんて、良く出来た絡繰りね。手作り?」
「……博士がな。それで、黙っててくれるのか」

 コナンは脱力しつつ、重ねて言った。錦にとって、コナンの変声機は一種のおもちゃでしかないのだろう。口止めの理由も、自分の"お気に入り"の欠点を知られたくないという程度の認識に違いない。
 コナンにとっては錦が得体のしれない子供でも、錦にとってのコナンは、ただの子どもでしかないらしい。
 不思議そうに頷く錦には、"眠りの小五郎"を見せてはならない。

「じゃあ……気を付けて帰れよ」
「ええ。またね、江戸川君」

 錦が優雅に微笑んで、悠然とした足取りで離れていく。
 コナンはまた深くため息をついて、子どもたちの所に戻ろうとし、はたと眉を寄せた。

「…………服、は」

 あいつの、服の、血は。
 コナンは慌てて錦を探すが、既に姿はない。探しに行こうかと思案するが、踵を返して監禁場所へと走った。警察官の間をするする走り抜け、監禁場所に駆け込んだ。
 コナンを現場から追い出そうとする手をかわして、床を凝視する。
 警察が踏み込んでからまだ時間が経っていないにも関わらず、わずかな血痕も残っていなかった。

「俺の見間違い……?そうすると辻褄は合う……」

 そんなわけがない、と言いたい。否定したいが、血痕がない。
 銃声に動転したのは、自分も例外ではなかったのだろうか。実際はあの傷相応の出血しかしておらず、床も服も汚していなかった?
 コナンは、思考に没頭したまま現場から締め出された。

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